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第一章 アメジストの雪月花

本編です。

「ひっく・・・ひっく・・・・・」

誰かが泣いている?

「・・・・・置いて行かないでです」

すごく悲しそうだ・・・・・。

「・・・・・一人は嫌です。・・・・・独りぼっちはもっと嫌です」

そうか、この子も同じなんだ。

俺と―。

「・・・・・誰かいるのか?」

「!?」

誰だろう・・・・・?

 男の子の声みたいだけど・・・・・?

「・・・・・誰なのです?」

 だけど、返事はない。

「・・・・・ねえ、誰なのです? お願いだから出てきてです・・・・・!」

「おまえこそ、誰だよ!」

「・・・・・もう、独りぼっちは嫌です。 一人は嫌です・・・・」

「・・・・・待ってろ、今、そっちに行くからな! そっちに――」



 ゆっくりとまぶたを開くと、日差しが飛び込んできて眩しい。繰り返される波音は、いつも同じで、少年の心を優しく揺さぶる。

 少年は身体を起こすと、大きく伸びをした。

 どこまでも続く青い空、そして海。

 それが少年にとって、世界の全てだった。

 ここはアルヴァナ。海に浮かぶ小さな島。

 彼の名前はレシオン。年齢は来月で十七歳になる。幼い頃に両親が行方不明になってからずっと、幼なじみの一つ年下の少女、エカとレシオンより十二歳年上のその兄のデューロと三人暮らしだった。

「・・・・・夢だったのか。 でもあの子達、随分必死だったよな?」 何だか不思議な夢を見た気がする。

 不思議な夢・・・・・?

 ううん、あれは夢じゃなかったような気もする。

 あの声。あの感じ。

 ――あれは本当に夢だった?

「レシオン!」

「わわっ!」

 突然、目の前に現れた金髪の少女に、レシオンは跳ね起きた。

「っておどかすなよ、エカ」

「そっちが勝手におどろいたんでしょ。 それにしてもこんな特別な日にこんなところで寝ているなんて信じられない!」

 エカはレシオンの顔を覗き込むようにかがむとムッと頬を膨らませた。

 少し間をおいた後、レシオンは首を傾げてみせる。

「と、特別な日って・・・・・?」

「だ・か・ら、私達と大道都市に行く日に!」

「あっ!」

 そうだ、そうだった。

 その言葉に、レシオンは大きく頷いてみせる。

 今日はエカの誕生日。

 そして、俺はエカとともに大陸にある大きな街、大道都市に行くところだった。だけども待っても待っても彼女が来ないので、ついついここでうとうとと寝てしまっていたというわけなのだ。

