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エルデナの祈り  作者: 春乃


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3/5

第3話 動き出す時間

熱がようやく下がったある朝、私はそっと寝台を抜け出した。足元を探ると、ベッドの下にある室内用の靴に触れた。(あ、これでいいや)

足はまだおぼつかないけど、壁に手をつきながらなら歩ける。


(たしか、この先に……よさそうな場所があったはず)


記憶を頼りに、人気のない廊下を進む。心臓がどきどきして、まるで悪戯をしているみたい。

裏手に出ると、小さな庭が広がっていた。木立と塀に囲まれていて、人目につかない。やわらかな陽の光が差し込んで、そこだけが別世界のように感じられた。


(うわぁ綺麗。風が気持ちいいなぁ)


私は草の上に立ち、息を整えて腕を伸ばし、屈伸をして、ゆっくりと足を踏み出した。

(……これリハビリ、だよね。ふふっ)


けれど、すぐに声が響いた。

「エルリーナお嬢さま?!」


振り返ると、濃い栗色の髪を後ろにまとめた、落ち着いた雰囲気の女性が駆け寄ってくる。

(あれは、たしか……)

「……オルガさん……あはは……そろそろ体を動かしたくて……」

言い訳のように笑ってみせたけれど、すぐに肩を抱えられ、半ば引きずられるように部屋へ戻された。


「まだ本調子じゃないのに、何をなさるんです!」

後ろから、肩までの淡い茶色のくせ毛の女性が、慌てて水差しを抱えてついてくる。

(……ミリアさんか。早速二人に見つかってしまった)


