第4話:重要じゃない
続きは明日にー
翌朝、私と上松は再びアパート周辺を訪れた。
空は低く垂れ込め、湿った風が住宅街の路地を縫うように吹いている。
昨日よりも、匂いが濃い。そう感じたのは気のせいではないだろう。
無意識に、私は鞄の中の粗塩を指で確かめていた。
「高水さん……昨日は、眠れましたか」
上松の声は静かだったが、顔色は冴えなかった。丸眼鏡の奥に、うっすらと隈が浮かんでいる。
「まあ、それなりに。上松さんは?」
「10階のビジネスホテルを取り直しました。…でも、夜中に何度か目が覚めて。廊下を、硬いものが打ち付けるみたいな音がしていた気がするんです」
気のせいだと思いますけど、と付け足しながら、上松は肩をすくめた。
畜産農家の息子としての感覚が、まだ抜け切っていないのだろう。
私たちは、サンハイツ第4が建つ前からこの土地に住んでいると思しき家を訪ね歩いた。
再開発から取り残されたような、庭の広い古い家。植木や物置の配置に、長年の生活の癖が染みついている。
3軒目の家で、ようやく足が止まった。
「404号室に住んでた吉岡さんのこと?」
盆栽をいじっていた老人が、手を止めてこちらを見た。
「知ってるよ。物静かな人だったな。あのアパートができる前から、この辺りには顔を出してた」
その言い方が、少し引っかかった。
「…アパートができる前、ですか」
「そう。もっと前だ。ここが、まだ今みたいじゃなかった頃だな」
老人はそれ以上を語らず、剪定ばさみで枝先を整えた。
一拍置いてから、ぽつりと言う。
「昔はな、あの辺りは今とは匂いが違った」
「匂い?」
「獣の匂いだよ。雨が降ると、特に強くなってな」
私は思わず、上松と視線を交わした。
「吉岡さん、入居してから様子がおかしくてね。夜でも窓から外を見てた。何かを探すみたいに」
老人は、サンハイツ第4の方角をちらりと見た。
「そういえば…あの人、変なことを聞いてきたな。『石がなかったか』って」
「石?」
「詳しいことは知らんよ。重たいのが、ひとつあったはずだって。前は、そこにあったはずだってな」
それきりだ、と老人は話を切り上げた。
私たちもそれ以上は聞かなかった。
家を辞し、アパートへ向かって歩き出す。
数歩進んだところで、風向きが変わった。
昨日よりも低い位置から、匂いが這い上がってくる。
「……近いですね」
上松が、小さく呟いた。
「昨日より、確実に」
断定はしない。ただ、否定もできなかった。
吉岡老人は、何かを知っていたのかもしれない。
あるいは、ただ感じていただけなのかもしれない。
あの部屋に並んでいた無数の猿。
あれは祈りだったのか、縋りつく行為だったのか。
少なくとも――狂気と片付けるには、あまりにも必死だった。
「……大家の佐藤さんに、話を聞きましょう」
私の言葉に、上松は無言で頷いた。
その足取りは、昨日よりも重く見えた。
◇◇◇◇◇
アパートの入り口で、佐藤は業者らしき男と話し込んでいた。
図面を指差し、何度も首を振っている。こちらに気づくと、ぱっと顔を上げ、縋るような表情で近寄ってきた。
「高水さん、上松さん……ちょうど良かった。何か、分かりましたか。今朝からまた苦情がひどくて」
切迫してはいるが、怯えているというより、追い詰められた管理者の顔だった。
「少し、お話を」
「え、ええ。どうぞ」
佐藤は一階の空き部屋を開けた。
ドアが閉まると、外の喧騒が一気に遠のく。獣臭はまだ届いていないが、空気は重い。
「佐藤さん。この土地、以前は何だったか…どこまで把握していますか」
私は、あくまで問いとして投げた。
「え? ええと…古い資料までは詳しくは。購入時は更地でしたし、不動産会社からも特に問題はないと」
「『問題』がない、というのは誰にとっての話でしょう」
佐藤は一瞬、言葉に詰まった。
「……どういう意味ですか」
私は鞄から、コピーした古い地図を一枚だけ取り出し、テーブルに置いた。
叩きつけはしない。広げるだけだ。
「この辺り、以前は牧場だった形跡があります。厩舎があった位置が、ちょうど4号棟の北西側と重なっている」
「牧場、ですか」
佐藤は地図を覗き込み、眉を寄せた。
「聞いてませんでしたね」
否定でも肯定でもない声だった。
「建設の際、地中から何か出たことはありませんか。石、基礎より古そうな構造物…」
「……ああ」
佐藤は少し考え込み、曖昧に頷いた。
「石なら、ありましたよ。業者が言ってました。古い石が埋まってるって。でも、よくある話だと。昔の境界石とか、農業用の何かだろうって」
その言い方は、「重要ではなかった」と言っているのと同じだった。
「それは、どう処理されたんですか」
「処理?」
「撤去、移設、あるいは…」
佐藤は、目を伏せた。
「正直に言うと、詳しくは。工期も厳しかったし、全部現場に任せてましたから」
上松が、息を詰める。
「砕いたり……埋めたり、という可能性は」
「……否定はできません」
佐藤は、額を押さえた。
「でも、悪気があったわけじゃない。そんなものが『意味のあるもの』だなんて、誰も言わなかった」
私は、反論しなかった。
ただ、静かに言う。
「亡くなった吉岡さん。404号室に住んでいた方です」
「ええ…」
「あの方、この土地のことを、よく知っていた可能性があります」
佐藤の表情が、わずかに揺れた。
「……そうなんですか」
それ以上、私は踏み込まない。
確証はない。だが、否定もしきれない。
「佐藤さん。今起きていることが、工事や管理の問題だけでは説明しきれない――そう感じているから、私たちを呼んだのではありませんか」
佐藤は、しばらく黙っていた。
やがて、弱々しく笑った。
「正直に言えば、そうです。理由は分からない。でも、普通じゃない」
その言葉は、計算ではなく、本音に近かった。
「なら、選択肢はあります」
「選択肢?」
「何もしない。あるいは、下に何があるのかを確かめ、弔う」
佐藤は、椅子に深く腰を下ろした。
「それをやったら……本当に、収まるんですか」
「分かりません」
私は即答した。
「意味があるかどうかは、人によって違う。ただ――無視した結果が、今だとは言えます」
沈黙。
外で、風が建物を叩いた。
ヒヒヒーン……。
低く、掠れた音。
誰も、それについて口にしなかった。
「……検討します」
佐藤は、そう言った。
約束ではない。拒絶でもない。
「今日は、ここまでにしましょう」
私が立ち上がると、佐藤は何か言いかけ、結局、黙った。
外に出ると、雨が降り始めていた。
「……断言しませんでしたね」
上松が小さく言う。
「できないんだろう」
それが正直な答えだった。
理屈は揃い始めている。
だが、肝心な部分は、まだ土の中だ。
私は4号棟を見上げた。
404号室のあたりだけ、雨に濡れた壁が妙に暗い。
吉岡老人が、最後まで守ろうとしたもの。
それが本当に祈りだったのか。
それとも――
見てはいけないものを、覆い隠すための行為だったのか。
胸のざわめきは、消えなかった。
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