 などと状況分析にいそしむレシオンに、エカが不機嫌そうに声をかけてきた。

「もう、いつまでもぼっーとしていないでよ! 早くしないと船が出ちゃうんだからね!」

「えっ、でもデューロさんがまだ・・・・・」

 エカはレシオンが浮かべた不安げな表情を見て、ふふんと笑った。

「何言っているの! デューロなら、もうとっくに船に乗っちゃっているわよ! つまり、あんたが一番最後〜」

「ええっ!」

「ほら、早く早く!」

「お、おいっ!」

 だが、そんなレシオンの叫びはエカには通じない。

 エカはレシオンの背中を押し、レシオンはそのまま船の中へと押し込まれた。

「さあ、大道都市にレッツゴー!」

「・・・・・おう」

 思いっきり両拳を振り上げるエカに押されるかたちで、レシオンも拳を突き上げた。




「久しぶりだよね、こんな賑やかな感じ」

 大路を行き交う人々のざわめきや、荷車の立てるガタガタという車輪の音。威勢のいい物売りたちの呼び声。

 そうした喧騒(けんそう)に心地よく耳を傾けながら、エカはうんっと伸びをしてみせた。

 好奇心のおもむくまま、ほいほいどこかに行ってしまいそうな雰囲気がある。

「何だか、いろいろと行ってみたいところが沢山あるかも」

 きょろきょろと視線をめぐらすさまは、楽しげなものを探すのに一生懸命で、同じ年頃の少女達よりは、どこか子供じみてさえ見えるようだ。

 もっともそれが彼女の「らしさ」であり、魅力でもあるわけなのだが。

「それはそうだろう」

 エカが前を行く足を止めて振り返ると、黒髪の青年は素っ気なく言った。

「なにしろ、君達にとっては二ヶ月ぶりの大道都市なんだからな」

「うっ・・・・・」

 鋭い視線に気おされて、思わずエカは言葉につまってしまう。

「二ヶ月前のあの日、誰の説得にも耳を貸さずに、君はここでその辺の変な男どもと喧嘩を起こしたんだからな。 まあ、あの時は一緒にいたレシオンが君を助けてくれたから何ともなかったものの、結局、その後、君と彼は二ヶ月間謹慎処分中だったんだ。それだけ長い間ご無沙汰(ぶさた)していれば、行き慣れた街の景色だって変わっていて当然というものだろう」

 別に声に出して感心するほどのことではないと、彼女の兄であるデューロはあっさり言いきってしまう。

 幼い頃からずっと一緒に育ってきた、この生真面目(きまじめ)な兄に対しては、どうにも彼女は頭があがらない。

エカよりずっと年上の彼は、出たとこ任せに行動しがちな妹を叱り、その失敗をフォローする立場にあるのだ。

「そ、それはそうだけどぉ・・・・・」

 自覚があるだけに、エカも強くは反発できない。

 それを承知した上で、デューロの舌鋒(ぜっぽう)はさらに鋭くなる。

「久しぶりの街の景色に見とれるのは君の自由だが、はぐれてしまうようなバカな真似は絶対にするんじゃないぞ。 ただでさえ、君達の付き添いに付き合わされてしまってるのに、余計な手間をかけさせられるのはごめんだからな」

「む、むぅ・・・・・」

 頬を膨らませてみたものの、やはりエカには返す言葉がなかった。

 再び歩き出す兄の背後でしゅんとうつむいてしまう。

「やれやれ・・・・・」

 その様子を無言で見つめていたレシオンは、呆れたように肩を竦めてみせた。



 自称名剣豪・エレジタットは、ほんの数日前に本当の絶望を味わった。

鮮やかな赤い髪に、紫のマントがトレードマークの新米魔族の一人だったエレジタットの下に、魔王の腹心とも言われている魔将軍から、魔王の娘――ファティに同行し、彼女と同じ『イドラ』としての力を持つ者を探し出してくるように、との命を受けた。

どうして新米魔族の俺が?

とかも彼は思ったりもしたが、そんなことは言わないようにした。そんなことを言って任を外されでもしたら、せっかくのチャンスがムダになると思ったからだ。

だが、彼女の護衛中、突如、自分の熱狂的なファンを装った謎の通り魔達に瀕死の重傷を負わされ、目覚めたら何故か自分が死んだことにされていた。意識を取り戻したエレジタットは、すぐにその際行方不明となってしまったファティの行方を捜索し、そして付き合いのある魔族に連絡を入れ、自分が死んだというのは誤報であると(しら)せたが、何故か誰一人として彼をホンモノのエレジタットだと信じてはくれなかったのだ。

「よく分からないんですけれど、何かの陰謀に巻き込まれてしまったみたいなんです、私達」

 彼とともにファティの護衛の任についていた黄緑色の長い髪の女性――フレデリカは、泣きそうな顔でエレジタットに向かってそう告げた。

 元いた場所に戻りたくても、もちろんファティがいない今は戻るわけにもいかず、また、ファティがいなければ、エレジタット達には帰還する方法など与えられてはいなかった。エレジタット達がいた場所は別次元に存在している。個人で別次元のゲートを開けるほどの魔力を、エレジタットもフレデリカも持ってはいなかったし、さりとてこの世界に知り合いのいない彼らには、この世界のどこかにゲートを開く人間がいるかどうかも分からなかった。

