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「弁明はいたしません」――婚約破棄された公爵令嬢は、王都中の断罪を握り潰してきた〝夜会のお医者様〟でした ~私は何もしません。ただ、治療をやめるだけです~

作者: 更田遅筋
掲載日:2026/09/17

「セレスティア・ロウ。君との婚約を破棄する」


 王宮の夜会で、王太子エルディオ殿下は高らかに宣告した。


(あら。予定より早うございますね)


 罪状は、ふたつ。


 男爵令嬢リタ様を階段から突き落とした容疑と、その毒殺を企てた容疑だそうだ。


(どちらも身に覚えがない上に、手口が雑ですわ。私なら証拠の残るやり方は選びません)


 もちろん内心である。


「わたくし、ずっと怖かったのです……」


 殿下の腕の中で、リタ様が声を湿らせた。


 見事な湿らせ方だった。


「階段の上で、確かに押されたのだな」


「押された、と思います。……でも、セレスティア様を悪く言いたくは、ないのです」


 庇う形で刺す。


 教本どおりの手口だった。


(この教本、そろそろ改訂した方がよろしいですわ。診てきた断罪の半分がこれです)


「セレスティア。申し開きがあるなら聞こう」


「弁明は、いたしません」


 広間がざわめいた。


「証拠もあるのだぞ。君の部屋から、毒の瓶が出た」


「さようでございますか」


「反論は」


「いたしません。ただ、私の部屋にその瓶を置けた方々の名簿でしたら、頭の中にございます」


「……ならば申せ」


「ご依頼でしたら、お受けいたします。お代は前払いです」


 広間が、今度は別の色でざわめいた。


「ふざけているのか。罪を認めるのだな」


「いいえ、殿下。診察を、お断りするだけです」


「……何の話だ」


「こちらの話でございます。本日限りで、王都を発ちますので」


 囁きの中に、値踏みの声が混ざり始めていた。


「ロウ家も終わりだな」


「次の婚約者の座は、どこへ」


 夜会というのは、断罪の場ではなく市場だ。


 私はそれを、仕事で嫌というほど見てきた。


 広間の隅で、父が目を伏せるのが見えた。


 私は扇を閉じ、ドレスの裾を払って一礼した。


 背中に浴びた囁きの数は、数えないことにした。


 ――その夜を最後に、王都から〝夜会のお医者様〟が消えたことを、まだ誰も知らない。



 ロウ公爵家の長女、セレスティア。


 表の顔は、王太子の婚約者。


 裏の顔は、社交界の一部にだけ知られた相談屋だった。


 通り名は〝夜会のお医者様〟。


 扱う病は、醜聞と断罪。


「断罪は病気です。かかる前に治すもの」


 依頼人には、まずそう説明する。


 婚約破棄も毒殺疑惑も、当日いきなり降っては来ない。


 夜会のずっと前から、咳のような兆候が出る。


 怪しい茶会の招待状。


 急に増える借金の噂。


 覚えのない贈り物。


 私はそれを診て、火種のうちに握り潰す。


 依頼人は皆、顔を隠して来る。


 医者に掛かるところを見られたくないのは、体の病も夜会の病も同じだ。


 たとえば、先だっての依頼がそうだった。


 サロンの奥の個室で、扇で顔を隠した夫人と向き合った。


「娘の婚約が、狙われている気がするのです」


「兆候は」


「覚えのない贈り物が届きました。銀の腕輪です」


「差出人は」


「書いてありません。けれど娘は、殿方からの贈り物だと浮かれてしまって」


「拝見します」


 腕輪の内側に、小さな紋が彫られていた。


 娘の婚約者の、従姉の家の紋だった。


 筋書きは読める。


 夜会で娘がこれを着ける。


 持ち主が「盗まれた」と騒ぐ。


 あとは婚約者の前で袖を検めれば、断罪の出来上がり。


「処方箋を差し上げます」


「治るのでしょうか」


「軽症です。まず、この腕輪を磨きに出してください。それも、従姉様のお家が贔屓にしている銀細工店へ」


「……それだけで?」


「職人は仕事柄、紋を確かめます。預かり札に、持ち主の家名が載ります」


「まあ」


「その札を添えて、丁重にお返しなさいませ。『お落としになった品と存じます』と一筆付けて」


 盗品の筋書きは、返却の礼状ひとつで灰になる。


 仕掛けた側は、贈った覚えも落とした覚えも口にできない。


 口にすれば、仕込みを白状することになるので。


「お代は」


「前払いで頂いております」


 夫人は革の包みを置き、深々と頭を下げて帰った。


