僕を照らす
青春モノです。
道行く人たちの視線が立ち止まっている僕をなでる。
がやがやと煩い廊下で、俺は一人燈理を待っていた。今日はポケットに入れていた文庫本を忘れてしまい、やや手持無沙汰だ。
人の眼を無視して窓の外に目を向ける。木々の葉は少しずつ紅くなってきていて、今日の朝は少し肌寒い。もうそろそろ衣替えだし、冬服のクリーニングをお願いしないと。
「おまたせ、信也君」
そんなことを思いふけっていると、いつの間にか燈理が隣にいた。
「……そろそろ冬服だな」
「? そうだね?」
燈理は目を瞑ったまま、俺の問に首をかしげる。ぼーっとしたまま話してしまったから、いまいち着地点がない話をしてしまった。
「いこっか、次は数学だよね」
「そうだな」
俺は燈理が制服の袖を掴むのを感じながら、ゆっくりと多目的トイレから離れる。
授業と授業の間は10分しかない。二人で教室に戻ると、授業開始のチャイムは鳴っていないけど先生はもう教壇で準備を始めていた。
燈理に袖を掴ませたまま一番前の席まで誘導する。みんな分かっているから、すでにその道だけ人はいない。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
使わなかった白杖を席の横にかけて、次の授業の準備を始める。俺がすぐ隣の自分の席に座るとともに、開始のチャイムが鳴り響いた。
〇 〇 〇
燈理は小学生になるくらいから徐々に目が悪くなり、中学になる頃にはほとんど見えないくらいまで視力が悪化した。後天的な視力障害と診断されたけど詳しい原因は不明で、病院に通い続けても回復傾向は見られず、中学入学とともに視界が不自由な生活を余儀なくされた。
「ここの方程式は2と8で――」
教師の話を右から左に聞き流しながら、隣の席にいる燈理を盗み見る。
分厚い眼鏡をかけてノートにメモを取る姿は不格好で、目とノートの距離も近い。
燈理は近いところも遠いところもあまり見えていないが、オーダーメイドの眼鏡を掛けて近づけばノートの文字判別することくらいはできるらしい。
可愛くないから好きではないというのは本人談だが、燈理が盲学校ではなく普通の学校に通うのならば、その眼鏡は必須のものだった。
そんな理由もあって燈理の席は一番前にある。それでも黒板は見えないからほとんどの授業は先生の話から読み取る。黒板に頼らないノート作りは見事なもので、要点が読みやすく綺麗に作られる。俺のテスト前の救世主でもあった。
授業が終わると燈理はすぐに眼鏡を外した。目を開いていても特に違和感はないが、眼鏡をしない時は目を閉じたままにするのが燈理のスタンスだ。
入学当初ははれ物扱いだった燈理だったが、高校ともなれば燈理の中にもある程度の処世術が出来ていた。明るく素直な性格が周囲に浸透すると少しづつクラスに馴染み、目が見えないこと以外は普通の高校生として生活を送っていた。
〇 〇 〇
「信也君、今日もよろしくー」
「うん」
放課後、俺は燈理を連れて文化部塔まで移動する。俺は文芸部に入っていて、それを聞きつけた燈理が追っかけ入部をした。眼鏡をかけてかなり近づければ、本も読めるし文字も書ける。燈理が入ることのできる数少ない部活でもあった。
燈理は一人で歩く用に杖も常備しているが、学校内は急に人が飛び出してきたりと少し危ない。学校内は俺か他の人に案内される形で歩く。
「こんにちわー」
「うむ、今日もご苦労」
部室にはすでに先輩が一人、パソコンの前に座っていた。
文芸部は少数精鋭……と先輩はいうけど、単に人気がなく部員は三年の先輩が二人、二年の俺と燈理、あと在籍上のみの幽霊部員が一人で計五人と、ぎりぎり部活の体を保っている。
先輩達が卒業してしまう来年には最低二人補充しなければならなく、勧誘を頑張らないと存続は危うい。
「先輩、新作読みましたよ。いいとこで止めますね」
「ありがとう、それが読者と惹きつけるコツだからな。次回を待て」
部室にいた先輩は三年の黒田定晴先輩。小説投稿サイトで小説を書くのが趣味で、今執筆中の作品はサイト内でもなかなかの人気がある。芯が強く、話し方が固くて初対面は少しとっつきにくいが、慣れると頼りになる先輩だ。
「ほたる先輩は来てないんですか?」
「補修だ」
「……そうですか」
