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猿面の部屋の謎  作者: 延々Redo


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4/6

第4話:重要じゃない

続きは明日にー

 翌朝、私と上松(うえまつ)は再びアパート周辺を(おとず)れた。

 空は低く()れ込め、湿(しめ)った風が住宅街の路地(ろじ)()うように()いている。

 昨日よりも、匂いが()い。そう感じたのは気のせいではないだろう。

 無意識に、私は(かばん)の中の粗塩を指で確かめていた。


「高水さん……昨日は、眠れましたか」


 上松の声は静かだったが、顔色は()えなかった。丸眼鏡の奥に、うっすらと(くま)が浮かんでいる。


「まあ、それなりに。上松さんは?」


「10階のビジネスホテルを取り直しました。…でも、夜中に何度か目が覚めて。廊下を、硬いものが打ち付けるみたいな音がしていた気がするんです」


 気のせいだと思いますけど、と付け足しながら、上松は肩をすくめた。

 畜産(ちくさん)農家の息子としての感覚が、まだ()け切っていないのだろう。


 私たちは、サンハイツ第4が建つ前からこの土地に住んでいると思しき家を(たず)ね歩いた。

 再開発から取り残されたような、庭の広い古い家。植木や物置の配置に、長年の生活の(くせ)が染みついている。


 3軒目の家で、ようやく足が止まった。


「404号室に住んでた吉岡さんのこと?」


 盆栽(ぼんさい)をいじっていた老人が、手を止めてこちらを見た。


「知ってるよ。物静(ものしず)かな人だったな。あのアパートができる前から、この辺りには顔を出してた」


 その言い方が、少し引っかかった。


「…アパートができる前、ですか」


「そう。もっと前だ。ここが、まだ今みたいじゃなかった頃だな」


 老人はそれ以上を語らず、剪定(せんてい)ばさみで枝先を整えた。

 一拍置いてから、ぽつりと言う。


「昔はな、あの辺りは今とは匂いが違った」


「匂い?」


「獣の匂いだよ。雨が降ると、特に強くなってな」


 私は思わず、上松と視線を交わした。


「吉岡さん、入居してから様子がおかしくてね。夜でも窓から外を見てた。何かを探すみたいに」


 老人は、サンハイツ第4の方角をちらりと見た。


「そういえば…あの人、変なことを聞いてきたな。『石がなかったか』って」


「石?」


「詳しいことは知らんよ。重たいのが、ひとつあったはずだって。前は、そこにあったはずだってな」


 それきりだ、と老人は話を切り上げた。

 私たちもそれ以上は聞かなかった。


 家を()し、アパートへ向かって歩き出す。

 数歩進んだところで、風向きが変わった。

 昨日よりも低い位置から、匂いが()い上がってくる。


「……近いですね」


 上松が、小さく呟いた。


「昨日より、確実に」


 断定はしない。ただ、否定もできなかった。


 吉岡老人は、何かを知っていたのかもしれない。

 あるいは、ただ感じていただけなのかもしれない。


 あの部屋に並んでいた無数の猿。

 あれは祈りだったのか、(すが)りつく行為だったのか。


 少なくとも――狂気と片付けるには、あまりにも必死だった。


「……大家の佐藤さんに、話を聞きましょう」


 私の言葉に、上松は無言で(うなず)いた。

 その足取りは、昨日よりも重く見えた。



◇◇◇◇◇




 アパートの入り口で、佐藤は業者らしき男と話し込んでいた。

 図面(ずめん)指差(ゆびさ)し、何度も首を振っている。こちらに気づくと、ぱっと顔を上げ、縋るような表情で近寄(ちかよ)ってきた。


「高水さん、上松さん……ちょうど良かった。何か、分かりましたか。今朝からまた苦情がひどくて」


 切迫(せっぱく)してはいるが、(おび)えているというより、追い()められた管理者の顔だった。


「少し、お話を」

「え、ええ。どうぞ」


 佐藤は一階の空き部屋を開けた。

 ドアが閉まると、外の喧騒(けんそう)が一気に(とお)のく。獣臭(けものしゅう)はまだ届いていないが、空気は重い。


「佐藤さん。この土地、以前は何だったか…どこまで把握(はあく)していますか」


