第5話 胸に灯る決意
――朝の陽ざしがやわらかく、春のぬくもりが少しずつ広がる頃。
「それじゃ、行ってきます。戻るまでお願いね。ミリア」
「はい!いってらっしゃい。オルガ姉さん」
離れの扉を閉め、いつものように無言で歩き出した。
月に一度、本邸へ報告に行く。
(朝の空気が、もうひんやりしなくなってきた)
小径の石畳には、ところどころ若草が隙間から伸びている。
あまり人が通らないせいか、少し荒れているけれど、気にならなかった。
(伯爵家に来て四年…リーナ様に付いて二年か…)
やがて木立の向こうに白い壁の本邸が見えてくる。
(病弱だけど、起きている時は暴れて怖いなんて…そんなこと一度もなかった。噂は噂ね)
緊張を隠すように表情を変えずに進み、使用人用出入り口の扉の前で一度止まり小さく息を吐いた。
(二年前は離れの仕事を押し付けられた形だったけど、引き受けてよかったわ)
扉を開け中に入るといつものように目的の部屋へ――
(これが終われば、今夜は…)
ある部屋の前で立ち止まり、短く名を告げてから中へ入った。
そこには、書類の束を手際よく捌く若い執事――エリオットがいた。
(若いのに……いつ見ても無表情で怖い……)
父である執事長ハロルドによく似た落ち着きがあり、赤みがかった栗色の髪をオールバックにしている。そして、冷たい眼差しが印象的だ。
「これが今月の報告内容です。」
報告書を渡す。エリオットはそれを受け取り読みながら…
「エルリーナお嬢様に変わりはありませんか?」
目だけが、鋭くこちらを見た。
「特に問題ありません。」
「…体調が安定してきているようですね。」
「はい。庭を散歩できるぐらいには…」
(本当は走り回ってるけどね…)と心で思う。
ふむ、と頷くエリオット。
「上に報告しておきます。」
そこで初めてこちらに顔を向けた。
「戻っていいですよ。」
「承知いたしました。失礼致します。」
淡々と話し終え、ただ静かに来た道を戻る。
(さて、戻ったら夕方までにやること終わらせなきゃ!)
♦︎♦︎♦︎
――その日の夕方、離れの居間のテーブルには小さなケーキと料理が並んでいた。
ミリアに手を引かれて席に着く。
今日は私の誕生日。
「リーナ様。12歳のお誕生日おめでとうございます!」
オルガは刺繍入りハンカチを…
「おめでとうございます!」
ミリアは花をモチーフにした髪飾りを…
「リーナおめでとう。」
バルドは弓の絵が描いてあるマグカップを…
それぞれプレゼントを持ってきてくれた。
「ありがとう…本当に…ありがとう!嬉しいです!」
プレゼントを抱えながら温かな気持ちに包まれていた。
四人で笑い合いながら料理を食べ、楽しく過ごした。
オルガが食後のお茶を配り終えた頃…
「皆さん。少しお話があります。」
いつもとは違う、決意が宿った声に3人は息を呑み耳を傾けた。
「私は一応貴族令嬢で、今日12歳になったから、近いうちに学園の入学案内が届くはずです。」
貴族の子供たちは特別な理由がない限り、学園で14歳から四年間学ばなければいけない。
12歳になった年に入学案内がくることは、前にオルガから聞いて知っていた。
入学までの二年間で準備を整えるらしい。
「だけど…叔父様が入学させてくれるかは、まだわかりません。」
「そんなっ…リーナ様は伯爵令嬢ですよ?」ミリアが声をあげた。
オルガは眉をひそめ、バルドは黙って聞いている。
私は続けた…
「もし入学できたとしても、義務は果たしたとして卒業後は伯爵家から除籍されるかもしれない…」
「……そんな…」そう言って今にも泣きそうなミリアの手をオルガが握っていた。
少しの沈黙の後、顔をあげて…
「それでね!皆さんにお願いしたいことがあります!」
「…お願いとはなんでしょうか?」
オルガも顔を上げこちらに向き直った。
「私に、一人で生きて行く術を伝授してほしいの。」
「「「え?」」」三人の声が揃った。
そしていつもより遅くまで四人で話し合った。
♢♢♢
その夜、ベッドの上ではいつものように魔力を抑える練習をしていた。
『リナ…大丈夫なのか?』
セラがソファからこちらを見ながら伝えてくる。
「え?みんなに頼んだこと?」
『…そうだ』
「大丈夫だよ。里奈の記憶もあるし…魔道具の使い方さえ覚えれば平気。」
『…そうだろうけど…バルドが張り切ってたからさ』
「…もしかして…バルドの話を聞いて心配してくれてるの?」
少しの沈黙のあと、セラはくるりと向きを変えて…
『……。魔力を常に抑えている状態を保つには、日々の努力が必要だぞ』
「話題変えるの下手すぎじゃない?ふふふ。はい!日々努力します!」
『終わったらさっさと寝ろ』
「ふふふ。ありがとう!おやすみセラ。」
♦︎♦︎♦︎
次の日から、離れで働く人に私も加わった。
本邸から大分離れているから見つかる事もない。
「リーナ様。まずは厨房の使い方からです。」
オルガは厨房にある魔道具の使い方から教えてくれた。
「飲み込みが早いですね。ミリアの時とは大違いだわ。」
「もう!オルガ姉さんったら!」ミリアが恥ずかしそうに頬を赤くしている。
「あはは…たまにこっそり覗いてたからかなー?」
(コンロ?とかと同じ使い方だからなー。里奈の記憶のおかげなんだけどね。)
午前中は侍女の仕事を手伝いながら料理や掃除、洗濯と少しずつ覚えていく。
午後からはバルドの出番だ。庭仕事もあるため毎日ではないが、本格的な弓の技術を教えてくれる。