粟嶋ほたる先輩はかなりマイペースな性格で、自分のペースを大事にしすぎるせいかあまり成績が良くなく、よく補修に駆り出されている。
性格が対極にあるはずの定晴先輩とはなんと付き合っていて、定晴先輩と同じ大学に行くため勉強を頑張っているが、展望は明るくない。
「受験も近いからな。今時期に補修は心配だが……なんとかするつもりだ」
「なんとかなるんですかね」
「後輩に心配はかけんさ」
とても心配ですけど。という言葉は心の中にとどめておく。
「定ちゃん先輩がなんとかするって言ってる時は大体なんとかなるから、きっと大丈夫だよ」
燈理がそう言う通り、実際ほたる先輩は勉強に関して様々なピンチと対面してきたが、定晴先輩のフォローでなんとかなっている。
「……ご苦労様です」
「なに、これも自身への試練だと思えば楽しめるものだ」
本当によくできた先輩だと、素直に尊敬した。
〇 〇 〇
「そういえば定ちゃん先輩、添削をお願いします」
「分かった」
各々が自由にしている部活動の中、不意に燈理が一冊のノートを差し出した。
「まさか燈理が書いたのか?」
「そうだよ。定ちゃん先輩に触発されて」
「へー……俺も読みたいな」
「信也君にはちゃんと完成してからね」
燈理が書く文章は正直とても気になる。
「信也も一度書いてみればいい。自由に自分の世界を作ることができるから楽しいぞ」
「あー……そうですね」
定晴先輩から飛び火して口を閉ざす。俺はもっぱら読専なのだ、昔々に一度書くことに挑戦したこともあるけど、ぜんぜんセンスがなくて諦めてしまった。
センスがないなりにノート一冊書き上げて、自慢げに燈理に読ませて失笑をもらったのは黒歴史となっている。
あのノートはまだ部屋にあるけど、いつか誰にも知られずに燃やしたいところだ……。
俺は手に持っていた文庫本の続きを目で追った。
〇 〇 〇
「今年も文化祭参加要項の通達が生徒会からきた」
部活終わりに定晴先輩が一枚の紙を取り出した。
「部室を与えられている部は、その部屋または別の部屋を使用してなにかしらの出し物をすることになっている。二人も知っていると思うが、去年は古典文学の研究発表を行った」
もうそんな季節か、と去年を振り返る。去年は卒業していった三年生の中に、古典文学を熱烈な趣味としている先輩がいたから、出し物も自然とそうなった。というか、その先輩が入部した年から三年間はずっと古典文学の展示していたらしい。
俺たちも去年は出し物を手伝っていたが、内容についてはほとんど先輩任せで、掲示とか工作とか雑用ばかりで楽なものだった。
「わかっていると思うが今年は越智先輩はいない、つまり去年のように古典にしなくてもいい。というかだな、顧問からの助言で他の展示をしたらどうかと言われている。ここ三年古典を扱ってきたが、文学は古典だけではないと」
顧問の先生はそれこそ古典の担任だった。その顧問が言うのならば無碍にはできない。
「よって異論がなければ、今年は現在文学、サブカルチャー寄りの展示を行おうと考えている。具体的には執筆した作品の発表、読んだ本の紹介や評論、詩の掲載も可だ。燈理は今日見せてくれた小説でいいだろう。信也も必ず一つはなにか書くように」
「だってさ信也くん」
名指しされてしまうと逃げ場がなかった、あえて返事はしないけど。
「……異論はないようだな。展示部屋の基本的なレイアウトは去年と同じとする。作品は二週間後を目途に進捗を確認、三週間後の完成を目指す。文化祭まではひと月だが、クラス展示をしながらでも問題ない日程のはずだ。その他思いついたことがあれば相談してくれれば取り入れる。あとはほたるが補修をクリアすればなにも問題ないな」
「一番心配な気がしますが」
「定ちゃん先輩がなんとかしてくれるよ、きっと」
〇 〇 〇
燈理は杖を右手に持ち、左手は俺の制服を掴んで帰り道を進む。
家から一番近い高校を選んだこともあって、燈理とゆっくり歩いても15分程度で家につく。
「ついに信也君の書いた文章が読めるのかー、久しぶりだね」
「今から両手骨折させれば書かなくてもいいかな?」
「そんなにいやなの⁉」
実際めっちゃ嫌だった、燃えるノートが一冊増えるだけだと思う。
「うーん、じゃあ定ちゃん先輩が言ってた詩とかは? よく本は読んでるんだから、小説の紹介でもいいかも?」
「どっちも書いたことない」