 絶望したエレジタットとフレデリカは、行くあてもなくこの世界を彷徨い、彷徨い、彷徨った挙げ句に、とある土地に辿り着いた。大道都市という名の大きな街だ。

「ああ! これからどうすればいいんだぁぁぁっっっ!!!!!!」

 そんな風にエレジタットが、大道都市の酒場で頭を抱えて飲んだくれているときだった。驚くべき噂を耳にしたのは。

 ――『イドラ』としての力を持つ少年がこの街に来ているらしい――

「きた―――――っ!!!! これ、これだ―――――!!!!」

 その話を酒場にいた男から教えられた時、エレジタットは思わず喝采(かっさい)をあげてしまったほどだった。そのあまりのエレジタットの興奮する様子に、面食らったように一緒にホットコーヒーを飲んでいたフレデリカが問いかけてきた。

「ど、どうしたのですか、エレジタット様? ホットコーヒーはお酒ではないですから、私やエレジタット様でも飲めるはずですけれど」

 実はエレジタット達はお酒が飲めなかった。お金がないというわけではない。また、決してお酒を飲めない年齢というわけでもなく、三十歳手前のエレジタットと二十二歳のフレデリカはただ単純に飲めないというだけだった。

「違―う! 俺様が言いたいのはそういうことではない! ファティ様と同じ『イドラ』としての力を持つ少年! 彼を見事、魔王様のところに連れてきたのは、ご存知、剣豪・エレジタット!!」

「・・・・・ええっ!?」

「これなら、元の世界に戻れること間違いなしだし、俺達が生きていることもアピールできる!! どうだい、俺様の華麗なる復活劇を彩るのにふさわしい!!」

 エレジタットの言葉に、フレデリカも熱心に食いついてきたものである。彼らの目的は、魔王の娘――ファティと同じ『イドラ』としての力を持つ者の捜索だ。

 その『イドラ』としての力を持つ者のことがこんな酒場にいる得体の知れない男にまで知れ渡っていることにも驚きだったが、その力を持つ者が偶然にもエレジタットがたどり着いたこの街にいることはもっと驚きだった。

 これは使える、エレジタットがそう考えたのはむしろ当然のことだった。

 間一髪入れず、エレジタットはこの作戦の利点をフレデリカに語って聞かせた。

「それに、『イドラ』としての力を持つ少年なら、きっと同じ『イドラ』としての力を持つファティ様をすぐに見つけ出すこともできるはずだ! いざとなれば、彼らにゲートを開いてもらって、そのまま元の世界に送り返してもらえばいいわけだし! なあ、こりゃ、最高のシナリオだろ!?」

「すごいわ、エレジタット様!!」

 と、フレデリカは興奮してエレジタットの手を握った後、急に不安そうに眉根を寄せた。

「でも、一緒に来てくれるでしょうか?」

「心配するなって、フレデリカ。 黙って俺の最高のアクションを期待してな」

「エレジタット様・・・・・素敵・・・・・」

 そんな一連のやり取りを経て、エレジタットたち一行は『イドラ』の少年電撃救出(誘拐?)作戦を開始した。

 まずは問題の『イドラ』の少年がいる場所と、さらには『イドラ』の少年の顔を確認することからである。

当たり前だがこの世界に来て間もないエレジタット達は、この世界の地理どころかターゲットである『イドラ』の少年の容姿をまったく知らなかった。

 エレジタット一行は入念に聞き込みをした後、問題の『イドラ』の少年が泊まっているという宿に(みずか)ら偵察として向かい、彼の仲間、そして最も大事な『イドラ』の少年の姿を確認することに成功した。まずは計画の第一段階は成功である。

 だが、彼らを確認して、エレジタット達は愕然となった。そこにいたのは、紛れもない二ヶ月前にエレジタットを病院送りにした通り魔一味だったのである。

 まさか、あの時の通り魔が『イドラ』だったとは・・・・・。

「ど、どうしましょう、エレジタット様・・・・・?」

 彼らを確認したフレデリカがそう問い詰めてくることも無理からぬことだった。何しろエレジタットは、一度、あの通り魔に敗れていた。いや、それは敗れたなどという可愛(かわい)らしい表現ではとても言い表せない。完膚(かんぷ)なきまでに瞬殺されてボコボコになり、手も足も出せずに病院送りにされてしまったのである。

