ふたりの生活(ホームドラマ)
テーブルの上にぽつんと、珈琲店が監修したコーヒー牛乳のペットボトルが置いてあった。
私は大学に遅刻しそうなところで、目についたそれを持って行っていいのか考える。それは私の好きな飲み物であることもアイツは知ってるはずで、こんなところに置いておいたら持っていっていいよ、と言っているようなものだった。
「んー……」
少し悩んで、悩む時間なんてなかったことに気づく。反射的にそのペットボトルをつかみ、バッグの中に押し込んだ。
私はなるべく音を立てないように扉を締め、エレベーターまで駆ける。
「ふぁ~」
大きな欠伸をしながら時計を見る。まだ午前中かと思ったらもう午後に入っていた。大学は4限目だけだから今日はまだ問題ない。
布団から抜け出し、冷蔵庫の中を漁る。冷蔵庫の右側は綺麗に整理整頓されていて、左側にはほとんどものが残っていなかった。そんな中、見慣れない小さな小鉢が1つ左側に寄っている。
「うわぁ」
中身を見て小さな声が出る。とろろの上に納豆、オクラ、なめこがトッピングされているねばねばセットだ。俺は納豆は大好きだけど、とろろは苦手。それが一緒くたになっているのがなんとか食べさせようとするアイツらしい。
「……んー」
迷った上、冷蔵庫の左側にかろうじて残っていた納豆を1パック追加して、混ぜたものをご飯の上に乗っけて掻っ込んだ。納豆の比率が多くなった分、まだ幾分かとろろの風味はマシになった。どうせバイト先で賄いは食べ放題のようなものだから、昼ごはんはこれくらいで十分だ。
炊飯器の保温を切って顔を洗いにいくところで、昨日テーブルの上に置いておいたペットボトルが無くなっていることに気づく。俺は特になにも思わず、そのまま洗面台へ向かった。
「ただいまー」
大学の講義も終わり、買い物袋を一度玄関に下ろす。アイツの靴はやっぱり無くて、私はもう一度重い買い物袋をキッチンまで運んだ。
カーテンを引き、電気をつける。アイツの部屋の襖は閉まっていたけど、いないことが分かっているから遠慮なく開けた。万年床に服やら下着やらが散らばっていて、今日もなんだかんだぎりぎりに出ていったのが伺える。とりあえずちゃんと生きてるってことはわかった。
夜ご飯は魚を焼くことにした。後は何にしようかと冷蔵庫を開けると、左側に置いた小鉢が無くなっている。その事実を認めて、右側にあるソーセージを手に取った。
「今日は作りすぎないようにしないと」
そう1つ呟く。そうしないと、また小鉢を用意してしまうことになってしまうから。
静かにドアを開ける、アイツの靴は綺麗に揃って玄関に並んでいた。
豆電球のついた部屋を見渡す。洋室であるアツイの部屋はとっくに電気が消えているようで、日付の変わったこの時間に起きていることはまずない。
今日のバイトは忙しく、ぐぅとお腹が小さな音を立てた。コンビニでなにか買ってくればよかったと少し後悔する。あんまり腹が減ると寝づらいんだよな……と思いながら冷蔵庫をあけると、また小さな小鉢が左側に寄っていた。
中身はどうやらソーセージと野菜を炒めたもの。また作り過ぎたのか……ありがたく思いながらレンジの中に入れる。ご飯はさすがにないからこれだけでなんとか我慢することにしよう。
シャワーを浴びる前に、米を研いでおく。量は2合。今食べるわけではないが、俺も食べるし炊飯器は一つしかない。それに小鉢分くらいは返さなければなんとなく後味が悪かった。
目覚ましの音をすぐに止める。ゆっくりと起き上がってからカーテンを引くと、昨日引き続き今日も朗らかな陽が差していて、なんとなく良い気分になった。
今日の朝は少し時間があったから、味噌汁に目玉焼き、そして小松菜の煮びたしを作った。起きた時にはお米は炊き上がっていて、白いご飯をお茶碗一杯に盛る。
テーブルの上に並べ、さて食べようと思った時に視界の端に見慣れない付箋が張ってあることに気づいた。『24日夜から希望。27日替日』
ふむ、と食べる前に私は手帳を確認する。24日は2日後だ。夜からということは25日の夜までということでもある。日程的には問題ないように見えたので、赤ペンで付箋に大きな丸を書いておいた。
今日は特に余るものもなく、食べた後にすぐ食器を片付ける。すでに置かれてあった小さな小鉢に少しムッとしながらも、スポンジに洗剤を足した。
24日、玄関には靴がなかった。いや、あったらあったで彼女にどうにか説明しなきゃいけないのが面倒だからいいんだけど。
彼女はバイト先の居酒屋の客だった。話しかけてくれて、一月ほどのメールで家に呼ぶことができた。彼女といっても、実際にまだ付き合ってはいないから本当の彼女にするのが今日の目的だ。あわよくばそのままその先も。
「部屋、結構片付いてるんだねー」
実際に片付けてるのは俺ではないけど、アイツの几帳面さに少し感謝する。
「まぁまぁ、とりあえずこっちの部屋で。なんか飲み物持ってくから」
「はーい……あっちはなんの部屋なの?」
あくまで自然に、だけどその目線は鋭く俺を突いていた。なんで女の子というものはこうも同性の匂いに敏感なのだろうか。
