ゾンビ・キャップ
ジリリリリリ! とけたたましい警報ベルと共に、覆面で顔を隠した三人の男たちが銀行から飛び出してくる。道端にいた警官が腰のピストルに手をかけるが、それよりも早く仲間のトムが自動小銃を横薙ぎにばらまいた。
「うっ!」
太ももに銃弾を受けた警官がよろめき、ピストルをこぼす。自動小銃を持ったトムがヒュゥ、と口笛を吹いて、ドルが大量に詰まった鞄と一緒に駐車場に停めていたバンに飛び込む。もう数分もしないうちに、赤と青のサイレンを鳴らしながらパトカーが来るだろう。
「飛ばせ飛ばせ! ゴーゴーゴーッ」
運転席でスタンバイしていたクルーズがアクセルを蹴っ飛ばす。後輪が勢いよく煙を上げ、テールランプを左右に振って急発進。歩道にいた金髪の夫婦を突き飛ばして車道へ出る。赤信号を突っ切ったところでバックミラーに赤と青のランプ。それがバンよりも遙かに速い速度で追いすがってくる。
「sit!」
ジョニーが窓から身を乗り出し、迫り来るパトカーへと自動小銃の弾丸を浴びせる。五ミリの弾丸がパトカーのボンネットで跳ね、フロントガラスにヒビを入れた。直後、ぼすんっ、とドラムが破れたような重く響く爆音。
「イェアッ」
思わず、自動小銃を片手に腕を振り上げるジョニー。見れば、パトカーの車体が斜めに傾き、速すぎるスピードに振り回されるようにしてスリップ。後続のパトカーを巻き込み、金属がぶつかりひしゃげる派手な音と共にクラッシュした。どうやら、見事にタイヤをパンクさせたらしい。
「ハーッハハハハッ、ざまあみやがれこのマザーファッカー共!」
「ゴキゲンだなあジョニー! 奴らのケツにマグナムをぶちかます日も遠くないな」
他の仲間の賞賛を受けながらジョニーが車内に戻り、豪快な笑い声を上げる。デップと肩を組み、銀行から強奪したドル札を叩きつけ合って車の中をドルまみれにした。
「こりゃボスもぶったまげるぜ、ハハハハ……ん?」
トムが銃にセーフティをかけて放り投げると、銃が着地した場所でもぞりと何かが動く。溢れたドルにまみれて隠れているが、赤子ほどの大きさのものが確かに動いた。男は首を傾げ、そっとそれに手を伸ばす。すると、
「わふっ」
「おうわっ!」
ドルの中から、コーギーに似た中型の犬が顔を出した。チワワの血でも入っているのか、中型にしては小柄な体に、やたら目がぎょろぎょろしている。
「なんだこいつ、いつの間に……いてっ、いててて! こいつ噛みやがった!」
つまみ出そうとした手に食いつかれ、周囲の仲間がそれを見て大笑いする。ファック! と吐き捨てて手に噛みついて離れない犬を振り回し、ドアを開けて犬を蹴っ飛ばす。犬は高速で流れていく背景に流され、アスファルトに叩きつけられる――かと思いきや、どこからか伸びてきた糸のようなものに連れ去られ、アスファルトどころか車の上へと消えていった。
「いってえ……ちくしょう、なんだって犬が……あ、う?」
噛まれた手をひらひらと振りながらドアを閉めようとしたトムが、ピタリと動きを止める。徐々に焦点の合わなくなってきた目を泳がせ、そのまま。
「おい、トム?」
ぐらりと、走行中の車の外へ崩れ落ちた。
「トム! トムが落ちた! クルーズ、車を止めてくれ!」
笑っていたジョニーから笑顔が消え、慌てて運転席のクルーズに車を止めるよう呼びかける。しかし、クルーズから返事はない。
「クルーズ、トムが落ちちまったんだって! 今すぐ車を」
「あう?」
ぐりん、とクルーズが振り向く。その顔は未だ覆面に隠されているものの、本来呼びかけた男を映すはずの二つの瞳は、真っ赤に充血して白目を剥いていた。
「うわあああああッ! クルーズお前、一体どうしちまったんだ……って臭っ! 臭い! クルーズが臭い!」
「あううあうあう、おおう、おう、いえあ」
まるでずっと放置していた卵のような、はたまた酸のような生ゴミのにおい。それが運転席のクルーズから漂ってきて、男は鼻をつまんで後ずさる。様子がおかしいクルーズは人語ではない何かを喋ると、任しとけ、と言わんばかりに親指を立てた。
「おう、いえあじゃねえ! 前見ろって前――」
ジョニーが叫んだのもつかの間、アクセルを踏みっぱなしの黒いバンは街道の外れにある細い路地へと突っ込む。バンの側面が建物のレンガで削れ、大波のような火花を散らしながらドアが吹っ飛ぶ。そして車体が斜めに傾き、盛大に横滑りしながら横転した。
「く、くそっ、なんだってんだ……」
横転し煙を上げるバンから、ジョニーとデップが這い出てくる。クルーズは出てこない。ジョニーが周囲を見回すと、どこかの路地裏まで入り込んでしまったらしい。ネイティブアメリカンなチンピラがバスケでもしてそうな広場に、ほぼ廃車のバンが転がっている。
「デップ! 金を集めてずらかるぞ。こうなったら俺たちだけでもアジトに帰らなきゃ……」
とデップに指示を出したところで、デップが広場の奥にある路地を見つめたまま固まっていることに気がつく。どうした? とジョニーが訝しげにデップの肩を叩くと、デップは路地の奥を指差した。
その先には、一つの人影。大通りの逆光を背に、ゆらゆらとゼンマイ人形のように歩いてくる。どうも、人間の歩き方としては不自然だ。体を引きずるように、じとり、じとり、と間を詰めてくる。
「おい、ジョニー……」
デップに呼ばれるよりも先に、ジョニーは周囲の異様な気配を感じ取る。じりっ、じりっとにじり寄る足音。生ゴミのにおいに誘われるようにぷぅんと羽虫が耳朶を掠めていく。そして、ぽん、と肩に置かれる手。振り返った先には、
「っひ……!」
赤いパーカーを着たゾンビが、目玉を失った眼窩でジョニーを見つめていた。
「ひいいいいいいいっ!」
思わず踵を滑らせ、地面に尻餅をつく。デップも同じように悲鳴を上げて腰のピストルを抜き、ゾンビに向かって発砲。ビシッ、と確かに弾丸がゾンビの体を貫くが、ゾンビは微かに体を仰け反らせるだけだ。
「なんだ、なんだよこいつはああっ」
気がつけば、広場に繋がっている路地という路地から大量のゾンビが溢れてくる。ジョニーは倒れたバンにすがりながら立ち上がると、バンの下から、腐った緑色の手がジョニーの手を掴んだ。
「……冗談だろ? なあ、クルーズ……」
ジョニーの手を捕まえたのは、紛れもないクルーズ。覆面の剥がれた顔は毒々しい緑色に変色し、血走った眼がジョニーを見つめている。そしてそのままクルーズの人間離れした腕力に引き倒され、路地から溢れ出た他のゾンビたちに埋もれていった。
「ジョニーッ! くそっ、くそっ、ちくしょう!」
弾切れのピストルを近くのゾンビに投げつけ、デップはゾンビが一人だけしかいない路地へと走る。一人ぐらいなら押しのけられる、とデップが肩を突き出してタックルをぶつけようとした直後、足首に何かが巻き付いて転倒。顔面を地面ですり下ろす。悪態をつきながら足首を見ると、手のひらサイズの青いヨーヨーが巻き付いていた。