 その通り魔がターゲットで、しかも宿にはもう一人の通り魔である少女と見る限り手強そうな青年までもがそこにいる。仮にもう一度エレジタットが戦いを挑んでも、勝利して『イドラ』の少年を連れていける可能性は、恐らく0.000000000000001パーセントにも満たないだろう。というよりやはりゼロだろう。

 フレデリカが不安そうに見つめる中、しかしエレジタットは言った。

「・・・・・いや、俺は諦めるわけにはいかない。 俺はどんな手を使ってでも帰ってやる!! 俺には帰らなければならない理由がある! 帰るべき場所があるんだ!!」

 エレジタットは今しがた確認した少年達のことを思い出していた。そこには通り魔でもありターゲットでもある『イドラ』の少年と手強そうな青年の他に、通り魔の少女もいたのだった。

 まだ幼さの残る少女が・・・・・。



 ――エカが誘拐された。 そのことがデューロよりもたらされた時、レシオンは文字通り仰天した。デューロはただエカの誘拐を報せただけではなく、テーブルに置いてあったという犯人からの脅迫状を持っていた。

 脅迫状には以下のように書かれていたのである。



《通り魔、いや『イドラ』の少年に告ぐ! 貴様の大事な幼なじみは預かった。 返してほしければ、貴様一人でニルヴァナの谷まで来い。 ――神速の剣豪より》



 レシオンは愕然とした。確かに、これまでエカはいろいろな厄介事に自ら首を突っ込んできたりもした。だが、彼女が――エカが誘拐されることなんて、今まで想像だにしたことがなかったのだ。

「レシオン。 すぐに助けに行くぞ」

「えっ? デューロさんも一緒に来てくれるんですか・・・・・?」

 同じ脅迫文に目を通したデューロから申し出を受けて、レシオンは驚き聞き返した。

 もちろん犯人からの要求には、レシオン一人でと義務づけられている。したがって、レシオンは一人で犯人のもとに行かなければならないはずだった。

それなのに、何故、デューロさんは一緒に同行してくれるって言ってくれたんだ?

レシオンは不思議そうにそう思った。

 だが、デューロはレシオンのそんな言葉に肩を怒らせて答えた。

「当たり前だ。 エカは私の妹だからな」

「デューロさん・・・・・!」

 レシオンに小さく頷いてみせると、改めてデューロはレシオンに言った。

「それに、君達だけではまた余計な騒動を引き起こさねかねんからな。 これ以上、私の手間を増やされては困る」

「・・・・・はい!」

 理屈はどうあれ、レシオンは犯人の要求を無視してでも、妹のエカのためにデューロが一緒に来てくれることに心の底から感謝した。

 レシオンは、デューロとともにニルヴァナの谷目指して飛び出したのだった。

一口にニルヴァナの谷と言っても、谷と付くだけあって広く長い。意図的か否かわからないが、誘拐犯の剣豪とやらが具体的な位置を脅迫状で記述していなかったせいで、レシオン達の探索行はかなりの時間を費やすこととなった。

ニルヴァナの谷の裂け目から始まり、下へとしらみつぶしに探していく。見落としがあってはいけないから、分かれ道もひとつひとつ注意深く観察しなければならない。もちろんニルヴァナの谷にも多くのモンスターが住み着いており、ときにはそれらを排除しながら、レシオンとデューロはエカを探しまわった。デューロからエカの誘拐のニュースを知らされた時にはまだ昼前だったはずなのに、いつしか太陽は地平線の向こうに沈みかけていた。

