第十九章 ユヴェルの地へ
5巻の続きです。
「ひっく・・・ひっく・・・・・」
誰かが泣いている?
「・・・・・置いて行かないでです」
すごく悲しそうだ・・・・・。
「・・・・・一人は嫌です。・・・・・独りぼっちはもっと嫌です」
そうか、この子も同じなんだ。
俺と――。
「・・・・・誰かいるのか?」
「!?」
誰だろう・・・・・?
男の子の声みたいだけど・・・・・?
「・・・・・誰なのです?」
だけど、返事はない。
「・・・・・ねえ、誰なのです? お願いだから出てきてです・・・・・!」
「おまえこそ、誰だよ!」
「・・・・・もう、独りぼっちは嫌です。 一人は嫌です・・・・」
「・・・・・待ってろ、今、そっちに行くからな! そっちに――」
これって・・・・・。
・・・・・そうだ。
これは俺がエスタレートからこの世界、リパルに訪れる前に見た夢だ。
だけど、この声は――泣いている少女の声はどこかで聞いたことがあった。
つい最近のことだ。
でも、どこで?
そう思って、すぐに思い至った。
そうだ。あの声は――
ファティさんの声だ。
じゃあ、ファティさんの声に応えた男の子の声って、もしかしてファティさんが言っていたメイルさんのことなんじゃ・・・・・。
ゆっくりとまぶたを開くと、日差しが飛び込んできて眩しい。
日差し?
いや、違う、これは――。
これは、あの遺跡にあったような魔法陣――!?
「レシオンさん、やっと目が覚めたですね?」
声とともにレシオンに駆け寄ってきたのはファティだった。ゆっくりと辺りを見回すと、そこは見覚えのない部屋でファティ(とメイル)の他には誰もいなかった。
何かの儀式をする部屋だろうか?
廊下に使われているよりもちびたろうそくが、頼りない炎を揺らしていた。そのためか、近くに来るまで、レシオンはファティの存在に気づけなかった。
「ここは?」
レシオンが聞くと、ファティは困ったように首を横に振った。
「・・・・・分からないです。 あの後、気がついたらこの部屋にいたんです」
そう告げると、ファティは顔を曇らせた。
「一体、何がどうなったんだ? 俺達はあいつらに襲われてそれで・・・・・」
「・・・・・私達はまた、捕まったみたいです。 でも、何故か、今回は前とは違う部屋に閉じ込められたみたいなのです」
「そうなんですか・・・・・」
静かな声で、レシオンは言った。
「それに、今回は魔方陣の外には出られないみたいなのです」
「ええっ!?」
レシオンは驚いて魔法陣の外に駆け寄ったが、まるで何か重い壁に阻まれたかのように衝突してしまった。
足元に描かれた魔法陣は、不気味にちかちかと点滅していた。それはまるで、不吉な何かを暗示しているかのようだった。
「メイル、何とかならないですか?」
「俺に何とかできるわけないだろう」
ファティは期待を込めて聞くが、メイルにあっさりとそう返され、少し不満そうに唇を尖がらせる。
その様子を見て、レシオンは先程の不思議な夢の内容を思い出した。
どこかの森の中で迷子になっていたファティさんがメイルさんに出会う夢。
でも、それは本当はただの夢ではなくて、実際にあった出来事だったんじゃ・・・・・!
物思いにふけっていたレシオンはちらりとファティを見た。
「どうかしたですか、レシオンさん?」
その視線に気づいて、ファティは不思議そうに首を一つ傾げる。
「あの、ファティさん。 一つ、聞いてもいいですか?」
だいぶ、間があってから、レシオンは訊いた。
「何ですか?」
「メイルさんと初めて出会ったのって、もしかして、どこかの森の中だったんじゃないですか?」
「えっ、です! どうして、レシオンさんがそのことを知っているのですか?」
その言葉を聞いた瞬間、ファティは驚いて身を乗り出した。
「実は――この世界に来る前、エレジタットさん達と出会う前に不思議な夢を見たんです。 ファティさんとメイルさんが出会う夢を」
「それも、イドラの力なんだろうな」
レシオンの話を聞き終え、しばらく沈黙した後、メイルが言った。
「そうですね。 私もレシオンさんと初めて出会った時、不思議な懐かしさと、そして悲しみを覚えたです。 何でそう思ったのか、分からないですが、そう思ったのです。 ・・・・・はっ!? そうです! そうなのです!」
ファティはレシオンの話と初めて出会った時のことを思い出して、何となくピンときた。
「何がそうなんだよ?」
「つまり、私とレシオンさんの出会いも運命の出会いだったのです!」
「・・・・・あのな、アプリナ」
自信満々で告げるファティに、メイルは疲れ果てたように溜息をつく。
「・・・・・・それ、前にも同じことを言っていただろう」
「運命の出会いというものは沢山、そう、山のように、星の数のほどにあるのです! レシオンさん、私に任せて下さいです! 私がレシオンさんにありったけの愛を教えて――」
「意味がないからするな!」
目を輝かせていうファティに、メイルは怒りをぶちまけた。
「それより、この状況を何とかしろ!」
「もしかして、メイル、妬いてくれているのですか?」
ファティがえへへと弾んだ声を出した。
途端、メイルは顔を真っ赤に染めた。
俺が妬いている?