ぺたっ、と足音。落とされた影に顎をすくわれるようにデップが顔を上げる。
「……トム」
絶望に彩られたデップの瞳には、今し方バンから落ちたはずのトムが、腐り落ちた顔でデップを見下ろしていた。
*
鼻の奥をつくような生ゴミのにおい。ビルとビルの隙間にある裏通りは、いつもサブウェイや排気口から出る蒸気で白く霞んでいる。日中でも薄暗い道はラットにとって心地良いらしく、歩けば細長い尻尾が慌ててゴミ箱の影へ消えていくのが見える。
その一角に、赤いパーカーとジーンズを着た誰かが道に背を向けて屈んでいる。手には青いヨーヨー。その小柄な背丈から青年を想像するには心許なく、どちらかといえば少女のようだ。
「リザ」
赤のパーカーと体格からほぼ確信したケビンが少女の名を呼ぶ。すると少女はぴくりと動物のようにパーカーのフードの端を動かして、背を向けたまま立ち上がって首だけをケビンに向けた。
かしゃっ
「わっ」
少女が振り向くのを狙って、ケビンがデジカメのシャッターを切る。歯切れの良い音と共に瞬いた光が少女の姿を浮き彫りにする。少女はカメラの不意打ちに驚いたのかぎょっとアメジストの目を剥いて、しかしすぐにムスッと不機嫌そうな顔をレンズに映した。
「ちょっと、びっくりしたじゃん」
「いいでしょ、減るもんじゃない。むしろ増えるもんなんだから」
フードからはみ出したブロンドの髪を胸まで垂らした少女……リザが、帽子のつばの下から不満そうに細めた目で少年を見つめ返す。深くかぶったフードの下にドクロの帽子という不思議、というか不審者のような格好だが、リザはいつもこのスタイルだ。
「ケビン、しょーじょーけんって知ってる? 勝手に人を撮ったらダメなんだよ」
「肖像権ね。別にリザの写真をネットにばらまくわけでもないし、上げたとしてもせいぜいシャワーシーンぐらいしかダウンロードされないよ」
「なっ、なにおう!」
「それに、僕がリザの写真を撮っちゃ、ダメ?」
デジカメを胸の前に構えたまま、ケビンが少し小首を傾けて問いかける。するとリザの反論しようと開かれた口が止まり、ぐむ、むう、と唸りながら唇を歪ませる。そしてほんのり朱色に染めた頬を隠すように帽子を深くかぶり直して、「ダメじゃない、けど」と小さく呟いた。
「ちゃんす」
「うわあ!」
かしゃしゃっ
リザが視線を落とした隙に近づいて、下から覗き込むようにして二度シャッターを切る。デジカメの画像フォルダには顔を真っ赤にして照れているリザの顔が映って、次に驚いた顔のまま咄嗟に逃げようとしているリザがしっかりと保存されていた。
「こ、こら、ふざけるなー!」
「ちょろいな」
「今なんつった、おい」
引きつった笑みで右手を伸ばしてくるリザをひょいと避け、追撃の左手を掴んで防ぐ。リザよりも低いケビンの身長では腕力で勝てるはずもないのだが、次にケビンが口にした言葉がリザの手を止める。
「またゾンビになったでしょ」
ぴた、とリザの攻める手が一転して引き腰になり、ケビンが掴んだ左手が力なく頭を垂れた。あれだけ派手にバンが転がったり銃声の音が聞こえれば嫌でもわかる。
ケビンはリザの手を掴んだままパーカーのフードを脱がし、ドクロの帽子に手をかける。リザは叱られる子どもみたいに下を向いたまま抵抗しない。そしてケビンがそっと帽子を取ると、途端にリザの白い頬が緑色にくすみ始め、宝石のような瞳がこぼれ落ちて地面に溶ける。空っぽの眼窩には洞穴のように深い闇がどこまでも広がって、蜂蜜色の髪は抜け落ちて消え去った。
「ダメだって言ってるのに」
「……しゅーぞーけんよりも?」
「肖像権」
乾燥しひび割れた口から、いつもの飴玉を転がしたようなソプラノが聞こえてくる。いかついゾンビの顔から放たれるには少し不釣り合いだ。それでも、いくら女の子の声を持っていたとしても、今ケビンの目の前にいるのは間違いなくモンスター。一般的には、ゾンビと知られる姿のものだった。
リザの家系はどうやらオカルトに深い関わりを持つ家のようで、リザはこの姿で生まれてきたらしい。流石にあんまりだと思った彼女のおばあちゃんが帽子に呪いをかけ、ドクロの帽子をかぶっている間は人の姿でいられる。幼馴染だったケビンがそれを知ったのは八歳の時。当時はハロウィンの仮装だと本気で信じて、一緒にお菓子を集め回っていた。
十四歳の時に改めて彼女のおばあちゃんから
『あの子の姿を見ても気味悪がらず、仲良くしてくれてありがとう』
と言われて初めて本物のゾンビだと気付いたが、流石六年間もそのゾンビと一緒にいては驚くタイミングも見失い、加えてリザはかけがえのない親友だったこともあって気にしなかった。あと、人間の時の顔が好みだった。
結果、お互いに十八歳になった今も、かけがえのない親友のままだ。
「怪我はない?」
「平気。ゾンビなめんな」
リザの頭に帽子を戻すと、それだけで普段の恥ずかしがり屋が戻ってくる。艶のあるブロンドが流水のように肩に流れ、潤いをもった唇が跳ねっ返りな台詞を吐く。それでも、指で押せばマシュマロみたいに弾力のある頬は正直だ。熱を帯びた顔を隠すように、紫水晶の瞳が帽子の奥に引きこもる。
「平気ってことはしてるんだね。パーカーに穴空いてるし」
「なんでそこでピンセット取り出すの」
「いくらヘッドショット以外無効でも弾丸の摘出はしなきゃマジで腐っちゃうよ。ハイ脱いでー」
「ここで!? まっ、ちょま、やめ……!」
「大丈夫大丈夫、火は使わないって」
ゾンビは火に弱い。一度指先を焼いたことのあるリザが言うには、それはもう紙のように燃えるとか。燃えた指先はおばあちゃんに治してもらったようで、別に欠けているとかそういうことはない。体の一部が欠損しても戻せるのはある種ゾンビの特権だと言えるだろう。以前、リザが初めて弾創を作ってきた時にパニックになって、バーナーで焼いて塞ごうとしたのをものすごく怒られたのを覚えている。
そんな風に弾丸を受けることになったのも、今日のように犯罪者を追いかけ回し始めたことが原因だ。それまでは一緒にカメラマンのアルバイトで食っていた、というか今も食っている。それもケビンがカメラマンを目指しているのが理由なのだが、突然、リザがバットマンよろしく悪党退治を始めた。それも普段は帽子で封じ込めているゾンビの姿と能力を使って。
「はい、取れた。二発受けたね」
「〜〜〜〜……っ、こんにゃろー……」
潜り込んだパーカーから抜け出して、二つの鉛玉を排水溝に捨てる。リザは恥か怒りか……おそらく両方だろうが顔を真っ赤にして服を押さえつけている。随分と血色のいいゾンビだ、とケビンは苦笑するが、リザは笑い事ではないらしい。
