第9話 小さな光と揺れる心
――平穏な日々が続き、春の兆しが見え始めた頃。世の中は、社交シーズンに入ろうとしていた。
月に一度の報告を終えて、オルガが離れに戻って来た。
「本邸のほうは、忙しそうでしたよ」
「そういえば、仕立て屋さんがいらっしゃっていたみたいですね」
ミリアがそう言いながら、お茶を淹れてくれた。
「私はドレスより、新しい本が欲しいな」
「ふふふ、リーナ様らしいですね。私はクッキーがいいです」
ミリアと二人で笑い合った。
その時、玄関から控えめだが澄んだ音が響いた――魔力をこめたノッカーの音だ。
自然と身を乗り出し、扉の向こうを見やる。そこに立っていたのは、無表情で冷たい雰囲気を纏ったエリオットだった。
玄関からこちらに歩いてくる足音に、胸の奥が少しずつ緊張していく。
「報告に、何か不備がありましたでしょうか?」
オルガの声に少し気づくが、私はただ静かに見つめる。
「いや、そういうことじゃない」
いつも通りの冷たい声に、逆に肩の力が少し抜ける。
「エルリーナ様、お久しぶりです」
形式的な声に、自然と軽く頭を下げる。
そして差し出された小さな包みに目を向ける。
「ルーカス様からの資料です。来年、学園に入学するにあたり、クラス分け試験の参考になるだろう、とのことです」
そっと手に取り、中を覗き込む。ページが重なり合い、丁寧にまとめられた文字と図が並んでいる。
「……ルーカス様が? これは、試験対策……」
思わず小さく息を漏らす。胸が温かく、驚きと感謝でいっぱいになる。
私は包みを抱え、どうしても言わずにはいられなかった。
「エリオットさん、ルーカス様に、ありがとう、と伝えてください」
彼の口元がわずかに引き上がるのが見え、少し安心する。
「承知しました」
気になって、思わず聞いてみる。
「ねえ、エリオットさん……ルーカス様は試験、もう終わっているんですよね? クラスはどこになったのか、知っていますか?」
彼が足を止める。無表情のままだが、どこか得意げな空気が漂う。
「はい。Sクラスです」
胸が高鳴る。
「S……! ルーカス様すごいですね」
資料を前に、尊敬と感心が入り混じる。
(だけど、どうして私のために……?)
一度しか会ったことのない伯爵家の人なのに、なぜこんなに気を利かせてくれるのだろう。
理由はわからないけれど、ありがたく使わせてもらおう。
♦︎♦︎♦︎
ルーカス様から思わぬ支援をもらって、日常がさらに充実していった。
毎日の朝の支度は、もう手慣れたものになり、三人で賑やかにお菓子を作ったりと、オルガもミリアも笑顔が咲いていた。
春から夏にかけて、忙しい庭師の仕事の合間に、バルドが来て、ひとりになってもできる運動を教えてくれた。
ルーカス様からもらった資料も、擦り切れるまで何度も見返して、勉強も頑張った。
セラも『私には関係ない』とか言いながら、古代語以外もたくさん教えてくれた。
だんだんと秋が深まり、とうとう年末になってしまった。
冬の夜、眠れずにベッドに座っていた。
ふと、ソファーに丸くなって寝ている白猫が目に留まる。
「ねえ、セラ」
『なんだ?』
窓の外には、冬の夜空に瞬く無数の星。
「私……ここを離れて、やっていけるかな」
『どうした、急に』
気がつくと、セラは起き上がり、こちらを見ていた。
「うーん……ここの生活があたたかすぎて……」
オルガもミリアも、バルドも――みんなが私を支えてくれる。安心できる時間がここにある。
(寮にはひとりで行くって、自分で決めたはずなのにな)
「……なんてね、ちょっと感情的になっちゃった、へへへ」
笑ってごまかす。
『大丈夫だ。リナ』
顔を上げると、ソファーにいたはずのセラが、ベッドに飛び乗ってきて、私を見上げていた。