「じゃあ書いてみればいいよ。何事も挑戦、だよ! 私も見てあげるからさ」
「いや、見せるなら定晴先輩からだ」
「えー、なんでぇー」
後方から自転車の音が聞こえたから、燈理を誘導して壁際に寄る。燈理もなんとなくわかっていて、通り過ぎるまで立ち止まる。反対方向からも自転車が見えたから、ついでにもう少し待つことにした。
空を見上げると見事な夕暮れで、自転車に乗っている人の視線が俺と燈理を通り過ぎる。
「……信也君はさ、こういう時なにを思っているの?」
「野暮なこと聞くなって。……夕焼けがきれいだなーとかそんなことだよ」
こういう時、は燈理のために時間をかける時。
昔は思うところもあったけど、今は本当になにも思ってない。必要なことをしているだけで、それは俺の日常となっていた。でも、燈理がそれをいつも気にかけていることを俺は知っている。
俺に対しても、他の友達に対しても燈理は自分のせいで時間を使わせることを酷く気にする。でもそうしないと暮らしていけないことも、十分にわかっているはずなのに。
この問いは、昔から何回も繰り返されている問いだった。燈理の中では、まだ折り合いがついていないらしい。
自転車がいなくなってから、燈理を連れて帰り道を進む。
燈理の掴んだ裾が先ほどより少しだけ重たい気がした。
〇 〇 〇
「みてみて、これいいかも」
差し出されたスマートフォンに表示されているのは、他校の文化祭の様子だった。広い部屋の中に色とりどりの紙を使った工作と、山積みの冊子が積み上げられている。メインは休憩所のようだけど、テーブルクロスの上にも本が陳列してあって、すぐ読めるようになっていた。
「これしようよー、ねぇねぇ」
「いや無理ですって、うちは人数も少ないし部屋も小さいんですから」
「でも少しくらいはマネできるとこあるかなーって」
「どれ……折り紙で生き物を作るくらいはできそうだな。確か棚に折り紙の残りがあっただろう」
定晴先輩が指をさしたのは、テーブルに飾っている動物だった。たしかにうちのテーブル数ならそんなに作らなくていいし、手軽にできる。
「ほら、ほたる。これで用意を頼む。折り方はスマートフォンで調べられるな」
「ありがとー、定ちゃん」
折り紙をもらって喜ぶのは補修から解き放たれたほたる先輩。女子にしては高い背と、ウェーブの掛かった黒い髪で一見してお嬢様チックの見た目だ。ゆるふわな性格で周りを巻き込むことを厭わない人で、定晴先輩が抑止力となっている。
「燈理ちゃんも一緒にしようよ。ほら紙あげるから、折り方は説明するね」
「今ちょっといいところなんですけど……」
「私より本の方が大事なのかなー?」
「わ! ちょ、わかりましたっ、わかりましたからっ」
座って本を読んでいた燈理に、ほたる先輩が雪崩掛かっていた。燈理は全体的に小さいから、ほたる先輩がそうするとまるで潰されているように見える。
「さて、あの二人はいいとして。信也、これはボツだ」
「……そうですか」
俺がいくつか書いた詩の添削を定晴先輩にお願いしたのだが、添削以前にボツを食らった。
「詩は自由だ。本来ボツというのもないものだと思っている。だがな、これはまるで写生した絵だ。なにか見本があるだろう」
「おっしゃる通りです」
何を書いていいのかわからなくて、詩を書こう! というサイトのものからいくつかピックアップし、その形をマネして書いたものだった。
「詩は自分の思いや気持ちを凝縮した文にして伝えるものだ。信也の課題はもう少し自分の気持ちを全面に押し出すことだな。信也も日々をなにも感じず生きているわけではないだろう」
「それはそうですけど……」
「もう少し頑張ってみてくれ。最悪これを使ってもいいが、俺も最後の文化祭だ。出来れば後輩が書いた珠玉の作品が読みたい」
返されたノートを受け取りながら、そうは言ってもと思う。何を書いていいかわからないのは本当で、定晴先輩からオススメの詩や書き方のポイントを教えてもらっても、なんとなくぴんとこない。
「できた! 二人とも見て見て」
ほたる先輩の声とともに、テーブルの上に折り紙が置かれる。一つはうさぎだとすぐにわかった。もう一つは……。
「クマだな」
「失礼なっ! どっちも可愛いウサギです」
「えっ、これが?」
「あー! 信也くんまで……」
ぐしゃぐしゃにした紙にしか見えない。クマ……に見えなくもないか?