「セクハラだ。セクハラで訴えてやる」
「医療行為はセクハラにならないんだよ」
「明日の朝起きたらケビンの体腐ってるからね」
そんな捨て台詞を吐きながら、リザはぷいと背を向けてしまう。どうせゾンビになっても一時間で戻るのに、とケビンが返してもブロンドの髪は不機嫌そうに黙ったままだった。
リザがゾンビの姿で走り回るものだから、街は大騒ぎ。どこかしこでゾンビの目撃情報が挙がり、今では紙面のほとんどを占めている。もちろん、ゾンビが悪党を退治するヒーローなどと書かれふたるはずもなく、むしろ他国の様々なゴーストバスターが呼ばれるぐらいだ。おかげでケビンはゾンビの写真を提出することでかなりの評価を貰っているのだが……出来レースな上にリザが疑われないよう工作するのも一苦労だった。
「あのさ、リザ。ひとつ言いたいことがあるんだけど」
「ん?」
どんなに不機嫌そうな態度を見せても呼べば振り返る。素直だなあ、と思いながら。
「さっきから僕の手を舐めてる、この犬は何?」
べろべろべろとケビンの手をよだれまみれにしている犬をつまみ上げた。ああ、とリザは悪びれもなくそう言って、
「腐乱犬のシュタインくん」
「凄まじいネーミングだね、二重の意味で。いくら人間に噛みつきにくいからって、野良犬をゾンビにして起点にするのやめろよ。なんか狂犬病みたいだよ。あと、ゾンビ化が解けても飼わないからな」
「ダメ?」
「かわいく言ってもダメ」
「チッ」
「聞こえてるよ」
*
リザが悪党を追いかけ、ケビンが写真を撮る。ゾンビの写真はもはやドルを現像しているのと同義で、リザが暴れれば暴れるほどケビンの評価と財布が膨らんでいく。けれども、どんなに写真を撮っても新聞には『脅威のモンスター、人を襲う』などの記事ばかりで、切創や弾丸を体に受けて帰ってくるリザを見ると諸手を上げて喜べはしなかった。ゾンビ化させた一般人も、一時間経って戻ればゾンビの記憶を失うのも問題だ。結局、ゾンビを忌み嫌う声は鳴り止まない。
「リザ」
二人で働きながら住んでいる、古アパートの一室。二つある内の片方のベッドで丸くなるリザに声をかけても返事はない。相当疲れて帰ってきたのか、ケビンが新聞社から戻ってきた時には既に眠っていた。ベッドの中にいても、不意の事態に備えてドクロの帽子はかぶっている。
やめろ、とは言った。言いたくなかったが、言った。もちろんリザには大反発されてふて寝されてしまったが。せめて理由を教えろと問いただすと、散々渋った挙げ句、
『あたし、街の人たちに認められたい。確かにあたしはゾンビだけど、だからこそ人間の皆に認められたいの』
と丸まった布団の中から言ってきた。せめて格好つける時ぐらい布団から出ろ、とは思う。
「けどさ、あんま心配させないでくれよ……」
ぶつくさと言いながらも、布団をリザの鼻までかけてやる。リザからは静かな寝息だけが聞こえてくるだけだ。無防備に眠るリザに背を向けて、ケビンも向かいのベッドに潜り込む。明日もまた、危なっかしい君を心配させてくれと願いながら。
その日、ケビンは夢を見た。遙か昔の記憶をなぞるような夢だ。幼い自分の前に、魔女のような老婆が座っている。今思えば本物の魔女かもしれないその老婆は、リザのおばあちゃんだとすぐにわかった。
『あの子を怖がらないのは君だけだったね。ぴちぴちのお姉さんでもない枯れかけのババアからのお願いで悪いけど、もし君が良ければ、できる限りあの子を助けてやってくれ』
うん、と幼いケビンが頷く。おばあちゃんは窓の外へ視線を流すと、その先には家の庭で犬と跳ね回っている幼いリザがいた。ケビンも窓際に寄って、庭にいるリザを見る。すると家の前に一台のパトカーが止まり、二人組の警官が姿を見せる。
警官はずかずかと庭に入ってきて、リザの手を掴む。いつの間にか警官だけでなく、街の人もリザを取り囲んでいる。その手に握られているのは、ライターや松明だ。
『こいつがゾンビだ!』
街の誰かが叫ぶ。警官が十八歳のリザの顔を地面に押さえつける。
『ゾンビを燃やせ!』
いくつものサイレンとシャッターを切る音。リザの帽子が奪われ、ゾンビの姿が露わになる。
『燃やせ! 燃やせ! 燃やせ! 燃やせ! 燃やせ! 燃やせ! 燃やせ! 燃やせ!』
街の人間がアスファルトに押さえつけられたリザに松明をぶつける。次々とリザにライターやバーナーが投げつけられ、ごおっとリザの赤いパーカーが燃え上がった。火は瞬く間にリザの体を食い破り、更に大きく酸素を吸って肥大化する。狂ったように暴れるリザは、まるで助けを求めるかのように溶ける腕をケビンに伸ばして、
『けび、ん』
真っ赤な炎に骨まで溶かされて消えた。
「けーびーんー」
「……っ」
しかし次の瞬間目に飛び込んできたのは、お菓子を頬張りながら自分を揺すっているリザの顔。右手には、おばあちゃんからの仕送りに入っていた巨大なドラヤキとかいうお菓子が握られている。巨大、というのは伊達ではなく、人の顔ほどまであるお菓子だ。
「どったの? 汗びっしょり」
「あ、ああ……リザか。うん、リザだ」
「んー?」
ぐもぐもぐもとドラヤキを咀嚼しながら小首を傾げる。ケビンは軽く頭を振りながら体を起こし、壁の時計を見る。午前の十時半。新聞社はもう開いている時間だ。
「……リザ」
ベッドの横に置いていたデジカメを少しの間見つめ、ポケットに突っ込む。リザは「んぐ?」と喉で返事をする。口は常に動き続けていて、ひたすらにドラヤキを味わっている。
「旅行に行かないか? 二人で」
ぐもぐもぐもぐもぐも。
「一週間か、いやいっそ一ヶ月ぐらい」
ぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐも。
「聞けよ」
「ぐもっ!?」
べちっ、とリザの側頭部にビンタ。びっくりしてドラヤキを喉に詰まらせたリザが大きく噎せ返る。
「日本とかどう? リザの好きなドラヤキとか、スシとか、ゼンザイもある」
「けほっ、ぜんざ、ゼンザイ! ゼンザイ食べたい!」
ごっくんと無理やりドラヤキを飲み込んだリザが両手を上げて賛成する。遊園地に連れて行ってもらえる子どものような反応に、ケビンは思わず頬が緩んでしまう。
「ゼンザイとか、オシルコとか、あとヨウカン! あ、でもオシルコとゼンザイって何が違うのかな? 日本に行けばわかるのかな!?」
イエスかノーかで聞いたのに、既に行くことは決定したらしい。目をきらきらさせながら身を乗り出してくるリザを押し返しながら、ケビンはベッドから飛び降りてジャンパーを羽織る。携帯とカメラは既にポケットの中。出かける準備はできている。
「じゃあちょっと新聞社に休暇もらってくるから、少し待ってて。すぐ戻ってくるから、その間ゾンビになってどっか行ったりしないでよ」