『学園には私がついていく。休みに入ればここにまた戻ってくるんだろう?』
「……うん。……そうだね。セラがいるし、ここのみんなにも、また会えるもんね」
セラが私の腕を、とんとんとつついてきた。
「?……なに?」
『……しょうがないな。なでてもいいぞ』
そう言って白猫は、私に背中を向けた。
「え!!いいの?」
『今回だけだ』
「わーい! ……うわぁ、もふもふするぅ」
『おい!なですぎだぞ!』
「えー、いいって言ったよねー」
『もう終わりだ!さっさと寝ろ!』
そう言ってベッドを降り、ソファーに戻っていった。
「残念。でも、ありがとうセラ。おやすみ」
セラの背中に声をかけた。
不安でざわついていた胸の奥が、セラの存在とその柔らかさで、そっと落ち着きを取り戻す。
丸くなって寝るセラを見ながら、心がふっとほどけていくのを感じた。
♢♢♢
年末の昼下がり、離れの暖炉の前でお茶を飲みながら、ふと思いついた。
「ねえ、今夜……三人で、私の部屋で過ごさない?」
軽く言ったつもりだったけれど、言葉にした瞬間、空気がわずかに揺れた。
オルガは一瞬だけ表情を引き締め、少し困ったように眉を下げる。
「……それは、その……よろしいのでしょうか。わたくし達は侍女で――」
「わあ!楽しそうです!」
ミリアが思わず声を弾ませ、オルガが「あら」と目を丸くした。
「……ミリア」
「えっ、だ、だめ……でしたか?」
「だめではありませんが……」と苦笑混じりに言いつつ、オルガの頬がわずかに緩む。
私は小さく笑った。
「今夜だけでいいの。立場とか関係なく……ただ三人で、過ごせたらなって」
ミリアが嬉しそうに頷く横で、オルガは一度ため息をつき、肩をすくめて笑った。
「……まったく。ミリアがそういう顔をするんですもの――今夜だけ、ですよ?」
私たちは自然と笑顔になる。やっぱりミリアは、素直でかわいい。
昼間は皆で少しずつ布団や毛布を運び込み、暖炉の近くに並べた。部屋の空気はいつもより少し特別で、笑い声が静かに弾む。
夜になり、三人は布団に寝転びながら、それぞれ今年の思い出や来年の抱負を語り合う。
「私は学園で、いっぱい勉強するつもり。まだまだ知らないことだらけだから」
声には自然に、希望とわくわくが混じる。
オルガは少し照れながらも真剣に言った。
「私も、侍女としての日常はできているけれど、なんとなくこなしていたことを、来年はもっと極めたい」
ミリアはもぞもぞと布団の上に体を起こし、膝を揃えて座り直した。
「私は、一人前の侍女になること。エルリーナ様とオルガ姉さんみたいに、堂々と自信を持って働けるようになりたいです」
オルガが目を細め、小さく息を吐く。
「……ふふ。それなら、今まで以上にびしびし叩き込まなければなりませんね」
「えっ!? い、今まで以上に!?」
ミリアは慌てて布団に身を沈め、思わず笑ってしまう。
「しょうがないわね……」
オルガも微笑み、私たちは三人で笑い合った。
夜の闇と暖炉の光に包まれ、少しずつ眠りに落ちていく。セラはリビングで寝ているようで、私たちの時間を邪魔せず見守ってくれていることが、心の片隅で温かく感じられた。
翌朝、目覚めると窓の外には澄んだ冬の空が広がっていた。布団にくるまりながら、私は新しい年、新しい日常に胸を弾ませる。少しの不安もあるけれど、それより大きな期待と楽しみが勝っていた。
これから先、どんな道になるのかはまだわからない。
でも――三人で過ごした夜の思い出があれば、きっと頑張れる。
そう思えるだけで、胸の奥が少し軽くなった。
読みにくかったらごめんなさい。
次の更新までしばらくお待ちください。




