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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第27話 記し事から見える者

夏の終盤だった。

秋の気配はまだ遠いけれど、日差しの鋭さだけが、少しずつ和らいでいる。


長期休暇中、リュミエール先生は毎日来るわけではない。

今日は、先生が来ない日。

バルドの手が空いていたため、弓の鍛練に集中できる日だった。


庭に出ると、やわらかい風が頬を撫でる。

木陰では、蝉の声も少しだけ力を失っていた。


「準備はできたか、リーナ?」

年輪を重ねた手で弓を握り、バルドは穏やかに微笑む。

その顔には、優しさと経験の重みが滲んでいる。


私は息を整え、矢を番えて弦を引く。

久しぶりの感覚に、肩や腕がぎこちない。

けれど、バルドの声に耳を澄ませ、呼吸と感覚を集中させる。


「そうだ、リーナ。力任せではない。弓は感覚で扱うものだ。狙いと息を合わせろ」

静かだが確かな指示に従い、私は矢を放つ。

風を切る音とともに矢が標的を打つ。

一度、二度、三度――鈍っていた感覚が少しずつ戻ってくる。


「いいぞ、リーナ。今のは滑らかだった。体と矢の動きがひとつになってきた」

バルドは、肩を軽く叩きながら笑う。

「これで鈍りは戻った。次はもっと強くなる番だ」


私は小さく息を吐き、弓を下ろす。

「ありがとう、バルド。まだまだだけど……動ける気がする」


庭の空には、夏の光がやわらかく差し込み、

静かな午後の時間がゆっくりと流れていった。


鍛練を終えて振り返ると、オルガとミリアが休憩の準備をしている。

日傘を広げ、冷たい飲み物と軽食を並べる二人の姿に、思わず肩の力が抜けた。

焦る気持ちも少しあったけれど、こうして目の前にある日常に、自然と心が和む。


♦︎♦︎♦︎


夏の光はまだ強いが、空気はわずかに涼しさを帯びている。


今日は、長期休暇中にリュミエール先生が伯爵家を訪れる、最後の日だった。


休暇はまだ続くけれど、先生方は学園再開に向けて、準備があるという。


私と先生は、いつものように離れの書斎にいた。

机の上には、エルデナの本が開かれている。


先生はしばらく黙ったままページを繰り、やがて、本の最後のほうで手を止めた。


「……ここだ」


指先が示したのは、報告書が途切れたあとに続く記述だった。

すべてが読めるわけではない。

けれど、他の部分と比べると、意味を拾える文字が多い。


私も身を乗り出す。


断片的な言葉が、ゆっくりと繋がっていく。


島。

噴火。

消滅。


胸の奥が、ひやりと冷えた。


「……エルデナの島、ですね」


「そうだろうね」


先生は頷き、次の行を指でなぞった。


火山の噴火によって、島は失われた。

それでも――


神官。

エルデナである、私。

生存。


私は、その言葉を声に出さず、何度も目でなぞった。


「“継承者”じゃない……」


思わず、呟く。


先生が、私を見る。


「ここでは、“エルデナである私”と書かれています」


先生は一瞬考え込むように黙り、それから静かに息を吐いた。


「なるほど……。名前でも、地名でもない」

「役目を受け継いだ者が、そのまま“エルデナ”になる、ということか」


さらに下には、別の語が続いている。


指南書。

持ち出す。

成功。


「数人の生存者、その中に“エルデナ”もいた。そして、この本も守った……まだ文章は続きますね」


その下に続く文章を、読める文字から推測する――


世界は、エルデナが失われたと思っていた。

そのため、禁忌の術である聖女召喚が行われた。

この術は、別の世界から力を奪うものだ。


エルデナは、見守るしかなかった。

闇を抑える役目を果たす者――聖女がいるなら、直接介入はできない。

誰が見ているかわからない。

光の中に、身を隠すしかなかった。


聖女の命と引き換えに、世界は救われた。

しかし、その守りは永遠ではない。

奪われた世界のことを思えば、安らかに喜べるものではない――


報告書は、そこで途切れている。

けれど、この最後の記述は、手順でも単なる記録でもなかった。

聖女召喚――その言葉が、重く胸に落ちた。


私は、ふと呟いた。

「誰かに見られたらだめ……? 光に隠すって?」


その瞬間、先生の表情が、ぱっと変わった。

「……光、とは、もしかすると……リュミエールではないか?」


私もはっとして、先生を見た。


――リュミエール男爵家か?――


