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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第29話 ぬくもりと小さな綻び

伯爵家を出た馬車は、学園へと向かっていた。


夏の名残を抱えた朝の空気はまだ柔らかく、行き交う人の数だけが、少しずつ増えていく。


学園へ向かう道に入ると、同じ制服を着た生徒の姿が目につくようになる。

休暇が終わったのだと、景色のほうが先に教えてくれた。


馬車の中、向かい側に座るのはルーカス兄様だった。


「本当に、寮に戻るのか?」


「はい。でも、週末と月末休暇には、伯爵家に帰ります」


「そうか。その時は、一緒に帰ろう」


「はい!」


「そうだ、アメリア嬢にすすめられた本だが、とても面白かった。ありがとうと、伝えてくれるか?」


「もちろんです!」


そんな話をしているうちに、馬車は学園へと到着した。


扉が開いた瞬間、外の空気が一気に流れ込んでくる。

行き交う生徒たちの声。

学園が、いつもの顔でそこにあった。


「じゃあ、またな」


ルーカス兄様はそう言って、先に馬車を降りる。

生徒会の仕事があるのだろう、すぐに人の流れへと溶け込んでいった。


私は小さく一礼してから、校舎へ向かう。


廊下には、休暇明け特有のざわめきがあった。

久しぶりに会う顔、交わされる近況、笑い声。

その中を歩きながら、足取りだけは、いつもと変わらないはずなのに――

ほんのわずか、感覚がずれている気がした。


教室に入ると、すでに何人かが席についていた。


「エルリーナ、おはよう」


アメリアが気づいて声をかけてくる。

私は手を振って応え、いつもの席に向かった。


ほどなくして、担任のフォード先生が教室に入ってくる。

教卓の前に立つと、教室を一度見渡してから、落ち着いた声で言った。


「長期休暇が終わったな。今日はホームルームだけだ」


それだけで、教室の空気が少し緩む。


「授業は明日から再開する。今日は連絡事項を伝えておく」

先生はそう前置きしてから、続けた。


「隣国からの留学生が、予定より早く到着している。

一年生のAクラスには二名、二年生のSクラスには三名が配属される予定だ」


ざわりと、小さなざわめきが起きる。


「詳しいことは、追って知らせる。無用な詮索や憶測は控えるように」


先生の言葉に、教室はすぐに静まった。


「課題があった学科については、今日中に提出するように。それから――」


私は、無意識のうちにノートを取る手を止めていた。

隣国――その言葉に、胸の奥が、ほんの一瞬だけ揺れる。


けれど、ホームルームは淡々と進んでいく。

それが、少しだけ不思議に感じられた。


ホームルームが終わると、生徒たちはそれぞれ席を立ち始めた。

課題の提出が必要な学科もあり、廊下には自然と人の流れができる。


私とアメリアも、それぞれの選択学科へ課題を提出に向かった。


そして廊下で合流すると、アメリアが小さく息をついた。


「これでひとまず安心ね」


「うん。休暇明けから忘れ物はしたくないもの」


そう言い合って、顔を見合わせて笑う。


「そういえば、ルーカス兄様が言ってたよ。アメリア嬢に勧めてもらった本、とても面白かったって。ありがとうって、伝えてくれって」


アメリアは少し頬を赤くして、照れ隠しのように小さく声を漏らした。


「そ、そう? よかった……」


私はその様子に、そっと微笑んだ。


気づくと薬草学の研究室が見えた。


「私は、ここ」


「うん。じゃあ、また」


「寮に戻るんでしょう?」


「今日はね。明日からは授業も始まるし」


「そうね。じゃあ、また後で」


短く手を振り合い、そこで別れる。

アメリアは研究室の中へ、私はそのまま廊下を進んだ。


校舎を出ると、空はまだ高く、日差しも穏やかだった。

学園が再開したばかりの一日が、静かに終わろうとしている。


私は、そのまま寮へ向かう。


寮の部屋に入ると、ミリアは既に荷物の整理を終えていた。

今回はオルガではなく、ミリアが一緒に来てくれた。


「まずはお茶を。あ、窓は……開けておいたほうが気持ちいいですよね?」

明るい声は、昔と変わらない。

仕事の手際は、見違えるほど良くなっている。


伯爵家を離れ、学園に戻る。

その切り替えの緊張を、ミリアは意識することなく、和らげてくれる。


「ねぇ、ミリア。この部屋、キッチンがあるじゃない?」


「はい、ありますね」


「時間ができたら、また一緒にクッキー焼こうよ」


「わぁ! やったー……あ、ごほん」

ミリアは一度、姿勢を正した。

「それは……とても、いい提案ですね?」


抑えきれない嬉しさが、声の端に滲んでいる。

その様子に、私は思わず微笑んだ。


やっぱり、ミリアは素直でかわいい。


昼間は、本を読んだり、ミリアと他愛のない話をして過ごした。

その変わらない明るさに、私の中の緊張もいつの間にか薄れていた。


日が落ちる頃、ミリアは身支度を整え、扉の前で一礼した。


「それでは、何かありましたら、すぐお呼びください」


「ありがとう。おやすみなさい、ミリア」


「おやすみなさいませ」


扉が閉まり、部屋は静かになる。


