第3話:禁断の作戦(後編)
翌日、午後2時。
国家情報院、地下5階。第三会議室。
アレックスとマーカスは、すでに席に着いていた。
ドアが開く。
入ってきたのは、21歳前後の若い男だった。パーカーにジーンズ、手にはエナジードリンクの缶。軽薄そうな笑みを浮かべている。
「よろしくっす」
軽い調子で言った。
ジェイク。21歳、天才ハッカー。
「遅刻だぞ」
マーカスが低い声で言った。
「えー、だって渋滞が」
「嘘をつくな。お前は徒歩5分の距離に住んでいる」
「バレてた」
ジェイクはニヤリと笑い、席に座った。エナジードリンクの缶を机に置く。カチンと音がした。
「ジェイク、集中しろ」
アレックスが静かに言った。眼鏡の奥の目が、冷たく彼を見ている。
「はいはい、分かってますって」
ジェイクは軽く手を振った。
しばらくして、ドアが再び開いた。
入ってきたのは、28歳前後の女性だった。黒いスーツに身を包み、無表情。その目には何の感情も浮かんでいない。
ミランダ。28歳、完璧な変装技術を持つ女性工作員。
彼女は無言で席に着いた。誰とも目を合わせない。
そして最後に、19歳前後の少女が入ってきた。緊張した面持ちで、小さく縮こまっている。
エミリー・ハート。19歳。
「す、すみません...遅れました...」
か細い声だった。
「定刻通りだ。座れ」
マーカスが言った。
エミリーは慌てて席に座った。手が震えている。
レイヴンが入ってきた。
「全員揃ったな」
レイヴンの声には感情がなかった。彼は手元のタブレットを操作し、正面のスクリーンに画像を映し出した。
「改めて紹介する」
レイヴンは一人ずつ指差した。
「アレックス・オラクル。データ解析とリスク評価のスペシャリストだ」
「マーカス。物理侵入と戦闘のスペシャリストだ」
「ジェイク。ハッカーだ」
「天才ハッカー、って呼んでほしいんすけどね」
ジェイクがニヤリと笑った。
「ミランダ。変装と潜入工作のスペシャリストだ」
ミランダは無言のまま、わずかに頷いた。
「エミリー・ハート。彼女には、特殊な才能がある」
エミリーはビクッと身を震わせた。
「は、はい!」
レイヴンはタブレットを操作した。画面に複雑な建物の見取り図が表示される。5階建て、廊下が入り組んでいる。
「エミリー」
「は、はい!」
声が裏返っていた。
「この建物を見ろ。3秒だ」
エミリーは画面を凝視した。瞳が大きく見開かれ、瞬きもせずに画面を見つめている。
レイヴンがタイマーを起動する。
3秒後、画面が消えた。
「3階の会議室から、1階の裏口への最短ルートは」
エミリーは目を閉じた。頭の中に建物が浮かんでいる。立体的に。廊下、階段、部屋、すべてがそこにある。
「...中央階段を降りて、2階で左折。非常階段。所要時間、11秒です」
その声は、さっきまでの震えが消えていた。
「監視カメラの死角は」
「2階の廊下、柱の影。非常階段の踊り場。カメラの角度から、そこは映りません」
完璧だった。
ジェイクが小さく口笛を吹いた。
「すげえ...マジで天才じゃん」
「映像記憶」
マーカスが呟いた。
「そして、空間認識能力だ」
レイヴンが答えた。
「彼女は一度見た建物を立体的に記憶できる。構造、カメラの位置、死角、最短ルート。すべてを瞬時に把握する」
レイヴンはエミリーを見た。
「彼女の目が、諸君らを生かす」
エミリーは俯いた。耳まで赤くなっている。手を膝の上で握りしめていた。
「す、すみません...こんなことくらいしか...」
「十分だ」
マーカスが言った。その声は、いつもより少し柔らかかった。
エミリーは少しだけ表情を緩めた。
レイヴンが続ける。
「作戦名は、オペレーション・エクリプスだ」
「月食で太陽が月に隠されるように、諸君らは闇に溶け込め。各国のサーバーに侵入し、データを奪還する。手段は問わない。ハッキング、物理侵入、買収、脅迫。何でも使え」
