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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第24話 日常と不安

二日ぶりに、寮の自室で目を覚ました。

ベッドから起き上がり、軽く背伸びをする。


「おはよう、セラ」


『おはよう、リナ。見回りに行ってくる』


「うん。いつもありがとう」


白猫は、尻尾をゆらりと一振りすると、窓からサッと外に行ってしまった。


私はいつもと同じ手順で、身支度を整えていく。


そのまま机の前でリボンを結んだところで、背後から小さなため息が落ちてきた。


「おはようございます……また、身支度をひとりで済ませてしまったのですか」


振り返ると、オルガが少し困ったような顔で立っていた。


「おはよう、オルガ。ふふ、でも――髪は結ってくれるでしょ?」


「またそうやって……」


そう言いながらも、オルガの口元はわずかに緩む。


「……はい、かしこまりました」


鏡の前に座ると、慣れた手つきで髪に触れる気配がした。

私たちは、自然と顔を見合わせて、小さく笑い合う。


オルガが用意してくれた朝食を食べ終え、身支度を整えて寮を出た。


途中でアメリアさんと合流し、いつものように並んで教室へ向かう。


学園の中は、どこか落ち着かない賑わいに包まれていた。

すべての試験が終わった――その事実だけで、空気が軽くなっている。


そんな空気の中、長期休暇に入るまでの五日のあいだ、各学科で試験の結果が順に渡されていった。


成績表を受け取るたび、教室のあちこちで小さな反応が起こる。

安堵の息、ひそやかな喜びの声。

その一方で、結果が思わしくなかった生徒たちは、分かりやすく肩を落としていた。


休暇中に補習がある――

そう告げられた瞬間、机に突っ伏すように項垂れる姿も、何人か目に入る。


私はというと、どの学科も問題なく、成績は良好だった。

筆記も実技も、いずれも基準を満たしている。


成績表をそっと閉じながら、胸の奥で小さく息をつく。

ほっとした、というほど大きな感情ではない。

ただ、静かに「よかった」と思う程度だ。


五日目の三限。

その時間だけは、クラス全員が教室に集められた。


簡単なホームルームのような形で、担任のフォード先生が、長期休暇中の注意事項の話を始める。


それから、休暇中でも学園の開放時間内なら、図書館や研究室は利用できるとのこと。


寮に残る人には、門限や、外泊の許可の申請方法などの説明もあった。


私は、手元の成績表と課題をまとめながら、これから始まる長い休暇のことを思っていた。


「エルリーナさんは、お休みのあいだ、どう過ごされるのですか?」


「私は、いったん伯爵家に戻ります。でも、学園の図書館と、古代語の研究室には時々来ると思います」


そう答えてから、私は問い返した。

「アメリアさんは?」


「私は、子爵家は遠いですし、タウンハウスもありませんから、休暇中も寮に残る予定です」


「それなら、私が学園に来た時に会えますね!」


「ふふ、そうですね」


今日の午後は選択学科がないから、このホームルームが終われば、長期休暇に入る。


担任が教壇に立ち、簡単な挨拶をしてから、注意事項をもう一度話した。


「みんな、休みの間も生活のリズムを崩さないように。寮に残る者は門限を守ること。補習がある者は、日程をきちんと確認するように」


教室の中に、素直な返事と小さなどよめきが広がる。

それで話は終わりだった。

生徒たちはそれぞれの休みへと向かっていく。


教室を出る前、私はアメリアさんに声をかける。


「それじゃあ、また。休み中も、よろしくお願いします」


「はい。お気をつけて」


人の流れから外れるように、私は古代語の研究室へ向かった。

入口の名簿に目を通すと、今日はリュミエール先生は魔道具の会議で不在らしい。


少しだけ残念に思いながらも、気持ちを切り替えて書架の前に立つ。

背表紙を順に追い、その中から古代語の本を一冊選び取った。


「はい、貸し出し手続き、完了です。またいらしてくださいね」

研究室の受付の女性が、にこやかに微笑みながら本を差し出してくれる。


「はい、もちろんです。ありがとうございます。それでは、また」


本を胸に抱え、私は静かな研究室を後にした。


♦︎♦︎♦︎


寮に戻ると、部屋の中はすでに片付けられていた。

オルガが、大きな鞄の中身を最終確認している。

伯爵家へ戻る準備は万端のようだ。


「ありがとう、オルガ」


「当然です」


そう言って、オルガはいつものように淡々としているけれど、その手つきはどこか丁寧だった。


ほどなくして、寮の外に馬車が到着したとの知らせが入る。

外へ出ると、学園の門前に止められた伯爵家の馬車のそばに、見慣れた姿があった。


「エルリーナ」


「ルーカス兄様?」


彼もまた、同じ馬車に乗るらしい。

一瞬戸惑ったけれど、目的地は同じなのだから、一緒なのは自然なことだと思い直す。


馬車は静かに走り出し、学園の景色が少しずつ遠ざかっていき、長期休暇に入った実感が湧いてきた。


伯爵家に到着すると、門の前には叔父様と叔母様の姿があった。

それだけではない。

執事や侍女たちも揃い、きちんと列を作って待っている。


「……え?」

思わず足が止まる。


「おかえり、エルリーナ」


「体調は大丈夫かしら、疲れていない?」


温かな声で迎えられ、さらに一斉に頭を下げる使用人たちを見て、少し驚いた。

こんなふうに迎えられるとは、思っていなかった。


戸惑いながらも屋敷の中へ進み、ふと気づく。


――私は、ここに迎え入れられている。


客としてではなく。

