セレジア嬢の成り下がり願望
【あらすじ】
私は上級貴族であるセレジア家の娘。でも望んでたのはこんな生活じゃなかった!私はただ普通に過ごしたいだけなのに。
そう思っていた時に発覚した義父母の問題。きっとこれで成り下がれるはず!と喜んでいたのに、人生そう上手くはいかないらしい。
目がチカチカするほど きらびやかな装飾たち。
ドレスや宝石で自らを飾る女。
自分の権力や財力を自慢する男。
貼り付けられた笑顔の下に渦巻く
見栄、欲望、嫉妬、自尊心。
―― いったい、何が魅力的なんだろうか? ――
私は元々、庶民だった。
孤児院に居たところを現在の両親に引き取られた。
あの頃の方が良かったなんて言わない。孤児たちの中でも最年長だった私は、子供扱いされたことなんて無かったから。
朝は4時に起きて子供たちのご飯の準備、小さい子たちのお世話や洗濯、掃除。日中は特別に貰った仕事に行き、帰ってきたらまたご飯の準備に取りかかる。24時間年中無休、心身ともに休まる時なんて、一秒たりとも有りはしなかった。
……でも、明らかにあの頃の方が楽しくはあったと思う。
仮面の笑みを貼り付け、あくまで"楽しそう"にグラスを傾ける大人たちから目を反らし、私はため息を吐き出した。
どうも、このパーティーというものは性に合わない気がする。私には偽りの笑顔をあんなに器用に浮かべることも、心にもないお世辞をペラペラと述べることも出来ないから。
ところが残念なことに、私の義理の両親はそこそこ位の高い貴族らしく、私はことあるごとにパーティーへ駆り出される。
その度に私は人の群れから外れ、一人壁に寄りかかって、ひたすらうつ向いていた。
いつまでこんなことを続けないといけないんだろう。私が望んでたのはこんなものじゃなかった。
お金なんていらない、地位なんていらない、豪華な宝石も、言うことを聞くだけの使用人もいらない。
昔から私が欲しかったのは『普通』。ただそれだけだったのに。静かに、大好きな人たちに囲まれながら生きることが唯一の願いだったのに……。
そんな夢も、国内外の金融を牛耳る セレジア家の娘になった時に打ち砕かれたようなものだけれど。
そんな私の人生に転機が訪れるのは、17歳の誕生日を迎える前日のことだった。
「……リデア、すまなかった!」
突然 義父の部屋に呼ばれ、明日の誕生日パーティーの段取りの説明でもされるのかと思っていた。しかし私の予想とは180度違い、目に飛び込んできたのは、頭を下げる義父の姿だった。
義父を一言で表すなら、『脂肪とプライドのかたまり』。
常に他人を見下し、生まれてから一度も人に頭を下げたことのない人だ。
いつも口癖のように私に「所詮は平民の娘だな。上級貴族のご子息の一人や二人、色仕掛けで落としてこんか」などと無茶ぶりをする、肉とお金が大好きな50代なのだ。
そんな彼が、頬の肉をプルプルさせ、額に脂汗を浮かべながら私に頭を下げている。一体何をしでかしたというのか。
「お父様、突然どうしたのです?ただ謝られてもわかりませんわ」
私は不安気な表情を作り、優しく義父に問いかける。この約5年間で、私の演技力もだいぶついたと思う。
ところが義父は私の完璧な演技にも答えることはなく、ひたすら すまなかった と謝罪の言葉を述べるのみだった。
あぁ、この人は。謝るぐらい悪いことをしたと自覚していながらも、何をしたかまで言う気はないんだな。
仕方なく私は彼から聞き出すことを諦め、執事長のレディアンに尋ねることにした。
レディアンは、この家で私が唯一心を許している人間。優しく穏やかでありながら優秀で頼りになる、出来た男だ。その 目を惹く端麗な容姿も相まって、一時は義母の……おっと、この話は本人が嫌がるから止めておこう。
「レディアン!聞きたいことがあるのだけれど」
客間の花瓶の花を取り替えているレディアンの後ろ姿を発見し声をかけると、彼は苦笑いしながら振り向いた。
「聞きたいこととは、旦那様のことでしょうか?」
さすが有能な執事長。話がわかる。
レディアンは 失望しないでくださいね? と前置きしてから話始めたけれど、失望もなにも最初から希望なんて抱いてないから安心してほしい。