「ってことはこっちが燈理作か、上手だなー」
きっちり折られたうさぎは、紙の角も合っていてまるでお手本のようだった。燈理は見えないとは思えないほど、指先が器用だ。
「ほたる先輩の教え方がよくて」
「教えてる方が上手くできないことってあるんだ」
「ねぇー燈理ちゃん、信也くんがいじめるんだけど」
拗ねるほたる先輩を燈理がなだめていた。
〇 〇 〇
燈理がお花を摘みに行きたいというので俺が付き添って廊下を進む。文化棟の多目的トイレは少し遠くて不便だ。
廊下は文化祭に使用する道具でごちゃごちゃしていた。燈理一人で歩くのは厳しそうだから、燈理の進む足元を気にする。
「うわっ!」
「っ!」
そのせいか教室を小走りで出てきた生徒と気づかず、燈理がぶつかってしまった。咄嗟に燈理の腰を抱えて、倒れないように身体全体で支える。
「ごめん! 大丈夫だった?」
「えぇ、まぁ」
燈理も少しバランスを崩したけど、転んだりはしていなかった。
「ほんとにごめんね!」
急いでいたのか、そのまま女子トイレへと消えていく背中を見送る。
「信也君、もう大丈夫」
「うん」
腰に回した手をほどき、燈理が制服の裾をしっかり持ったところで進むのを再開する。
これもたまにあることで、燈理はわずかな段差に弱い。俺も気を付けているけど、全てに気を配っているわけじゃないから、時々何かに引っかかったり、ぶつかってバランスを崩すこともある。その時は腕とかを中途半端につかむより、身体を抱え込んで支えた方が転倒する可能性が減るのだ。
……ただ高校生になって、なにも感じないとはもちろん言わないが。
「ちょっとどきどきした?」
「……してない」
俺の動揺を見透かすかのように、目を瞑ったままの燈理が笑う。
「なぁんだ」
「ほら、早くいってこいよ」
その会話が少し気恥ずかしくて投げやりな返事になった。こういう時、顔を見られなくてよかったと思う。
燈理の手を多目的トイレの手すりに誘導する。
「ちょっとくらいしてくれないとそれはそれでショックなんだけど」
「はいはい、どきどきしたした」
「てきとーだなぁ」
トイレのドアが閉まる。俺はなにか気まずくて少しだけ歩くことにした。
文化棟横に長く、いくつかの文化部と空き部屋が混じっている。締め切られたドアの向こうから話し声が聞こえて、文化祭の手前いつもより賑やかだ。
適当な空き教室のドアに手をかけると、簡単に開いて少し驚いた。中には幸い誰も見当たらず、適当な荷物が積み上げられていて半分倉庫となっている。
窓際からは青い空とグラウンドが見えて、どこかの部活動が声を上げて走っていた。
……そういえば、小さい頃は燈理と一緒に走りまわってたっけ。
あの頃は燈理の方が足が速くて、公園で鬼ごっこをした時もなかなか燈理に追いつけなくて悔しかった記憶がある。小学生に入るくらいまでは外で遊ぶことが多かったけど、燈理の目が見えなくなるにつれて、燈理か俺の部屋で遊ぶことが多くなった。
中学の頃、たまたまクラスの男子に家を行き来するのを見られ、茶化されてから燈理と一緒にいるのがなんとなく気まずくて。
その後から燈理の呼びかけを無視して、男子で遊びに行くようになったんだ。燈理はなにも言わず、だんだんと燈理と行動することが少なくなっていった。
走る人影を目で追いのかける。……遠くで何かが落ちる音がした。
「燈理っ!」
すぐに空き教室を出ると、遠くで燈理が膝をついていた。足元には杖が転がっている。
「大丈夫か⁉」
「信也君……いてくれてたんだぁ」
「当たり前だろ」
倒れた杖の隣には大きな木の板が立てかけていた。これに杖をぶつけたのだろう。
