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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第6話 不確かな道と警戒

――初夏の爽やかな空の下、馬車はイグナリエル伯爵家本邸へ向かって進む。


「リーナ様、大丈夫ですか?」

オルガが手を握ってくれる。

「少し緊張してるけど、大丈夫」

私は小さく答え、手を握り返す。彼女の温もりに少しだけほっとする。


しばらくすると、白い壁が陽光に輝く本邸が視界に入った。

(……やっぱり綺麗な建物。確かここに来たのは、5歳の頃だったかな)


その瞬間、以前に読んだお祖父様の日記の一節が、ふと胸の奥に浮かんだ。


――「マーカスは、兄セドリックと違って“貴族であること”に誇りを持っている。

それは決して傲慢ではなく、家を守るという強い責任感からくるものだ。

だが、その誇りゆえに、家を出たセドリックの選択をどうしても理解できなかったようだ」――


(……そうだった。お祖父様は“マーカスは不器用なほど真面目な男だ”とも書いていた)

伯爵家を守るために生きてきた人。

兄の生き方を許せなかった人。

(そんな叔父様にとって、兄の娘である私がどんな存在に映るんだろう……)


そんなことを考えていたら、馬車は静かに玄関前で止まる。


扉が開き、執事のエリオットがすっと手を差し出した。

「エルリーナお嬢様、こちらへ」

少し緊張しながらも、その手を取って馬車を降りる。


「応接室までご案内します」

(この人がエリオット……オルガが言う通り、無表情で少し怖いな)

エリオットの後を追いながら、私は背中をオルガに支えられる。その安心感が、心の奥でほんの少しだけ緊張を和らげてくれた。


大きな扉を押すと、広く高い天井の玄関ホールが現れる。

大理石の床が光を反射し、壁には歴代伯爵の肖像画がずらりと並んでいる。

(あ!……あの肖像画はお祖父様かも!)


小さな声でオルガが促す。

「リーナ様、行きますよ」


応接室の扉が開かれ、エリオットの声が響く。

「エルリーナお嬢様を、お連れ致しました」


中には伯爵であり養父で叔父のマーカス様と、伯爵夫人で養母のセラフィナ様がソファに並んで座っていた。

マーカス様は短く整えた深紅に近い栗色の髪と琥珀色の瞳で書類を見つめ、「入れ」と短く答える。


セラフィナ様は上品に巻いた深紅の長髪を揺らし、扇で口元を隠しながらも目には微かな嫌悪が浮かぶ。


ソファの後ろには、少し無造作な明るい赤髪のルーカス様が立っていた。

(……あの人がルーカス様か……初めて見る)


隅には、赤みがかった灰黒の髪を短く整えた執事長ハロルドと、濃い茶色の髪を後ろにまとめた侍女長マルタが控えている。


マーカス様が目の前のソファに促す。

「掛けなさい。エルリーナ」

「はい……」

私は少し緊張しながら座った。


マーカス様は書類を横に片付けると、ゆっくりと口を開く。

「体調はどうだ?」

「はい……庭を散歩できるぐらいには……」

(本当はもう、心配なんていらないけれど……)


沈黙の中、マルタがお茶を置き、また静かに隅へ戻っていく。


マーカス様がお茶を一口飲んだ後、こちらを見た。

「エルリーナは学園に行きたいか?」

「はい……行きたいです」

私は聞かれたことだけを答え、視線を下に落とす。


その答えに、セラフィナ様の顔がわずかに険しくなった。

「学園に行きたいですって?……ルーカスと同じ馬車で通うつもり? いやだわ……」

苛立ちの滲む声に、部屋の空気が少し張りつめる。


「……あの女と同じように、平民になればいいじゃない!」

思わず声を荒げるセラフィナ様。


(あの女って……母様のこと?)

思わず手に力が入った。


セラフィナ様は苦々しげに息を吐く。

「貴族を捨てて、平民になって……ハンターなんて危険な仕事を選んで……結局、魔物に襲われて二人とも帰らなかった……」


その瞳には、怒りとも悲しみともつかない光が宿っていた。

「伯爵家を捨てた罰よ。――あの人たちは、自分で道を閉ざし――」


「セラフィナ! ……落ち着きなさい」

隣に座るマーカス様が、低く静かな声で言った。


セラフィナ様はちらりと夫を見たが、何も言い返さなかった。

唇を固く結び、視線を前に戻す。

けれど、その横顔にはまだ怒りの余韻が残っている。


部屋の空気は、張りつめたままだった。


「教育を受けさせることは、貴族として当然の務めだ。世間体のためにも、養女であっても正しい教育は施すべきである」


セラフィナ様は扇で口元を隠したまま、小さく息を吐いた。


しばしの沈黙の後、ルーカス様が静かに口を開く。

「提案があります」

落ち着いた声に、視線が集まる。

「学園の敷地内にある寮に入れればいいのでは?」


その言葉に、マーカス様が眉をひそめる。

「伯爵家として、寮に入れるなど、何を言われるかわからないぞ?」


ルーカス様は淡々と答えた。

「体調を理由にすれば、寮にいても体裁は保てます。実際、学園には神官や医師が常駐していますから」


思わず私は心の中で驚きの声をあげそうになる。

ルーカス様の表情からは感情が読み取れない。

なのに、この言葉は――私にとって大きな希望だった。


「ふむ……」

マーカス様は少し考え込むようにした後、冷静に口を開く。

「それなら、養女にも学びの場を与えていると体裁も保てるな」


セラフィナ様は落ち着きを取り戻し、マルタが入れ直したお茶を飲む。

「寮に行くのでしたら……もう、顔を見ることもなくて済みますわね」

だが、嫌味は忘れない。

(顔を見なくて済む?……5歳で伯爵家に来て以来、まともに会ってもいないのに……)