レシオンさんに?
確かに、アプリナのことは好きだ。
好きだけど、それは大切だというだけで特別だというわけではなくて。
・・・・・いや、そうじゃなくて!
あっ、いや、そうなんだけど・・・・・。
――じゃなくて、違うっ!!
そこでメイルはハッとして頭を横にブンブンと振った。そして、自問自答になっていた自分の考えを改める。
とにかく、今はそれどころじゃない。
今は、ここから脱出することが先決だ。
とにかくいい加減、自分が置かれている状況を見極めてほしい。
メイルは思った。
でも・・・・・。
「それが、どうかしたですか?」
と、言われた当人は全く平然とした顔で答えた。
「大丈夫です! ほら、大丈夫です♪ 大丈夫です♪」
そう言って、ファティは満面の笑みを浮かべた。
「おまえ、その根拠は一体どこから――」
「あっ! です」
思わず、メイルがそう言いかけた時だった。突然、ファティが言葉を挟んできたのだ。
「いきなり何だよ?」
メイルは不愉快そうに言いながらも、ファティを見つめる。ふと目を遣ると、彼女の視線は足元に描かれている魔法陣にあった。
まさか・・・・・・!?
「そうです! この魔法陣にさらにプラス、何かを描けばいいのです!」
と、ファティが笑顔を浮かべて言った。
やっ、やっぱり・・・・・か。
メイルはガクッと肩を落とした。
「だめだからな! 魔法陣に落書きしても何の影響もないからな!」
動揺して叫びつつも、メイルは両手を交差してバツのサインを出した。
「よし、まずはここにきらきら星のイラストを描くですよ! レシオンさんも手伝って下さいです!」
ファティは視線を魔方陣に落とすと、メイルの言葉など聞こえなかったようにメイルから顔を背ける。
「・・・・・えっ、えっと・・・・・」
いきなり話を振られたレシオンは何と答えていいのか分からず、言葉を詰まらせてしまう。
「おい! 無視するなよ!」
メイルは怒りのあまり、がむしゃらに拳を振り回した。
「ほら、メイルも、早く早くです!」
「・・・・・あ、ああ」
有無を言わさないファティの言葉に、メイルはしぶしぶ頷いてみせた。
やっぱり、俺はアプリナには敵わないらしい。
そう思うと、メイルは哀しげに溜息をついた。
「ちょっと、これからどうするのよ!」
テレフタレートは掘り出したままのごつごつした岩の壁をガンガンと叩いていた。先程も、閉じ込められていた牢屋だ。今度は床にも結界が張ってあり、以前のように穴を掘って逃げることもままならなかった。
そんな彼女を見て、ルーンがたまりかねたように割り込む。
「落ち着いて、テレフタレート」
「なに言っているのよ! ルーン! この状況で落ち着けるわけないじゃない!!」
いらだつ心のまま、テレフタレートは声を限りに叫んだ。
・・・・・そうだよね。
ルーンは溜息をついた。
レシオンさん達はインフェルスフィアさん達に捕らえられ、私達はこのリンフィ王国の牢屋に囚われたのだ。救いに行く事も、ここから逃げ出す事もできない。まさに最悪の状況だった。
それに、とルーンはテレフタレートをちらりと見る。
ソーシャルと引き離されてしまった。
そのことが、テレフタレートの心に重くのしかかっているのだろう。
『ならば、そなたが元の時代に戻るまでの間のみ、王子の同行を許可しよう。 ただし、すべてが終われば必ずここに戻ってきてもらおう』
テレフタレートとエレジタット達を眺め、ルーンは心がぐらぐら揺れているのを感じた。
確かに元の時代に戻りたい。
元の時代に戻って、もう一度、ソディに会いたい。
だけど・・・・・。
そのせいで、テレフタレートとソーシャルが離れ離れになってしまうのは嫌だった。
誰かが傷つくのは辛くて悲しい。
きっと、ソディにいっぱいいっぱい、心配をかけているのだろう。
悲しませてしまっているのだろう。
そう思うと、ルーンの胸がきりきりと痛んだ。
でも、私が元の時代に戻ることで、今度はテレフタレートとソーシャルが離れ離れになってしまう。傷ついてしまう。
ルーンはきゅっと唇を噛みしめた。
どうしたらいいのか、分からない。
何だか、真っ暗なトンネルの中に放り込まれてしまったかのような不安が、ルーンを襲っていた。
「どうしたら、いいんだろう・・・・・」
ルーンがそうつぶやいたのとほぼ同時に――。
「ええい、邪魔だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ドッカァァァァア――――――ン!!!!