「先代は……ここまでたどり着いていたんだな」


やや沈黙の後、先生は本を最初のページにした。

「読めない文字が多いが、もう一度見てみよう」


神でない

準備

観察

次へ


先生は少し眉をひそめる。

「ここ“神でない”と読めるな……エルデナが神格化された存在ではないことを示しているのだろう」


「観察と準備……“次へ”って?」

私は小さく息を吐く。


「後のページを見る限り、次のエルデナへ情報を残すということだろう」


受け継ぎし

浮かぶ

文字

再び……


「……これは、どういう意味だろう」

先生が首を傾げる。


私は、少し緊張しながら口を開いた。

「……エルデナを受け継ぐ者に、文字が浮かぶ、ということですか?」


先生は静かに頷く。

「そうだ……君が見た、あの一度きりの文字のことだろう」


私たちは、息を呑む。


静かな書斎に、言葉にならない重みだけが漂う。


「私は、次の“エルデナ”なんでしょうか……」

その問いに、答えはまだ見えない。


先生は、“再び”のあとに続く文章をじっと見つめる。

「これは……再び、浮かぶ、力……目覚める時か?」


指先でページをなぞりながら、さらに慎重に文字を追う。

「力が目覚める時、文字が再び浮かぶ……?」

先生の声には、驚きと考えの混ざった重みがあった。


その時だった。


コン、と控えめなノックが書斎に響く。


「エルリーナ様、休憩されませんか?」

オルガの声だった。


先生は、ゆっくりと本から手を離した。


「……そうだな」


本は閉じられ、考察は途中で止まる。

けれど、胸の奥に残った違和感と予感だけは、消えない。


♦︎♦︎♦︎


離れの裏庭は、風の通り道になっていて、日陰に入ると驚くほど涼しかった。

私は紅茶の入ったカップを両手で包み、朝に焼いたクッキーを一枚口に運ぶ。


素朴な甘さが、ほっと肩の力を抜いてくれた。


先生も同じようにクッキーを手に取り、ゆっくりと噛みしめる。


しばらくは、庭の木々が揺れる音だけがあった。


先生は、庭を眺めたまま口を開いた。

「私には兄がいた。オーレリアの父親だ。兄は次期男爵として育てられ、私は学問の道に進んだ」


紅茶の表面が、風に揺れて小さく波打つ。


「だが、ある時、流行病で……父と兄を、同時に失った」


その言葉は淡々としていたが、含まれる重みは隠せていなかった。


「義理の姉も……兄たちと同じ病で亡くなった」


私は、何も言えず、ただ話を聞いていた。


「継ぐべき者がいなくなり、形式上は、私が当主になるはずだった。だが……その前に、父は遺言を残していた」


先生は、カップを静かに置く。


「もし、自分と兄のどちらもが先に逝くことがあれば――リュミエール男爵家は、爵位を返上せよ、と」


風が、庭の葉を揺らした。


「正式な遺言だった。それに従ったにすぎない。もっとも、私は若い頃から家を継ぐ道を選ばず、学問に身を置いていた。貴族としての権利の多くは退き、名だけを残す立場だったからな」


先生は、少しだけ視線を落とす。


「表向きには、継ぐ者がいなかったから返上した――それで、すべて説明がつく」


一息置いて、静かに続けた。

「父と兄は……私の生き方、そしてオーレリアの生き方を考え、男爵家という枠を、外してくれたのかもしれない」


その沈黙が、言葉以上に多くを語っていた。


庭には、変わらず穏やかな風が流れている。

けれど、その中に、確かに重たいものが残っていた。


私は、風に揺れる草木を見ながら、呟いた。

「どうしてお祖父様は、あの本を持っていたのでしょうか」


先生は、しばらく黙ったまま庭を見ていた。

やがて、静かに口を開く。


「父が本を託す相手がいるとすれば……それは、オーレリアだったのだろう」


私は、先生を見る。


風が、葉を揺らす。


「だが、オーレリアはセドリックと共に平民となり、ハンターとして生きる道を選んだ。本を守るには、あまりにも危うい立場だったはずだ」


先生は、カップの縁を指でなぞる。


「古代語で書かれたあの本を、彼女自身が解読できたとは限らない」


私は、静かに頷く。


「だから……」


「ああ」

先生は、短く肯いた。


「セドリックの父――伯爵家に預けたのだろう。最も安全で、しかも古代語を解する可能性のある人物に」


庭には、相変わらず穏やかな風が流れている。

けれど、その静けさの中に、確かな決意の跡が感じられた。


拙い文章を読んで頂きありがとうございます。

来週までまた頑張ります。


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