「リーナ。今日は弓術の基礎とハンターの心得から始める。」
「はい!よろしくお願いします!」
――時間は少し遡り…誕生日を祝った日の夜。
「私に、一人で生きて行く術を伝授してほしいの」
バルドは俯いたまま、長い沈黙が落ちた。そのあと、ゆっくりと口を開いた。
「リーナに話しておきたいことがある」
十四年前。
夜も更けた使用人宿舎に、若きセドリックがやってきた。「話がある」と…夜気をまとったその顔は、どこか決意に燃えている。
「バルド、俺はーーオーレリアと共に伯爵家を出るつもりだ。そして、ハンターとして生きていきたい。」
突然の言葉に、目を見開いた。
「だから、ハンターのことを教えてほしい。」
「……セドリック様!正気ですか?貴方様は次期当主と聞きましたよ?」
「まだ決まった訳じゃない。双子の弟マーカスだっている」
「だとしても…貴族をやめる必要はないのでは…」
だがセドリックは首を横に振る。
「血筋や立場じゃなく、自分の力で誰かを護れるようになりたいんだ。命を張って戦える者でありたい。オーレリアも同じ考えだ」
その真剣な瞳に、言葉を失った。止めるべきだとわかっている。
「伯爵家は俺がいなくても、マーカスが継いでくれる。だから…」
だが――彼の中の熱意と覚悟は揺るぎない。
「元ハンターだったバルドにしか頼めない。敬語もいらないよ。」
知らされていたのか…
「……はぁ…しょうがないな…」
大きく息を吐き、渋々頷いた。
「いいだろう。心得くらいは叩き込んでやる。無茶をすればすぐ死ぬのがハンターだ。それを忘れるな!」
セドリックの顔に笑みが浮かぶ。
根負けするようにハンターの手ほどきを始めたのだった。
――――
「セドリック様がハンターになりたいと相談してきたとき、止めなかった。むしろ、心得を教えてしまった。あのとき強く止めていれば……リーナがひとりになることもなかったのかもしれん。」
その声には深い悔恨がにじんでいた。
「……本当に、すまない…」
私は少し驚いたように瞬き、けれど静かに首を横に振った。
「もしバルドが断っても……きっと同じ道を選んだと思います。」(お祖父様の日記にも書いてあったしね)
すっと背筋を伸ばし顔を上げる。
「私は、父様と母様を誇りに思っています。」
その言葉に、バルドはハッと顔を上げた。
「ハンターになった二人は、人々を護るために戦いました。それに……父様が他のハンターたちから信頼されていたのは、バルドが心得をちゃんと教えてくれたから。そうでしょう?」
オルガとミリアが心配そうにこちらを見ている。
私は決意を伝える。
「だから、バルドが後悔する必要はありません。
私は……感謝しています。
そして――私も、父様と母様みたいに強くなりたい。」
バルドは、ただ静かに「……そうか」と呟いた。
やがて目を閉じ、深く息を吐いた。
「……お前は、強いな。セドリック様とオーレリア様によく似ている」
バルドは、懐かしむ様に笑いながら…
「よし。ならば、ワシも覚悟を決めよう。リーナ、お前に弓の技術すべてを教え尽くす。セドリック様に胸を張れるほどの力をな。」
――こうして、バルドとエルリーナの特訓の日々が始まった。
♢♢♢
――誕生日から一か月ほどが過ぎた。
いつものように朝食を食べ終えお茶を飲んでいると、オルガが私の元へ少し足早にやってくる。手に白い封筒を持って…
光が差し込む部屋で、私は本邸から届いた手紙を見つめていた。
伯爵…養父からの手紙は、王立アストレア学園の入学案内が届いたという知らせ。
そして、「本邸で話をするため、速やかに来るように」と。
紙を持つ指先に、少しだけ力が入る。
(いよいよ、この時が来たのね)
この一年、少しずつ体を慣らしながら鍛錬を重ねてきた。
今では弓を引くこともできるし、長く歩いても息が乱れることはほとんどない。
けれど本邸には、まだ「体調は回復しきっていない」と伝えてある。
――散歩ができる程度。無理は禁物。
そのほうが、余計な詮索をされずに済むからだ。
封筒を机に置くと、オルガがそっと声をかけてきた。
「リーナ様、支度を始めてよろしいですか?」
「うん。オルガ、あなたも一緒に来てほしいの。」
一瞬、彼女の表情に安心の色が浮かんだ。
「かしこまりました。」
その声は落ち着いていたけれど、どこか慎重だった。
「エリオットさんが馬車をこちらに呼んだそうです。」
ミリアが慌ててやってきた。
オルガは、本邸に知られていない“私の今の様子”を理解している。
だからこそ、余計なことを口にせず、必要なときだけ動く。
その沈黙の気遣いが、ありがたい。
私は窓の外を見た。庭の向こうに見える本邸の屋根が、朝の光を受けてかすかに輝いている。
その光の下に行くのは、少しだけ気が重い。
けれど、避けて通ることはできない。
遠くから馬車の音が聞こえる。もうすぐ離れに着くだろう。
「ミリア、戻るまでお願いね。」
「はい!オルガ姉さん」
(――行かなくては)
私は静かに立ち上がり、用意された上着の裾を整えた。
その動作の中に、ほんの少しだけ緊張を紛らわせる。
セラは最近夜にしか部屋に帰ってこない…
本邸に行く前に話したかったな…
馬車が離れの入り口にゆっくりと止まる音がした。
「いってくるね!ミリア」
「はい!いってらっしゃいませ。リーナ様」
オルガと共に馬車に乗り込んだ。
久しぶりに叔父様たちと会う…
ゆっくり投稿しています。頑張ります。