「離れてごめん。……待っててくれればよかったのに」
手を貸して、燈理を立ち上がらせる。
あまり歩かないからか、その足はひどく細くて頼りない。
「私一人でも、出来るようにならなきゃと思って。いつまでも信也君に頼りっぱなしじゃいけないからさ」
「俺がいる時は頑張らなくてもいいんじゃないか」
「でも、ずっと助けてもらうわけにはいかないよ」
「そんなこと……」
ない、と俺は言い切れなかった。一度、俺は燈理の前から消えたことがある。
「だいじょーぶ、大人になっても信也君を連れまわすわけにいかないんだし。信也君もあんまりわたしのこと、気にしすぎないようにね」
そう言ってへにゃりと笑ったその顔は、いつの日かどこかで見た顔と重なった気がした。
〇 〇 〇
帰り道、燈理を送っていった後、なんだか家に帰ると考えこんでしまいそうで、足は自然と家を離れていった。
車が行き交う大きな通りを進むと、すぐ駅前に着く。そこは高校から一番近い駅で、帰宅ラッシュの時間帯のせいか、人が引っ切り無しに出入りをしていた。
駅に来たはいいが特に用事もなく、困ったところで適当なベンチに座って、人の流れを見ていた。
「信也君、こんなところでどうしたのー?」
ぼーっとしていたせいか気づかなかったけど、隣にはいつの間にかほたる先輩が座っていた。手にはテイクアウトしたのであろうのドリンクが揺れている。
「買い食いは定晴先輩に怒られますよ」
「もー、信也君も私の友達と同じこと言う。定ちゃんは私のお母さんじゃないんだけどなー」
実質保護者……いや、進学に関しては保護者以上のことをしてもらってると思うけど。
「その一緒にいた友達はどうしたんですか?」
「先に帰ってもらったよー。なんか思い悩んでる後輩君を見かけたから」
「別に悩んでなんかいません」
「信也君の家もっと学校から近かったと思うけどなー。ほら、そんなむくれないでよ。頼りになる先輩がここにいるでしょー。燈理ちゃんのこと、なんでしょ?」
「俺の悩み、燈理のことばっかりだと思ってません?」
「だってそうでしょー。それで今回はどんなお悩み? よかったら聞かせてほしいなー」
やたら近くてぐいぐい来る先輩に、俺は仕方なくトイレの後の出来事を話した。
「それは燈理ちゃんの言う通りだなー」
「そうですよね。いや、俺もわかってはいるんです」
「……信也君はさ、大人になってからのこと考えたことある? まだ二年生だからあんまり気にならないかもしれないけど、三年生になったら毎日進路のこと、未来のことを考えさせられるんだよ。私はずっと高校生のままがいいのになーって思ってるのに」
ほたる先輩は手に持ったドリンクをふらふらと揺らす。中に入っている氷がからからと音を立てた。
「まだまだ遊び足りなくて楽しそうなことも興味があることもたーくさんあるのに、勝手に周りは大人への道を歩かそうとしてくるの。本当はそーゆーのって、もっと自分のタイミングで、好きな歩幅で歩いていくものだと思うんだよね……っていつの間にか私の話になっちゃったけど、つまりさ、燈理ちゃんは自分のタイミングや歩幅のこと、よく考えてるんだなって思ったの。きっと高校を卒業した後のこともちゃんと考えてるんだろうなって。信也君はきっと、そこまでまとまってないんだよね?」
「今日、燈理に言われて考えるようになりました」
「うんうん、私も二年の時はなにも考えてなかったからねー。燈理ちゃんは、きっと自立したいと思ってるんだよね。信也君のために」
「やっぱ、傍にいない方がいいんですかね?」
