お狐さまと片恋ちゃん
登場人物:九尾の狐と女子中学生
「ハッピーバレンタイン、お狐さま」
かじかんだ手の中で、紙袋がクシャリと音を立てた。
というわけで、満を持してのバレンタイン。
実はお狐さまにチョコを渡すのは今年が初めてだったりする。いつもはチョコレートなんてうまく作れないから遠慮しているけど、今年は友達に誘われたので頑張ってみたのだ。
会話の潤滑油にもちょうどいいしね。
そうは言っても相手がお狐さまじゃ、バレンタインなんて知らないだろうから、説明が必要。
お狐さま、バレンタインっていうのはね……。
「ああ、それなら知っているぞ。西洋の祝い事だろう。意中の相手に贈り物をするという」
なんでそんなこと知ってるんだ。私教えたっけ?
「これでも長く生きているからな、相応の知識はあるさ」
そう言って嬉しそうに前足で紙袋を受け取るお狐さま。
九尾のうち真ん中の三本が揺れているのは、ご機嫌な証拠だ。
それにしても『意中の相手』とは。
間違ってはいないが言葉にされるとどうもしっくりこない。というか、中学生のバレンタインには有り体に言って意味が重い。
「お狐さま、義理チョコって知ってる?」
「なんだ? 菓子に義理もなにもないだろう」
あ、そこは追いついてないんだ。
やっぱり『友チョコ』『義理チョコ』のジャパニーズ文化までは知らないらしい。ざっくり補足しておいた。
「ふうん。概ね理解はしたが、俺には縁がない代物だな」
いやに自信満々だね。
「お前以外からの菓子なんてもらう宛がないからね」
ますますご機嫌になっていくお狐さま。揺れる尻尾が五本に増えた。
「ハイハイお狐さまのおっしゃる通りです。……だからこの話はもう終わり」
「どうした急に。照れたか?」
「照れました」
ぶっきらぼうな口調になってしまった。
わざわざ義理チョコの話でぼかそうとしたのに、これじゃぼかしきれてない。
少しは考えてくれてもいいでしょ、私からのチョコが義理である可能性とか。
「ところでこれは今食べてもいいのか?」
どうぞ。お狐さまが一人の時に食べたら、ゴミの片付けができないからね。
参拝客のいない神社にはゴミ箱一つないし、まさかポイ捨てするわけにもいくまい。
そう言うとお狐さまは嬉しそうに九尾を揺らして、瞬く間に姿を変えた。
私より頭一つ半高い目線。黒の短髪に狐バージョンと同じ茶色の目。相変わらず目を逸らしたくなるほどの美男だ。
それも子供のような雑さで紙袋を破っていなければ、だけど。
「おお、これは前に食べたシュゥクリィムだな」
シュークリームね。そうだよ。
私が作ったのは手のひらに収まるプチサイズのシュークリーム。それから型に流してスプレーチョコをまぶしただけのおまけ程度のハートチョコ三粒。
好みがわからなかったから抹茶とチョコの二種類を用意したけど、嫌なら無理に食べなくていいからね。
「まさか。どちらも美味い」
上機嫌なお狐さまは、両手に持ったプチシューを二つ連続口に放り込んでしまった。
美味しいのはいいけど、ちゃんと味わって食べてよ。次はないかもしれないんだからね?
とたんにむせるお狐さま。ゲホゲホと苦しそうなので背中をさすってあげる。シュークリームの上にはパウダーが振ってあったけど、まさかそれでむせたのか。団子も喉に詰まらない九尾の狐が、パウダーシュガーにやられるとは。
「落ち着いた?」
「ああ。……惜しいことをした。次はないのか」
ああ、そっちね。
「なぜそれをもっと早くに言わない」
そんなこと言われなくても味わって食べるのが普通だからだよ。
「別にそこまで美味しいものでもなかったでしょ。洋菓子なら何度も食べてるし」
「お前の手作りを食べたのは初めてだ」
だって誰が作ってもおんなじだよ、こんなの。
「違う」
「わかったわかった、そんなに言うなら来年も作るって」
頑として譲る気の無さそうなお狐さまに、私はやや適当に相槌を打つ。それを聞くやいなやパッと表情を明るくされたので、かえってこっちが申し訳ないほどだ。
そんなに楽しみにされても、大したクオリティにはならないよ。
「手作りは愛だろう」
「それなら言うけど、愛、口の横についてるよ」
唇の端を指差して、カスタードクリームをティッシュで拭かせた。
~~~~~~~~~~
「お前、まさか恋人を作ったことがないのか」
やや驚いたように言われましても。
バレンタインから話が広がり、最近のチョコレート文化について語っていたはずが、話が変な方向へ脱線してしまった。
「なあに、彼氏の一人でもいるように見えた?」
「前は。今はいないだろうな」
今はもちろんのこと、どうして前はいるように見えたのか、一から十まで説明して欲しい。
「今の女は若いうちからたくさん恋人を作るものじゃないのかい」