 半月後、娘御の婚約は無事に整ったと聞いた。


 断罪は、燃え広がる前なら礼状で消せる。


 広がってからでは、水でも消えない。


 こういう火消しを、王都のあちこちでやってきた。


 西のバルテ侯爵家では、令嬢の偽の恋文が断罪の証拠にされかけた。


 文面は情熱的で、筆跡は令嬢のものとよく似ていた。


 似すぎていた。


 人は自分の字を書くとき、あそこまで丁寧には書かない。


 私は王都の代筆屋を端から回った。


 四軒目で、同じ癖の「の」の字を見つけた。


「この字をお書きになったのは」


「お客の詮索はしない主義でして」


「結構な主義です。では詮索の要らないお話を。偽筆の代金の相場と、偽筆で家がひとつ潰れたときの首の相場と、どちらが高いとお思いです」


「…………」


「依頼主のお名前は、聞かずにおきます。次のご依頼を、断ってくださるのなら」


 恋文は、それきり増えなかった。


 増えない証拠は、証拠にならない。


 東のコンラート伯爵家では、跡取りが決闘騒ぎを起こしかけた。


 火元は賭け札と、酒と、若さだった。


 私は立会人を先に押さえ、日取りを永遠に「調整中」にした。


 若さの熱は、日取りが延びるだけで下がる。


 南のフェルン子爵家では、当主の急死に毒殺の噂が立った。


 私は死因を洗い直し、噂の火元だった賭博場をまとめて畳ませた。


 醜聞の火元は、金か、嫉妬か、退屈のどれかだ。


 いちばん厄介なのは、退屈である。


 報酬は前払い。


 診察は、依頼があってから。


 治せなければ、全額お返しする。


 これまで、返した例はない。


 前払いにするのは、治った患者が医者を忘れるからだ。


 それから、忘れてもらった方が、こちらの都合もいいからだ。


 三年前、私は王太子の婚約者になった。


 同じ年に、この裏稼業を始めた。


 きっかけは単純で、婚約者の周りに火種が多すぎたせいだ。


 最初の火は、婚約披露の夜会だった。


 控えの間で、給仕に化けた男が筆記帳を隠し持っているのを見つけた。


「お勤めは」


「……給仕でございます」


「では、この葡萄酒を陛下の卓へ。裏口から出たいのでしたら、その帳面を置いてからに」


 男は帳面を置いて、裏口から消えた。


 醜聞売りだった。


 帳面には、招待客の弱みが人数分並んでいた。


 私はそれを一晩で読み、燃やした。


 燃やす前にすべて覚えたことは、誰にも話していない。


 以来、やめ時を失った。


 殿下の側近ダリオ様の実家は、借金で派閥ごと沈みかけていた。


 私は匿名で債権を買い上げ、返済を十年の年賦に組み直した。


 殿下は「ダリオの家が持ち直した」と無邪気に喜んでいた。


 王家御用達のラング商会は、跡取り争いで割れかけていた。


 私が畳んだ。


 以来、公爵家と王宮に卸される品は、どれも相場よりずっと安い。


 父は自分の交渉の腕だと信じている。


 王家主催の夜会の招待名簿は、発送の前に私が毎回検めていた。


 招いてはならない客を、静かに省くために。


 省いた名を、誰かに惜しまれたことはない。


 招かれなかった醜聞は、起きなかった醜聞として、誰にも数えられないからだ。


 南方交易の出資話が王都で流行ったときは、少し骨が折れた。


 あれは絵に描いた詐欺だった。


「セレスティア、南方の話を聞いたか。船一隻で、出した金が倍になるそうだ」


「まあ。では占い師に、日取りを見て頂きましょう」


「占い?」


「大金の動く日は、縁起が命ですもの。……あら。今年の南は、星回りが最悪ですって」


「……そ、そうか」


 殿下は占いに弱い。


 弱みというものは、使うためではなく、守るために覚えておくものだ。


 誘い文句が上手いので、こういう手で、殿下にも父にも何度も断らせた。


 礼を言われたことは、一度もない。


 当然だ。


 誰も、私がやったと知らないので。


 いえ、正しくは、ひとりだけ怪しい方がいた。


 いつかの夜会で、王太后様に扇の陰から囁かれたことがある。


「近ごろ、王都の風邪が流行らないね」


 聞こえないふりをした。


 それから、値切らなかった依頼人も、後にも先にもひとりだけ。


 北の辺境伯、ヴェイン様。


 ご依頼は、国境の砦に絡む横領の噂だった。


「砦の兵を、お疑いで」


「疑いたくないから、あなたを呼んだ」


「では、疑わずに済む紙を差し上げます」


