第5話:畜霊碑
続きは明日にー
重機の音は、思っていたよりも軽かった。
鉄が擦れる音、土を掘り返す振動。そのどれもが、祭りの後片付けのように事務的で、感情を伴っていない。
立ち入り禁止のロープの向こうで、業者が地面を掘り進めている。
私と上松は少し離れた場所から、それを眺めていた。
ほどなくして、石が姿を現した。
最初は、ただの瓦礫に見えた。
角の欠けた灰色の石。土に埋もれていたせいで表面は黒ずみ、苔が張り付いている。
だが、掘り起こされ、土が落とされるにつれて、それが碑であることが分かってくる。
割れている。
上部は斜めに欠け、中央には大きな亀裂が走っている。
刻まれていたはずの文字は摩耗し、判読できるのは数文字だけだった。
畜霊碑。
誰がどう見ても、丁重に扱われてきたものではない。
祀られていた形跡もない。供物も、囲いも、注連縄もない。
ただ、邪魔にならない場所に放り出され、忘れられ、土に埋もれていた残骸だ。
「これですか」
業者が声をかけてきた。
その視線は、石ではなく私を見ている。
「例の、残しておいた方がいいって言ってたやつ」
私はうなずいた。
言葉が喉で引っかかり、うまく出てこない。
そこへ、佐藤が現れた。
作業の進捗を確認しに来たのだろう。手には書類の束がある。
「へえ、これが」
佐藤は石を見下ろし、首をかしげた。
「思ってたより、ずいぶんボロいですね」
誰も否定しなかった。事実だからだ。
業者はしばらく石を眺め、それから佐藤と私を交互に見て、軽く笑った。
「でもこんなもん、残してても意味ないですよね」
その瞬間、音が消えた。
重機のエンジン音も、風の音も、遠くの車の走行音も、すべてが一斉に遠ざかる。
代わりに、自分の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。
意味がない。
残しても。
合理的だ。
誰にも祀られていない。
信仰は断絶している。
記録もない。
学術的価値も、ほとんどない。
私はそれを、何度も聞いてきた側の人間だった。
だからこそ、反論は簡単なはずだった。
文化財的意義だとか、地域史の証拠だとか、倫理的配慮だとか。
言葉はいくらでも用意できた。
だが、そのどれもが、口に出す前に崩れ落ちた。
この石は、誰のためのものだったのか。
祀った人間は、もういない。
覚えている人間も、いない。
守ろうとする人間も、今まさに、いない。
それでも。
それでも、この石は、確かにそこにあった。
ここで命を奪われた畜生がいて、その死を、せめて人の手で弔おうとした誰かがいて、その痕跡だけが、形を失いながら残っている。
意味がないから、壊していい。
役に立たないから、捨てていい。
その基準を、一度でも受け入れてしまえば、私はこれまで何を学び、何を記録してきたのか分からなくなる。
民俗学をやっていて、辛かった。
誰にも感謝されない。
何も守れない。
間に合わないことの方が圧倒的に多い。
それでも。
民俗学をやっていて、良かったと、初めて思った。
誰も「意味がない」と切り捨てる場所で、それでも「ここにあった」と言い続けるために、私はこの学問を選んだのだと。
私は一歩、前に出た。
「残してください」
自分の声が、意外なほどはっきりと響いた。
業者と佐藤が眉をひそめる。
「え」
「意味がないかどうかは、私が決めます」
一瞬、場が静まり返った。
業者が気まずそうに視線を逸らす。
私は石を見たまま、続けた。
「少なくとも、雑に扱われていいものではありません」
佐藤は何か言いかけて、やめた。
ため息をつき、肩をすくめる。
「……分かりましたよ。そこまで言うなら」
その返事が、勝利だったのかどうかは分からない。
だが、それでよかった。
重機は止まり、石はその場に残された。
誰にも注目されず、誰にも祀られず、それでも確かに。
業者と佐藤が現場を離れた後、上松がぽつりと
「……さっき、静かでしたね」
とだけ言った。
私は最後にもう一度、畜霊碑を見下ろした。
割れていても、文字が読めなくても、ここに在ったという事実だけは、消えない。
それで十分だと、今は思えた。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