「うん! うん! その代わり早く戻ってきてね!」
「わかったよ。行ってきます」
それだけを告げて、ケビンは事務所のドアを開けて外に出る。閉まっていくドアの先に跳ね回っているリザが見えて、思わず閉じかけたドアを掴んでしまいそうになる。しかし、仮にドアを開けて「やっぱり止めた」と言うことすら、怖くてできなかった。
結局、二週間の間日本に滞在した。空港に着いたリザが発した第一声は、
「ショーユくさっ!」
だった。それからはオテラやジンジャなど各地の観光名所を周り、夜は和風な宿をとってオンセンに浸かった。ハシの扱いに二人で戸惑いながらもライスや魚を主軸とした日本料理を食す。ブロンドの髪をアップにしてユカタとゲタを履いたリザはとても可愛らしかったが、流石にユカタとドクロの帽子はミスマッチだった。宿の人からも奇異の眼差しで見られてしまったことは反省している。
そしてたくさんのおみやげと思い出の写真を抱えて、二人は帰国した。
*
「どこか行くの? リザ」
「ちょっと散歩。ご近所さんにおみやげ配ってくる」
「そっか、気をつけてね」
帰国した翌日。出かけてくる、とケビンに伝えると、ケビンはすんなりと了解してくれた。悪党退治を始めて以来、リザの外出に毎度渋って、必ず一度は安全に注意しろだの自分の身を守れだの言ってくるケビンが、である。リザとしてはうるさい小言を聞かなくていいのだが、同時に何かあったんだろうかと少し心配になった。
「ケビン」
「ん?」
呼べばいつでも振り返ってくれる。それは変わらない。
「……なんでもない。いってきますっ」
スニーカーの靴紐をきつく締めてアパートを飛び出す。脇にはマンジュウの入った箱を挟んで。きっと、ケビンも疲れていたんだろう。旅行に連れて行ってくれたのも、ケビンだって休みたかったんだろうなとリザは思うことにした。
とりあえず、隣のグランマ婆さんのチャイムを押す。いつもクッキーを焼いてくれる、気前のいいお婆さんだ。怒ると怖いらしい。
「はいはい、どなた……ってリザちゃんじゃないか! 今までどこ行ってたんだい!」
「えっ、いやどこって、ちょっと日本に……あ、これおみや」
「おおおおい! リザちゃん帰ってきたよー!」
「げ、なん、です、けど……」
老人とは思えない大声でグランマ婆さんが叫び、怯んだリザがマンジュウの箱を盾に後ずさる。何か悪いことをしたのだろうか、と旅行へ行く前のことを振り返るが心当たりはない。すると、入れ歯を吹っ飛ばすほどのグランマ婆さんの声に呼ばれ、周囲の住人がひょこひょことドアから顔を出した。
「リザちゃんだって」
「ほんとだ」
「帰ってきてる」
「リザおねえちゃんだー」
そのままドアからアパートの住人たちが出てきて、狭い廊下に並びながらリザの方へ集まってくる。右側だけでなく左側からも集まってきて、完全に挟み撃ち状態だ。
「え? ええ? ええええ!?」
逃げ場のない状況に目を白黒している間にもリザの周りに人だかりができていく。ピザ屋のピーターとインクレディブル夫妻、大学生のクラーク、チンピラのリトル・マグラス……その他にも大勢の住民がリザを取り囲んだ。
「新聞見たよリザちゃん。こないだの強盗捕まえたのリザちゃんだったんだろ?」
「引ったくり犯が裏通りでノックアウトされてたとか。女の子なのに勇敢だねえ」
「俺実は近くにいたんだよ! あの時は顔が見えなくてわかんなかったけど、あのパーカーとヨーヨー捌きは間違いない! 最高にクールだった!」
「ちょっ、ちょっちょっちょ、ちょっと待った! 今なんて? 新聞?」
賞賛の集中砲火を受けながら、勢いに流されまいと大声を上げて気になったワードをすくい上げる。リザが声を張り上げたことで一瞬だけ皆が口を閉じ、僅かな間があって、ピーターが口を開いた。
「リザちゃんが旅行に行った直後、新聞に悪党を懲らしめるリザちゃんが写ってたんだよ」
「え……」
まさか、と言葉が口をついて出そうになる。自分の写真を撮る人間なんて、一人しか。
「犯罪者が何故か道端でのびてたり、縄で縛られてたりしてた一連の騒動がリザちゃんだってわかって、市長も驚いてたみたい。帰ってきたら直々に感謝状を渡すってコメントに書いてたよ」
「そういうことだ」
リザが返事をする前に、野太い声が人だかりの奥から聞こえてくる。リザが振り返ると、住人たちが横にずれて声の主が姿を見せる。丸い顔とぽっちゃりお腹をベルトで縛ったスーツの中年。葉巻を咥えた口元にはチョビ髭が茂みのように生え、垂れ気味の目尻には優しいシワがある。一見ただのビールっ腹のオヤジに見えるこの人は、この街に住んでいるならば誰もが知っているであろうマグダエル市長そのものであった。
「あるカメラマンが君の姿を捉え、写真に収めた。その写真こそ君の勇姿の証拠である。その写真が持ち込まれるまで誰もあの赤いパーカーが君だとは気付かなかっただろう。しかし、それでも君は悪に立ち向かい、打ち倒した! 見返りを求めず、影からこの街を支えてきた君こそ、街のヒーローだと言えよう」
「ヒー、ロー……? あたしが?」
「そうだ。街中の人間が君を祝福してくれるだろう。街を代表して礼を言う。……ありがとう、そして、おめでとう」
ぱちくりと、ハトが豆鉄砲を食らったような顔で瞬く。信じられない、とまず思った。夢だと。まだ実は日本から帰ってきておらず、夢を見ているのだと。きっとすぐに目が覚めて、タタミ独特のにおいと布団があるのだろうと思った。だが、この耳に聞こえる拍手はいつまでも鳴り止まず、この目に映る人々の笑顔はいつまでも消え失せず、この手に触れる市長の分厚い握手は、いつまでも固く握りしめられていた。
ふと、肩越しに視線を感じてリザは振り返る。そこには、周りの人だかりに紛れて、この騒動を引き起こした張本人がにっこりと優しい笑顔で拍手を打っていた。そしてリザの視線に答えるように、「おめでとう」と唇を呟かせる。
「……う、」
目と喉の奥から、熱いものがこみ上げてくる。目と喉だけではない。胸からも、堪えきれない衝動が沸き上がってくる。次第に目の前が霞んでいき、ピントがずれて、
「う、わああああん……っ」
ぼろぼろとアメジストの器から大粒の雫が溢れ出した。
その後、リザは市長邸にて正式に感謝状を貰った。街中の人が見ている中で賞状を渡されるのは緊張したが、街の皆が自分を祝福してくれていると思うと胸がいっぱいになって、また泣きそうになるのを必死に堪えた。
夢が叶った。ゾンビの自分を皆が認めてくれている。それだけで、いくらでも嬉し涙が溢れそうだった。
そして、その帰り。リザは最高の友人であるケビンの元へ早く帰るべく、駆け足ですっかり暗くなった裏通りを走っていた。今すぐ飛びついて、骨が砕けるぐらい抱きしめたい。苦しそうに呻くケビンを想像すると、自然と頬が緩んだ。