スクリーンに7カ国の詳細情報が表示された。
「A国は友好国で、昔から技術支援を行ってきた国だ。セキュリティ面での脆弱性を見抜ければ、ハッキングが可能だろう」
「楽勝っすね」
ジェイクが軽く言った。
「舐めるな」
マーカスが低い声で言った。
「友好国だからこそ、警戒が必要だ。表向きは友好的でも、裏では何をしているか分からない」
「はいはい」
ジェイクはエナジードリンクを一口飲んだ。
「B国は中立国。サーバーは完全にネットワークから切断されている。ハッキングは不可能だ。物理侵入が必要になる」
「俺の出番だな」
マーカスが呟いた。
「C国は最高レベルのセキュリティを誇る経済大国。内部協力者が必要になる」
「D国、E国、F国、G国」
リストは続いた。どの国も、一つ間違えれば国際問題に発展する相手ばかりだ。
「各ミッションの詳細は作戦開始前に個別に伝える。まずは最初の目標、A国から始める。準備期間は72時間だ」
レイヴンはタブレットを置いた。
「質問は?」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「一つ」
アレックスが手を挙げた。眼鏡を押し上げる。
「何だ」
「万が一、作戦が失敗した場合の撤退プランは?」
「ない」
レイヴンは即答した。
「失敗したら、その場で処理しろ。捕まるな。情報を漏らすな。死ぬなら、国家の秘密を守って死ね」
沈黙が落ちた。エミリーの手が、再び震え始めた。
「他には?」
誰も手を挙げなかった。
「では、解散だ。72時間後、再びここに集合しろ」
メンバーは立ち上がり、三々五々部屋を出ていく。
廊下で。
「ねえ、ジェイク君」
エミリーが隣を歩くハッカーに話しかけた。声が小さい。
「何っすか?」
ジェイクは振り返った。いつもの軽い調子だ。
「ジェイク君は怖くないの? 私、手が震えちゃって...」
エミリーは自分の手を見た。まだ、わずかに震えている。
「大丈夫っすよ。ミランダ先輩がついてるじゃないですか」
ジェイクはニヤリと笑った。
「でも」
「失敗したら、その時考えればいいんす。今から心配しても、意味ないっすよ」
エミリーは少しだけ笑った。
「そうだね。ありがと」
後ろから、ミランダの声がした。
「エミリー」
「は、はい!」
エミリーは慌てて振り返った。ミランダは無表情のまま、彼女を見ている。
「集中しろ。余計な思考は任務の邪魔になる」
「すみません!」
エミリーは慌てて姿勢を正した。背筋がピンと伸びる。ミランダは彼女の師匠だ。厳しいが、それは期待の裏返しだと、エミリーは信じていた。
「あなたは私の補佐に入りなさい。変装の準備、監視機材のチェック、逃走ルートの確認。一つでも手を抜けば、全員が死ぬと思いなさい」
「わかりました!」
ミランダはわずかに表情を緩めた。口角が、ほんの少しだけ上がる。
「あなたは、やればできる子よ。自信を持ちなさい」
エミリーの目が輝いた。
「はい!」
三人は廊下の奥へと消えていった。
その夜、アレックスは自宅のデスクで各国の情報を分析していた。
A国、友好的な関係を築いてきた国だ。だが過去に3度、我が国のサーバーへの不正アクセスが確認されている。友好的な顔をしながら、裏では監視していた。
B国、中立国。軍事力は高くないが、情報機関は優秀だ。システムは物理的に侵入しなければ突破できない。
C国。
アレックスはその国の情報を見て、しばらく画面を見つめた。眼鏡を外し、目を細める。
最高レベルのセキュリティ。多層防御。内部協力者なしでは不可能だ。
だが、同時に気になるデータがあった。C国の諜報機関は過去10年間、我が国に異常なほど関心を持っていた。単なる監視以上の、何か。
「まさか」
アレックスはその考えを頭から追い出した。今は、目の前の任務に集中するべきだ。
彼はコーヒーを一口飲み、再びキーボードに向かった。
72時間後、A国への侵入が始まる。