「ハロルド、学園の寮についての資料を取り寄せてくれ」

マーカス様は冷静にハロルドに指示を出す。

「承知しました、マーカス様」


「とりあえず……マナーや礼節の指導は、オルガに任せる」

その言葉に、オルガは静かに頭を下げた。

私はその横顔を見つめながら、胸の奥で小さく息を吐く。

(……学園、行けるかもしれない)


小さな期待と、少しの緊張を胸に、私は離れへ戻る。

外の光は温かく、木々の葉が柔らかく揺れている。

――まだ知らない世界が、少しずつ近づいてくる。


♦︎♦︎♦︎


本邸から離れに戻ったら、ミリアが待っていた。


「ただいま、ミリア」

「おかえりなさいませ、リーナ様。オルガ姉さん」

ミリアの笑顔を見て、私もオルガもほっとする。


本邸での話し合いの様子をミリアに話しながらお茶を飲む。

「リーナ様が本邸へ行っている間に、バルドさんが来ましたよ。」

どうやら離れから馬車が本邸に行ったのを見ていたらしい。

「バルドさんが言ってました。セラフィナ様は昔、セドリック様に想いを寄せていたみたいで、オーレリア様のことで何か言うかもしれないって、心配されてました。」


私とオルガは顔を見合わせて、なるほど…と頷いた。

(だから、「あの女」って言ったのかな)

「うん……まぁ、言われたけど、気にしないことにした」

と、苦笑い。


今後、学園に入学する準備を進めるけど、まだどうなるかわからないから、家事の習得と、バルドとの鍛錬は並行して進めて行こうと、三人で話し合った。


――その夜。


自室に入ると、セラが出窓に座っていた。


「セラ!どこに行ってたの? 今日の午前中、本邸に呼び出されたんだよ」

セラは出窓から降り、私の座るソファの横に飛び乗った。

『……そうか』

「そうかって、それだけ?」

不安だった気持ちを隠すように、少し拗ねた言い方になってしまった。


セラは静かにこちらを見つめ、言葉を選ぶように話し始めた。

『話がある』

その真剣な表情に、私は胸が少しざわついた。


『神に命じられて、リナの魂を見守るよう言われたと話したことを覚えているな?』

「うん、天界の狭間で言ってたね」

『だが、見守るだけなら天界からでも可能なんだ』

「え? そうなの?」

驚く私を横目に、セラは続ける。


『――魂が割れたのは、偶然ではない。誰かの意図があった可能性が高い』

「誰かの……意図?」

思わず息を呑む。


『割れる直前、私は確かに“風”の波動を感じた』

「風の波動……」

セラは小さく頷く。

『魂を割った張本人が、この世界にいるかもしれない』


私は息を呑み、手に力を入れた。胸がどきどきして、体が小さく震える。

「……私は、誰かに狙われているの?」

『まだ確かではない。風の波動を感じたのは私だけだった。だから、神は私にリナを見守る役目を与えたのかもしれない』


セラは少し間を置き、低い声で続ける。

『この屋敷の敷地内に、怪しい波動が二つあった』

「え?」

『ひとつは、リナにあまり良くない感情を抱く女、セラフィナ』

「あー……わかる気がする。直接嫌なこと言われたし」


『もうひとつは、執事のエリオット』

「え? 今日初めて会ったのに…なんで?」

『エリオットの方を探るのには時間がかかった』

「それで、わかったの?」

『ああ……ルーカスを守りたいという強い思い――リナを排除すべきか見極めようとするその意志が、私の感覚に触れただけだった』

「そうだったんだ……」


セラが少し表情をゆるめた気がした。

『屋敷で感じた二つの波動は、どちらも天界で感じたものとは違っていた。だから、今のところ直接の危険はない』


「そうなんだ……」

胸の奥の緊張が少しだけほどける。


けれど、セラの金色の瞳はすぐに真剣な光を取り戻した。

『だが、気を抜くな。もし、学園に行くことになれば、リナの行動範囲は広がる。見知らぬ人間と関わる機会も増えるだろう』

「……うん」

『魂を狙う者が本当にこの世界にいるのなら、動き出すのはその時かもしれない。警戒を怠るな』


セラの声が静かに響く。

その言葉には、守護者としての厳しさが滲んでいた。


私は小さく頷いた。

「わかった。気をつける」

心のどこかで怖さもあったけれど、それ以上に、

(守ってくれる存在がいる)

という安心が、胸の奥に灯っていた。


セラは小さく尻尾を揺らしながら、窓辺へと戻る。

『……それでいい。リナの選ぶ道がどんなものであっても、私は見守る』


外では夜風がやさしく木々を揺らしていた。

学園へ向かう未来が、少しずつ近づいてくる。

けれどその光の先に、まだ見ぬ闇が潜んでいることを、私はこの時知らなかった。


エルリーナを

オルガとミリアは、リーナ様。

バルドは、リーナ。

セラは、リナ。

と呼びます。


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