「リザちゃん!」
と、誰かがリザの背中を呼び止める。リザが足を止めて振り返ると、そこには息を切らしたピーターが膝に手をついて荒い呼吸を繰り返していた。その手には、一枚の紙切れが握られている。
「ピーターじゃん。どったの?」
「こ、これ……記念にと思って切り取っておいたんだ……。君が写ってる新聞の記事だよ。二週間も前の新聞だから誰も持ってないだろうと思って」
「マジか! ありがとー!」
胸の前で手を叩いて、リザはピーターから紙切れを受け取る。一体どんな写真だろう、と思ってリザが綺麗に折りたたまれた紙切れを広げると、ふっと、体の中を冷たい風が通り抜けた。笑顔が消え、じっと切り取られた記事を見つめる。
「……リザちゃん?」
予想していた反応とは違ったのだろう。無言になったリザに、ピーターが訝しげに首を傾げながら声をかけてくる。
「どうしたの? 何かおかしなことでも……」
「これ」
「え?」
ぼそ、と唇の端からこぼれた声は、氷のように冷たく。
「あたしじゃない」
*
市長邸。リザが帰った後、マグダエル市長と警察署長のダディが市長の私室で顔を合わせていた。二人は街の夜景が見える窓を挟み、煙草をふかしながら外を眺めている。
「素晴らしい子でしたな」
先に口を開いたのは、ダディ署長だ。丸い市長とは対照的な細身の体を壁に預け、角張った顔に煙草を咥えている。
「そうだね、あんな『普通』の女の子が……まったく勇敢なことだよ。犯罪者たちが続々と捕まっている影に、たった一人の一般市民が関わっているなんて誰が思うだろうか」
「うちの警官たちにも見習わせたいものです。いや、むしろあのような子が警官として署に来てくれれば、警察の士気も上がるのでしょうが」
フー……と二人が同時に紫煙を吐き、その女の子がいる街をじっと見つめる。まるで、深い奈落の底に、ひとつの宝石のような輝きを見つけたように。
「ダディ署長、君も頭痛の種がひとつ減ったことだろう。もしあの子が協力してくれれば――『街を脅かしているゾンビも早く片付くかもしれないな』」
*
アパートの扉を開け、リザは静かに中へ入って扉を閉める。扉の音に気付いたケビンが廊下の奥から顔を出して「おかえり」と迎えるが、リザは玄関の扉に寄りかかったまま答えない。顔をパーカーのフードで隠し、俯いたまま両手をお尻の後ろに隠す。
「……どうしたの?」
様子が変だと感じたのだろう、ケビンがいつもの優しい笑顔を怪訝そうに曇らせる。
「ケビンは、いつもあたしの味方してくれたよね。昔から、ずっと」
扉に背を預けたまま口だけを動かす。
「今も、あたしの味方?」
「そりゃあ、もちろん」
「あたしのこと、好き?」
「えっ、えええ? いきなり何……を……」
突拍子もない言葉にケビンは狼狽するが、その際に落ちた視線がリザの手にぶつかる。その瞬間、さっとケビンの顔から色が失せた。リザが何を握っているのかを、見つけてしまった。
「……ああ、好きだよ。リザのことは、大好きだ」
迷いのないケビンの返答に、リザは応えない。ただほんの少しだけ、フードの下にある口を緩ませる。
「だからそのまま聞いてくれ。僕は……」
「ありがと。それが聞けて、嬉しい」
「ああリザ、ちょっと待て。話を聞いてくれよ。僕はただ」
「ケビンが嘘ついたの、初めてだ……」
きゅっと唇を噛みしめ、リザは手に握っていたくしゃくしゃの紙くずをケビンに投げつける。それは二週間前の新聞の記事。帽子をかぶったリザが、倒れた悪党の前で顔だけを振り向かせている写真。そんなものを撮られた覚えはない。これは、リザがゾンビであることを隠しヒーローに祭り上げた、ただの合成写真だ。
「リザ、待った! せめて冒頭だけでも聞けって!」
「ふざけんな! あたしだけじゃない、街の人にも嘘ついておいて今更言い訳なんてしないでよ! ケビンが一番あたしのこと信じてくれなかった。ゾンビのあたしが皆に認められないって思ったからこんなことしたんだ! 嘘つき! 大っ嫌い! ばーか!」
言うだけ言って、リザはアパートから飛び出す。背中に触れてくるケビンの声を振り払うように全力で街道を走って、遠くに逃げた。とにかくケビンから、いや、街から離れたかった。
結局、自分は人々に認められなかった。それどころか、大好きなケビンにすら認められなかった。街の人が認めたのはリザじゃない。帽子をかぶった、ただの女の子だ。
そしてそうさせたのは、いつも隣にいてくれたケビンなのだ。
「……う、っぐ」
胃がひっくり返りそうになって、リザはゆっくりと足を止める。吐きそうだ。いっそ吐いた方が楽だろうか。吐こう。楽になりたい。
「う、えっ、げほ、うえええっ……うえええええん……」
そう思って下を向いても、口から出てくるのはみっともない嗚咽と泣き声、そして両の瞳から溢れる涙だけ。苦しくて息が詰まって仕方ないのに、それを吐き出せはしなかった。
「ケビンのばかあああ……っ、ぐ、うえっ……うえっ?」
街外れにある川沿いの土手。気がつけばそこまで走ってきたようで、建物の少ない風景が空を広くしている。本来ならその土手には少し大きめのログハウスのような宿ぐらいしかなく、街灯も少ないせいで暗いはずなのだが……何故か街中と変わらないぐらいに明るく、鼠色のはずの土は朱色に染まっている。
おそるおそる、リザが顔を上げる。するとそこには、真っ赤な火柱と化したログハウスが土手と川を照らしていた。
「助けて! お願い、誰かっ……赤ん坊が! 娘がまだ中にいるのよ!」
駐車場に避難している婦人の一人が泣きわめき、燃え盛る宿に突っ込もうとしているのを若い男が二人がかりで止めている。三階建ての宿は見るからに全焼。人間が中に入って助かるかなど、火を見るより明らかだ。
『やめなよ、悪党退治なんて』
ふと、前にケビンに言われたことを思い出す。
『見返りを求めず、影からこの街を支えてきた君こそ、街のヒーローだ』
『おめでとう』
『……ああ、好きだよ。リザのことは、大好きだ』
今まで悲しくて悔しくてたまらなかったものが、今度はむかむかと腹の底で煮え立ってくる。ケビンは自分が街の人には認められないと思っている。だから嘘の写真でゾンビでなく女の子の自分を新聞に載せたのだろう。
それがすごく悲しくて、悔しくて――頭にきた。
*
「くそ……足、速ぇえ……」
飛び出したリザを追いかけていたケビンだが、普段の運動不足がたたって早々にダウン。街の外れまであと数百メートルのところで膝をついた。リザの姿は瞬く間に消え去ってしまったが、一度は新聞に載った身。目立つパーカーを見なかったかと道行く人に聞きながら何とか追いかけられている。
「どこまで行ってんだよ、もう」