すると、まるで入れ替わるように、気配だけが戻ってきた。

次の瞬間、セラが部屋の中に現れる。


「おかえり、セラ。どうだった?」


『試験の時と同じだ。僅かだが、あの気配を感じ取れた』


その言葉に、胸の奥がわずかに引き締まる。


「……留学生の中に、いるんだね」


『ああ。留学生は全員、ソレイユ寮に入っている』


「上位貴族専用の寮だね」


『気配は薄いが……二年生にいる』


「二年生?」


『ああ。しかも、いつも二人で行動している者たちだ。どちらかまでは、まだ断定できない』


その言葉に、胸の奥が静かにざわめいた。


「二人の、どちらか……」


『隠すことに慣れているのか、偶然なのか――それとも別の理由か。いずれにせよ、油断はできない』


セラの声は冷静だったが、警戒を解いていないことが伝わってくる。


それ以上、私たちは何も話さなかった。

状況は変わっていないし、今すぐ答えが出るわけでもない。


言葉にしないままの沈黙が、部屋に落ち着いていく。


やがて私はベッドに入り、灯りを落とした。

セラはいつものように近くまで来たが、その動きが少し違っていた。


これまでは、足元の端。

邪魔にならないように、見守る位置。


けれどこの夜、セラは静かに歩み寄り、枕元に身を丸める。


「……ここ?」


『問題ない』


短い答えだった。


その体温が、すぐそばにある。

それだけで、胸の奥にあった不安が、少しだけ和らいだ。


互いに何も言わないまま、それでも同じ方向を向いていると、確かに感じながら。


私は、静かに目を閉じた。


♦︎♦︎♦︎


中庭を抜ける風が、以前より少しだけ軽く感じられた。

夏はまだ終わっていないはずなのに、学園には、確かに秋の気配が忍び込んでいる。


授業が始まり、長期休暇などなかったかのように、学園は再び動き出した。


休み前と変わったことは、留学生の存在――それだけではない。

クラスメイトたちの、私を見る目も、どこか柔らいでいた。


試験に向けて懸命に取り組んでいたこと。

普段の授業にも、真剣に向き合っていたこと。


そうした姿を、いつの間にか見ていた人がいたのだろう。

挨拶を交わすだけだった相手が、声をかけてくるようになり、何気ない話をする機会も、少しずつ増えていった。


居心地が悪いわけではない。

むしろ、穏やかだ。


留学生については、私はあまり関わらないようにしていた。


一年生のAクラスに配属されたのは、どちらも男性だったし、意識的に距離を取っていても、周囲が不自然に感じることはない。


彼らのまわりには、自然と人が集まっていた。

文化の違いに興味を示す声も多く、教室の空気は、どこか落ち着かない。


私はその輪に加わることなく、いつも通り席に着き、授業に向かう。

それが一番、余計な波紋を立てずに済むと分かっていたから。


無関心を装っているわけではない。

ただ、今は――近づかないほうがいい。


そんなことを考えていると、隣から小さな声で話しかけられた。


「ねぇ、エルリーナ。Sクラスの留学生の話、知ってる?」


留学生と聞いて、指先に力が入る。


アメリアはさらに周囲を気にするようにして声を落として続けた。


「二年生のSクラスに、留学生の伯爵令嬢がいるんですって」


「うん……それは、知ってる」


「それでね、三年生の第二王子殿下の婚約者も、二年生のSクラスでしょう?」


私は、小さく頷く。


「その婚約者の方が……留学生の伯爵令嬢に、いじわるをしている、って噂があるの」


「いじわる?」


「嫌がらせ、とか、仲間はずれ、とか……言い方はいろいろだけど、はっきりしないの。ただ――」


アメリアは、言葉を選びながら続けた。


「留学生の伯爵令嬢が、そのことを王子殿下に告げ口している、らしいって」


「……らしい、ばかりだね」


「うん。全部、噂」


それでも、王子殿下の名前が出るだけで、話の重さは変わる。


「それで、二年生のSクラスの中が、ちょっと揉めてるみたい」


私は、そっと息を吐いた。


「学園の中だけの話じゃ、済まなさそうだね」


「そう。だから、余計に皆、距離を測ってる感じ」


アメリアの声は、どこか慎重だった。

私は、その噂を胸の奥に留めたまま、それ以上、踏み込むことはしなかった。


距離を取っているせいか、話はどれも輪郭を欠いていた。

誰が、どこまで関わっているのか。何が事実で、何が憶測なのか。

はっきりしたことは、何ひとつ見えてこない。


それでも――アメリアは、学園の中では情報に敏いほうだ。

その彼女が「噂」としてしか話せない。

それだけで、この話題に、下手に触れてはいけないのだとわかる。


それでも――アメリアは、学園の中では情報に敏いほうだ。

その彼女が「噂」としてしか話せない。

それだけで、この話題に、下手に触れてはいけないのだとわかる。


「二年生の、しかもSクラスだし、私たちはあまり接触はないと思うけど……ルーカス様、大丈夫かしら?」


「ルーカス兄様は、慎重な方だから大丈夫だと思うけれど……週末に、それとなく聞いてみるわ」


私は頷きながらも、その噂が、思っている以上に厄介なものになる気がしていた。


また来週の木曜日を目指して頑張ります!

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