それが当然じゃない家庭もあるんだよ。
特に私の家みたいなところはね。
「いくらお前の家とはいえ、他より少し古風なだけだろう。今の時代でまさか、恋人を作るなとは言うまい」
たしかに古風だけど、今回はそっちじゃないの。私の親が特殊なんだ。
「親?」
「うん。うちの親は結構熱々だったからね。中学で出会って高校で交際開始、十年のお付き合いを経て結婚。お父さんが死ぬまでだから計十五年弱? お互い最初の恋人で、恋愛小説もかくやって感じのおしどり夫婦だったらしいよ」
この場合、それが難関なのだが。
「おかげで『交際=結婚相手』みたいな基本姿勢でね。彼氏が出来たら必ず親に報告することになってるの。今の学生で彼女の親に合う覚悟ある人なんてあんまりいないよ。まして粗相のないように礼儀正しくするとか、結婚を前提に付き合う覚悟がある人とかになると、もう全然……。だから今まで誰ともお付き合いしてません」
別にそれが嫌なわけじゃないからいいけどね。
「しかし確か、何度か恋文ももらっていただろう。あれはどうしたんだ」
「全員お断りしたよ。当たり前でしょ。ほとんど友達の友達程度の仲だったんだから、選択の余地なし!」
どうしてSNSもしていない私を好きになれるのか、教えて欲しいものである。クラスで一度同じ班になったとか、それくらいで本当に恋に落ちるのか? 私は一目惚れ全否定主義者なのでよくわからない。
私の恋愛対象の条件はただ一つ『五年以上の歴を持つ知り合いであること』だ。
それも去年から募集停止してるけど。
「それで今まで何人を断ってきたんだ。もうすこし規制を緩めてやればいいだろうに」
「えっと……先週のを合わせて、六人? 規制緩くしたって好きじゃないんだから断るに決まってるじゃない」
「先週? お前先週もあったのか」
あれ、言ってなかったっけ。
卒業前だから皆恋人作ろうと必死なんだよね。一緒に進級して、華やかに高校生になりたいんだと思う。
先週の相手はなかなか度胸のある人だった。他クラスのテニス部男子で、一年二年と同じクラスだったけど、三年になってクラスが分かれた人。ところが最近同じ委員に入ってきて、前のように会話する機会が増えた。おおかたそれがきっかけだろう。
放課後教室まで押しかけられた時はなんだこいつと思ったが、今時面と向かって告白する人なんてなかなかいない。
今までの相手の中には友人を介して、というパターンも少なくなかったので、ツラを晒して挑む気概には日本男児の系譜を感じる。
残念ながらお断りさせていただいたけど。
「残念だったのかい」
「友達にはそう言われたよ。結構人気あったみたい、その男子。何日かして知らない子に文句言われたし」
――なんで断ったの?
――別に、好きじゃなかったから。
――何その言い方。他にあいつのこと好きな人もいるんだから、そういう人のこと考えてよ。
とまあ、こんな具合に。
さすがに理解できないほどの理不尽な言い分に、思わず暴力で短期解決を図りかけてしまった。あの時友達が呼んでくれなかったら、二人して生徒指導室行きだっただろう。中三で恋愛関係のもつれから暴力沙汰なんて、母が聞いたら三発殴られること間違いなしだ。危ないところだった。
ちなみに友達の証言によると、どう見ても私のほうが『殺ってやんよ』な顔をしていたので見かねて声をかけたらしい。おかげで踏みとどまることができた。ありがとう。
「――ああ、お前の腕のあざはそれか」
「なんで見えてんのよ」
どう見てもコートで隠れてるでしょうが。
お狐さまに言い当てられ、思わずサッと右腕をかばう。
いつの間に透視能力を身につけたんだ。九尾の狐はなんでもありか。美男に化けてる間はのぞき見し放題とか、そんなチートだったら許さない。
「そんなに悪意の塊のような傷が目立たないわけないだろう。いくらその気がなくても、並外れて強い念がこもっていれば視えるからね。いつか訊こうと思っていたが、なるほど色恋なら得心がいく」
女の恨みは怖いからなァ、と。
何やら知ったふうに語るお狐さまのことは、この際捨て置くとして。
そんなに恨まれてたのか。私あの子と話したこともほとんどないのに。
お狐さまの言うとおり、私の腕には打ち身のあざがある。文句を言われた翌日の体育の授業で、バレーボールを当てられたときの傷だ。悪意があってわざと当てられたことはわかってたけど、まさかそこまでとは。
いくらなんでもやりすぎでしょ。
「お前が断った男が、よっぽど好きだったんだろうな」
そういえばお狐さまがさっきからやけに穏やかな口調だ。
これは嵐の前の不気味な静けさというやつではないだろうか。小動物たる私はあなぐらに引っ込みたい気分である。
