第1章 クラスの「1.5軍」と、机の下の秘密
クラスの頂点には立てないけれど、下層でもない。
一番安全で、一番中途半端な立ち位置「1.5軍」。
そんな僕と、完璧な彼女の「秘密」の始まりです。
平成の田舎町。
僕たちが通っていた小学校は、学年ごとに百人以上がいるマンモス校だった。 田んぼでの稲刈り、下校途中に忍び込んだ他人の庭、ちぎって食べたビワの実の酸っぱさ。
そんな昭和の残り香がある風景の中で、僕たちは「リトルギャング」気取りで生きていた。
僕たちが結成したのは、「阿修羅軍団」。
ノートの隅や机の上に、三つの顔を持つ鬼神「阿修羅」のような絵を描いては結束を誓う、男四人のグループだ。 般若や阿修羅といった、和風で少しおどろおどろしいものをカッコいいと感じる、そんな年頃だった。
当時の教室には、子供ながらに肌で感じる「身分制度」が存在した。
今でこそ、教室内での立ち位置を 「スクールカースト」 という残酷な言葉で階級分けするが、当時はそんな言葉はまだなく、もっと単純で、しかし明確な境界線があった。
それは、 「陽キャ(陽気なキャラクター)」と「陰キャ(陰気なキャラクター)」 だ。
いつしか時代が進み、それが「一軍・二軍・三軍」というカースト制度のように呼ばれるようになったが、本質は変わらない。 クラスは、明るくて目立つ集団と、大人しくて地味な集団に分断されていた。
僕・タケルはどこにいたかというと、間違いなく「陽キャ」側の集団にはいた。 だが、その頂点ではない。
喧嘩が強くて面白い「阿修羅軍団」のリーダー・サクの一番の親友。 リーダーの横にいて、その威光を借りることで強気になれるポジション。
トップにはなれないが、下層に落ちることもない。 そんな中途半端で、一番安全な立ち位置を、僕は大人になってから自虐を込めてこう呼んでいる。
「1.5軍」
勉強は大嫌いだが、ドッヂボールではヒーローになれる。 そんな根拠のない全能感と、1.5軍特有の「地位を失いたくない」という保身が同居していた、小学三年生の日々。
けれど、そんな「1.5軍」の僕にも、誰にも言えない秘密があった。
それが、隣の席の彼女・ミサキだ。
給食の時間。 僕たちのクラスでは、机を向かい合わせにくっつけて班ごとに食べるのがルールだった。 ミサキは僕の目の前。
マンモス校の給食時間は騒がしい。 男子たちはふざけ合い、牛乳の早飲みを競ったりしている。 そんな喧噪のテーブルの下で、僕たちの秘密の会話が行われていた。
どん、と何かが足に当たる。 僕の足だ。 向かいに座るミサキの足に、わざとぶつける。
すると、彼女もまた、僕の足をこつんと蹴り返してくる。 あるいは、両足で僕の足をきゅっと挟んでくる。
顔を上げると、彼女は涼しい顔でコッペパンをかじっている。 僕もまた、何食わぬ顔で牛乳を飲む。
けれど、机の下では、互いの体温を通わせ合っている。
「女の子と仲良くするなんてカッコ悪い」というこの時期の男子特有のプライドと、「彼女ともっと触れ合いたい」という本能が絡み合った結果生まれた、歪で、愛おしいコミュニケーション。
言葉なんてなかった。 ただ、靴下越しのその感触だけで、僕は心臓が破裂しそうなくらいドキドキしていた。
なぜミサキが僕のそんな幼稚な遊びに付き合ってくれたのか、それは今でも分からない。 ただ、彼女との距離は、この机の下の秘密で確実に縮まっていた。
だが、そんな甘酸っぱい日々は、ある「敗北」によって転機を迎える。
算数の授業。 「九九の暗唱」だ。
勉強嫌いの僕にとって、一人ずつ教壇に立って三十人の前で発表する時間は、処刑台に上るようなものだった。
「にくじゅうはち、しちくろくじゅうさん……」
語呂の良いやつしか覚えていない。 それでも、「阿修羅軍団」の仲間もどうせできないだろうとタカを括っていた。
しかし、現実は非情だった。 仲間たちは意外にも六の段、七の段までスラスラと言えてしまう。
十九人目の発表が終わる頃、僕の掌は汗でびっしょりになっていた。 待っている間に、詰め込んだはずの九九が頭から蒸発していく。
「次、タケル」
先生に呼ばれ、僕は教壇に立った。 三十人の視線が突き刺さる。
「いんいちがいち……にいちがに、ににんがし、にさんがろく……」
そこで止まった。 頭が真っ白になる。
「に、にしがはち……にごじゅう……にろくじゅうに……」
その先が出てこない。
「はい、そこまで。席に戻って」
二の段での失敗。 クラス最速の脱落だった。
一瞬の静寂の後、教室の空気が変わった。 「阿修羅軍団」の1.5軍というプライドが、音を立てて崩れ落ちていく。
普段、僕が心のどこかで「陰キャ」と見下していた大人しい生徒たちの視線が、今は鋭い刃物のように突き刺さる。
「あいつ、偉そうなのに九九もできないのか」
そんな冷ややかな嘲笑が、声に出さずとも伝わってくるようだった。 教室の端から聞こえる微かな忍び笑いが、僕の耳を焼く。
顔から火が出るほど恥ずかしい。
教壇から自分の席までは、ほんの数メートル。 普段なら三歩で戻れる距離が、この時ばかりは永遠に続く茨の道のように感じられた。
一歩踏み出すたびに、鉛のように重い足が床に張り付く。 まだ着かないのか。 早く消えてしまいたい。
永遠にも思える時間をかけてようやく席に辿り着くと、僕は誰の顔も見られずに机に突っ伏した。
僕の次は、ミサキの番だった。 彼女は成績優秀で、運動神経も良い。僕とは正反対だ。
突っ伏した腕の隙間から、彼女が九の段まで完璧に暗唱して戻ってくるのが気配で分かった。
(ああ、惨めだ……)
頭が悪いやつだと思われただろうか。 カッコ悪いやつだと幻滅されただろうか。 机に顔を埋めたまま、僕は絶望していた。
その時だ。 ミサキが席に戻るなり、僕の方を向いて小さく言った。
「早く終わるから、緊張したやん」
茶化すでもなく、馬鹿にするでもなく、お茶目なトーンだった。
僕は顔を上げた。 彼女は少し困ったように、でも優しく笑っていた。
その瞬間、張り詰めていた心がすっと軽くなった。 彼女は、僕の失敗を「笑いもの」にするのではなく、「自分の緊張が解けるきっかけ」として肯定してくれたのだ。
「頭が悪いとか、恥ずかしいとか、気にしているのは自分だけだよ」 そう言われた気がした。
この時だ。 僕が彼女を明確に意識し始めたのは。 ただの隣の席の女の子が、特別な「誰か」に変わった瞬間だった。
三十歳を超えた今なら分かる。 この時、僕はミサキに恋をしたのだ。
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「ミサキちゃん優しい…」
「九九の発表、自分も緊張したなぁ」
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次回は、バレンタインデーの「大失敗」のお話です。