だが、その努力もついに実ることとなった。デューロがレシオンの腕を引っ張り、突然前方を指差したのだ。

「・・・・・レシオン、あれだ」

 レシオンも見た。ニルヴァナの谷にかかる大きな橋の中央に、人影が三つ佇んでいる。

 ひとつは金髪の少女。

 ひとつは黄緑色の長い髪の女性。

 そしてもうひとつは、鮮やかな赤い髪に、紫のマントを風になびかせた青年。

「エカ!!」

 気がつくと、レシオンはエカに向かって走り出していた。


「あっ、レシオンにデューロ! 助けに来てくれたんだ」

 レシオン達は橋のたもとに立ち、中央でこちらを見据える赤髪の魔族と対峙した。

 赤髪魔族――エレジタットの傍らで、エカが歓声を送ってくる。

 エレジタットは奇妙なポージングを決めると、レシオンに向かって言い放った。

「フフフ! よく来たな、『イドラ』の少年!」

 レシオンは深刻な怒りと憎悪を込めてエレジタットをにらみつけた。幼なじみでもあり大切な家族でもあるエカを誘拐されて、平静でいられるほどレシオンは寛容ではない。

 レシオンは誘拐犯であるエレジタットに向けて言った。

「おまえ、一体、何者なんだ!」

「何者? 何者だと!?」

 エレジタットはその場で意味もなくターンを決めた。まるで理解不能な行動をとった後、エレジタットはレシオンをびしりと指差し叫んだ。

「我こそは、神速の剣豪・エレジタット!! 剣を使わず、『邪魔者を排除する能力』で敵を倒す、一撃必殺の剣豪だ!! 『イドラ』の少年よ、俺達と一緒に来てもらおう!!」

 レシオンは背後のデューロと顔を見合わせた。

 ますます得意げな顔になるエレジタットに、レシオンが進み出て、申し訳なさそうに問いかけた。

「・・・・・あの―、それって、剣豪って言わないんじゃないのか・・・・・。 剣を使わないし・・・・・」

「うぐっ!?」

 エレジタットの顎が大きく落ちた。

 エレジタットの様子に驚き、フレデリカは叫んだ。

「ど、どうしたのですか!? エレジタット様!」

「俺が一番、気にしていることを・・・・・」

 エレジタットは、両膝をついてその場に崩れ落ちた。

「何なんだ、一体・・・・・」

 その一連の様子を、レシオンは呆れたように見つめていた。

「・・・・・気をつけろ、レシオン。 ああ見えても奴らは魔族だ」

「魔族・・・・・? あれが?」

 デューロに言われて、レシオンは驚いて目を見張る。どう見てもただの変な男である。

「こうなったら、俺様の必殺技・『邪魔者を排除する能力』で貴様を捕らえてやる!」

「わざわざ、自分の能力を説明するバカがどこにいる」

 エレジタットの叫びに、デューロが冷静な突っ込みを入れる。

「ええい! 余計な茶々を入れるな!! この部外者がぁぁっっ!!」

プライドを傷つけられたエレジタットは、もはや紳士の仮面をかなぐり捨て、半狂乱になりながら叫んだ。

「貴様らが余裕をかましておられるのも今のうちだぁぁっっっ!!! 見よ、『邪魔者を排除する能力』!!!」

 そう叫ぶと、エレジタットの両拳から光が放たれる。そこから、赤い眼光を放つ番犬が姿を現した。

 それを彼の真横で見つめていたフレデリカは目を輝かせて言った。

「出たわ、エレジタット様の能力! 番犬――狼が、敵を――邪魔者を排除する――」

 フレデリカの言葉は途中で途切れた。

 何故なら、番犬は彼らではなく、エレジタット本人を谷底へと落としていったからだ。

 エカは、呆れ果てているレシオンとデューロに訊いた。

「これで終わり?」

「終わり・・・・・だろうな」

 何てことのないようにデューロが答える。

「『邪魔者を排除する能力』か・・・・・。 確かに俺達にとっては、そうだろうな・・・・・」

 レシオンはしみじみとそう納得する。

 ・・・・・さすがにレシオンも、このエレジタットという誘拐犯のことが少し気の毒になってきた。エカをさらった憎むべき相手ではあるが、こんなにマヌケな男の話は聞いたことがない。トドメをさそうとした自分の能力でやられるとは、前代未聞の話である。