この先は建物が消え、街を掠めている川と寂れた宿しかない。恐らく自分でもわからないぐらい走って道に迷うのは目に見えている。どこかへ行ってしまう前に、迎えに行かなければ。
「って、何あれ」
川にかかっている橋を抜けた先に、巨大な火柱が見えた。ごうごうと酸素を吸い上げながら灰と炭を噴き上げ、火山でも噴火したみたいに炎が夜空に手を伸ばしている。火事だ、と言われなくてもわかった。
ケビンは坂になっている土手を駆け上がり、土手の頂上から炎に包まれている宿を見下ろす。そこの足下には、避難した人たちが泣いたり叫んだりしていて大パニック状態。すぐにでも消防車を呼ぶべきだろうが、街から外れたこの場所に緊急隊員が来るのは時間がかかるだろう。
駐車場にリザはいないかとケビンは土手の上から目を凝らす。すると、案外早く赤いパーカーを見つけることができた。巻き込まれてはいないようで、ひとまずはホッと安心する、のも束の間。
「……おい、おいおいおいおいおい」
てくてくとまるで散歩でもしているみたいに、取っ組み合っている婦人と男たちの横を通り過ぎていく。やがて歩幅が広がり、フードがめくれ、ついには駆け出して。
「あの馬鹿ッ!」
ドクロの帽子を脱ぎ捨てて宿に突入したゾンビに、ケビンは思わず叫んでいた。
叫ぶのと土手を転がり下りるのが同時。着地と共に呆気にとられている婦人と男たちの横をすり抜け、ケビンもリザの後を追って炎の扉へと体を投げる。広々としたエントランスには既に十分過ぎるほど火が回っており、剥き出しの皮膚が焦げてしまいそうだ。
「あそこか!」
二階の手すりにヨーヨーを引っかけて一瞬で飛び上がり、部屋の入口を塞いでいる瓦礫を蹴りで破壊していく赤い影。ヨーヨーであんなワイヤーアクションをする人間など一人しかいないし、瓦礫を蹴りで吹っ飛ばせるのも筋肉の限界を知らない生き物だけだ。
ケビンは煙を吸わないよう袖で口を塞ぎながら階段を駆け上がる。そして破壊された瓦礫を飛び越えて部屋の中へ転がり込むと、すぐにリザは見つかった。端が燃えている絨毯の上に立ちつくし、ベッドを見下ろしている。
「リザ! 何してる、早く来るんだ!」
呼びかけても反応がない。早く脱出しないと、もしリザの体に火が燃え移ったりすれば……。
「息、してない」
ぼそ、と炎の音にかき消されそうな声で、リザが呟く。ケビンがリザの側まで駆け寄ると、ベッドには静かに眠る赤ん坊。この建物が傾く揺れと、息をするだけで喉が焼ける熱の中で、一切の寝息すら立てずに眠っている。
「煙、吸い込んだんだ。あたしの顔を見て。びっくりして、叫ぼうとして。お母さんって、助けてって泣きながら、思いっきり」
へたりとリザの膝が折れ、その場にくずおれる。ケビンは黙ったまま赤ん坊の鼻と口に指をかざすが、そこに息吹はなく。
「やっぱり、ダメなんだ。結局、あたしは誰にも認められない。皆から嫌われるゾンビなんだ。皆から……あは、あははははっ……」
乾いたリザの口が今までに聞いたこともないような寂しい笑い声を上げる。自分自身に失望したような、何もかもを諦めるような笑い。ゾンビにとって致命の炎がすぐそばに迫ってきても、リザは逃げようとしなかった。
「わかったよケビン。あたし、ダメだ。やっぱりあたしはモンスターで、どうしたって人間の仲間にはなれないって。そりゃそうだよね、だってゾンビなんだもん! 人じゃない! どんなに人が好きでも、どんなに仲間になりたくてもダメなんだ!! そうだよね、ケビン!」
かける言葉が、見つからない。何故ならば、ケビンもゾンビであるリザを迫害したことには変わりないのだ。たとえそれがリザのためだと思ってしたことでも、リザにとっては裏切られたことと同じ。結局ケビンは人のまま。リザはゾンビのまま。互いの溝だけが、深く深く刻まれた。
「でも、もう終わりだよ。ゾンビは街からいなくなる。それで街の人はゾンビにおびえることはなくて、皆で大団円。ゾンビはゾンビらしく、墓に帰る。それでいい。それでいい……」
語尾が消えていき、完全にリザが沈黙する。四方からにじり寄ってくる炎にも怯まず、本当の死体にでもなったように座り込んだまま下を向いている。ケビンはリザの隣でじっと立っていたが、少しの間を置いてリザの隣に膝を抱えて座り込んだ。
「……僕ね、夢を見たんだ。リザが燃える夢。街の人間に燃やされる夢。それがすごく怖かった。このまま悪党退治を続けさせたらいつかこの日が来るんじゃないかって、そう思って写真を合成した。でも本当はわかってた。きっとどこかでバレて、君を傷つけること。それでもリザを失うよりはマシだって、自分に言い聞かせたんだ」
リザは俯いたまま、返事はない。それでもケビンは体を炙る熱と炎に負けず、言葉を続ける。
「恐がりなんだ、僕は。だから僕が一番リザを怖がってた。ゾンビであるリザを、誰よりも。だからごめん。君を助けることができなかった。ごめん。だからせめて、最後まで送らせてくれる? 僕が君を最後までエスコートする。人間とゾンビ、魂の行き着く場所が違ったとしても、最後まで。最後まで、君の側にいる」
そう言って、目線を正面に向けたまま自分とリザの手を繋ぐ。樹皮のようなリザの手は硬く、冷たい。だがそれは確かにリザそのものの手で、たとえ骨まで燃え尽きたとしても、ケビンは決して放さないように強く握りしめた。
「…………ね、ケビン」
ようやく、リザが口を開く。
「あたしのこと、好き?」
「……ああ、大好きだよ。ずっと、子どもの頃から」
「そっか。あたしも、大好き。ケビンも、ピーターも、インクレディブル婦人も、グランマ婆さんも、マグダエル市長も、好き。皆、大好き」
「そっか。……でもちょっと、ショックかな」
リザの手が裏返って、ケビンの手を握り返してくる。後ろで部屋の出口が崩れた音がする。でももう関係ない。炎はもうすぐそこだ。それでも二人は逃げない。決して、手を放さない。
「ね、ケビン」
「なに?」
「……悔しいね……」
そこでケビンは初めて、隣のリザを見る。ぼろぼろと瞳のない目から涙を流し、赤いパーカーにたくさんのシミを作っている。一見それはホラーのように見えるのだろうが、ケビンは握っている左手をリザの肩に回し、ぴっとりと体を寄せ合った。そして右手でリザの手を握る。炎が来ても、闇が来ても、怖くないように。
そして二人は目を閉じる。じっと、炎を待つ。じっと……
……
…
「――げぼっ、ごふ、かは」
「え?」
二人ではない場所から聞こえてくる、誰かの咳。それはやがて大きくなって、
「んんんううえええええええ! うえええええん!」
はっきりとした赤ん坊の声が二人の鼓膜を貫いた。
「吹き返した? 嘘? なんで!?」