 診てみれば、火元は砦ではなく王都の商人で、帳面の写しを一枚押さえたら終わった。


「これで終わりか」


「軽症でしたので」


「請求を」


「こちらに」


 あの方は請求書を隅まで検めて、値切らず、額面どおり払った。


「正当な仕事を値切る趣味は、持ち合わせていない」


「珍しい患者様です」


「北は、醜聞が少ないのでな」


「羨ましいことです」


「雪かきで忙しい。人を陥れる暇があるなら、皆、屋根の雪を下ろす」


「良い土地ですね」


「いつでも、診察に来るといい」


 支払いを済ませて、扉口で振り返った。


「あなたの請求書は、仕事より正直だ」


 帰り際に残したのは、それだけだった。


 いえ、もうひとつ。


「次に会うときは、あなた自身の依頼を聞きたい」


「あいにく私は、病気になりませんので」


「なら、なおいい」


 変な方だと思った。


 私の名簿には、王都の名家がひと通り載っている。


 載っていない家が、ふたつだけある。


 ロウ公爵家と、王家。


 身内は、診察の依頼をくれないので。


 婚約者の周りの火消しは、診察ではない。


 婚約者の、務めの内だ。


 ――そして務めは、婚約と一緒に終わる。



 断罪の翌朝、父に呼ばれた。


「出ていけ」


「はい」


「王家に逆らうことは許さん」


「いたしません」


「おまえには失望した」


「はい」


「二度とロウの名を名乗るな」


「かしこまりました」


「言い残すことはあるか」


「台所の払いが、来月から上がります」


「……何の話だ」


「来月になれば、お分かりになります」


 父は鼻を鳴らした。


 最後まで、罪状が真実かどうかは訊かれなかった。


 母は扉の陰から出てこなかった。


 廊下の途中で、一度だけ振り返った。


 扉の陰から、指先だけが見えた。


 何かを言いかけて、引っ込んだ。


 それでいい。


 玄関で、侍女のマーサが旅行鞄を提げて立っていた。


「あなたの分の鞄が大きくありませんか」


「私の荷物も入っておりますので」


「給金は出せませんよ」


「存じております」


「まかないは出ます」


「では参ります」


「……マーサ。あなた、いつから知っていたのです」


「お手紙の宛先を、毎日拝見しておりましたので」


「口止め料は、お支払いしていませんが」


「お給金のうちかと存じます」


 こういう忠義の形もある。


 乗合馬車は北へ向かう。


 車輪の音の合間に、マーサが問うた。


「行き先が北なのは、なぜです」


「醜聞の少ない土地だと、聞いたので」


 半分は本当で、残りの半分は、馬車の中では考えない。


「お嬢様。あの夜会は、防げたのではありませんか」


「ええ」


「なぜ、防がなかったのです」


「患者が、治療を望みませんでしたので」


「患者とは、どなたです」


「私です」


「……その患者様は、治ったのですか」


「さあ。ただ、熱は下がりました」


 マーサはそれきり、しばらく窓の外を見ていた。


 王都の門を抜けるとき、もう一度だけ訊かれた。


「悔しくは、ないのですか」


「悔しいというより、心配ですね」


「お嬢様が、ですか」


「いいえ」


 私は遠ざかる街壁を眺めた。


「あの街、今夜から主治医がいないので」



 ――王都の、それからの話をしよう。


 崩れというものは、派手な場所からは始まらない。


 最初に音を立てたのは、台所だった。


 ラング商会が、公爵家への納品をすべて正規価格に改めた。


 理由を問う執事に、商会主は帳面を一冊差し出した。


 割引の名目欄には、どの行にも同じ署名があった。


 公爵は署名の主を確かめて、書斎に籠もった。


 ロウ家への招待状は、季節がひとつ変わる間に途絶えた。


 代わりに門へ届くのは、宛名のない手紙ばかりになった。


 中身はどれも、勘当した娘への依頼だった。


「旦那様。本日の分にございます」


「……娘は勘当した」


「かしこまりました。では、昨日と同じ棚へ」


 棚は、じきに足りなくなった。


 ある夜、公爵はふと棚の手紙をひとつ開いた。


 読み終えて、元へ戻し、翌朝すべての手紙に「転居先不明」の判を押させた。


 判を押させる声が低かったことには、執事だけが気づいていた。


 次に、ダリオ様の実家の債権が市場に出た。


 匿名の債権者が手を引き、買い取ったのは敵対派閥だった。


 割れた席のひとつで、ダリオ様が殿下に詰め寄った。