 エカも誘拐されたとはいえひどい扱いを受けた形跡もないし、意外とこのエレジタットという誘拐犯はそれほど悪いやつでもないのかもしれない。

 レシオンのひそかな同情をよそに、フレデリカは嘆いた。

「エレジタット様ぁぁっっっ―――――!!!!!」

 だが、彼女はそう叫ぶと何を考えたのか、突然、谷底へと飛び降りていったのだ。

これにはさすがに、レシオンもデューロもエカも目を()いた。

いくら魔族だとはいえ、ここから地上へと落ちたりしたら大変なことになる。

助けなくてはっ!

 そう思った瞬間、レシオンは彼女を追って谷底へと飛び降りた。

「ちょっ、ちょっと、レシオンっっ!?」

エカが慌てて止めようとするが、その時にはもう、レシオンの姿は闇の中へと消えていった。






 びゅうと風が唸りを上げて吹き去っていく。

 落ちていく――。

「やばいよな、これは・・・・・」

 レシオンは思わず悪態をついて、慌てて手を広げた。だが、橋の中央から落ちたせいか、何もつかめない。

「どうしたらいいんだ?」

 レシオンが不安げにそうつぶやいた、その時だった。レシオンに異変が襲いかかった。

 落下が急に止まり、レシオンは軽い衝撃を受ける。谷の中をどこまでも落ちていくような感覚が、まるで途中で止まってしまったように感じられたのだ。

「どうなったんだ?」

 レシオンが周囲を見回す。

 落ちている間は分からなかったが、真っ暗ではない。かといって光があるというわけでもない。何となくぼんやりと周囲がわかるという感覚だ。

とても谷底だとは思えない。

「一体、何処なんだ、ここ?」

 レシオンは不安そうにつぶやく。

「うわっ!」

 突如、レシオンは不意に宙に投げ出され、次の瞬間には地面に転がっていた。

 ザザッと音がして周りには草が生い茂っているのがわかった。それがクッションになってレシオンを受け止めたようだ。

「どこだ、ここは?」

 草まみれになりながらも、レシオンは起き上がった。

 膝まで伸びた草が周囲に群生しており、点々と白く小さな花が咲いている。花畑ではなく荒地だ。なだらかな丘陵地になっており、レシオンがいるところは周囲を低い丘に囲まれた窪地(くぼち)だった。

「あら、あなたは?」

「えっ?」

 突然、声をかけられてレシオンは我に返った。

 目の前に鮮やかな赤い髪に、紫のマントを風になびかせた青年と黄緑色の髪の女性が立っていた。確か、エレジタットという青年とフレデリカという女性だ。どうやら、二人とも無事だったらしい。

 レシオンはしばらくじっとエレジタット達を見つめていたが、ややあって質問した。

「ここは、どこなんだ?」

「ここはどこ、だと?」

 腕組みをしてレシオンを眺めていたエレジタットが、急に破顔した

「ふははははははは!!」

 何がそんなにうれしいのか、エレジタットは高笑いをあげて、レシオンの肩を叩いた。

「聞いて驚け! ここは俺達がいた世界――『リパル』という世界だ」

「――リパル?」

「貴様らがいた世界とは別世界ということだ」

「・・・・・そうなんだ」

 つぶやいて、レシオンは溜息をついた。

 結局、何だかんだ言って、俺は彼らの要求を呑んでしまったことになる。その結果、彼らの世界にまで行ってしまったことは驚きだけど、彼らや自分が生きていたことにはそれほど驚きはない。

 彼らが言っていた『イドラ』の力のおかげなのだろうか?

 それとも、先程起きた不思議な現象のおかげなのだろうか?

 それとも、全く違う力のおかげなのだろうか?

