第37話 繋いだ光と歪む闇
窓の外で、風が吹き始めた。
木々が揺れ、枝がぶつかる影が月明かりに揺らめく。
だが、その音は届かない。
私とセラを包む淡い光の膜の内側には、風の唸りも、葉擦れの音も、何も入ってこない。
――救世主となるべく生まれた其方の魂を、この世界に導いたのは私だ。
「あなたが――ディアナ様が私を?」
――エルデナの加護は、“失われかけた光をつなぎ止める理”。
――つまりは、崩れゆく世界を救う魂に力を授け、導くものだ。
『その世界の光を、絶やさぬように……か』
――天使セラフォルディウス=ルミナリエル。其方の考えは正しい。
『私の考え?』
――救世主、聖女、聖人、そう呼ばれる者たちの魂には、エルデナの魂が宿っている。それがその世界を救う力となる。
『その力が狙われた……ということか』
――力を欲する者が、救世主の魂を奪おうとした。
――己の失われたものを取り戻すために。
「この世界でなければならない理由はあるのですか?」
――この世界は、力を欲する者がかつて在った世界。
――ゆえに、最も因果の深いこの地に導いた。
「因縁……」
――かつて、王家はエルデナを恐れた。
――加護を宿す者が、国を奪うのではないかと。
「……そんなこと、ありえない」
思わず、言葉がこぼれる。
――無論だ。エルデナの民に、国を欲する思いは微塵もなかった。
――だが、恐れは理を歪め、王家は二つの禁忌を犯した。
その言葉が、重く落ちる。
――島を沈め、エルデナを消そうとした。
――そして、召喚の儀を行った。
セラの気配が鋭くなる。
『……』
――召喚された魂に加護はなかった。呼び寄せられる過程で力を宿したが、その代償として寿命は短かった。
――王家は、その力を使うため、その者の”思い”を利用し、操った。
静かな断言。
――やがて、彼女は力をすべて使い、大いなる闇を倒した。
――力は肉体が失われた後も、この世界を守り続けた。
外の風が、音もなくひときわ強く吹きつける。
――だが、自分の“思い”を利用されたと知った。
――それを取り戻す為に、力を欲したのだ。
『……死してなお、か』
セラの声が低く沈む。
白い光が、わずかに翳る。
――“守る力”であったはずのものは、やがて“奪う力”へと変質した。
音のない空間に、沈黙が落ちる。
――召喚された者は“聖女”と呼ばれていた。
――“聖女”がいるなら……と、難を逃れたエルデナは、さらに身を隠した。
ディアナの声が、わずかに揺れた。
――だが、それは誤りであった。
――その選択もまた、歪みを残した。
「だから、この世界に導いた。その選択をした償いに……」
――そうだ。
結界が、わずかに揺れた。
――長く語ったゆえ、力は弱まった。
――すべてを其方に託すことを、許してほしい。
――力を欲する者の思いは歪み、闇となりかけている。
――だが、其方には新たな力が宿っている。解き放ち、世界を……そしてあの少女を救ってほしい。
白い光がゆっくりと、私の体に流れ込む。
結界が少しずつ薄れ、窓の外の風が聞こえた。
その輝きが消えたとき――
目の前には、沈黙したエルデナの本だけが残っていた。
胸の奥で、何かが静かに目を覚ます。
温かく、懐かしいそれは、幾重にも重ねられた思い。
まるで、エルデナの心がそっと息づいているかのようだった。
もう何も言わない本を、そっとなでる。
「ディアナ、あなたの……エルデナの思いは受け取ったよ」
力を込めた指先が、わずかに震えている。
「……私にできるだろうか」
その小さな呟きに応えるように、セラは前足をそっと、握りしめた手の上に重ねた。
『リナ、大丈夫か?』
「うん……大丈夫。でも、今は側にいてほしい」
『……わかってる』
セラの気配が、静かに寄り添う。
私は静かに目を閉じた。
胸の奥で、新しい力が穏やかに脈打っている。
窓の外では、風がまだ強く吹いていた。
けれどもう、その音は恐ろしくなかった。
夜は、静かに更けていく。
♦︎♦︎♦︎
――上位貴族専用ソレイユ寮の一室で、何かが割れる音が響いていた。
「何故……私がこんな扱いを受けなくてはいけないのよ!」
思わずカップを壁に投げつけた。
陶器が音をたてて砕け、破片が床に散る。
「ミラベルお嬢様!だ、大丈夫でございますか?」
「うるさい! さっさと片付けて、出ていって!」
侍女のナタリーが手早く片付け、慌てて部屋を出ていく。
扉が閉まる音。
今度は、静けさが耳障りになる。
窓の外は、夕暮れの光がゆっくりと、その色を溶かしていた。
ふと、思い出したのは、授業で先生が言ったことだった。
聖女は、病を患い、第七代王の時代に亡くなった――と。
胸の奥が、ざわりと波打つ。
私の中の“何か”が叫ぶ。
――違う!間違っている!
(……何が間違っているの?)
――あの女がまた奪っていく!
(……また?)
白い天蓋。
差し込む柔らかな光。
誰かが、私の手を握っている。
息が止まる。
(今のは?……何?……どこ?)
知らないはずなのに、胸が痛い。
――愛していた。
気がつくと、頬に涙が伝っていた。
「……王……子様?」
無意識に零れた言葉に、自分で凍りつく。
(……そんな人、私は知らない)
そんな呼び方、私はしない。
頭の奥が、ぐらりと揺れた。
(これは、私の怒り? それとも、誰かの――?)
テーブルに目を向けると、学園からの通達が置かれていた。
『処分保留につき、当面の間、謹慎とする』
処分。
その文字が、やけに大きく見えた。
指先で紙を掴む。
くしゃり、と音を立てて握りつぶす。
母国ではまだデビュタント前だというのに、誰よりも淑女だと称えられていた。
感情を荒げることなど、一度もなかった。
手の中で、紙がさらに歪む。
こんなはずではない。
(私は、誰よりも冷静で、優雅で、正しいはずなのに)
――そうよ。
(……間違えるはずがない)
――間違っていないわ。
(……私は正しい)
――王子様の隣に立つのは、私。
(……そう、私が立つべきなの)
――取り戻せばいい。
(……そうよね)
彼の隣に立つのは、私。
あれは、本来、私の場所だった。
不要なものがあるから、歪むだけ。
今度は――
私が奪う番。
喉の奥で、かすかな笑みが零れる。
「……ふふ」
鏡に映る自分が、見慣れない顔で笑っていた。
「まずは……ここから出ないといけないわね」
閉め切ったカーテンの向こうで、風が唸っている。
建物の壁を叩くような音が、断続的に響いた。
窓が、がたん、と大きく揺れる。
厚い雲が月を覆い、庭は影の塊のようだった。
穏やかだったはずの一日が、荒々しく終わろうとしている。
指先でカーテンの端をわずかに開く。
吹きつける風に木々がしなり、枝が擦れ合う。
――あの場所に立つのは、私。
嵐の前触れのような夜。
けれど、胸の奥は不思議なほど澄んでいた。
そっと、カーテンを閉じる。
読んでいただき、ありがとうございます。
また来週の木曜日に、投稿できるように頑張ります。