「債権の元の名義を、ご覧になりましたか」


「見た。……見たが、何かの間違いだろう」


「殿下。うちの家がなぜ十年も保ったのか、お考えになったことは」


「それは、おまえの家の才覚で」


「私も昨日まで、そう思っておりました」


 側近は一礼して、席を立った。


 戻らなかった。


 殿下の茶会には、空席が目立つようになった。


 王家の夜会には、招かれてはならない客が交ざるようになった。


 名簿を検める者が、いなくなったせいだ。


 盗みと、間者と、醜聞売り。


 数える気も失せる顔ぶれだった。


 醜聞そのものも、週ごとに芽を吹いた。


 バルテ侯爵家の偽恋文は、今度は誰にも止められず社交界を一周した。


 コンラート伯爵家の決闘は「調整中」が解けて、本当に行われた。


 幸い、双方とも急所は外れた。


 南では、畳ませたはずの賭博場が、看板を替えて戻ってきた。


 毒殺の噂も、一緒に戻った。


 困り果てた貴族たちの前には、〝夜会のお医者様〟を名乗る男まで現れた。


 前金だけ集めて、じきに消えた。


 偽者の見分け方は簡単だ。


 本物は、治すまで消えない。


 偽者に払った前金を取り返したい、という依頼が、また棚に積まれた。


 診る者は、いない。


 そして南方交易の出資話が、満を持して王宮に届いた。


 今度は、断らせる者がいなかった。


 殿下とロウ公爵は競うように出資し、仲介料はリタ男爵令嬢が取り仕切った。


 船は、最初から存在しなかった。


 金庫が空になった朝、リタ様も王都から消えていた。


 男爵家に残っていたのは、借り物の家具と、置き手紙がひとつ。


『皆様、お芝居をありがとうございました』


 殿下は一度だけ、空になった男爵家を訪ねた。


 埃の積もった客間で、置き手紙を読み返した。


 芝居なら、幕の上がる前に台本を検める係がいたはずだった。


 その係を自分が追い出したのだと、殿下はそこで初めて数え違いに気づいた。


 王宮で対策の会議が開かれた。


 列席は国王陛下、王太后様、宰相、それから青い顔の殿下。


「ここ二か月の醜聞は何件だ」


「十七件にございます」


「昨年は」


「一年で、その十分の一かと」


「宰相。手を打て」


「打てる者を、先日追放したばかりにございます」


「呼び戻せばよかろう」


「北へ向かったところまでは。その先の足取りが、関所で途切れております」


 王は天井を仰いだ。


「なぜ急に増える」


 誰も答えなかった。


 沈黙を破ったのは、王太后様だった。


「エルディオ。おまえ、あの夜会で何を捨てたか分かっているのかい」


「……婚約者を、です」


「違うね」


 王太后様は杖の先で床を打った。


「王都の主治医を、追い出したんだよ」


「……祖母上は、ご存じだったのですか」


「風邪の流行らない街には、良い医者がいるものさ」


 殿下が調べさせるまで、さほど掛からなかった。


 商会の割引に残る署名。


 債権の買い上げの名義。


 握り潰された出資話の記録。


 三年分の治療の痕が、街のあちこちから出てきた。


 請求書だけが、どこからも見つからなかった。


「……全部、無償だったのか」


「診察は依頼があってから、というのがあの子の決まりでね」


 王太后様は静かに続けた。


「依頼もせずに治してもらっていた病人が、医者を追い出して、さて」


「さて……?」


「熱が出たら、誰が下げるんだい」


「……医者は、戻るでしょうか」


「さあね。追い出された医者が、患者の顔を見たがるものかい」


 殿下は、まず自分で北へ発とうとした。


 国境の手前で、丁重に止められた。


 北の関所を預かるのは、辺境伯だった。


 やむなく使者を立てた。


 冤罪の取り下げと、復縁の申し入れと、戻れば侯爵位という条件が並んでいた。


 使者は五日で帰ってきた。


 返事のほかに、小さな店の様子も持ち帰った。


「いかがであった」


「……お元気そうに、ございました」


「そうか」


 殿下はそれきり、北の話をしなくなった。


 届いた返事は、一行だけだった。


『新規のご依頼は、受け付けておりません』



 北の町は、空気が乾いて明るい。


 私は大通りの端に小さな店を借りた。


 軒先の看板には「よろず相談・ロウ」。


 ロウの名は名乗るなと言われたが、あいにく私の名前だ。


 最初のお客は、塩の値段で揉めた浜の女房たちだった。