ケビンは驚いたように目を丸くして、すぐそばのリザと顔を見合わせる。だが驚いたのは一瞬。二人はすぐさま立ち上がり、ぱっと手を放して一番近い火元である絨毯を蹴っ飛ばした。
「ケビン、赤ん坊お願い!」
「わかった!」
んぎゃああおおおうと泣きわめく赤ん坊をケビンが抱き上げ、リザが部屋の出口を塞ぐ瓦礫を破壊する。そして二人で二階の廊下に出ると、そこから見下ろせる一階のエントランスに人影が見えた。
「生存者……!」
赤ん坊以外にも、まだ取り残されている人がいたのだ。スーツを纏った中年の男はエントランスまで逃げてきたはいいものの、そこで煙を吸って酸欠を起こしてしまったのかうずくまっている。そして木が裂けていく耳障りな音を上げながら、その中年を狙って倒れてくる丸太ほどの柱。
「く、んのっ」
腰に伸びたリザの手が勢いよく振り上げられると同時に、青いヨーヨーが倒れゆく柱まで飛んでいき巻き付いていく。細い糸が幾重にも巻き付いて柱を抱き止め、それによって二階のリザが柱の重さに引きずられるも、ふんぐぐぐと変な呻きを上げながら踵でブレーキをかける。
頭を庇うように座り込んだ中年は柱が止まったのを見て「た、助かった……」と言いかけたが、リザの姿を見つけると、信じられないと言わんばかりに「ゾンビ!?」と目を剥いた。
「今それどころじゃないだろ、さっさと逃げるんだ!」
階段を段飛ばしで飛び降りながらケビンが中年の横を通り過ぎていき、ヨーヨーを二階の手すりに固定したリザが後に続く。ケビンが宿の入口から外に飛び出すと共に駐車場から驚きと賞賛の声が上がるが、続いてリザが出てくると、また別の驚きと悲鳴が上がった。多分、ケビンは赤ん坊を抱いているおかげで救助者に見えるのだろうが、その後ろをゾンビが焼け落ちる宿を背景に出てきたものだから、ゾンビが物凄く悪役に見えるとかそんな理由だと思う。
「ちょっ、ちょっ、ケビン! さっきの人が出てきてない!」
「はあっ?」
きゅきゅっとスニーカーがブレーキを踏み、上半身を捻って振り返る。すると入口から見える宿のエントランスに――恐らくリザの姿を見て気絶したのであろう――中年が泡を噴いて倒れていた。
だがケビンが振り返るとほぼ同時に、宿の屋根が崩れ落ちる。まるでジェンガが倒れる瞬間みたいにログハウスの屋根が窪み、傾いていく。外にいる誰もが、もう無理だと直感した。
「ちょっと待ってて!」
だがその数秒後には崩れるであろう宿に飛び込むゾンビが一人。ケビンの制止も間に合わず、最近表彰されたばかりのヒーローと同じ赤いパーカーを翻してエントランスに突っ込んだ。
降ってくる瓦礫をスライディングですり抜け、道を塞ぐ柱を飛び越えて中年の元に滑り込む。そして何と片手で中年の胸ぐらを掴み上げると、
「っらあ!」
背負い投げの要領でもって成人男性を片手一本でぶん投げた。まるでボールのように投擲された中年は放物線を描きながらくるくると回って、駐車場の地面に叩きつけられる。直後、ログハウスの壁が折れて建物が萎む。
「リザっ……」
そして巨人に踏みつけられたみたいに、くしゃりと屋根のすべてが崩れ落ちた。
*
最後に見えたのは、自分に向けて手を伸ばすケビンの姿。それから先の記憶はなく、電源でも落ちたようにぶつりと暗黒が広がった。燃えたか、潰されたか。腐った肉体は焼ける建物の下敷きになり、黒炭になって見つかるだろう。自分の体がそうなっているのを想像してみると凄く虚しくなる。
だが、リザにあまり後悔はなかった。目の前に広がる暗闇を見つめながら、リザはそう思う。最後まで自分らしく生き、死ねたのだ。きっと事故とか病気で死ぬよりも、ゾンビには過ぎた花道だったと思う。唯一の寂しさと言えば、誰も魂尽きる墓場までエスコートしてくれないことか。
それでいい。それでいい。あの世までモンスターに付き合うこともあるまい。人は人らしく、生きていけばいいのだ。それでいい。
だけど、それでも。
「君が隣にいないと、寂しいなあ……」
「え?」
「え?」
ただの独り言に返事が返ってきて、リザはきょとんと顔を呆けさせる。というかその独り言すら、自分の他に誰かが言ったような気がして――
「リザ?」
目の前に、見慣れた少年の顔が降り注いでくる。気がつくとそこは暗闇ではなく、真っ白な天井とベッドの上。
「はれ?」
気の抜けた声で自分の体を見下ろす。水色の患者服に、体中に巻き付けられた包帯。顔にも巻き付いているようで、いつの間にかかぶせられている帽子も相まって頭が締め付けられているような気がする。これではゾンビどころかミイラだ。マミーの類いだ。
「おおリザちゃん、目が覚めたかい」
回しにくい首で横を見ると、グランマ婆さんがクッキーの入ったバスケットを持ったまま立っている。そして、また入れ歯を吹き飛ばすほどの声量で。
「おおおおおい、リザちゃんが起きたよおおおおお!」
ナースコールいらずのおばあちゃんである。そのコールではすぐさま怒り狂った看護婦が飛んできそうではあるが、病室の外から飛んできたのは看護婦ではなく健康そうな街の人々。そのどれもが、リザがよく知っている面々だった。
「え? ええ? ええええ? 何これ、デジャヴ!」
ぞろぞろと病室に入ってきて、ベッドごとリザを取り囲むアパートの仲間たち。前にも見た光景が何故ログハウスの下敷きになった自分の前に広がっているのか。目を白黒させているリザに応えたのは、グランマ婆さんの対角にいるケビンだった。
「あの時、駐車場にいた人々全員が君を見ていたんだ。帽子を脱ぐ前の君が宿に飛び込んで、同じ格好をしたゾンビが出てきて中年の男を助けた。あの後すぐに、皆で川の水を汲んで入口付近を最優先で消火してから、瓦礫の中からリザを引き上げたんだ。体の一部は燃えてしまったけれど、君のおばあちゃんが来てくれてちょっとずつ治してくれてる」
「そういうことだ」
病室に集まった街の人たちの奥から太い声が聞こえてくる。またかよ、と口をついて出そうになったが、誰が出てくるかはわかりきっているため、すんでのところで言葉を呑み込んだ。
出てきたのはダルマのように丸い体のマグダエル市長。もちろんぱっつんぱっつんのお腹をスーツとベルトで締め付けているが、前回と違う厳しい視線でリザを見つめてきた。
「避難者と緊急隊員で消火と救助活動を行い、君をここへ運び込んだ。その際に多くの人が君の姿を見たよ。まさか君が、街を怖がらせているゾンビだったとはね」
「ち、ちがっ……あたしは怖がらせるつもりなんかなくて」
「わかっている。君が助けた赤ん坊の親と中年の男が、君への大きな感謝を新聞社に訴えた。君がどんな女の子か、皆わかっているよ。少なくともこの場にいる全員は、君を怖がったり嫌ったりしないだろう」
