B国、封鎖された要塞(中編)
翌日、午前8時。
ミランダとエミリーはB国の首都、ヴェルネシアに到着していた。空港から出ると、冷たい空気が二人を包んだ。吐く息が白く凍る。
街は異様に静かだった。車のクラクションも聞こえない、人々は整然と歩いている。そして至る所に監視カメラがあった。
エミリーは窓の外をじっと見ていた。街の風景が頭の中に立体的に焼き付いていく。
交差点の監視カメラ、3台。
信号機の上、ビルの角、街灯。建物の構造、エントランス、非常口の位置、窓の数。警備員が立っている場所、人通りの多い時間帯。すべてを記憶していく。
ミランダはエミリーに小さく言った。
「あまりカメラに注意を向けないで。あくまで自然に歩いて」
「は、はい」
エミリーは慌てて視線を逸らした。
二人はタクシーに乗った。運転手は無言でIDカードをスキャンした。ピッと音がする。画面に二人の情報が表示される。
「観光ですか」
運転手が聞いた。バックミラー越しに二人を見ている。
「ええ」
ミランダは完璧なB国語で答えた。
「初めてなので、楽しみです」
「良い国ですよ。安全で、清潔で」
運転手は微笑んだ、だがその目は笑っていなかった。冷たく、何かを探るような目だった。
車はホテルに向かった。
二人がホテルに到着すると、観光ホテルにも関わらず警備員が2名配置されていた。他の客はいない、不自然なほど静かだ。
チェックイン時、再びIDカードをスキャンされた。ピッ。指紋も取られた。
部屋に入るとミランダはすぐに部屋を調べた。ベッドの下、机の引き出し、電話の裏。盗聴器、3つ見つけた。
「予想通りね」
彼女は盗聴器を無効化せずに放置した。無効化すれば逆に疑われる。
「これから24時間、私たちは監視される。会話は最小限にして」
「わかりました」
ミランダとエミリーは手話でやり取りをかわした。
午前10時。
ミランダの携帯が鳴った。暗号化されたチャット通信だ。彼女はすぐさまインカムを付け、チャットで応対する。
「進捗は」
アレックスの声が聞こえた。淡々とした、機械のような声だった。
「ダニエル・クォンの確保、難航している」
ミランダは眉をひそめた。
「何?」
「彼は予想以上に警戒している。昨夜カジノに行った後、3回もタクシーを乗り換えた。尾行を警戒している」
「理由は」
「おそらく、借金取りを恐れているのね」
ミランダは舌打ちした。小さく、だが明確に。
「時間がない。強制的に確保して」
「リスクが」
「やって」
ミランダの声は冷たかった。
通話を切った。
午後12時、再び連絡が来た。
「確保した」
マーカスの声だった。
「問題は」
「彼は協力を拒否している。脅迫しても効果がない」
「金を提示して。借金の倍額」
「...了解した」
30分後、午後12時30分。
「成功した。彼のIDカードと制服を入手した」
マーカスの声には、わずかな安堵が混じっていた。
「生体情報は」
「指紋データを複製した。でも、血管のパターンまでは複製できない」
「くそ」
ミランダは唇を噛んだ。
「血管認証はどうする」
「ジェイクがシステムをハッキングして無効化する」
「成功率は」
「...6割くらいだ」
「低すぎる」
「だが、他に方法がない」
アレックスの声が聞こえた。
ミランダは深く息を吐いた。
「わかった。作戦を続行する」
午後1時。
ミランダとエミリーはメンテナンス業者と清掃業者の制服に着替えた。ミランダは鏡を見た。黒いズボン、白いシャツ、セキュテック社のロゴ入りジャケット。完璧。
エミリーは清掃業者の制服を着ていた。青い作業服、白い帽子。手が震えている。
「似合ってる?」
ミランダが聞いた。
エミリーは小さく頷いた。
「名前を言って」