「浜のやつが、目方をごまかすんだよ」


「秤を替えなさいませ。教会の秤をお借りして、月に一度、皆の前で量り直すこと」


「銭は」


「初回のご相談は、お茶代だけ頂きます」


 王都の相場を思えば、笑うほど安い。


 けれど、診察は診察だ。


 それから、差出人のない手紙がひと通届いた。


『腕の良い医者は、どこの土地でも流行ります。良い療養を』


 署名はないが、行間から杖の音がする筆跡だった。


 宛先をどう調べたのかは、考えないことにした。


 返事も、書かないことにした。


 流行る前の医者に、宣伝は要らないので。


 実に平和だ。


 マーサは店の奥で、薬草茶の棚を勝手に増やしていた。


「うちは医院ではありませんよ」


「看板に偽りがあっては、いけませんので」


 その日の午後、扉の鈴が鳴った。


 入ってきた長身の客を見て、マーサが茶器をひとつ増やした。


「ご相談を、伺います」


「診察を、お願いしたい」


 北の辺境伯、ヴェイン様だった。


「症状は」


「近いうちに、断罪されそうな男がいる」


「どなたに断罪されるのです」


「王都の全部に」


「それはまた重篤ですね。罪状は」


「追放された公爵令嬢を、妻に迎えようとしている」


(あら)


 マーサの注ぐお茶の音だけが、しばらく店に響いた。


「……患者様は、いつからその病を」


「あなたの請求書を、初めて読んだ日から」


「進行がずいぶん遅うございます」


「国境の男は慎重なんだ」


「熱は」


「あなたが王都を発ったと聞いた日から、下がらない」


「食欲は」


「この店の茶菓子なら、入りそうだ」


(患者のくせに、図々しいですわ)


 マーサが素早く焼き菓子の皿を出した。


(あなたも図々しい)


「慎重な方は、雪の近い季節に求婚には来ません」


「春まで待つと、別の医者に掛かられそうだった」


「あいにく、この町に同業はおりませんが」


「王都が丸ごと、あなたを呼び戻したがっている」


「新規のご依頼はお断りだと、お返事いたしました」


「知っている。だから旧知の患者として来た」


(この方、初診ですのに)


「その旧知の患者様に、ひとつ伺います」


「どうぞ」


「王都からいらした殿下を、関所でお帰しになったのは」


「領主の務めだ。物騒な荷は通せない」


「殿下は丸腰だったと聞きますが」


「未練は、刃物より物騒だろう」


(まあ)


「王都へ戻れとは、仰らないのですね」


「戻りたいのか」


「いいえ」


「なら、話が早い」


 私は帳面を開いて、すぐに閉じた。


 処方箋の書きようがない病だった。


「あいにくですが、辺境伯様」


「断られる理由を、道中ずっと探して来た」


「見つかりましたか」


「ひとつも」


「……私もです」


 困った患者だ。


 いや、困った医者である。


「診察料は高うございますよ」


「生涯分を、前払いで」


「……私の流儀を、よくご存じですこと」


「あなたの患者になると決めた日から、調べてある」


「調べ癖のある患者は、嫌われますよ」


「医者に似たんだ」


 私は席を立ち、あの夜と同じ角度で一礼した。


「弁明は、いたしません」


 この胸の内を、いまさら取り繕う言葉もないので。


「このご依頼、謹んでお受けいたします。――今回の治療は、私自身が動きますので」


「マーサ。お茶のお代わりを」


「お祝いの銘柄にいたしますね」


「気が早くありませんか」


「王都から、鞄に入れて持って参りましたので」


(……この侍女、いつから見えていたのかしら)


「マーサ。うちの雇用条件を覚えていますか」


「給金なし、まかない付きかと」


「改定します。給金あり、まかない付き、お祝いの銘柄は店の経費で」


「よい職場です」


 窓の外で、北の空がよく晴れている。


 王都の熱は、いずれ誰かが下げるだろう。


 私の患者は、当面ひとりで手一杯なので。


 さて――治療を、再開いたしましょう。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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王子んとこもパパんとこも立て直すまで長い時間かかりそうだし、後継者変更とかでばたばたしそう。
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