第8話:B国、封鎖された要塞(前編)
A国ミッションから3日後。
ミランダはB国の首都の衛星写真を見つめていた。6年間の工作員経験、今まで17回の潜入任務をこなしてきた。成功率100%、失敗は一度もない。
だが、今回は違う。
B国。
その名を聞くだけで、諜報関係者は顔をしかめる。世界で最もセキュリティが厳重な国の一つ。国際的には中立国ではあるが、実際には国内外に徹底的な監視体制を敷いている。街中に監視カメラがあり、市民は常に政府に見張られている。
そして。
「これまで誰一人、B国のデータセンターに侵入できたやつはいない」
アレックスが言った。眼鏡を押し上げ、画面を見つめている。淡々とした、感情のない声だった。
「過去20年間、7回の侵入が試みられた。だが、すべて失敗、工作員は全員捕まった」
作戦室には5人全員が集まっていた。
マーカスが聞いた。
「捕まった工作員は」
「3人は獄中死。4人は今も服役中、いずれも終身刑だ」
沈黙が落ちた。エミリーの顔が青ざめた。両手を膝の上で握りしめている。
アレックスはスクリーンを切り替えた。
「B国の首都、ヴェルネシア。人口800万、公開情報によれば監視カメラの数は200万台以上だ」
画面に街の映像が表示された。整然とした街並み、清潔で秩序だっている。だが、どこか冷たい。
「市民はIDカードの常時携帯が義務付けられている。公共交通機関、商店、すべてでIDチェックがある。外国人は入国時に生体情報を登録される、指紋、虹彩、顔認証、すべてだ」
マーカスが言った。
「つまり、我々の情報も登録される」
「その通り。入国した瞬間から、我々は常に監視下に置かれるだろう」
アレックスは次のスライドを表示した。
「B国政府データセンター。正式名称は国家情報管理総局、通称『要塞』」
画面に4つの高層ビルが表示された。どのビルも外見は普通のオフィスビル、街に溶け込んでいる。
「B国は機密情報を街のビルに分散させて保管している。一見すると、普通の商業ビルやオフィスビルだ」
「ターゲットは」
マーカスが尋ねた。
「4つのうち2つ。商業ビルとオフィスビル、ここにユアン共和国関連のデータが保管されている可能性が高い」
ジェイクがエナジードリンクを飲みながら言った。プシュッと缶を開ける音が響く。
「一気に2つ侵入するんすか?」
「そうだ」
アレックスは詳細な警備体制の図を表示した。
「B国の機密情報は通常回線から完全に切り離されている。外部からハッキングは不可能、物理的に侵入するしかない」
「週に一度、各ビルのセキュリティシステムの定期メンテナンスが行われる。一部業者はIDを付与され、比較的自由に出入りできるようだ」
マーカスは腕を組みながら尋ねた。
「侵入方法は」
「メンテナンス業者を装う」
アレックスは画面を操作した。画面にメンテナンス業者の写真が表示された。
「ターゲット企業、セキュテック社。従業員数23名、このうち」
一人の男の写真が拡大された。
「ダニエル・クォン。35歳、独身。B国籍だが両親はユアン共和国出身、勤務歴8年、IDのクリアランスレベルは3。4つのビルすべてにアクセス可能だ」
「協力させたいが、何か弱みはないか」
「ギャンブル依存症で5万ドルの借金を抱えながら、毎週3回違法カジノに通っている」
アレックスは眼鏡の奥の目で画面を見つめた。
「買収できそうならよし、リスクは高いがそうでないならIDのみ奪取する」
エミリーが息を呑んだ。
「こんなの...無理です」
その声は震えていた。
「難しいけれど、不可能ではないわ」
ミランダが言った。無表情のまま、エミリーを見る。
マーカスが聞いた。
「作戦の成功率は」
アレックスは画面を見つめた。眼鏡を外し、目頭を押さえる。
過去の侵入試行7回全て失敗、B国のセキュリティレベル、警備体制、逃走の困難さ。これらを統計モデルに入れると。
「...0.1%だ」
沈黙。
ジェイクがエナジードリンクの缶を落としそうになった。慌てて両手で支える。
「1%を切っているのか」
マーカスの声が低くなった。
「ああ。だが、ゼロではない」
アレックスは淡々と答えた。
ジェイクが呟いた。
「マジっすか...」
マーカスは資料を見つめた。成功率0.1%、彼はしばらく沈黙していた。腕を組んだまま、天井を見上げる。
やがて、口を開いた。
「今回は俺とアレックスで両方のビルを回る」
全員が驚いて彼を見た。
「エミリーは新人だ。こんな危険な任務に送れない」
マーカスの声には、わずかな優しさがあった。
ミランダが首を振った。
「二つのビルを同時に攻略する必要がある。時間的制約を考えれば、二手に分かれるしかない」
「だが」
「私はこれまで、関わったすべての任務を成功させてきた。今回も成功させる」
ミランダの声には静かな自信があった。その目は、まっすぐマーカスを見ている。
「あなたとアレックスで商業ビル。私とエミリーでオフィスビル、それが最善」
マーカスはミランダを見つめた。確かに両方のビルを同時に攻略しなければ、片方で警戒レベルが上がる。彼女の実績は知っている、6年間一度も失敗したことがない。
やがて息を吐いた。
「わかった」
マーカスは全員を見渡した。
「よし。作戦の流れと役割を説明する」
マーカスはスクリーンに作戦の全体像を表示させた。
「作戦は大きく3つの段階に分かれる」
「まず、目標の建物への侵入。俺とアレックスは商業ビルへ、ミランダとエミリーはオフィスビルへ。それぞれメンテナンス業者と清掃業者を装う」
全員が頷いた。
「次に、データの奪取。サーバールームに到達したのち、目標データを確認して回収しろ」
「最後に脱出だ。共有したファイルに脱出ルートが入っている。頭に叩き込んでおけ、痕跡は一つも残すな」
マーカスはミランダとエミリーを見た。
「ミランダとエミリーはオフィスビルの方を頼む。オフィスビルは警備が厳重だ。何かあればすぐ連絡しろ、わかったな」
ミランダが頷いた。
「エミリー」
「は、はい」
エミリーはビクッと身を震わせた。
「お前はミランダのバックアップだ。くれぐれも、無理はするな。いいな」
エミリーはマーカスの目を見た。そこには部下を心配する上司の目があった。優しさと、同時に厳しさが混じっている。
「はい...わかりました」
「ジェイク。お前はこちらでサポートだ。監視カメラ、セキュリティシステム、ネットワーク、すべてを監視して異常があれば即座に報告しろ」
「了解っす」
ジェイクはエナジードリンクを一口飲んだ。
マーカスは声を落とした。
「万が一、潜入がバレた場合」
——即座に撤退だ。決して自暴自棄になるな、お前たちの命が最優先だ。
沈黙が落ちた。重く、冷たい空気が部屋を満たす。
「質問は」
エミリーが小さく手を挙げた。おずおずと、まるで小学生のように。
「あの...もし、私がミスしたら」
その声は、今にも泣き出しそうだった。
「大丈夫」
ミランダが言った。その声は、いつもより優しかった。
「私がフォローする。心配しないで」
エミリーは少しだけ表情を緩めた。目が潤んでいる。
「はい...」
マーカスは全員を見渡した。
「作戦開始は今から24時間後。明日、午前10時だ」
彼は拳で机を叩いた。ドンと音が響く。
「必ず成功させるぞ!」
全員が頷いた。