「私の名前はミン・ジヨン。23歳、クリーンライフ清掃会社勤務」
「もう一度」
「私の名前はミン・ジヨン」
何度も繰り返した。エミリーの声が、少しずつしっかりしてくる。
午後1時50分。
「OK、行くわよ」
同時刻。
マーカスとアレックスは商業ビルから出てきた。人通りの多い通り、二人は自然に歩いた。マーカスは暗号化通信装置に告げた。
「1つ目、完了」
通信装置からジェイクの声が聞こえた。
「データ確認しました。成功っす」
ジェイクの声は興奮していた。
午後1時。
B国、国境近くの隠れ家。廃工場を改装した場所だ。外見は廃墟だが、内部には最新の通信機器が並んでいる。
マーカスとアレックスが戻ってきた。ジェイクがモニターの前でキーボードを叩いている。カタカタカタカタ——
「データ取得、成功っす。商業ビルからB国とF国の軍事同盟協定が」
「詳細は後だ」
マーカスは時計を見た。
「ミランダ、エミリー、準備はいいか」
通信装置からミランダの声が聞こえた。
「ええ」
「オフィスビルが最後だ。気をつけろ」
マーカスはモニターを見つめた。画面にはオフィスビルの監視カメラの映像が表示されている。
「無事に帰ってこい。お前たちはこのチームに必要だ」
その声には、わずかな温かみがあった。
ミランダは驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。
「約束するわ」
午後2時05分。
ミランダはオフィスビルの前に立っていた。高層ビル、35階建て。ガラスと鋼鉄で作られた要塞、外見は普通のオフィスビルだが、その存在感は圧倒的だった。
ミランダは深呼吸をした。心臓が激しく鳴っていた、だが表情には一切出さない。彼女は暗号化通信装置をつけイヤホンを確認した。準備は整った。
「マーカス、聞こえる?」
「ああ。商業ビルは成功した。残るはそこだけだ」
「了解」
「...気をつけろ」
マーカスの声が、わずかに震えていた。
ミランダは微笑んだ。
「心配してくれるの?」
「当然だ。お前は俺の部下だ」
「わかってる。無事に帰るわ」
だが心の中に違和感があった。マーカスたちは成功した、だがそれは商業ビルが簡単だったからかもしれない。オフィスビルは最も警備が厳重だと聞いている。
——気を引き締めろ。ここからが本番だ。
彼女はビルに向かって歩き始めた。
ロビー。
自動ドアが開く。広く明るいロビー、大理石の床、高い天井。そして警備員が4人、受付に2人、入口に2人。監視カメラが至る所にある。
ミランダは自然に歩いた。受付に向かう。靴音が、硬い床に響く。
「こんにちは。メンテナンスです」
彼女はB国語で挨拶した。完璧な発音だった。
警備員は彼女を見た。鋭い目。まるで獲物を見るような目だった。
「IDカード」
ミランダはダニエル・クォンのIDカードを提示した。警備員はスキャナーで確認した、ピッと音がする。画面にダニエル・クォンの顔写真と情報が表示される。
警備員はミランダの顔と画面を見比べた。3秒、5秒、10秒。
ミランダは自然に微笑んだ。
「暑いですね。今日」
警備員は無表情のまま答えた。
「ええ」
さらに5秒。やがて警備員は頷いた。
「確認しました。金属探知機を通過してください」
ミランダは工具箱を持って金属探知機に向かった。ピーッ。当然反応する、工具は金属だらけだ。
警備員が近づいてきた。
「工具箱を開けて」
ミランダは工具箱を開けた。カチャリと音がする。警備員は中身を一つずつ確認した。ドライバー、スパナ、配線テスター、ペンチ、ハンマー、そして小型のハッキング装置。
警備員がそれを手に取った。じっくりと見ている。
「これは?」
ミランダは平然と答えた。その声には、一切の動揺がなかった。