「んーそうじゃなくて……たぶん燈理ちゃんも不安なんだよ。いつでも一人になっていいように、心構えをしてる。だから信也君がどう思ってるのかを、もっと強く訴えかけないと」
ふと燈理と再会したときのことを思い出す。
高校生になった初日、教室に入ってまず燈理の存在に気が付いた。机の横には白杖、背筋を伸ばして座っている燈理は以前より少し大人びているように見えた。それでも教室の中で特異的な彼女にあえて進んで話しかけるような人はいなかった。燈理を遠巻きに、周りで徐々にグループが形成されていく中で、その時の燈理は背景と同じような存在だった。
きっと、それは罪悪感だ。中学の時、燈理を拒絶したこと。あの時から燈理と俺の道が重なることはなくて、これからもないと思っていたのに。
だから俺は俺のために、教室に入って一番最初に燈理に話しかけた。
「信也くん?」
一言声をかけただけで、燈理は俺の名前を呼んだ。そして昔と同じように幼馴染の距離で話した。
燈理の中に、俺との空白部分は少しも見当たらなかった。
その時の安心を、燈理にもあげたいと思った。中学の時、恥ずかしさでああなってしまったけれど、本当はずっと燈理の隣にいたかったんだ。
ただ、それを伝えるために……俺がその方法に悩んでいると、隣でドリンクを飲み終えたほたる先輩がさも名案かのような言った。
「あっ、いいこと思いついた。せっかくだしさ、それを詩にすればいいんじゃない? 信也君まだ作品できてなかったよね」
……それ燈理がかえって不安になったりしないかな? 主に俺の文才に。
〇 〇 〇
そうしてほたる先輩の言うままなぜか詩を書くことになった俺は、空いている時間は文章を考えることになった。ほたる先輩は定晴先輩にも何を書くか伝えたようで、どう伝えたのかはわからないけど主に恋愛モノの詩とか歌詞とかを参考にと送ってくる。
詩などは小説より短くてすぐ読めるのはいいけど、砂糖の山に金平糖やらアラザンやらを山盛りかけたようなものが多く、文字に対して胸やけをするという初めての体験をした。
しかし慣れとは怖いもので、読み続けているうちに理解が広がり、それから自分の文字としてアウトプットすることでだんだんと気持ちが形になっていくのも確かに感じた。
最初はとっちらかった文章も次第に読みやすく、短くなって、ほたる先輩にも添削してもらいながら、少しずつ文章を作っていく。
そうしてあっという間に時間は過ぎ去り。
『いいだろう。信也の気持ちがよく出ている』
「ありがとうございますー……」
『印刷はこちらで任せてくれ。本番は明日……いや、日付的にはもう今日だな。ゆっくり休むように』
時計を見ると12時を過ぎていていつの間にか文化祭当日となっていた。ふーと息をついてもう一度パソコンに映る文章を見つめる。いざ終わったと思うとその文章も冷静に眺めることができて、前より冷静に眺めることが出来る……。
「いや、これって告白じゃね?」
ふと呟いた言葉は無意識に出たものだった。けどその直後に眠気が襲ってきて、俺は自分で言った言葉の審議もせず、ベッドへと倒れこんだ。
〇 〇 〇
文化祭当日、俺は燈理を連れ添って文芸部へ向かっていた。
「へぇ~、じゃあギリギリで書けたんだ」
「ここまで集中することもないから、なんだか記憶が曖昧だけど」
「でも定ちゃん先輩が良いって言ったんでしょ? じゃあ問題ないんじゃない」
文化棟の廊下は文化祭のせいでさらにごちゃごちゃしていて、燈理が歩くのが難しい。そのせいかわからないけど、いつもより身を寄せて歩く燈理に少しだけ鼓動が早まった。
