第35話 静寂の中で
教室の窓から、澄んだ秋の光が差し込んでいた。
校庭を囲む木々は、すでに深い金色や紅に染まり、風が吹くたび、葉がはらはらと舞い落ちる。
夏の名残は消え、空気はどこまでも高く、静かだった。
その景色を眺めながら、私は昨日のことを思い出す。
叔父様の言葉通り、叔母様に所作の確認をしていただいた。
背筋の伸ばし方。
カップの持ち方。
視線の落とし方。
一通り確かめたあと、叔母様は穏やかに頷いた。
「大丈夫よ。十分に整っているわ」
その一言で、肩の力が少し抜けた。
「次は、装いね」
そうおっしゃると、叔母様御用達の仕立て屋が客間で待っていた。
今回は既製のドレスを手直ししていただくことになった。
「次に新しく作るものは、生地から一緒に選びましょう」
叔母様はそう微笑まれた。
(ドレス選び……楽しかったな)
鐘が鳴り、ふと現実に引き戻される。
教室のざわめきが静まると、いつものように授業が始まった。
秋は、すっかりこの学園を包み込んでいる。
そして――週末になればお茶会だ。
午前中の授業が終わると、再び教室にざわめきが戻る。
「アメリア、今日も薬草学の研究室?」
隣で教科書を閉じながら、アメリアが小さく頷いた。
「ええ。今日から二年生の留学生の方がいらっしゃるの。しかも侯爵家の御令息となれば、やっぱり緊張するわ。エルリーナは?」
「私は、魔術科の授業が終わったら図書館に行くわ」
そう答えると、アメリアは一瞬だけ視線を落とし、すぐに気持ちを整えるように頷いた。
「図書館は魅力的だけれど、今日は研究室に顔を出しておくべきね。留学生の方、王都の北方領から来られたらしいの。薬草の系統も少し違うみたい」
「もうそこまで分かっているの?」
「ええ。昨日、二年生の先輩から聞いたの。最初の印象は大事でしょう?」
さすが情報通のアメリアだ。抜かりがない。
「終わったら様子を教えて」
「もちろん。代わりに、図書館で面白そうな本を見つけたら教えてちょうだい。……さあ、お昼にしましょう」
軽く笑い合い、私たちは並んで食堂へ向かった。
♦︎♦︎♦︎
昼食を終えるとアメリアとは別れ、魔術科の授業に向かった。
(そういえば……ラファエル様とルイス様に会うのは、あの日以来だ)
授業前の教室は、まだざわめきが残っている。
席に着いたところで、足音がすぐ近くで止まった。
「……エルリーナ」
顔を上げると、ラファエル様だった。
「あの時は、ありがとう」
それだけを、静かに告げる。
私は小さく首を振った。
「私は何もしておりません。あったことを申し上げただけです」
隣で、ルイス様が穏やかに微笑んでいた。
お互いに、それ以上の言葉はなかった。
そして、教室の扉が開く。
ヴァレンティス先生とフェルン先生が入室し、空気が一変した。
私たちはそれぞれ前を向き、授業が始まった。
基礎の確認と応用の演習。
実技試験を終え、どこか気が緩みがちな時期だ。
「基礎が固まっていなければ、どんな魔術も精度は上がらない」
ヴァレンティス先生の低い声が、静かに教室へ響く。
派手な術式よりも、正確な制御を。
その言葉どおり、私たちは何度も基本の循環を繰り返した。
やがて終業の鐘が鳴る。
椅子が引かれる音とともに、教室の緊張がほどけた。
教科書を整え、深く一息つく。
その時、ラファエル様とルイス様が誰かに呼ばれたらしく、慌てて教室を出て行った。
そんな様子を横目に、はやる気持ちを抑えながら、私は静かな廊下を抜け、図書館へと向かった。
重厚な扉の向こうに、何か見つけられる気がして。
♢♢♢
「こちらでございます。他に何かありましたら、お声がけください」
司書が案内してくれたのは、古い歴史を思わせる背表紙が並ぶ一角だった。
「ありがとうございます」
礼を述べ、去っていく司書の背中を見送った。
すると、足元にふわりと白い影が現れる。
「っわ!」
思わず声が漏れ、慌てて口元を押さえる。
周囲を見回し、誰もこちらを気にしていないことを確認してから、小さく息を吐いた。
「……びっくりした。もう、急に現れないでよ」
白猫は尾をゆるやかに揺らす。
『気配でわかるだろ。声に出さなくても、私に向けて心で思えば会話できるはずだ』
(わかってるけど……ちょっと驚いただけです)
『図書館で騒ぐな。司書に睨まれるぞ』
(それはセラのせいでしょう……)
白猫は当然のように机へ飛び乗り、整然と並ぶ歴史書を見上げた。
『……一番上の、左から三番目だ』
(待って。踏み台を持ってくるから……)
近くに置かれていた小さな踏み台を静かに引き寄せる。音を立てないよう注意しながら、そっと乗った。
(よいしょ……これね)
指先が革張りの背表紙に触れる。
金の箔で刻まれた題字を確かめ、慎重に引き抜いた。
本は思いのほか重い。
踏み台を降り、机へと運ぶと、白猫は満足そうに尾を揺らした。
(あった……第六代王ルシエンの記述……)
ページをめくる。
そこに記されていた一文で、指先が止まった。
――ルシエン王は、自らの治世を安定させるため、正妃アナスタシアを民の象徴として前面に立たせた
(象徴って……)
――正妃はその後、公の場で言葉を発することがなくなったが、その静かな佇まいは“聖女”と称され、広く敬われた
(聖女……言葉を発することが、なくなった?)
直接的な理由は書かれていない。
責任の所在も、原因も。
ただ事実だけが、穏やかな文体で並べられている。
――在位二年。急逝
たったそれだけ。
病名も、死因も、争いの有無もない。
そして――
――第五代王ガイウスの王弟ユリウスの孫、マルクス、第七代王として即位
血統の説明は丁寧なのに、空白は埋められていない。
さらに続く一文。
――マルクス王は即位直前、前王妃アナスタシアを保護した。アナスタシアはその後、静養のため王城を離れ、公の場には姿を現さなかった
(保護って? しかも即位直前……)
順序が、妙だ。
ルシエンが急逝し、その直前に王妃は保護されている。
(……つまり)
王がまだ在位していた時点で、動きがあったということ。
『エルリーナ、アナスタシアの出自を見ろ』
(え?……え!)
視線を慌ててページの上へ戻す。
――正妃アナスタシアはオルディアス伯爵家の出自である
(オルディアス伯爵家って……)
胸の奥が、強く鳴る。
(セレーネ様の家……今は公爵家だけど……)
指先が、わずかに震えた。
ページの端には、淡々とした追記。
『同家はのちに公爵家へと昇格』
セラが低く続ける。
『王妃は声を失い、城を離れた。だが実家は格を上げた』
(……それって)
偶然とは、言い切れない。
ルシエンの急逝。
即位直前の保護。
そして家の昇格。
すべてが別々の出来事のようで、どこかで絡み合っている。
図書館の空気が、さらに重く沈む。
私は本を閉じることができず、ただページを見つめ続けた。
ベールの聖女様――
あの本を書いたのは、アナスタシア王妃なのだろうか。
静まり返った図書館で、頭の中に無数の文字がひしめき合う。
読んでいただき、ありがとうございます。
来週木曜日にまた投稿予定です。