わずかなタイムラグの後、突然、エレジタットの後ろの壁が爆発し、吹き飛んだ。
続けて誰かのまった声がした。
「くそっ! よもや、こんなところでこのような強力な結界が張られているとはな・・・・・!」
突然の爆発に巻き込まれ、うめいていたエレジタットは爆発とともに姿を現した魔族の男――オルファスを見て鷹揚に頷いた。
「わははははっ! ここに貴様が助けに来るのは、まさに俺様の読みどおりだ!!」
「そうだったのですね! 素敵ですわ、エレジタット様!」
フレデリカが感激のあまり、両手を胸の前で合わせる。
「嘘つくなっ――!!!」
テレフタレートは怒りのあまり、地団駄を踏んで叫んだ。
だが、すぐに矛先を変えると、テレフタレートはオルファスに食ってかかった。
「もう! あんた、今まで何をしていたのよ!」
「・・・・・いや、すまない。 少々、ややこしいことに巻き込まれてしまってな」
そんなオルファスを見て、テレフタレートはげにつぶやく。
「何だかまるで、馬鹿親父に捕まっていたような言い方よね・・・・・?」
「ような・・・・・ではないぞ! そのとおりだぁぁぁぁぁっ!!!!!」
「・・・・・うぇっ、やっぱり・・・・・」
テレフタレートのつぶやきに、オルファスはあらん限りの絶叫を搾り出して応えた。
テレフタレートが顔をひきつらせていると、オルファスがいきなりナレーション口調で何かを読み上げ始めた。
「あの後は本当に大変だった!!」
「・・・・・・・・・・あ。 まあ、その、馬鹿親父、しつこいしね・・・・・」
テレフタレートが珍しく同情の言葉をつぶやく。
「最初は百十万だったものが、どんどん膨れ上がって、数十倍の金額になってしまってな!!」
「あ、あの・・・・・」
ルーンが恐る恐る不安そうにつぶやく。
「・・・・・・あの後、一度は逃げ延びたのだが、何故か、再び、捕まってな。 金額の数十倍額を請求されたのだ。 あれは、なかなか辛いものがあった・・・・・」
「そ、そうなんですね・・・・・」
「最終的には魔王様に全てをお任せすることになってしまったが、いざ仕方ない!! あの金額は、とても俺などでは払えない半端ない金額だったからな!!」
いきなりボケてしまったのではないかと心配になるルーンの声を無視して、一気にそこまで読み上げたオルファスは、ようやくテレフタレート達の顔を見て言った。
「――というのが今までの経緯だ。 おわかりになられたかな!」
ひょっとして、私達のために説明をしてくれたのかな?
