第5話:A国潜入(中編)
22時30分。
アレックスは自分の端末でA国の最新情報を確認していた。眼鏡の奥の目が、画面を走査している。政府のプレスリリース、ニュース、SNS、すべてをチェックする。
異常なし。
隣ではジェイクが最終準備をしていた。侵入ツール、暗号化通信、痕跡消去プログラム、すべてを何度も確認している。その手が、わずかに震えていた。
「ジェイク」
アレックスが声をかけた。
「何っすか」
ジェイクは振り返った。いつもの軽い笑みはない。
「大丈夫か」
ジェイクは手を止めた。エナジードリンクの缶を見つめる。
「...正直、めちゃくちゃ緊張してるっす」
彼は3本目のエナジードリンクを開けた。プシュッと音がする。
「でも、やるっすよ。やるしかないっすから」
アレックスは頷いた。
エミリーは通信監視端末の前で深呼吸を繰り返していた。両手を胸の前で組み、目を閉じている。
画面のミランダが声をかけた。
「エミリー、落ち着いて」
「は、はい...初めての実戦で...」
エミリーの声が震えている。
「深呼吸。ゆっくり」
エミリーはミランダの言葉に従った。ゆっくりと息を吸い、吐く。
「あなたはできるわ。失敗しても、私がフォローする。心配しないで」
「...ありがとうございます」
エミリーの目が、わずかに潤んだ。
22時58分。
マーカスが立ち上がった。
「全員、準備はいいか」
全員が頷いた。
アレックスは心臓の鼓動が速くなるのを感じた。手のひらに、汗が滲む。
23時00分。
「始めろ」
ジェイクの指がキーボードを高速で叩き始めた。カタカタカタカタ——リズミカルな音が響く。
「接続開始」
彼は素早く入力した。
「匿名ネットワーク経由で接続。今、俺たちの通信は5つの第三国を経由してます。X国、Y国、Z国...って感じで、世界中から来てるように感知するはずっす」
エミリーが聞いた。
「それって...足跡を隠すってことですか?」
「そうっす」
ジェイクはニヤリと笑った。
「もしバレても、追いかけてくる相手は世界中を走り回ることになる。その間に、俺たちは逃げるっす」
アレックスは彼の画面を注視していた。眼鏡を押し上げる。数字とコードが滝のように流れていく。
「ハッキング開始」
ジェイクが言った。
画面にA国政府ネットワークの構造が少しずつ明らかになっていく。
「入口3つ確認。防御システム、想定通り」
ジェイクは各入口の反応速度を測定した。指が、さらに速く動く。
「入口2、反応が遅いっす。セキュリティの処理が追いついてない」
「そこから入れるか」
マーカスが聞いた。腕を組んだまま、画面を見ている。
「やってみます」
ジェイクは特殊なプログラムを送信した。正常な通信に見せかけているが、その中にはシステムの穴を突くコードが埋め込まれている。
15秒後。
「...入ったっす」
ジェイクが小さくガッツポーズをした。
画面にA国政府の内部ネットワーク構造が表示された。
「さすがだ」
マーカスが言った。その声には、わずかな安堵が混じっていた。
「言ったでしょ、穴だらけっすから」
ジェイクはさらに深く侵入していく。
アレックスは時計を確認した。23時03分。予定より早い。
「第一の壁に到達。パスワードシステム確認」
進捗バーが表示される。高速で進んでいく。
「解析完了。第一の壁、突破っす」
画面が切り替わる。
「第二の壁...多重暗号化システム。ちょっと時間かかるっす」
ジェイクの指がさらに速く動く。エナジードリンクを一口飲み、また手を動かす。
2分後。
「第二の壁、突破っす!」
23時07分。
「システム管理者のメールサーバーにアクセスします」
ジェイクはヴィクター・ハーレイのアカウントに侵入した。
「パスワード...Victor1978。自分の名前と生年月日っすか。ありえない」
ジェイクは呆れた様子で首を振った。
メールの中から、システム管理に関するメッセージを探す。
「件名『緊急:サーバーメンテナンス』...ビンゴ」
メールを開くと、管理者権限のコードが平文で記載されていた。
「信じられない」
アレックスが呟いた。眼鏡を外し、目を細める。
「こんな重要な情報を、暗号化もせずに...」
「人間が最大の弱点っすよ」
ジェイクはそのコードを使ってデータ管理局のサーバーにアクセスした。
23時12分。
「データ管理局サーバー、侵入成功っす」
ジェイクが叫んだ。拳を握りしめる。
画面に膨大なファイルリストが表示された。
「目標データ検索開始」
アレックスは検索条件を指示した。冷静な、感情のない声だった。
「ユアン共和国関連、過去10年、1GB以上」
数秒後。89件。
「これでいけるはず。ダウンロード開始」
ジェイクはデータ転送プログラムを起動した。
「転送開始」
進捗バーが表示された。0%、2%、5%、10%。
「このペース、30分で完了できます。余裕っすね」
ジェイクはエナジードリンクを一口飲んだ。
エミリーがほっとした様子で言った。
「これなら...予定通りいけそうです」
その声は、安堵に満ちていた。
だが。
アレックスはその言葉に違和感を覚えた。眼鏡の奥の目が、データを走査している。簡単すぎないか。仮にも国家の重要機密を保管しているサーバーだ、ここまで容易だと逆に怪しくないか。
マーカスも同じことを考えているようだった。彼は腕を組み、画面を見つめていた。その目が、わずかに細められる。
「...簡単すぎる。何かあるぞ」
その瞬間。
ピピピピピピピ!