「診断ツールです。セキュリティシステムの状態を確認するための」
警備員は装置をじっくりと見た。10秒、15秒。やがて彼は頷いた。
「わかりました。エレベーターはあちらです」
ミランダは一礼してエレベーターに向かった。
イヤホンからアレックスの声が聞こえた。
「第一関門突破。その調子で頼む」
「ええ」
ミランダは返事をしたが、心の中に違和感があった。簡単すぎる。B国は過去20年間7人の工作員を捕らえてきた、そんな国の警備がこんなに簡単に突破できるはずがない。
ミランダはエレベーターのボタンを押しながら周囲を見渡した。警備員の配置、監視カメラの角度、すべてが教科書通りだ。逆にそれが不自然だった。
イヤホンからマーカスの声が聞こえた。
「油断するな」
「わかってる」
ミランダは息を吐いた。
——気を引き締めろ。ここからが本番だ。
エレベーターのドアが開いた。
ミランダは乗り込んだ。中は監視カメラが2台、彼女を見下ろしている。彼女は地下3階のボタンを押した。
その瞬間、画面が表示された。
「生体認証を行います。指を置いてください」
指紋認証。ミランダは複製した指紋データが入ったシリコンを指に装着していた。彼女はスキャナーに指を置いた。
ピッ。
「認証中」
5秒、10秒。ミランダの心臓が激しく鳴った。手のひらに汗が滲む。15秒。
ピッ。
「認証成功」
ミランダは息を吐いた。次に顔認証、カメラがミランダを映した。システムが彼女の顔を分析する。
「認証中」
ミランダは自然な表情を保った。10秒、15秒。
ピッ。
「認証成功」
エレベーターが動き始めた。
イヤホンからマーカスの声が聞こえた。
「順調だな」
「ええ。順調すぎるくらい」
ミランダの声には、わずかな不安が混じっていた。
その瞬間、エレベーターが突然止まった。ガタンと音がする。画面に新しい表示が現れた。
「追加認証を行います」
「何!?」
ミランダは息を呑んだ。
「体重測定を開始します」
床がわずかに沈む。体重計になっている。
イヤホンからジェイクの声が聞こえた。
「やばいっす! 追加の生体認証っす! 予定外っす!」
ジェイクの声がパニックになっている。
画面にダニエル・クォンの登録体重が表示された。78kg。ミランダの体重は56kg、22kgの差。
「くそ」
ミランダは舌打ちした。
「ジェイク」
「やってるっす! でも、このシステム複雑で」
画面に警告が表示された。
「体重不一致。管理室に通報します」
マーカスの声が聞こえた。
「ミランダ、撤退しろ」
「待って」
ミランダは冷静に考えた。工具箱の重量は約8kg、自分の体重56kg。合計64kg、まだ14kg足りない。
工具箱を床に置く、少しでも軽く。彼女はジャケットを脱ぎ、靴も脱いだ。工具箱から最も重い工具を取り出し始めた。ハンマー、大型のスパナ。床に並べる。
だが、まだ足りない。
「カウントダウン:10秒」
——くそ、どうすれば。
「ジェイク! システムをハッキングして!」
「やってるっす! でも複雑で」
ジェイクの指がキーボードを叩く音が聞こえる。
「5秒」
ミランダは床に重い工具を並べ続けた。だが明らかに足りない。汗が額を伝う。
「ジェイク!」
「もうちょいっす!」
「3秒」
「今っす!」
ジェイクがシステムの重量センサーの設定を書き換えた。許容誤差を±5kgから±25kgに変更。
「2秒」
ピッ。
「認証成功」
エレベーターが再び動き始めた。ミランダは深く息を吐いた。全身から力が抜ける。
イヤホンからマーカスの声が聞こえた。
「...よくやった」
その声には、安堵と称賛が混じっていた。
「ありがと」
ミランダはジャケットと靴を履き直し、工具箱に工具を戻した。手が震えている。エレベーターが地下3階に到着した。