何だか、すごく突拍子もない説明だったけれど・・・・・。
ルーンが唖然としたまま、黙っていると、オルファスがつまらなそうに声をかけてきた。
「・・・・・感想はどうした?」
「えっと、その、大変・・・・・だったんですね」
わざとらしい返答だったが、オルファスは納得したらしく、矛先をテレフタレートに向けた。
「ところで、イドラの少年と姫様はどうなされた?」
「そうよ! それどころじゃなかったのよ!」
かくして、今度はテレフタレート達が事情を説明する羽目になったのだった。
「なるほどな」
テレフタレートの話を聞き終え、オルファスの口から閉口一番に飛び出たのがその言葉だった。
オルファスの返答に、テレフタレートはつかつかとオルファスの前まで回りこむと、眉を吊り上げて言った。
「だから、急がないといけないのよ! 早く、ここから脱出して、ソーシャルを助けて、レシオン達を救いに行かないといけないんだから!」
テレフタレートは人差し指を突きつけて、力強く言い切った。
だが、オルファスは首を横に振った。
「・・・・・・いや、まずいな。 時間はなさそうだ」
「どういうことよ?」
「我々がまごまごしていたうちに、恐らく、すでにユヴェル復活の準備は整っているのだろう。 ダオジスが告げたとおり、このままではユヴェルが復活するのも時間の問題だ!」
「・・・・・で、でも、それって、ただのあんたの自業自得なんじゃ・・・・・?」
と、テレフタレートが疑問を口にした次の瞬間だった。
「うむ、そのとおりだ!」
と、オルファスが先程のときと同じく、ナレーション口調で説明を始めてくれた。さすがに何度も言われると、だんだん慣れてくるものである。
「だが、なかなか仕方がなかったのだ・・・・・。 借金取りに追われる者達の気持ちをまさに垣間見た感じだ。 あれは、まさに拷問だった! だが、今更、過去を嘆いていても何も変わらない。 しかし、今から『月の時計塔』に向かわなくては恐らく間に合わないだろう」
「ちょっと、ソーシャルはどうするのよ!」
オルファスの言葉をさえぎって、思わずテレフタレートはそう口にしていた。
「後回しということだ」
「そんなのだめに決まっているでしょう!」
「仕方ない。 緊急事態だ」
「その緊急事態を作った張本人が言うな!」
あくまでも平行線を辿るオルファスとテレフタレートの口論に、ルーンが苦笑交じりにテレフタレートに視線を送った。
「だったら、私とテレフタレートはソーシャルを助けにいきます! その後に『月の時計塔』に向かいます! それじゃ、だめですか?」
「えっ?」
「なに?」
テレフタレートとオルファスはお互いを見合わせた。
「なるほどな。 その手があったか」
「そうよ! さすがルーン!」
相打ちを打つオルファスとともに、テレフタレートも嬉しそうに頷いた。
「俺様は当然、『月の時計塔』に行くがな!」
「はい、ご一緒します」
エレジタットが興奮してにたりと笑うと、フレデリカは相打ちを打った。
「さあ、急ぐぞ! 一度、城から出るぞ! 手を離すなよ!!」
テレフタレート達の手を強引に握りしめると、オルファスは軽く何事かをつぶやく。すると次の瞬間、テレフタレート達は瞬く間もなく、城の外へとたどり着いていた。
思わず、ルーンはつぶやいた。
「こ、これって――」
「こっ、こっ、これがわ、私の俊足魔法だ・・・・・! 一瞬で行きたい場所へとたどり着くことができる!! だが、体力の消耗が激しいのと半径五キロまでしか移動できないのがな、難点だ!!」
「そ、そうなんですね・・・・・」
そうルーンに語るオルファスの顔は誇らしげだった。
「我々はこのまま、『月の時計塔』に向かう!」
傾きかけた太陽の光で赤土色に染まった城を見つめながら、オルファスは高らかに宣言した。
「私達も、ソーシャルを助けたらすぐに行きます! レシオンさんとファティさんをお願いします!」
「・・・・・あまり期待はしていないけれど、でも、絶対に何とかしてレシオン達を助けなさいよね!」
背後から、ルーンとテレフタレートの声がした。
振り向かずとも、声色だけでどんな顔をしているのか分かる。
ルーンは真剣な眼差しだけど、不安、かすかな恐れ、そして希望。いろいろな想いをごちゃ混ぜにした、なんとも情けない顔を浮かべているのだろう。
対して、テレフタレートは強がってはいるが、うつむき、拳を握りしめ、唇を噛みしめているのだろう。
視線を城へと向けたまま、オルファスは手を横に突き出し、びしっと親指を立てた。
「心配するな! 魔王様にも、このことを伝達しておいた! 必ず、奴らの思い通りにはさせない!」
「絶対、なんとかしなさいよ!」
「はい、よろしくお願いします!」
少し固い返事とともに、すすっとテレフタレートとルーンの気配が遠ざかっていこうとした。
「まさか、貴様!」
エレジタットには何やら、合点がいったらしい。エレジタットはポンと手を打ち鳴らした。
「俺様の活躍を疑っているのではないのか? 心配するな! 俺様の実力は貴様が一番、分かっているはずだ!」
「だから、心配なんでしょうが!」
と声を張り上げてから、テレフタレートは前で手を振っているルーンの後を慌てて追いかけていくのだった。