「えーっと……、姉の部屋だよ」
以前の経験から、俺は正直に答えるようにしている。ごまかしても面倒なことになるだけだから。
若干の静寂の後、彼女の視線がアイツの部屋から外れる。
「ふぅん。一人で住んでるわけじゃなかったんだね」
彼女の答え方は、俺が以前に別の女の子から聞いた答えと同じように聞こえた。
大学終わり、友人と家で飲むことにした。
「お邪魔しまーす」
コンビニで買った安くてアルコール度数が高いお酒を片手に持った友人は、居間にわが物顔で座る。私は軽くおつまみを作るため、飲む前に台所へ立った。
「弟クンは? 今日はいないの?」
「いないから呼んだの」
「えー、会いたかったなー。双子なのに全然似てない弟クンにー」
はいはいと適当に返事をし、フライパンを温める。冷蔵庫の中身はあまり消費されてなく、ゴミ箱の中にあるお酒の缶の数も増えてなかったから、なんとなくアイツが家に呼んだのがどんな人で、どうなったのかが想像ついた。
「ねー、弟クンの部屋見てもいいー」
「ダメだって、バレたら怒られるんだから」
「怒られるの気にしてたら一緒になんて住まないでしょ」
そういって、友人はアイツの部屋を少しだけ覗いていた。まぁ怒られるといっても、生活する時間が違うからそもそも顔を合わせることは少ない。
私は熱したフライパンの上に細く切ったベーコンをばら撒いた。
日差しに目が覚める。
目覚ましはふっとばされて横になっていた。スマートフォンで時刻を確認し、俺は2限目の講義を諦める。
欠伸をしながら居間への襖を開けると、まだカーテンが掛かっていた。疑問に思い台所を見ると、今朝ご飯を作った形跡がない。アイツの部屋の扉を見ると、ちょうど扉の向こうから、小さく咳が聞こえてきた。
「風邪かぁー」
「……ほっといて」
風邪気味の声で答えが返ってくる。どうせ移したくないからとか思ってんだろう。
テーブルの上には徒歩5分の場所にある内科で処方してもらったのであろう薬が転がっている。一応病院は行ったみたいだ。
俺はアイツのお望み通り、さっさと服を着替えて外に出た。
薬が効いてきて、体を起こしても平気になったのは夕方になってからだった。
少しでも平気になった時には食べるだけ食べる、という教えは母からのものだ。風邪の対処はまず栄養補給から。子どもの時はちょっと食べれそう、と言うものなら吐く一歩手前まで食べさせられた。
冷蔵庫を覗く、ふと変な袋が私のスペースを侵食していた。少しイラつきながらその袋を出してのぞき込む。
「……いや、こんなにはいらないから」
思わず口に出たツッコミは、10袋パックになった白がゆが入った袋の中に響いた。
冷蔵庫を覗くと、白がゆのパックが7個冷蔵庫の左側にあった。しばらく飯は白がゆになりそうだ。
居酒屋で客からもらったアドレスを見ながら、今日バイト先の同僚から言われた言葉を半数する。
「一人暮らしすれば、ねぇ」
そんなことはとっくに知っている、一人暮らしすれば彼女がすぐできることくらい。
幾度も考えた、一人暮らしをすることを。双子の姉とほとんど顔を合わさないような生活を捨てるのは、簡単といえば簡単だ。だけど幾度も考えて結局行動に移さなかったのは、この生活がそれはそれでいいとどこかで思っていたからなんだろう。
別にシスコンという訳ではない。むしろ会わない方が安心するのは、きっとアイツもそうだと思う。だけど、少なくとも大学を卒業するまで、この生活を辞めることはないだろうと俺はなんとなく思っていた。
朝、体調はすっかり良くなっていた。やはり母の教えは正しい。
今日も今日とて学校へ向かうため、キッチンへ立つ。冷蔵庫の中を覗くと、左側にあった白がゆは5個に減っていた。右側からいくつかの材料を取り出し、フライパンに火をつける。
ふと、襖が閉まったままのアイツの部屋が目に入った。なんとなくあの万年床で寝ているアイツを想像してみる。
「……」
別にブラコンというわけじゃないと思う。会ったら会ったで話すことなんてないし。じゃあなんで一人暮らししないの? と友人にも言われたことがある。
きっと、私もそう思ってる。一人暮らしした方がいろいろ楽だって。でもそれを実際にしないのは、アイツがやっぱり弟で、私が姉だからなんだろうなぁともどっかで思っていた。この感覚はきっと家族以外にはわからない。
「あっ、やば」
フライパンからは既に湯気が出ていた。私はさっさと溶いた卵を投入する。
今日は3限があるから、少し急がなきゃいけなかった。
そのことに気づいたのは3限が始まる10分前だ。この授業は落とせないから絶対に講義終了までに出席していないといけない。顔を洗って着替えて、すぐに食べれそうなものがないか冷蔵庫を見る。
「……なんだこれ」
左に寄った小鉢の中には、中が少し黒くなった卵焼きが出てきた。珍しく失敗したんだろうかと思いながら、俺は3つに切り分けられた卵焼きを無理やり口に収める。
「甘っ」
焦げたのを誤魔化すためか、いつもより甘めの卵焼きを咀嚼しながら俺は家を出て、エレベータへと駆けた。