レディアンの話によると、義父は金融業界を先導する立場でありながら、あろうことか不正――横領をしたらしい。それもありえないほどの額を。この間、報告におかしな点を見つけた調査団が抜き打ちで調べた所、言い逃れが出来ない証拠を見つけられたらしい。
それと同時に、キツイ顔立ちと濃い化粧が特徴の義母の、派手な男関係も白昼の元に晒されたとか。
その話を聞いた私は、服の胸辺りをきゅっと押さえた。
もちろん、不安のあまり…なんて可愛らしい動機じゃない。期待と嬉しさからくる興奮を表に出さないよう、必死で堪えているだけ。
ここ近年、驚異の発展を見せたセレジア家。そんなセレジア家の発覚した問題たち。こんなかっこうのネタを、ゴシップ好きなマダムたちが見逃すわけがない。おまけに義父母はあんな性格故に敵も多かったらしいから……
やはり、どう考えても没落は免れないだろう。
その結論に至った瞬間、思わず頬が緩みそうになった。危ない危ない、レディアンに不審がられたらどうするの。
それにしても没落……なんて胸踊る言葉だろう。没落貴族になれば経済的事情のため、義父母は容赦なく私を捨てるだろう。そうすれば私は晴れて自由の身。やっとこの息苦しい生活から抜け出せる。
「リデア様……」
さっきから胸を押さえ、うつ向く私が泣いているようにでも見えたのか、レディアンが同情の声音で私の名を呼んだ。
違うよレディアン。私は貴方が心配してくれるほどか弱いお嬢様じゃない。
私は無駄に質のいい生地のドレスを翻しながらレディアンを振り返り、笑顔を見せた。
「大丈夫よ。私のことなら心配しないで」
だって、自ら望んだことだもの。
ところが、人生はそう上手くはいかないものだった。
「…………え、あの、ディザール卿…おっしゃる意味がよくわからないのですが」
混乱する私を真摯に見つめる、正面に座る男。
ライズ=ディザール公爵。20代前半という若さで、由緒あるディザール家の跡継ぎとなったお方。義父は一応爵位は与えられているものの、普通ならば私が面と向かって会話など出来る人ではない。
そんなお方が、わざわざ没落貴族(仮)の所に出向いて来て、何の用かと思ったら
「セレジア家を没落などさせない。俺が貴女を救ってみせる」
真剣な表現のまま、小っ恥ずかしいことを言ってきた。
それにしても、とんだ面倒事を持ち込んでくれたものだ。そういう発言は、自分の立場と相手の気持ちを考えてから言って欲しい。
ディザール卿といえば穏和で誠実、誰にでも分け隔てなく優しく、その実 物事や状況を冷静に見極めることに長けている人。権力、才能、容姿、性格。どれを取っても申し分ないこの人の信者は社交界にも多い。下手な皇族なんかよりも力と人脈を持つこの人が願えば、叶わぬことなどないだろう。
でもそれだと私が困る。せっかく成り下がれると思っていたのに、ディザール卿が関与したらお終いだ。
私は動揺を見せないように、作り物の笑みを顔に浮かべる。
「大変光栄なお言葉ですが、ディザール卿にそこまでして頂くのは申し訳ありませんわ」
「そのことなら気にするな。これは単に、俺の恩返しなのだから」
さりげなく手を握られたけど……。恩返し?私、何かしたっけ。
記憶を巡らせてみるけれど、それらしいことに思い当たる節など無い。そもそも私とディザール卿が会ったことのある回数さえ数えるに片手で足りるほどしかない。それも私が苦手で、ずっと壁と同化しているあのパーティーでばかり。
恩返しされるほどのことがあったとはどうしても思えないのだけれど…。
そんな様子に痺れを切らしたのか、ディザール卿が先に口を割った。
「ほら、あの冬のパーティーの時」
「……冬のパーティー?」
「そう…五年前のことだっただろうか」
五年前……ということは、私がセレジア家に養子に来て間もなくの頃だ。 お前を皆様にお披露目しなくては と息巻いていた義父母にたくさんパーティーへ駆り出されていた。
そのなかでディザール卿に会った気がしなくもないけれど、なにかをして差し上げた記憶なんて……。
…………いや、待てよ。まさか
一つの可能性に行き当たり、私は表情筋をひきつらせた。
そんな些細な変化も見逃さず、ディザール卿は身を乗り出して
「思い出してくれたのかい?」
僅かに頬を染めながら、貴族の女性たちが黄色い悲鳴を上げて卒倒しそうな笑顔を見せた。