 助かった本当の理由は、全く分からずじまいだったんだけど。

 ふとあることに気がついて、レシオンは顔を上げた。

「ここがそのリパルという世界なら――」

 レシオンは目の前のエレジタットを見つめながら言った。

「どうやったら俺がいた世界に戻れるんだ?」

「そんなの、俺は知らん!!!」

 エレジタットはものすごい剣幕で、レシオンの言葉をさえぎった。

「はあっ!?」

 レシオンは思わず、絶句する。

「そもそも、俺達が別世界を行き来できるのなら、『イドラ』である貴様を探したりはしない!」

「つまり、それって帰れないってことなのか?」

 レシオンが尋ね返すと、力いっぱいエレジタットは頷いた。

「その通り!!」

「ええっっ―――――!!!」

 どういうことなのか、レシオンには判断しかねた。エレジタットの様子に嘘をついているような素振りは微塵もなかった。そもそも、そんな嘘をつくメリットが彼にないというわけではなかったが、隣にいるフレデリカの方にも嘘をついているような素振りは全く見受けられなかった。

「もっとも、帰る必要などないがな」

「俺にはあるって!」

 マントをはためかせて言うエレジタットに、レシオンは必死になって叫んだ。

 帰る方法がない!?

 このままだとこの世界に取り残されてしまうのだ。エカやデューロさんにも会えないまま、一人、こんなところで。

 自然と体が勝手に、がたがた震えてくる。

限度を超えた不安で体が震えるなんて、初めて知った。

「帰る方法は一つだけあるわ」

 フレデリカが、レシオンの背中を見つめながらにこやかにつぶやいた。

「本当ですか!・・・・・って・・・・・」

 振り返って、レシオンは絶句した。

 エレジタットとフレデリカが、一斉に片手を差し出していたのである。

「えぇと、どうかされたんですか?」

「どうかされたも何もないぞ」

 呆然とした顔のレシオンに、エレジタットはさらに手を突き出した。杓子のように丸めた手を、挑発するようにぴくぴく動かす。

「貴様を魔王様のところに突き出せば、いずれ帰してもらえるだろうしな!!」

「あなたを魔王様のところに引き渡せば、いずれは帰してもらえるわよ!!」

 エレジタットとフレデリカの言葉は、見事に同じタイミングで発せられた。

「あの、それって・・・・・」

 へたり込んだまま、レシオンはエレジタットとフレデリカをぼうっと交互に眺めた。

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべるエレジタット。

 凄みのある薄笑いをしているフレデリカ。

 何だかすごく気味の悪い光景に見えるのは・・・・・気のせいではないだろう。

 エレジタットはそのままレシオンを覗き込み、ゆっくりと言い直した。

「忘れたのか? 俺達が貴様を探していたことを。 俺達は魔王様から、貴様――つまり、『イドラ』としての力を持つ者を連れてくるように言われていたのだ!」

 レシオンは硬直した。

 魔王?

 だって、どう見ても変な人達だし、魔王の配下とかじゃなさそうなのに、あれ・・・・・?

「あら、完璧に固まっていますね」

 ひらひらと目の前でフレデリカに手を振られても気づかないほど、レシオンは放心していた。ぐるぐる疑問符が回り、思考回路はぶすぶす煙を上げる。

 『イドラ』を探していたのは、自分達のためだけじゃないってことはやはり・・・・・。

 混乱しきっていた思考がどうにか収まり、レシオンは素っ頓狂な声をあげた。

「え・・・・・えええええっ!? あなた達って、魔王の配下だったのかぁっ!?」

「当たり前だ! 俺は神速の剣豪だぞ。 それ以外に考えられないではないか!」

「ただの変な誘拐犯じゃなかったのか!?」

 苦虫を噛みつぶしたようなレシオンの声に、エレジタットが不敵に笑う。

「甘いな、貴様。 嘘も方便と言うだろう。 これで俺達が生きていることを皆に証明できるし、一石二鳥だ!!」

「さずがです、エレジタット様!」

 これではまるで、エカを誘拐した時点で、すでに俺が『イドラ』ということを知っていて、すでにその魔王に引き渡そうと考えていたみたいじゃないか!