保護される存在としてでもなく。


その事実が、静かに心に沁みていく。


私は、伯爵家の一員なのだと。


♢♢♢


マーカス様――叔父様との約束通り、昼間は離れで過ごしている。

学園へ行くときは、馬車を用意してもらったりして――


「まるで、お嬢様みたいだな……」

私がぽつりと呟くと、お茶の準備をしながら、オルガが呆れたようにこちらを見る。


「何をおっしゃいますか。リーナ様は、最初からお嬢様ですよ」

言葉はきっぱりしているのに、声音はどこか柔らかい。


私は思わず、小さく笑ってしまった。


――ちょうどそのとき。


「リーナ様、クッキーが焼き上がりましたよ」


声をかけてきたのはミリアだった。

オーブンから漂ってくる甘い香りに、思わず視線がそちらへ向く。


「ありがとう。じゃあ、少し冷ましてから本邸へ持って行こうか」


「はい。奥様も、きっと喜ばれます」


粗熱が取れたら、クッキーを包んで本邸へ。

セラフィナ様――叔母様と、一緒にお茶をする予定だ。


まだ少し遠慮したり気を使ったりと、距離はあるものの、以前よりは打ち解けたと思う。


それでも、心の奥に引っかかるものがあった。

私の魂――魔力を狙う存在。


それが誰なのか。

性別すら、分かっていない。


数日前――

実技試験の際、隣国から来た国賓の中に、微弱ながら怪しい波動を感じたと、セラは言っていた。


休暇明けに、学園へやって来る留学生。

その中に、あの気配の主が紛れている――そんな可能性も、否定できない。


確証はない。

ただの推測に過ぎない。


セラは、いつも私の周囲を警戒してくれている。

見えない気配にも敏感で、私よりずっと早く危険を察知してくれる存在だ。


けれど――

それに、いつまでも甘えているわけにはいかない。

守られるだけの存在でいるつもりは、もうなかった。


父様や母様のように、自分の身は自分で守れるようになりたい。

もし、また何かが起きたとしても、立ちすくむだけの自分ではいたくない。


静かな離れの中で、私はそっと拳を握る。

強くなりたい――

それは恐れからではなく、自分で選び取った願いだった。


♦︎♦︎♦︎


休暇中のある朝。

本邸の自室で目を覚まし、いつものようにオルガと身支度を整える。


最初の頃は、本邸で過ごすことにどこか落ち着かなさを覚えていた。

けれど、この部屋の少し懐かしい雰囲気に包まれているうちに、いつしかそれも当たり前の日常になりつつあった。


朝食は、叔父様、叔母様、ルーカス兄様と、四人で食卓を囲んだ。今はもう、必要以上に緊張せず、落ち着いて食事ができている。


食後、カップを置いた叔父様が口を開く。

「エルリーナ。明日の午後、学園の魔術科主任――リュミエール先生がお見えになる」


思いがけない名前に、私は思わず顔を上げた。


すると、隣に座る叔母様が、静かに口を開く。

「エルリーナは……もう、リュミエール先生とお話ししたことがあるのかしら?」


一瞬だけ迷ってから、私は正直に頷いた。

「はい。母様の叔父にあたる方だと知っています。黙っていて……ごめんなさい」


「謝らなくていいのよ」

叔母様は、すぐに首を横に振った。


続けて、叔父様が穏やかな声で言う。

「私たちのほうが、話しづらい空気を作ってしまっていた」


少しだけ、申し訳なさそうな表情だった。

「春に、新しく来た先生の名前がルキウス・リュミエール先生と聞いて、もしかすると、オーレリアの血縁かもしれないと、セラフィナと話をしていたんだ」


叔母様が、ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。

「あなたたちも知っている通り……オーレリアとは、喧嘩別れのような形にはなってしまったけれど……今でも、私にとっては大切な親友よ」


そこで、叔母様は一度、言葉を切った。

「その方がエルリーナを引き取りたいと言われた時。険悪な関係のまま、何も話さずに離れるのは……違うと思ったの」


叔父様も、静かに頷く。

「エルリーナは、私にとって姪だ。だからこそ、大人として、きちんと向き合うべきだと思った」


もし別れが来るとしても。

わだかまりを残したままではなく、互いに向き合ったうえで――


それが、叔父様たちの出した答えだった。


「明日、リュミエール先生が来たら、どんな話になるかは分からない。だが――エルリーナが自分で決めたことに、私たちは反対するつもりはない」


叔父様の言葉は、静かで、けれどはっきりとしていた。


叔母様も、少しだけ微笑んで続ける。

「そうね。たとえ、ここを離れることになったとしても……たまには、顔を見せに来てくれる?」


引き止めるでもなく、縛るでもなく。

ただ、繋がりを手放さないための、ささやかな願いだった。


皆の視線が、自然と私に集まる。

答えを求められているのは分かっているのに、喉の奥で言葉が引っかかった。


すぐに決められるほど、単純な話じゃない。


その沈黙を破ったのは、ルーカス兄様だった。


「まあ、まだ決まった話でもないだろ。先生が来る理由だって、ただの見舞いかもしれないし、学園の用事かもしれない」


その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。


叔父様も、静かに頷く。

「そうだな。私たちが、少し先回りしすぎているだけかもしれない」


私は、ようやく息を吐いた。


「……はい」


今は、まだ分からない。

明日、どんな話になるのかも。


それでも――

この場にいる誰も、私を急かしてはいなかった。


それだけで、十分だった。

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