第3話:猿駒
続きは明日にー
サンハイツ第4を逃げるように飛び出した私たちは、その足で最寄りの市役所へ向かった。
午後3時の庁舎は、どこか気の抜けた空気に包まれている。
番号札を呼ぶ電子音、書類を揃える音、淡々と応対する職員の声。
ほんの一時間前まで嗅いでいた、あの獣臭が嘘のようだった。
それでも、私の指先はまだ震えている。
「……市役所って、こんなに安心する場所でしたっけ」
上松が小声で言った。
「危険なものほど、日常のすぐ隣にあるからね」
私たちは2階の郷土資料室に入った。
重たい木の机と、背の高い書架。
紙と埃の匂いが、鼻をくすぐる。
「さっきの部屋の、猿のお面ですけど」
上松が眼鏡を外しながら言った。
「あれ、やっぱり普通じゃないですよね」
「うん。あれは『猿駒』だと思う」
「……猿、駒?」
「馬を守る猿。民俗学じゃ、割と有名な組み合わせだよ」
私は椅子に腰を下ろし、水筒の水を一口飲んだ。
「日光東照宮の三猿、知ってるでしょ」
「見ざる、言わざる、聞かざる、ですよね」
「あれが彫られてる建物、何か知ってる?」
上松は一瞬考え、首を振った。
「神厩舎。神様の馬を繋ぐ場所だ」
「……あ」
「昔はね、猿は馬の病を防ぐって信じられてた。だから厩舎に猿を飼ったり、代わりにお面を飾ったりした」
「じゃあ、404号室の壁一面の猿は……」
「魔除けだよ。必死すぎるくらいの」
私は立ち上がり、書架から数冊の地域史を引き抜いた。
「しかも、配置が妙だった。床下の一点に向かって、集中してた」
「北西の角、ですよね」
「匂いも、一番強かった場所だ」
ページをめくる音が、やけに大きく響く。
「でも、高水さん」
上松が言った。
「大家の佐藤さんは、更地で買ったって…」
「それを今から確かめる」
私は司書に声をかけ、閉架資料の出納を頼んだ。
しばらくして運ばれてきたのは、古い住宅地図と地番対照図。
紙は黄ばみ、角は丸くなっている。
「……あった」
昭和40年代の地図を開いた瞬間、上松が息を呑んだ。
サンハイツ第4が建つ場所に、太字で記されている。
――吉岡牧場。
「牧場……」
「やっぱり、そう来たか」
さらにページを繰る。
「昭和50年代。ここだ。今の4号棟の位置…」
指先が止まる。
「厩舎だ。それも一番大きい」
空調の音が、ふっと遠のいた気がした。
私は土地台帳に目を落とす。
「昭和58年、廃業……理由は経営難と異臭問題」
「異臭……」
「当時から、あったんだろうね」
地域ニュースのスクラップに、小さな記事を見つけた。
『吉岡牧場、廃業へ―敷地内に畜霊碑を建立し、馬たちの冥福を祈る』
「……畜霊碑」
その言葉を口にした瞬間、背中が冷えた。
「動物の慰霊碑だ。畜産に関わる人間にとって、触れちゃいけないものの一つ」
「それが…」
「どこに建てられたか、見てみよう」
地番を現在の区画図に重ねる。
定規を当てる上松の手が、震えていた。
「……北西の角」
「404号室の、真下だ」
部屋の温度が、一段下がった気がした。
「更地で買った、っていうのは嘘じゃない」
「どういうことですか」
「更地にした誰かがいる。その過程で――」
「壊した。か、埋めた」
上松の声は掠れていた。
「畜産やってる人なら、そんなこと……」
「しない。だから、怒る」
私は別の資料を開いた。
「亡くなった住人の名前、覚えてる?」
「吉岡さん、ですね…」
「牧場主と同じ名字だ」
上松が、ゆっくり顔を上げた。
「まさか……」
「全部失って、最後に戻ってきた場所が、自分の牧場の成れの果てだったとしたら」
壁一面の猿。
狂気じゃない。
「馬を鎮めるための、最後の祈りだ」
私は資料を閉じた。
窓の外は、赤く染まっている。
「……高水さん」
「まだ、確証が足りない」
私は立ち上がり、鞄から粗塩を取り出した。
「明日は、近所の古い住人に話を聞こう」
「今夜は?」
「なるべく高い場所で寝て」
「え?」
「幽霊は階段が苦手って俗信がある。特に馬は、蹄が滑るのを嫌う」
「……気休めですよね」
「うん。どこまで効くかは保証しない」
市役所を出ると、遠くにサンハイツ第4が見えた。
4棟のうち、4号棟だけが、妙に沈んで見える。
足元のアスファルトが、微かに震えた気がして、私は歩を速めた。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




