第2話:消えない残り香
続きは明日にー
翌日、私と上松は、都心から電車で一時間ほど揺られた先にある郊外の駅に降り立った。
駅前は再開発で小綺麗だが、少し歩けば空き地や古い生垣が目につく。新しいものと古いものが、まだ噛み合っていない住宅街だ。
「ここですよ、高水さん。サンハイツ第4。…あ、あの人が大家の佐藤さんです」
上松の指差す先に、真新しい集合住宅が見えた。
白とネイビーを基調とした二階建てのアパートが4棟、等間隔に並んでいる。
1棟6世帯、全部で24世帯。よくある中規模物件だ。
入り口では、作業着姿の小太りな男性が、手持ち無沙汰に立っていた。
「上松さん、わざわざすいません。こちらが例の…」
「民俗学の高水です。よろしくお願いします」
軽く頭を下げながら、私は敷地内に目を走らせた。
建物自体は、どこにでもあるハウスメーカー施工。新築特有の、清潔で無個性な匂いがする。
――問題は、その先だった。
「佐藤さん、ここ、4棟全部『号棟』なんですね。4号棟もそのまま」
「ええ。不動産屋には止められましたけどね。1、2、3ときて4が無い方が、なんだか気持ち悪くて。数字はそろってた方が管理しやすいでしょう?」
佐藤は悪びれずに笑った。
私は曖昧に頷きつつ、心の中でため息をつく。
(合理主義者あるあるだな…)
数字の忌避は、迷信というより生活の中の安全柵だ。
それを気持ち悪い、の一言で越えてしまう人間は、たいてい土地の違和感にも鈍い。
「……ん?」
3号棟を抜け、4号棟に足を踏み入れた瞬間だった。
空気が、妙に重くなる。
風は吹いている。それなのに、吸い込んだ空気が肺に沈む。
鼻の奥を刺す、湿った獣臭。
「消毒液、じゃないですよね…?」
思わず袖で口元を覆う。
「でしょう。4号棟に近づくと、急にこれです。…404号室が、問題の部屋です」
佐藤が鍵を開け、ドアを押し開けた。
――瞬間、生臭さの塊が、殴るように押し寄せてきた。
「うっ…これは、きつい」
上松が顔をしかめて後ずさる。
私は鞄から、日本酒を染み込ませたハンカチを取り出し、鼻に当てた。
腐敗臭ではない。
もっと生き物に近い、脂と汗と排泄物が混じった、濃い獣の匂いだ。
「特殊清掃は3回、消臭は5回やりました。業者も『もう匂いの元は無い』って言うんですがね。数日すると、こうして戻るんです。床下から湧くみたいに」
佐藤の説明を聞き流しながら、私は室内を見渡した。
6畳のワンルームは、写真が嘘のように空っぽだ。
猿の面も、置物も、すべて撤去されている。
壁紙も床も新しい。
それなのに、壁に無数の視線が残っている気がした。
部屋を一周し、北西の角――クローゼット脇に立った瞬間、心臓が跳ねた。
ここだけ、匂いが濃い。
冷気が足元から這い上がり、膝が震える。
私はポケットの粗塩を、無意識に握りしめていた。
「佐藤さん。亡くなった方、本当にペットは飼っていなかったんですか? この匂い…小動物じゃないですよね」
「飼ってませんよ。ペット禁止ですし。吉岡さんは静かな人でした。猿の面だって、いつの間に集めたのやら」
その時、バタン、と隣の403号室のドアが開いた。
「ちょっと! またこの匂いよ!」
部屋着姿の女性が、佐藤に詰め寄る。
「原田さん、今は調査中でして…」
「そんなのどうでもいいわよ! キッチンまで臭うの! 床下に何か埋まってるんでしょ、動物とか!」
「床下も確認しましたって!」
言い争いを背に、私は床を見つめた。
(……これは、ダメだ)
怪談として片付く話じゃない。
もっと現実的で、重たい何かが、この土地に根を張っている。
(帰りたい。塩風呂入って、安い酒飲んで寝たい)
撤退を口にしかけた、その時。
「…あ、思い出しました」
上松が、静かに言った。
「これ、死体の匂いじゃありませんよ」
「じゃあ、何です?」
「厩舎の匂いです。それも、手入れされた、生きている馬の」
私は言葉を失った。
「実家が畜産農家なんです。鼻が覚えてますよ。これは――群れの匂いだ」
上松は窓の外、1号棟から3号棟を見た。
「この部屋じゃない。この土地全体から、立ち上がってるんじゃないかな」
私は、はっとして呟いた。
「……猿は、馬の守り神」
頭の中で、点が繋がる。
猿の面。
消えない獣臭。
そして、馬。
私はスマートフォンを取り出した。
「佐藤さん。この土地、昔は何だったんですか。戦前まで遡れますか?」
「い、いや、そんなの知りませんよ…。更地で買ったんで」
困惑する大家と、怒鳴る隣人。
その真ん中で、私は確信していた。
吉岡老人は狂っていたわけじゃない。
この場所に押し寄せる何かを、必死に食い止めていたのだ。
「市役所に行きましょう、上松さん」
床の奥底から、無数の蹄が土を踏み鳴らす気配がして、私は404号室を後にした。
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