思い出したかと言われても確証はない。でもこれしか思い当たる節もない。私は真相を知るべく、恐る恐る口を開いた。
「あの、間違えていたらすみません。ディザール卿のおっしゃることとはもしや、 五年前の12月20日に行われたシュライデン伯爵主催のパーティーのことですか?」
言葉を慎重に選びながら言うと、ディザール卿は満足そうに頷いた。
一方の私はそんな彼を見て、嘘だろ……と頭を抱えたくなった。
確かにあの時、私はディザール卿と出会った。当時まだ私は12歳で、彼も17歳。今のディザール卿からは想像もつかないけれど、五年前の彼は私と同じく、パーティー会場の壁となっていた。
いつにもまして大人数なパーティーで、特等席である壁に他の誰かがいることが煩わしく、まだ敬意というものを習ってなかった私は、美しい容姿をしていながら自信無さげにうつ向く青年に言った。
『邪魔なので中央に行ってくれませんか』
「まだディザールの次期当主という重圧に自信を持てなかった俺は、貴女の言葉に勇気付けられた。あれは遠回しに、"貴方にこんな隅は似合わない。もっと光輝く元へ行け"と言ってくれたのだろう?」
この人はなんておめでたい方だろう。どうしたらあの冷たい言葉がそう変換されるのだろうか。
恍惚とした表情のまま、 あの時の貴女は天使に見えた!! とか言ってる残念公爵に、とうとう頭を抱えた。
「ディザール家はセレジア家を全力で援助しよう。………なんなら貴女を嫁に貰っても」
「冗談じゃないっ!!」
思わず机をバンっと叩き、ソファから立ち上がった。綺麗な碧の瞳を大きく開いて驚いているディザール卿の腕を取り、無理矢理立たせる。
そのまま扉の前まで彼を引きながら歩き
「どうぞお帰りください」
空いているほうの手で戸を開け、廊下の奥を示す。
瞬間、彼の眉がピクリと動いた。
「帰れと言うのかい?でも、まだ話がまとまってな…」
「まとめる必要はございません。私は貴方様の助けなどいりませんから」
「そんなっ、俺は」
「いいから さっさと帰れっ!!」
どうせ没落するんだ。少しぐらい無礼を働いてもいいだろう。まだ何か言おうとしているディザール卿を強引に押し出し、鍵をかける。
全く……とんでもない男だ。せっかくの没落がおじゃんになるところだった。
ふぅ と息をつきながら振り返る。そして呆気に取られているレディアンの姿を見付け、冷や汗が流れた。
怪しい…せっかくの救済を断る貴族令嬢なんて怪しすぎる。このままじゃレディアンに疑われてしまう。
「……ごめんなさいねレディアン。せっかくのお誘いだったのに、断ってしまったわ」
なんとか演技でやり過ごそうと、五年間続けてきたお嬢様モードに切り替える。
「いえ、私は別に……しかし、何故断られたのですか?」
訝しげな視線を寄越すレディアン。あぁ、なんて答えればいいんだ。
悩んだ挙げ句に私は苦笑いしながら
「あの方、少し苦手なんです」
そんな安易な言い訳をした。いや、でも嘘は言ってない。
ちらりとレディアンを見ると、驚いたように一瞬 瞠目するも、次の瞬間には ふっ と吹き出し、「リデア様は変わってらっしゃいますね」と笑った。
私だって最初は素敵な人なんだろうな~って思ってた。でもあれはどうなの。五年前のことを美化し過ぎでしょう。
社交界で不動の地位を確立している好青年公爵様の意外な一面が残念で仕方ない。
私は扉から離れ、クスクスと笑っている執事の方へ近付いた。
成り下がりはとても嬉しいし、もはやこのきらびやかな世界に未練なんてない。ただ、心残りがあるとすれば…
私は右手を伸ばし、背の高い彼の頬に触れる。
「貴方たち使用人には迷惑をかけてしまうわね」
そう、私は庶民になりたいし、義父母のことはどうでもいいけれど、彼らは職を失ってしまう。
よく働いてくれた人たち、特にレディアンにこんな形でお別れしてしまうのはなんだか申し訳ない。
居たたまれなくたってうつ向くと、レディアンが頬に触れていた私の手にそっと自らの手を重ねた。
「リデア様、私はリデア様を主と決めたその日から、この命を貴女に捧げると、共に人生を歩むと誓ったのです」
…………ん?確かにレディアンはセレジア家の執事だけど、正式な雇い主は義父なはず。いつから私が主になった?
