追悼『母を失うということ』
追悼『母を失うということ』
私の母は、2019年の夏、七月の蒸し暑さのなかで静かにその生涯を閉じた。享年九十六。
小さな体に宿る力は、晩年まで衰えることを知らなかった。まるで、燃え尽きる寸前まで灯を掲げ続けた蝋燭のように、彼女は最後の瞬間まで、自らをまっすぐに保っていた。
私の記憶に深く刻まれている母は、なによりも"厳しさ"とともにあった。優しさや慈しみがその奥にあったことは、今でこそわかる。だが、幼い日の私にとって、母はまるで峻厳なる山のような存在だった。
毎週日曜の朝が来るたびに、私たち兄弟の心には、ひとつの緊張が走った。
書道である。
母は、まるで戦場に立つ指揮官のように、筆と硯を前に私たちを座らせた。
指導というより、それは"訓練"に近かった。筆の持ち方、墨の濃淡、払いの角度──ひとつひとつに厳しい眼差しが注がれ、少しでも怠れば、無言の圧が背後から伸びてきた。
だが、その時間には、母のすべてが詰まっていたように思う。
強さと厳しさ、そして何よりも、子に何かを伝えようとする情熱。
墨の香りが今もふとした時に蘇るとき、私は思うのだ。
あの時、私は母の心と直に向き合っていたのだ、と。
母の口癖は決まっていた。
「読み書きそろばんができれば、世の中なんとかなる」
その言葉には、母自身の歩んできた時代の現実と、生き抜くための知恵がにじんでいた。
書道と並んで、我が家の"日曜の儀式"に組み込まれていたのが、そろばんだった。
木の珠が規則正しく弾かれる音は、家中に鋭く響いた。母の指導の下、それは単なる計算練習ではなく、精神の鍛錬でもあった。
私たちは何度も、答えが合わないたびに珠をはじく手を止められた。
「考えなさい、頭を使いなさい」
母の声はいつも冷静で、そこに甘さはなかったが、不思議と恐ろしさだけではなかった。
その言葉の奥には、「どうしても乗り越えてほしい」という、強い願いのようなものが見え隠れしていたからだ。
ある正月前の寒い日曜の朝、私はいつもよりも早く筆を握っていた。
静岡市の浅間神社に奉納するための出展作品――母にとっても、そして私にとっても、特別な意味を持つ書だった。
だが、どうしても「払い」がうまくいかなかった。筆が紙を離れる瞬間、線が震え、思うように弧を描けない。
書き上げるたび、母は静かに首を横に振った。その沈黙が何よりも堪えた。
やがて母の叱咤は、言葉に変わった。
「墨の重さを感じて。力を入れすぎるから逃げるのよ。ほら、やり直し」
私は情けなさと悔しさで、泣きながら筆を運んでいた。涙が視界を曇らせ、筆先の動きも見えにくい。それでも母の前では泣き顔を見せまいと、下唇を噛みしめていた。
その時、母はふいに筆を取り上げ、代わりに右手の爪をそっと半紙にあてた。
「ここから、こう。線の骨をなぞるの。ほら、見えるでしょう?」
紙の表面には、爪で押された薄い跡が走っていた。まるで目には見えぬ地図のように、それは紙の上に静かに浮かび上がっていた。
「この線をなぞれば、手が覚える。まずはそこからでいいの」
母の声は、少しだけ柔らかくなっていた。
私は戸惑った。
それは"インチキ"じゃないのか──そんな思いが胸の奥からじわりと浮かんだ。
練習とは、正々堂々と自力でやるものじゃなかったのか。
でも、その"爪の線"の優しさに、私は逆らうことができなかった。
あの時の母の手は、怒りの手ではなかった。
私の震える手をそっと導こうとする、まるで風が柳の枝をたゆたわせるような、静かな優しさだったのだ。
今になって思えば、母の愛情のかたちは、時として間違っていたのかもしれない。
いや、間違っていたというよりも、不器用だったのだろう。
子どもだった私たちにとって、あの厳しさは理不尽に思えることもあった。
やり直しばかりの書道、珠の位置ひとつで叱られるそろばん、息を詰めて耐えた日曜の午前。
だが、母の信念は揺るがなかった。
「読み書きそろばんができれば、世の中を渡っていける」
それは単なる技術の話ではなかったのだと、今になって思う。
母が信じてやまなかった"読み書きそろばん"とは、字の美しさでも、計算の速さでもない。
丁寧に書くこと、誤魔化さずに数えること、目の前のことに真摯であること――
それは、社会に出た私たちにとって、いつのまにか"生き方"そのものになっていた。
文字の筆圧に、心の重みが宿ることを、
数字の正確さが、信頼の礎になることを、
そして、続けることが、誇りになることを、
私は、母の背中を通して学んでいたのだ。
今でも、手紙を書くときにふと姿勢を正す。
電卓ではなくそろばんを弾く音が、記憶の奥で鳴ることがある。
それらすべてが、母から贈られた"無言の手紙"だったのだと、私は今、静かに思い返している。
やがて私は、小学生の高学年になるころ、スポーツの世界に目を奪われるようになった。
墨の香りや木珠の音に代わって、グローブの革の匂いや、水の中で跳ねる音が、私の毎日を満たしていった。
野球と水泳。
その二つに夢中になるにつれ、私は自然と筆を手に取らなくなり、そろばんの音も、遠いものになった。
書斎の隅に置かれた硯箱が、次第に埃をかぶっていくのを、私はどこかで見て見ぬふりをしていた。
地域の大会で名前が呼ばれるようになり、褒められる場面が増えるにつれ、心の中にはある一つの大きな炎が灯り始めた。
オリンピック選手になる。
それは単なる夢ではなく、自分の未来の姿として、はっきりと浮かび上がっていた。
母の前でも、「将来はスポーツで食べていく」と公言するようになった。