 私は、あくまで問いとして投げた。


「え? ええと…古い資料までは(くわ)しくは。購入時は更地でしたし、不動産会社からも特に問題はないと」


「『問題』がない、というのは誰にとっての話でしょう」


 佐藤は一瞬、言葉に()まった。


「……どういう意味ですか」


 私は(かばん)から、コピーした古い地図を一枚だけ取り出し、テーブルに置いた。

 叩きつけはしない。広げるだけだ。


「この辺り、以前は牧場だった形跡(けいせき)があります。厩舎(きゅうしゃ)があった位置が、ちょうど4号棟の北西側と重なっている」


「牧場、ですか」


 佐藤は地図を(のぞ)き込み、眉を寄せた。


「聞いてませんでしたね」


 否定でも肯定(こうてい)でもない声だった。


「建設の際、地中から何か出たことはありませんか。石、基礎(きそ)より古そうな構造物(こうぞうぶつ)…」


「……ああ」


 佐藤は少し考え込み、曖昧(あいまい)(うなず)いた。


「石なら、ありましたよ。業者が言ってました。古い石が()まってるって。でも、よくある話だと。昔の境界石(きょうかいせき)とか、農業用の何かだろうって」


 その言い方は、「重要ではなかった」と言っているのと同じだった。


「それは、どう処理されたんですか」


「処理?」


撤去(てっきょ)移設(いせつ)、あるいは…」


 佐藤は、目を()せた。


「正直に言うと、詳しくは。工期も(きび)しかったし、全部現場に(まか)せてましたから」


 上松が、息を詰める。


(くだ)いたり……()めたり、という可能性は」


「……否定はできません」


 佐藤は、(ひたい)を押さえた。


「でも、悪気(わるぎ)があったわけじゃない。そんなものが『意味のあるもの』だなんて、誰も言わなかった」


 私は、反論(はんろん)しなかった。

 ただ、静かに言う。


「亡くなった吉岡さん。404号室に住んでいた方です」


「ええ…」


「あの方、この土地のことを、よく知っていた可能性があります」


 佐藤の表情が、わずかに()れた。


「……そうなんですか」


 それ以上、私は踏み込まない。

 確証(かくしょう)はない。だが、否定もしきれない。


「佐藤さん。今起きていることが、工事や管理の問題だけでは説明しきれない――そう感じているから、私たちを呼んだのではありませんか」


 佐藤は、しばらく(だま)っていた。

 やがて、弱々しく笑った。


「正直に言えば、そうです。理由は分からない。でも、普通じゃない」


 その言葉は、計算ではなく、本音に近かった。


「なら、選択肢はあります」


「選択肢?」


「何もしない。あるいは、下に何があるのかを確かめ、(とむら)う」


 佐藤は、椅子に深く腰を下ろした。


「それをやったら……本当に、(おさ)まるんですか」


「分かりません」


 私は即答した。


「意味があるかどうかは、人によって違う。ただ――無視した結果が、今だとは言えます」


 沈黙(ちんもく)

 外で、風が建物を叩いた。


 ヒヒヒーン……。


 低く、(かす)れた音。

 誰も、それについて口にしなかった。


「……検討(けんとう)します」


 佐藤は、そう言った。

 約束ではない。拒絶でもない。


「今日は、ここまでにしましょう」


 私が立ち上がると、佐藤は何か言いかけ、結局、黙った。


 外に出ると、雨が降り始めていた。


「……断言しませんでしたね」


 上松が小さく言う。


「できないんだろう」


 それが正直な答えだった。


 理屈は(そろ)い始めている。

 だが、肝心(かんじん)な部分は、まだ土の中だ。


 私は4号棟を見上げた。

 404号室のあたりだけ、雨に濡れた壁が妙に暗い。


 吉岡老人が、最後まで守ろうとしたもの。

 それが本当に祈りだったのか。


 それとも――

 見てはいけないものを、(おお)い隠すための行為だったのか。


 胸のざわめきは、消えなかった。


「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


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