 いや、無闇に疑ってかかるのはよくない。

 確かに、何で俺が『イドラ』なのか、何故、彼らがそのことを知っているか、どうやって知りえたのか、全く分からないけれど、きっとこれはジョークだ。タチが悪いが、この世界流のジョークなのだ・・・・・多分。

「もう、からかうのはやめてください。 魔王さんに引き渡すなんて冗談はやめてくださいよ、ね? そうですよね?」

 エレジタットが晴れやかな笑顔を見せる。それを見て、レシオンもほっとしかれて――。

 むぎゅっ!

 エレジタットが思い切り、レシオンの頬をつね上げた。

「何寝ぼけたことを抜かしている!? 誰が『魔王さん』だ。 そんなたわけた言葉を吐いたのはこの口か、この口かっ!?」

「いたたた、痛い、エレジタットさんっ! 何で怒るんだよ?」

「エレジタット様は魔王様のこと、心酔なさっていますから」

 フレデリカがそう言って、にっこりと笑う。

「そ、そうなのか? 魔王さんの・・・・・」

「まだ言うか、貴様」

 むぎゅむぎゅむぎゅっ!

 エレジタットはさらにデタラメに、レシオンの頬をこねくり回す。

「痛い、痛い、エレジタットさんっ――!」

「うるさいうるさい! 問答無用だ! 貴様は、とっとと魔王様のところに引き渡す!!」

「そんなぁぁぁ!」

 レシオンはじたばたもがいた。頬がめちゃくちゃ痛い。

 夢でも何でもない。本気だ、彼らは真剣に俺を魔王のところに引き渡そうとしている。

「「ふっふっふっっふっふ」」

 拳を突き上げたエレジタットと、何故か、にこやかな笑顔を絶やさないフレデリカたちが迫り寄る。一歩、また一歩とまるで死刑執行人のように。

 じりっ、とレシオンはずり下がった。頭の中でアラームがけたたましく鳴り響いている。

 逃げなくては、とにかく何とかしてこの場から逃げなくては!

「さぁ、一緒に来てもらおうか!」

「う・・・・・」

「魔王様のところにね!」

「うううううっっ・・・・・!」

 どんっ! と無情にもレシオンの背中が木にぶつかる。額にはびっしりと珠のような汗が噴き出した。

 逃げ場はない。アラームは大音量。

 どうにかしなくては!

とにかく元の世界に帰らなくては!

「わ、わかったっ!」

 レシオンは半ばヤケになって叫んだ。

「確かに、俺が元の世界に戻るには魔王に会うしか方法がないみたいだし、一緒に行きます。 ただしっ!」

 レシオンは自分を鼓舞するため、力強く拳を握りしめた。

「絶対に俺を元の世界に戻してくれることを約束して下さい! お願いします!!」

 しかし、レシオンの願いにもエレジタットは納得いかないようだった。

「元の世界に帰る必要などないな!」

「俺にはありますっ!」

「そんなもの、今では意味はない!」

「意味はあるって!」

 言い合いになった二人の隣で、フレデリカが腰に手をやって溜息をついた。

「とにかく、魔王様のところに連れて行きましょう。 話はそれからでもよくはありませんか?」

「そうだな。 帰すにしろ、そうでないにしろ、行かねば始まらないしな!」

 気がつかなかった、とばかりにエレジタットは手を打った。

 その途端、レシオンの中で何かが吹っ切れた。

 こうなれば、とことんこの世界を見てエカ達への土産にしよう。

 それに、『イドラ』のことも魔王に会えば、何か分かるのかもしれない。いや、きっと分かるはずだ。

 レシオンは大きく頷いてみせると、エレジタットに力強く宣言した。

「エレジタットさん、俺、魔王に会います。 いいえ、会わせて下さいっ!」

待っててくれ、エカ、デューロさん。 俺は必ず、元の世界に――アルヴァナに戻ってみせるからな!






かくして、レシオンの別世界――『リパル』での旅が始まったのである。

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