そのときの母の表情を、私は今でも覚えている。
微笑の中に、かすかな戸惑いと寂しさがにじんでいた。だが、何も言わなかった。
「読み書きそろばん」とは別の道を選ぶ私に、母は反対せず、ただ静かに見守ってくれた。
それが、母なりの"応援"だったのだと気づくには、まだ時間が必要だった。
私が"読み書きそろばん"から離れ、汗にまみれる日々へと舵を切ったとき、
いつの間にか母の姿は、少しずつ私の日常の外側に退いていった。
書斎に一人で座り、書をしたためる母の背中を、私は廊下越しに見ることはあっても、もう隣には座らなかった。
そのかわりに、父が私のすぐ傍に立つようになった。
父は母ほど言葉を重ねる人ではなかったが、行動で示す人だった。
早朝のキャッチボール、雨の日のプールの送迎、夜な夜なバッティングフォームを鏡越しに一緒に確認する時間──
気づけば、父は私の"伴走者"になっていた。
私が夢を語ると、父はただ「いいな」と言った。
それは、母のように理屈をもって教えるのではなく、
私の内側の熱を信じ、静かに火を絶やさぬように見守る眼差しだった。
父は母と違って、「こうしなさい」とは言わなかった。
その代わり、「どうしたい?」とよく聞いた。
私は、母の厳しさで土台を築き、父の柔らかさで羽を広げていったのだと思う。
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今日、私は一本のメールで、彼女の母親が他界されたことを知った。
彼女は、仕事上でも友人としても、私がもっとも信頼する人だ。
互いに支え合い、励まし合ってきた関係だっただけに、その知らせは胸の奥深くまで響いた。
来月予定していた日帰り旅行の打ち合わせをしようと、私は何気なく連絡をした。
彼女からの返信は、静かで、けれど重たかった。
「実は、母が11日に亡くなりました」
その一行だけが、画面に浮かび上がっていた。
私は思わず息を呑んだ。
指が止まり、心臓が小さく跳ねるのを感じた。
彼女がどれほどの悲しみのなかにいるかも知らずに、無邪気に予定を持ちかけてしまったことへの悔い。
その文面に滲む沈痛な静けさに、言葉を失った。
彼女の母親を拝見したのは、たった一度きり。
半年ほど前のことだった。
休日の午後、ふたりで小さなカフェに腰を下ろしていた。
窓からは優しい日差しが差し込み、カップから立ちのぼる湯気が静かに揺れていた。
会話は穏やかで、仕事の話から少しそれて、家族のことへと移っていった。
彼女はスマートフォンの画面を私の方へそっと傾け、「この人が母なの」と言った。
画面に映っていたのは、一枚の集合写真。
おそらく結婚式か、親戚が集まる祝いの席だろう。
そこにいた彼女の母親は、小柄で、目尻に笑い皺を浮かべた、どこか親しみのある女性だった。
にこやかな表情の奥に、周囲をあたたかく包み込むような、静かな気配が感じられた。
「今は介護施設にいるの」
彼女はそう呟き、ほんのわずか、声を低くした。
その瞬間、彼女の心の奥にある"娘"としての想いが、言葉の端からこぼれ出た気がした。
あのとき見せた表情を、私は今でも覚えている。
寂しさと、それでもなお慈しむような温かさが、彼女の瞳にあった。
そして今、その母親が、永遠にいなくなってしまった。
彼女がいま、どこでどんな風に涙を流しているのか。
どんな言葉を母にかけたのか。
最後に何を伝えたのか。
想像するたび、胸が締め付けられる。
優しく、寛容で美しい彼女が、母という唯一無二の存在を失った悲しみ。
それは想像するだけで、私の心までもが引き裂かれそうになる。
母の温もり、声、笑顔、仕草。
すべてがもう、触れることのできない過去になってしまった。
彼女はきっと今、何度もあの写真を見返しているだろう。
母の笑顔を、目尻の皺を、指先でなぞるように見つめているだろう。
そして、もう二度とその声を聞くことができないという現実に、何度も打ちのめされているに違いない。
母が最期に何を思っていたのか。
自分はちゃんと娘としての役目を果たせたのか。
そんな問いが、きっと彼女の胸を何度も繰り返し襲っているだろう。
私の母との日々が、今もこうして胸に残っているように、
彼女にもまた、数えきれない思い出があるはずだ。
幼い頃、母の手に包まれた記憶。
泣いたとき、そっと背中をさすってくれた感触。
母の作った食事の味。
叱られたときの、厳しくも愛情のこもった眼差し。
遠くから見守ってくれていた、無言の応援。
それらすべてが、今、彼女の胸を激しく揺さぶっているはずだ。
あたたかさと、失われた現実とが、交互に押し寄せてくる。
そのたびに、悲しみは新しく、鋭く、心を刺し続ける。
母を失うということ。
それは、もう決して帰らない場所を、心の中に抱えることだ。
どれほど呼んでも、もう返事はない。
どれほど会いたくても、もう手を伸ばせない。
彼女がいま、その深い喪失感のなかで、どれほど孤独を感じているか。
涙が枯れるまで泣き、それでもなお溢れる悲しみに、身を沈めているか。
想像するだけで、私の胸も痛む。
今はただ、彼女の母親のご冥福を、心から祈りたい。
そして、彼女自身が、その深い哀しみをゆっくりと受け止め、
いつか、母の愛に包まれた記憶とともに、
穏やかな日々を取り戻せる時が来ることを、
静かに、祈り続けている。
彼女がまた笑顔を見せてくれる日まで、私はじっと待っていたい。
何も言葉にできなくても、ただ遠くで見守ることが、
せめて彼女の支えになることを願いながら。