そう言って市長は一昨日の新聞を手渡してくる。その記事には、包帯を巻かれたゾンビの自分と、それを賞賛するコメントが書き連ねられている。『街を震撼させたゾンビ、実はあのヒーローだった』とかそれらしい見出しに、一面を丸々使って自分のことが書かれていた。
「リザ、一度ならず二度までも市民を助けてくれてありがとう。街中が君を讃え、無事に快復することを祈っている。そして、行いも知らずに君を排そうとして悪かった。……だが、」
「だが?」
「中にはどうしても君を認めない者もいる。ゾンビが街にいるべきではないとデモが起こったりもした。こればかりは宗教も絡んでくるから、彼らを鎮めるには誰かが譲歩せねばならぬだろう。そしてケビン。君は彼女を使い、嘘の情報を新聞に載せた。それは許されることではない。わかっているね」
市長の視線がケビンに向けられ、ケビンは小さく「はい」と答える。これから何を言われても素直に従う、そんな覚悟を感じさせた。
「ケビンの嘘にリザも関わっているのも余計にゾンビ反対派を刺激してね、収まりがつかないんだ。市長としても市民の声を無視することもできんし、リザがどういうつもりであったとしても君たち二人が嘘をついたのは間違いない。よって、君たちには、この街から出て行ってもらう」
市長の口から出た言葉に、リザは思わず口を開けたまま固まってしまう。ケビンは黙ったまま視線を下げ、無言の肯定を示している。アパートの人たちも既にそれは聞いていた話だったのか、誰一人として口を挟まなかった。
「追放、ですか?」
おそるおそるリザが言葉にできたのは、僅かそれだけ。市長は眉寄せたまま一度だけ頷く。
出て行く。街から。影ながら悪党を追いかけ回し、燃え尽きる覚悟で赤ん坊を助けに行ったリザへの街からの返事は、追放だった。ゾンビは受け入れられない。ただそれだけの理由で。
何を言えばいいのかもわからずにリザは沈黙する。全身の力が抜けて、背中から倒れてしまいたくなった。街の人からは認められたというには、不十分な結果だった。
「……あー、それで、代わりと言ってはなんだが」
まだ市長の話は終わっていなかったらしい。おほん、と市長が咳払いして、話を続ける。
「君を表彰までしておいて簡単に追放というのも、あんまりだろう? ケビンだってカメラマンの夢を諦めるにはまだ若い。それで、せめてもの私からのお礼として、新しい職場を探しておいた。どうやら人手不足らしく、猫の手も、ゾンビの手も借りたいらしい」
そう言って市長はクリップにまとめた書類を手渡してくる。そこには新しい職場らしい場所と、契約内容が書かれていた。
「……もちろん、住み込みでね」
*
「はーい撮りますよー。はい寄ってー、もうちょっと寄ってー、両手にピース作ってーハイ、チーズ」
「あへぇ」
「はいありがとー」
両手のピースを顔の横に持ってきて、白目を剥いて笑っている子どもたちを写真に収める。背景にはおどろおどろしいゾンビの屋敷。通称、アウトブレイク・パラダイス。このドーンスター遊園地の目玉であるアトラクションだ。
「いいアホ面が撮れたねー。一枚五セントな」
アウトブレイク・パラダイスから出てきたアヘ顔の子どもたちの写真をコインと交換し、ケビンは子どもたちを出口まで誘導する。このアトラクションの目玉はメイクではない本物のゾンビを売りにしていて、たまに入った客がゾンビになって出てくる。もちろん看板には、
『※ ゾンビ化して出てきても一時間で戻ります』
と注意書きがある。この作り物ではないゾンビ・アトラクションと本当にゾンビになって出てくるホラー性が若者に大ウケし、遊園地はもちろん、このアトラクションからは常に客が絶えないほどの人気スポットだ。加えてゾンビ化するなんて人生に一度すらない経験を写真に収めるのも好評であり、料金と写真代合わせて素晴らしい利益を生んでいる。
「ケッ」
「ん?」
「ビ――――ン!」
背中に飛びついてきた赤いパーカーの少女を受け止め、ケビンはよろめきながらも体勢を立て直す。今は休憩をもらったらしく、ドクロの帽子をかぶって屋敷から出てきたリザをケビンは迎え入れた。
「休憩一時間もらったよ! ご飯食べよー」
「そっか、じゃあお昼にしよう。先輩たちはちゃんとゾンビにしてきた?」
「ばっちり」
胸の前で親指を立て、そのまま後ろの屋敷を指差す。その先には、完全にゾンビ化した従業員がコーヒーを飲みながら屋敷の裏口に消えていくのが見えた。とりあえず、先輩たちのゾンビ化が解けるまでは自由時間だ。
「元気そうだね、リザちゃん」
「あ、グランマ婆さん」
ケビンの後ろからしわがれ声が聞こえてきて、リザが少し背伸びして後ろにいる人物の名前を呼ぶ。ケビンもそれにつられて振り返ると、グランマ婆さんだけでなく、ピーターやインクレディブル夫妻も自分の子どもたちを連れてやってきていた。
「頑張ってるじゃないか二人とも。クッキーはいかが?」
グランマ婆さんがバスケットの蓋を開けると、焼きたてのクッキーの香りが広がる。甘いチョコレートとアーモンドの香ばしい匂いだ。すぐさま目を輝かせたリザがバスケットに手を伸ばし、インクレディブル夫妻の子どもたちもバスケットに群がる。だがケビンはその群れに加わらず、グランマ婆さんに声を投げかける。
「どうしたんですか? はるばるここまでやってきて、皆で遊びにでも?」
「何がはるばるさね。アタシたちの街からたった五百メートルの遊園地ぐらい、いつでも来れるわい。街からの客も多いだろう?」
「ええ、まあ。婆さんたちみたいに、リザへの客が大半ですよ」
「そりゃいいことだ」
げっげっげ、とシワだらけの顔を揺らしながら不気味に笑い、ケビンも愛想笑いを浮かべる。実際リザへの客は多く、この間も市長自らが来たぐらいだ。そして半ば怖じ気づきながらアトラクションに入り、ゾンビ化して出てきた市長を見て秘書が卒倒したのを覚えている。市長をゾンビ化させた張本人はけらけら笑っていたが。
「ね、ね、ケビン。このクッキー先輩たちや園長さんにおすそ分けしようよ。おいしいよ!」
「そうだね、グランマ婆さんのクッキーはいつもおいしいからね。袋に包んで持って行こうか」
口元にクッキーの欠片をくっつけたままのリザの提案に乗り、用意のいいグランマ婆さんからいくつかの袋を受け取る。それに何枚かのクッキーを入れて縛り、「ありがとー!」とリザがぶんぶん手を振ってグランマ婆さんたちと別れる。とりあえず、別のアトラクションの先輩たちに渡しに行こうとケビンが歩き出すと、不意にリザがケビンの右腕に抱きついてきた。
「ね、ケビン」
「ん?」
向日葵のような笑顔で、リザが見上げてくる。
「楽しいね」
屈託のない笑みでそうこぼすリザに、ケビンも優しく笑い返す。そして空いている左手でこっそりとデジカメを構えて、
「そうだね」
笑っているリザの顔を、しっかりとカメラに収めた。