彼女の彼氏と彼女
「ミナさぁ、二股してるでしょ」
「え」
突然の言葉にミナと呼ばれた少女、月野みなもの手が止まる。
少し込み合った喫茶店内、窓際の席に二人向かい合って座るその姿は、外から見ればとても絵になる光景だった。
みなものスタイルは制服の上からでもとてもよいことが分かるし、表情もコロコロと変わる可愛い女子高生。正面に座る小波悠太はさっぱりと切りそろえられた髪と整った顔で、先ほども若い店員の眼を奪っていた。まさにお似合いの恋人同士という感じだけど、先ほどまでの和やかな雰囲気は悠太の一言で変わってしまった。
悠太は変わらない笑顔で、アイスカフェオレの氷をストローでくるくると回している。しかしその視線はみなもから少しも外れることはない。
「い、いや、そんなわけないでしょ。私の彼氏は悠太だけだよ!」
「ゴメン、見ちゃったんだ。スマホに表示されたメッセージ」
否定までの少しの時間が、悠太に確信を持たせた。だからすぐさま決定的な証拠を叩きつける。
「……どんなの?」
「『2回もしちゃって楽しかったね。ミナの我慢してる声可愛かったよ。カナエ』」
「あ、えと、あの、そのー気のせいじゃないカナ?」
みなもから次の否定の声は出なかった、それはつい昨日送られてきた内容で、みなもの記憶にも新しい。
昨日、みなもは悠太の部屋でテスト前日の追い込みをしていた。ちょうどみなもがトイレに立った後、部屋に戻ってからそのメッセージを見た記憶が蘇る。悠太はその前にメッセージを見てしまっていた。
「本当はそれでも嘘って言ってほしかったな。俺はまだミナのこと全然好きだからさ。幼馴染の頃からずっと一緒だったけど、この気持ちは一方通行だったみたいだね」
「……そんなことない」
悠太の声色は怒るでも悲しむでもなく、ただ事実を並べているように見えた。感情の起伏があんまりない悠太は喜怒哀楽を外に出さない。いつも穏やかな悠太のことがみなもは好きだった。
だからこそ付き合いの長いみなもにはわかる。今この瞬間、悠太はとても怒っていることを。
「俺ら家も隣だし親バレだってしてるから、これから一切会わないってことは難しいけど、今までの関係は続けられないな」
「待って、私の話を聞いてよ」
「それで最後にお願いがあって、カナエってヤツに会わせてくれてない?」
「え?」
「大丈夫、俺はミナの友人ってことにすればカナエってやつにはバレないでしょ。後は好きにやっていいから、一回だけ会わせてよ。……俺より相性の良かったヤツの顔を見たいんだよね」
返答は許さない。今までもみなもがなんと言おうと、悠太は聞こえなかったように話を続けていた。その空気をぴりぴりと感じたみなもは、震える指でカナエの電話番号をタップするしかなかった。
みなもは顔を青くして今にも逃げ出したい気持ちだったが、それを悠太が許すはずもない。みなもを監視しならが喫茶店のドアが開く度に、悠太は入ってきた客を確認した。
何度か喫茶店のドアが開いても、なかなかそこにそれらしい人は現れない。老夫婦、子供を連れたお母さん、仕事着のおじさん……悠太の中におじさんが声をかけてきたらどうしようという気持ちが少しだけ生まれたけど、おじさんは喫茶店のマスターとにこやかに話を始め、ほっと息を吐き出した。そこら辺のおじさんに負けるくらいなら、この場で死んでしまった方がマシだった。
そんなことを悠太が考えているうちに、また喫茶店のドアが開く。
そこには一人の女子高生がいた、悠太と同じくらい高い背に、長い髪を後ろで一括りにしている。眼鏡をかけていて、少し釣り目なところが少し厳しそうにも見えるけど、顔のパーツは整っていて一目で美人とわかるような女の子だった。
どこかで見たことあるな、とも思いながら今一番の目的はみなもの二股の相手だ。悠太は興味をなくしたように視線を外す。
その女の子はゆっくりと辺りを見回して、視線を一か所で止める。そしてまっすぐみなもと悠太が座っているテーブルに近づいた。
よく冷房が効いている喫茶店のはずなのに、すでに汗だらだらのみなもは、身動きできないままその瞬間を受け入れる。
「みなも、来たけど」
「うん……忙しいのに来てくれてありがとう。かなえ」
「ん?」
その言葉に悠太が目を剝く。
「彼は小波悠太君だったよね。みなもの幼馴染の」
しかし今このテーブルで巻き起こっている事情を知らない彼女は、さも当たり前のように悠太の名前を呼んだ。
「……俺の事知ってるの?」
「サッカー部エースの人の名前を、知らない人の方が少ないんじゃないかしら。私は阿形叶、生徒会会計と、隣のクラスで委員長をしているわ」