「あ、鍵空いてる」
「先輩達早いなぁ」
がらがらと文芸部の扉を開くと先輩達のバッグだけがテーブルの上に置いてあった。壁に寄せてあるボードには作品が張り出されていて、その周囲は折り紙で作られた動物や謎の生物が貼り付けられている。
もともとの部室が狭いから少し窮屈だが、見やすく作ってあるスペースだろう。
「ねぇねぇ、先に信也君の読みたいよ!」
「そういえば俺も燈理の読みたかったんだ」
俺のスペースらしき場所には、真ん中に紙が一枚貼ってある。作品が一枚のみだからか、周りは折り紙で埋まっていた。
先に燈理をそのボードの前に立たせる。いそいそと眼鏡を用意するのを横目に、俺も燈理の作品を読みに行く。燈理のボードは12枚の紙が貼り付けてあって、ちょっと長めの小説のようだ。
どれどれ……どうやら異世界ファンタジーものらしい、確かに燈理もよく読んでるしな。
「……信也君」
「ん?」
主人公がステータスボードの謎の文字に気づいたところで、燈理に呼ばれた。
「実はほたる先輩からさ、信也君が私のために頑張って書いてるよって聞いててさー……」
こちらを向いた燈理の顔は真っ赤で、声少し震えていた。……怒っているわけじゃなさそうだけど、こちらをきっとにらんでいる。
「これ、不特定多数に見せるのはちょっと恥ずかしすぎない?」
「そうか? 俺が一週間かけて書いたんだけど」
「うわぁ……恥ずかしすぎる……」
そうは言ったが、俺も恥ずかしいことを書いた自覚はある。けど燈理がそんなに反応するほどだったかな。
友利は頭を抱えていた、少しふらついた拍子に、足が机に引っかかるのが見えた。
「わっ!」
「危ないっ!」
倒れる燈理を正面から抱き留める、それは意図せず抱きしめるような形になっていて、けど俺は燈理を支えるのが必至で。
俺のちょうど胸の位置に顔を埋めたまま動かなかった燈理は、そのまま両手でぽかぽかと俺をたたき始める。
「もー! なにあれなにあれ! ちょっとおかしいんじゃない?」
「そんなこと言っても、俺の本心だし」
「ぐぬっ」
「昨日の夜中ギリギリまで悩んで作ったんだぞ」
「ぅう……」
顔は見えないが耳まで真っ赤になってしまった。
「もー、そこまで言うんだったらもう絶対いなくなんないでよね! 一生だよっ⁉」
「一生?」
「なに? 文句あんの⁉」
「……ありません」
そんなに恥ずかしいこと書いたか? という疑問はあったが、俺の考えが少しでも伝わったのならよかったのかもしれない。
「青春だねぇ」
「青春だな」
いつの間にかドアの隙間から見ていた先輩達はそんなことを言って助けてくれないし、俺はとりあえず、燈理を宥めることを優先することにした。
〇 〇 〇
僕を照らす /末継 信也
例えば君の目の前に谷があるなら、僕は君を飛ばす風になろう。
例えば君の目の前に山があるなら、僕は道を示す案山子になろう。
例えば君の目の前に海があるなら、僕は君が乗る鯨になろう。
例えば君の目の前に雷が降るなら、僕は君を守る鉄塔になろう。
例えば君の目の前に風が吹くなら、僕は君を隠す林になろう。
例えば君の目の前に雪が降るなら、僕は君を温める焚火になろう。
例えば君の目の前に坂があるなら、僕は君を支える杖になろう。
それでも君の燈火が消えそうな時は、僕も同じ燈火になろう。
燈火になって、陽だまりを作ろう。
燈火になって、ココアを温めよう。
燈火になって、水たまりを乾かそう。
燈火になって、君の道を照らそう。
燈火になって、君の火を大きくしよう。
だから君は君の燈火をずっと灯らせて。
それが僕を照らす燈火だから。