疑問に頭を傾げる私を他所に、手を取ったまま跪いたレディアンは
「例え何があろうとも、この身は貴女の傍に」
赤面しそうになる台詞を吐きながら、手の甲にそっと口付けた。
残念だが、その誓いももうすぐ破られるだろう。なんたって、庶民に執事はいらないのだから。
笑みを浮かべた私は、自分より低くなった執事を見下ろしながら
「レディアンなら執事じゃなくなってもやっていけそうね」
ホストとかで。そう言えば、彼は不快そうに顔を歪めた。
**********
「おやすみなさいませ、リデア様」
「おやすみ、レディアン」
可愛らしい笑顔付きの挨拶に、意図せず頬が緩む。
部屋の電気を消して間もなくすると、小さな寝息が聞こえてきた。
私は音をたてぬように近付き、リデア様がよく眠っておられることを確認すると、その柔らかな髪を梳いた。
可愛らしいリデア様、唯一無二の愛しい人。
そっと前髪を上げ、額に口付けを落とす。
この人を不幸になんてしない。絶対に。
奥様から酷い仕打ちを受けていた私を救ってくれたのはリデア様の存在だった。だから、今度は私が守ってみせる。
そのためには大変不本意ではあるが、あの男の協力を得るしかない。
私はリデア様の部屋を後にし、とある所に電話をかけた。
「……もしもし、私はセレジア家の執事をさせて頂いている者ですが……ライズ=ディザール卿でございますか?」
**********
一体何がどうなっているのか。
私はメイドたちに豪華なドレスに着替えさせられながら、困惑する頭をフル回転させた。
まず起きた物事を整理すると
・今朝目覚めたら義父母が居なくなっていた。
・なのに家の中はいつも通り
・セレジア家の没落の話も無くなっている
・何故か私が当主になっていた
・今は午後から始まる新当主就任を祝うパーティーの準備中
ディザール卿が訪問してきた昨日の今日でこの事態。一夜の間に何があったらこんなことになるというのか。
「やぁ、リデア殿。相変わらず美しい」
昨日聞いたばかりの声が聞こえて視線だけ移すと、正装をしたディザール卿が居た。
彼はこちらへ歩を進め、私の数歩手前で止まった。
どうしたのかとメイドに髪をセットされながら上を見上げると、ディザール卿と後ろに控えていたレディアンが見つめ合い、目配せをしていた。何をしているのか気になったが、メイドさんに髪がセット出来ませんと怒られたので視線を戻す。
「リデア殿はとんでもない化け物を飼っているな」
「リデア様は恐ろしい男に好かれましたね」
頭上から二人が何かを言ってきたが、生憎メイドさんが髪型を固めるために使ったスプレーの音で、なんと言ったかまでは聞き取ることが出来なかった。
その後はつつがなくパーティーが行われたのだが、私に挨拶にくる人々が私………というか、私の後ろにいるディザール卿とレディアンに怯えている気がするのは気のせいだろうか。
こうして私は17歳を迎えると共にセレジア家の当主の座に着いた。
終始上手く働かない頭で考えた結果、とりあえずわかったことが一つ。
どうやらまだ私は成り下がれないらしい。