それを聞いて悠太は学校のステージに登壇していた彼女の姿を思い出した。そういえばサッカー部の部費が連絡された時にもいた気がする。
けれど、今重要なことはそれではない。
「……女の子、だよね」
「見てわからない?」
制服のスカートを少しだけ摘まんでアピールする叶に、悠太はなんて言ったらいいかわからなくなってしまった。
「え、じゃあ君は……俺たちが付き合っていることも知ってるの?」
「……ぁっ……」
「え? 付き合ってる? 小波君と……みなもが?」
叶の視線が悠太とみなもの間を左右する。そして座りながら震えているみなもに気づいて、腕を組んだ。
「……なんで私がここに呼ばれたかわかった。小波君と幼馴染なのは知っていたけど、彼氏彼女の関係なのは知らなかったわ。みなも、私も後で話があるから逃げないでね」
ビクン、とみなもの肩が揺れる。
「つまり私と小波君は恋敵ってことね。それで、小波君はどうするの? みなもを譲ってくれるの?」
「譲る? それはおかしいだろ、だって阿形さんは女……」
「えぇ、私は女よ。でもそんなこと関係なくみなものことが好きなの、もちろん恋人として。だから性別を理由に別れたりはしないわ。小波君はきっと男に二股を掛けられたと思ったんでしょ? それでみなもに私を呼ばせた。私が女なのは予想外だったみたいだけど、みなもはどっちもイケる子だから……バイセクシャルって言うんだっけ?」
「人の性癖をあけすけに言わないでぇ」
みなもの小さな抵抗は、二人の耳には届かない。
てっきり顔が良い同級生か、はたまた社会人か……その辺りが来るだろうを踏んでいた悠太は、全く正反対の人が来て混乱してしまっていた。そして女性同士で恋愛が成立しているという、その事実に対しても。
それに昨日のメッセージが本当なら、二人はすでに体の関係があるということにもなる。悠太でさえ手を繋ぐまでしかしていないのに、女性同士で。
「私が考えるに、小波君は別れようと思ったんでしょ。 二股するような女の子と付き合ってられないわよね、私もそれに賛成。みなもとは仲良くやっておくから、今日はこのまま帰っても大丈夫よ」
その言い方は、まるで悠太が敗北者と言っているような気がした。
みなもは俺なんかより阿形の方がいい? そんな、まさか……俺の好きという気持ちは女子なんかに負けるのか? ……いや、俺より女子の方がいいなんて、俺自身が認められない。絶対に。
悠太の中にあった先ほどまで別れようと思っていた気持ちは、いつの間にかさっぱりなくなっていた。
「……そうしようと思ったけど、気持ちが変わった」
「ちょっと煽りすぎた?」
「そうだね、助かったよ。やっぱり阿形にミナを渡す気はない」
「悠太……!」
「俺だって、ミナとは幼稚園の時からずっと一緒にいたんだ。これからだってミナの隣にいたい。それ言ったんだ。『ミナの彼氏は俺だけ』だって」
さっきまでの半分諦めていた瞳に光が灯る。これはみなもが好きという感情より、叶に対する対抗心であることは分かっていた。けどなにも抵抗せず叶に取られてしまうのは、悠太の中の何かを失ってしまうような気もして、悠太の言葉は止まらなかった。
「そう、残念。優柔不断二股女のことがそんなに気に入ってるなら、まぁ仕方ないね」
「え、かなえ。もしかしてそれ私のこと?」
「阿形さんもその馬鹿でドジでテストも一夜漬け当たり前な彼女を気に入ってるんでしょ」
「ユウもそんな風に思ってたの???」
「えぇ、小波君以上にね」
「それなら、やっぱりにみなもに決めてもらうしかないな」
「私も賛成よ」
今までほとんど無視されていたみなもに二人の視線が刺さる。
「え、と……私はどうすれば?」
「デートしよう」
「デートしましょう」
「は……い?」
「俺といた方がみなもが楽しいってことを、阿形さんに見せつけよう」
「私といた方がみなもも幸せよね? それを小波君に教えてあげましょう」
「つまりどっちといた方が楽しいか、私が判断するってこと?」
「「そう」」
みなもは叶のいう通りいわゆるバイセクシャルであり、どちらも恋人として好きで付き合っていた。悠太には悠太の、そして男性としていいところがたくさんあるし、もちろん叶には女性としていいところがたくさんある。だから悠太と叶に求めているものは全く重ならない別なものだった。
……しかしそもそも、悠太と叶が言った通り、『馬鹿でドジでテストも一夜漬け当たり前の優柔不断二股女』はそのままみなもを表すのに適格な言葉で、実際には『彼女』と『彼氏』は別な呼び方だし、一人ずつならセーフだろうとも考えていた。
現に今も、ついさっきまで子羊のようにがくがく震えていたのに、これはこれで私を奪い合うみたいでいいシチュ~とか思っていたのだった。