警告音が鳴り響いた。甲高い、耳をつんざくような音だった。
「え!?」
エミリーが叫んだ。椅子から飛び上がりそうになる。
ジェイクの画面が真っ赤に染まった。
「第三の防御層!?」
画面には巨大な壁のような図が表示されている、そして、その壁は動いている。
「やばいっす!壁が変化してる!こっちの動きを見て、対応してくる!」
ジェイクの指が、パニックのようにキーボードを叩く。
さらに別の警告が表示された。
「逆探知プログラム起動」
「進行中:5%...10%...15%...」
「逆探知!?」
ジェイクが慌てた。エナジードリンクの缶を落としそうになる。
「こっちの位置を探してるっす!100%になったら、国家情報院の場所がバレる!」
「やはりか」
マーカスが低く言った。
全員が彼を見た。
マーカスは冷静だった。表情一つ変えていない。
「囮だ。最初から、罠が仕掛けられていた」
画面のミランダが言った。
「今アクセスしているサーバーは、本物じゃない。侵入者をおびき寄せるための囮よ」
「本物は...?」
アレックスが尋ねた。
「待って」
ミランダが別の端末を操作している。その指の動きが、画面越しに見える。
「情報通信省のシステムにアクセスしてる...わかった」
「本物のサーバーは、地下データセンターのサーバールームB。第三層の奥にある」
アレックスはすぐにネットワーク構造を再分析した。眼鏡を押し上げ、画面を凝視する。
「...見つけた。だが、そこに到達するには」
彼は画面を指差した。
「3つのファイアウォールを突破する必要がある。しかも」
「自立型防御システムが稼働してる」
ミランダが続けた。
「侵入者の動きを学習して、リアルタイムで対応するシステム。担当したのは、A国の天才エンジニア、デビッド・チャン」
「逆探知、30%...35%...」
エミリーが震える声で報告した。手が震えて、マウスを掴めない。
アレックスは時計を見た。23時16分。
「23時50分のセキュリティスキャンまで、あと34分しかない」
「間に合わない」
マーカスが言った。
「撤退するぞ」
「待ってください!」
アレックスが言った。眼鏡の奥の目が、鋭く光る。
マーカスが彼を見た。
「ミランダ、自立型防御システムに隙はないのか」
画面のミランダが資料を確認した。
「...ある。大臣のコンピューターから技術文書を盗み見た。このシステム、15分ごとに手動でバックアップを取るプロトコルがある。その15秒間だけ、防御が一時的に弱まる」
「次のバックアップは?」
「23時30分」
アレックスは計算した。頭の中で、数字が高速で回転する。
「今から14分後。ジェイク、14分で準備できるか」
「やってみるっす!でも、痕跡が残る可能性はかなり高いっす」
ジェイクの声が震えている。
「ここで撤退すれば、一度でもハッキングを感知したと分かれば、サーバーは別の場所へ移され、セキュリティも大幅に強化される。次に発見するまでには相当な時間を要するだろう。今回がラストチャンスです」
アレックスの声にはわずかな焦りが含まれていた。
マーカスはアレックスを見つめた。
二人の間に、言葉にならない何かが流れた。過去のことが。
やがてマーカスは短く息を吐いた。
「やれ。責任は俺が取る」
「逆探知、50%...」
エミリーが報告する。その声は、今にも泣き出しそうだった。
「ジェイク、今の経路から即座に撤退しろ。逆探知を振り切る」
マーカスが命令した。
「わかったっす!」
ジェイクの指が高速で動く。
「足跡を消しながら逃げるっす。アクセス記録を書き換えて...時刻も30分前に変更...」
彼は素早く複数のコマンドを入力した。
「偽の痕跡をばらまいて、5つの経路から同時に撤退します。どれが本物か分からなくするっす」
「逆探知、55%...60%...65%...」
「来い...!」
ジェイクが呟く。歯を食いしばっている。
「70%...停止しました!」
エミリーが叫んだ。
「逆探知、見失ったみたいです!」
ジェイクは椅子に倒れ込んだ。額に汗が滲んでいる。
「...間に合ったっす」
「休んでる暇はない」
マーカスが言った。
「本物のサーバーへの侵入準備を始めろ。23時30分、一発勝負だ」