「いい人だったしね、気持ちはお察ししますって感じだけど。こんなに目立たせてどうするのよ」
できればお狐さまにバレない程度に、こっそりうまくやってほしかった。
「……あのね、あんまり怒っちゃダメだよ、お狐さま」
お狐さまの顔を覗き込んで、恐る恐る表情を伺う。
……。
(うわ、めっちゃ怖い)
お狐さまは私から視線を外して、イラついた表情で遠くを睨んでいた。今まで顔を見ないようにしてきたが、声色とは打って変わってツンドラのように冷たい瞳である。
「俺は、別に怒っちゃいない」
「人の姿してるの忘れてない? そんな目で言われても全然信用できないって」
殺気を飛ばしている人が何を言う。細めた瞳がさながら殺し屋。表情に出ているので三流の奴だ。モットーはおそらく『糸屋の娘も目で殺す』。
「……チッ」
だから怖いって。
「これに怒るなと、腹を立てるなと?」
貧乏ゆすりでも始めそうなキレようである。思った以上に怒っている。
あれれ、予想ではここまでじゃなかったんだけど。
別に大したことじゃないと思ったから話したんだけど、そんなに怒るようなことかな。
「当たり前だ!」
怒鳴られた。久しぶりにお狐さまに怒鳴られてしまった。バレーボールよりもこっちのほうがよっぽどキツい。
「でも、前にも似たようなことあったでしょ? おんなじおんなじ」
「十五にもなって四年前と同じことを繰り返しているのを、笑って済ませるわけがないだろう!」
そう言われても、四年前と今回じゃ相手が違うし。多分私の無関心な態度もダメだったんだろうし。
それよりなにより。
「笑って済ませなくていいから、絶対手出ししないでね」
九尾狐の姿なら毛並みを逆立てて敵に噛み付きそうな勢いのお狐さまだが、これだけは釘を刺しておく。
四年前と同じ轍を踏んで、お狐さまに先を越されてしまわないように。
~~~~~~~~~~
四年前、似たようなケースがあった。
私と男子と見知らぬ女子の三角関係。今回と同じように私が恨まれ、あげく階段から突き落とされかけ、そして――。
翌日、私以外の二人は学校に来なかった。
二人とも足を骨折したらしい。幸いそんなに重傷じゃなかったから二ヶ月ほどですっかり元通りになった。さらにそのあと毒が抜けたような彼女の謝罪を受け、私も許したのだが。
話のオチは、そこじゃなかった。
二人が骨折したという報せを受けても正直ざまぁみろとも思わなかったし、あまり気に止めずにこの神社に足を運び、とりとめのない話をして。
帰り道、鳥居をくぐり、石段を下り、道路と獣道の間。小さな祠のお地蔵様のそばにハンカチを見つけて。
恐る恐る拾った見覚えのあるそれの、タグに書かれた名前を見て。
そして、そして、そして――。
話のオチは、二人が偶然骨折したことじゃなく。
オチというか問題は。
九尾の狐が、祟ったこと。
あの日ようやく私は、私が出会った存在が異常だと気付いた。
~~~~~~~~~~
そしてまた繰り返さないように。同じ過程でも、同じ結果を出さないために。
私はあらためて釘を刺す。
「私が自分で片付けるから、絶対手出ししないでね」
「――何故?」
心底不思議そうに尋ねるお狐さまは、きっと本当に分かっていないんだろう。
「子供の喧嘩に親が出るんじゃ、アンフェアじゃない」
「元々前提がお前に不利だろう。ズルをして何が悪い」
何が悪いかと聞かれたら、多分後味が一番悪いけど。
「そういうことじゃなくてさ。私は、お狐さまに仕返しして欲しくて話してるわけじゃないよ」
私がお狐さまといるのは、仕返しして欲しいからじゃない。
異常な存在でも、化物でも、一緒にいるのはそんな理由からじゃない。
自分で何とかできるから。お狐さまに縋らないで、自分でどうにかしたいから。
「だから私が終わらせるまで、絶対誰にも何もしないで」
しばらくして、お狐さまが狐の姿に戻った。まだ完全に納得したわけじゃなさそうだったけど、ひとまずは元の姿で落ち着くことにしたみたいだ。
尻尾が全部持ち上がっている。昂ぶってるっていうよりか、この場合荒んでるっていったほうが近いのかな。
じゃあ気分を変えてお喋りしましょうって空気でもないし、今日はもう帰ったほうがいいかもしれない。
立ち上がると、お狐さまが鳥居まで見送ってくれた。
「一ヶ月後にまた話すよ」
「ホワイトデーまで待てというのか」
「それくらいはいいでしょ。私は四年待ったんだから」
お狐さまに頼らない機会を、四年前から待ってたんだから。
「じゃあね、一ヶ月後をお楽しみに」
「そちらこそ」
一ヶ月後の報復ホワイトデーの様子は、私のイメージが損なわれるから言わないけど。
お狐さまからのホワイトデーのお返しは、ふわふわのハンカチだったとだけ伝えておこう。
今度は新品の、存外上品な山吹色のハンカチだったとだけ。