それでも、私は翌日も抜け出した。何度も、何度も。


見つかるたびに、ふたりは本気で怒った。

「無理は禁物です!」

「転んだらどうするんですか!」


……でも、私はやめなかった。ふらつく体を必死に支えながら、昨日よりも一歩でも多く歩きたいと願って。

「ほら、見て!昨日より歩けたわ!」

そう言うと、オルガは深いため息をつき、

「……本当に、あなたという人は。」

小さく呟いた。その声の奥に、呆れと……少しの感心が混じっている気がした。

ミリアはそっと笑って言った。

「じゃあ……せめて、私たちの前でやってください。転んだら、すぐ助けられますから。」


それから、裏庭に行くときは、どちらかが必ずついてきてくれるようになった。外用の靴も用意してくれたし、叱る声ではなく、励ます声が響くようになっていく。

ふと部屋の窓を見ると、あくびをしているセラがいた。


♦︎♦♦


ある昼下がり。陽ざしの中を歩いていると、ふいに影が落ちた。

「お前たち……何をしている?」

振り返ると、垣根の向こうに大きな影。白髪交じりで短髪の、がっしりとした男性が立っていた。


元騎士団の弓兵隊長。今は庭師だけれど、その鋭い目つきと白い口髭に、私は思わず息を飲む。オルガとミリアは、びくりと肩を震わせた。


けれど私は背筋を伸ばし、言った。

「バルド…さん?……歩く練習です。」


バルドさんの眉がわずかに動き、沈黙が落ちる。やがて、ふっと鼻を鳴らした。

「バルドでいい。訓練にしては、随分甘いな。」


オルガとミリアが慌てて口を開く。

「お嬢様はまだ病み上がりなんです! 無茶は――」


けれどバルドはそれを遮った。

「だからこそだ。やるなら正しくやれ。間違ったやり方は、かえって体を壊す。」


そう言って地面に線を引き、足の置き方を示してくれる。

「膝を守るように、そうだ……」

驚くほど細かい指示に、私は必死で従った。額に汗を浮かべながら、何度も繰り返す。


やがてバルドは腕を組み、短くうなずいた。

「悪くない。根気さえ続けば、いずれは走れるようになる。」

「……本当ですか!」

私の声が自然と弾んだ。


「嘘は言わん。……まあ、俺の暇つぶしにもなるしな。」

素っ気なくそう告げられたのに、胸の奥が熱くなる。

こうして、私の小さな「リハビリ」は本格的な訓練へと変わっていった。


♢♢♢


半年が過ぎた。季節は夏から冬へ。この国には雪は降らないらしい。残念。

私は裏庭で元気に笑っていた。もう、寝台に伏せていた病弱な少女ではない。


今日は魔力操作を教えてもらう。

「魔力は血と同じだ。力んで押し出すんじゃない、全身を巡らせろ。」

バルドはそう言って、呼吸に合わせて魔力を流す練習をさせてくれた。


吸うときに体へ取り込み、吐くときに指先へ流す。何度も繰り返すうちに、掌の上にふわりと小さな風が巻いた。

「……できた!オルガ!ミリア!今の見た?」

「ちゃんと見てましたよ。リーナ様。ふふふ」とオルガが声をあげ、ミリアが「リーナ様すごいです!」、ぱちぱちと拍手をしてくれる。


「筋は悪くねえ。だが、ここからが本番だ。」

バルドの厳つい顔に、少しだけ笑みが滲んで見えた。

「はい!」


あんなに頻繁に熱を出していたのが、最近はそんなことはないし、できることが増えて毎日が楽しい。


その夜。私は自分の魔力が増えていっていることに気が付いて…

(……本邸の人には、知られたくないなぁ。)


これは相談しよう。と、今は出窓からソファが定位置になったセラに聞いてみた。

『魔力を隠す?まぁ、できるんじゃないか?』

「本当!? 教えてほしいの」


セラは一瞬沈黙した後、話し始めた。

『そうだな…湖を想像してみろ。湖面が穏やかであれば、その下の深さには誰も気づかない』

「やってみる」


額に汗がにじんできた。(難しい…うまく、いかない)

『押し込むんじゃなく、ゆっくり沈める感じだ。もう一度、始めからやってみろ』


ふーっと息を吐いてもう一度集中!

(湖…風もなく…夜の静かな湖って感じかな…ゆっくりと深く…)


言われた通りに魔力を沈めるイメージをすると、全身から力が抜けていく。

「……ふぅ、こんな感じかな…結構疲れるね」

『まあ、いい感じだ。まだ完璧ではないがな』

「毎日寝る前にやるよ。ありがとう、セラ」


(…白猫。触りたいけど中の人は…あの人だしなぁ…)

なんて思っていたら、セラはくるっと向きを変えて丸くなった。

『……もう寝ろ』

(あ…触りたいって思ってるのバレたかな?)

「うん。おやすみ。また明日」


♦♦♦


次の日、バルドが何かを抱えてやって来た。

「魔力の流れを覚えたなら、これを使ってみるか?」

手に渡されたのは、少し古びた弓だった。

「矢を放つときの感覚と、魔力を流すときの感覚を重ねてみろ」


一射、二射、三射。矢は少しずつ的の中心に近づき、

「……まぐれじゃねえな。リーナ、お前には弓の才があるようだな」

「本当?! 私、頑張る!」


バルドが的を確認しているとき、反対側の木立の奥で何かの気配を感じた。

けれど、すぐに消えてしまった。

(……気のせいかな?鳥だったのかな)

そう思い直して訓練を続けたけれど、体はすでに限界を超えていた。

夜になるころには体が熱を帯び、布団から起き上がれなくなった。


「まったく……どれだけ心配したと思っているんですか」

オルガの声は厳しいけれど、どこか優しさも混じっていた。

ミリアがそっと額の布を替えてくれる。

「オルガ姉さん、昼間バルドさんもお説教されてましたよ」

「……あの人も、さすがに私の声は響いたでしょうけどね」


昼間、年配のバルドさんはオルガに渋々叱られて、少ししょんぼりしていたらしい。

今は、私の体調だけを気にして、静かに見守ってくれる。


数日後、熱も下がり、年の瀬がやってきた。

離れの暖炉の前には、オルガが焼いたパンと、ミリアの煮込みスープ。

火のぬくもり、湯気の香り、穏やかな笑い声が重なる。

私は毛布にくるまり、深く息を吐いた。


――伯爵家に養女として迎えられて以来、初めて心からほっとできた年末だった。


里奈として過ごした孤独な年末、施設で迎えたあの静かな夜とは違う。

ここには守ってくれる人がいて、笑い合える人がいる。

誰かと一緒に年を越すあたたかさに包まれて、胸の奥までじんわりと温もりが広がった。


木立の奥で感じたあの気配は、いまのところ何者か分からない。

でも、今日はそれを気にしなくていい。

目の前にあるぬくもり、初めての安心、笑い声のひとつひとつを、心から味わった。


次回は来週投稿予定です。

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