第22話 近づく距離と重なる面影
――夏の陽射しが和らぎ始めた夕方、エルリーナはソファに座り、本を読んでいた。
今日は珍しく、セラも外出せず、同じ部屋で過ごしている。
伯爵家の周囲は、安全だと確認できたらしい。
「はやく、離れの書斎に行きたいな」
本を閉じ、私は小さく呟いた。
「長期休暇に入ってから、と旦那様はおっしゃっていましたよ。もう少し先ですね」
オルガはそう言って、微笑みながらこちらを見た。
そんな話をしていると、扉がノックされた。
オルガが開けると、そこにはルーカス兄様が立っていた。
「エルリーナ、体調はどう?」
「は、はい。大丈夫です。明日は試験を見に行けます」
「そうか、よかった」
ルーカス兄様はそう言うと、一通の手紙と、少し厚みのある本を差し出した。
「リュミエール先生から預かってきたよ。エルリーナの無事は伝えてある」
「リュミエール先生から?」
手紙には、今回魔道具が勝手に起動した原因を調べるため、しばらく会いに行けないことが記されていた。
そして渡された本は、古代語で書かれたものだった。
「綺麗な文字……」
私は表紙を見つめ、今にも読み始めようとした、その時。
「エルリーナ様、もうすぐ夕食ですよ」
オルガの声に、私は本をそっと置いた。
「わ、わかっています」
私たちのやりとりを見て、ルーカス兄様が少し笑った。
「じゃあ、また後で」
そう言い残し、ルーカス兄様は部屋を後にした。
「……笑われちゃったね」
「ふふ、そうですね。さあ、夕食の時間ですよ。身だしなみを整えましょう」
夕食の席は、終始穏やかな空気だった。
マーカス様とセラフィナ様も、まだどこかぎこちない様子は残っている。
けれど、ルーカス兄様が間を取り持つように話を繋いでくれて、食卓の空気をやわらかくしてくれた。
そのおかげで、私は大きく気負うことなく、
静かな時間を過ごすことができた。
♦︎♦︎♦︎
部屋でひとり、リュミエール先生から届いた本を手に取る。
古めかしい表紙をじっと見つめて、ふと思い出す。
「お祖父様の書斎で見つけた「エルデナ」の本。リュミエール先生に見せたほうがいいかな?」
『いいんじゃないか?』
私の小さな呟きに、セラが答えた。
『何かわかるかもしれない』
「今は、魔道具のことで忙しくしているみたいだから……長期休暇が明けたら、見せに行こうかな」
『今手元にあるその本……』
「一緒に読む?」
『まあ、たまにはいいか……』
そう言って、私が座るソファまで来ると、隣に座り一緒に本を読んだ。
『体調に変化はないか?』
「ないよ。お医者様も、問題ないって言ってた」
『……そうか。今回の怪我以外には?』
「大丈夫だよ。どうしたの?」
『いや。大丈夫ならいい』
「……?」
魔術を急激にたくさん使ったことが、気になっているのかもしれない。
そう思いながらも、私は気を取り直し、セラと並んで静かに本を読み続けた。
♢♢♢
翌朝は、いつもより少し早く目が覚めた。
身支度を整え、朝食を済ませると、ルーカス兄様は試験のため、先に屋敷を出ていく。
伯爵夫妻と三人で、その背中を見送った。
昼は軽く済ませ、馬車に乗り学園へ向かう。
道中、マーカス様が少し難しい顔をして話し始める。
「エルリーナ、その……そろそろ、呼び方を変えよう」
「そうね。“叔父様”“叔母様”でいいのではないかしら?実際、そうですし……」
くすりと笑いながら、セラフィナ様がそう提案した。
「はい。叔父様、叔母様と……そう呼ばせていただきます。これからも、よろしくお願いします」
私が笑顔で答えると、ふたりとも、ほっとしたように表情を緩めた。
学園に到着すると、正門の近くで、見慣れた姿がこちらに手を振っていた。
「あっ、アメリアさんがいます」
「クローデル子爵令嬢かしら?」
「はい。クラスメイトなんです」
「そうなのね。行ってらっしゃい」
すると、叔父様が急に早口で話し始める。
「……急に走ったりしないように。それから、少しでも体調が悪かったら、すぐに知らせなさい。それから――」
「あなた」
叔母様が、やんわりと声をかける。
「……ああ。わかっている」
叔父様は少しだけ咳払いをし、視線を逸らした。
その様子に、私は思わず小さく笑ってしまった。
「はい、十分気をつけます」
私の言葉を聞いて、ふたりは揃って頷く。
「上級生の試験が始まる前には、観客席に向かいます。それでは、行ってきます」
そう言って一礼し、私は馬車から離れた。
「エルリーナさん!」
正門のそばで、アメリアがこちらに手を振っていた。
「アメリアさん。おはようございます」
「おはようございます。……お加減はいかがですか?」
「はい、大丈夫です。お医者様にも、問題ないと言ってもらえました」
「そうですか……それを聞いて、安心しました」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「いえ。こうして元気そうなエルリーナさんに会えて、本当によかったです」
微笑むアメリアさんの後ろから、見知った二人が姿を現した。
試験で同じパーティを組んだ、ラファエル様とルイス様だ。
「おはよう、エルリーナさん。昨日ルーカス様から聞いてはいたけど……元気そうでよかった」
「ラファエルから、今日上級生の試験を見に来るって聞いて、待っていたよ」
「お二人とも、ご心配をおかけしました」
その言葉に、皆の表情がふっと和らいだ。
「もう少しで上級生の試験が始まりますね。私はその前に、薬草学の研究室に用事がありますので、これで失礼します」
そう言って、アメリアさんは軽く一礼し、研究室の方へ向かった。
ラファエル様とルイス様も、友人たちと観覧する予定のようで、「またね」と手を振りながら、その場を離れていく。
私も、叔父様と叔母様が待つ観客席へと足を向けた。
♢♢♢
観客席に着くと、オルガがお茶を用意していた。
「エルリーナ様、こちらにお掛けください」
「ありがとう、オルガ」
「エルリーナ、お友達とは話せたかしら?」
「はい。皆さん心配してくださって……元気な姿を見せられて、よかったです」
「それは何よりね」
その時、不意に声がかかった。
「あら、イグナリエル伯爵夫人ではなくて?」
叔母様が、すっと立ち上がるのを見て、私も慌てて席を立つ。
視線の先には、落ち着いた佇まいの貴婦人が立っていた。
「ご無沙汰しております、ベアトリス様」
「ええ、お久しぶりです。セラフィナ様」
互いに微笑みを交わすその様子から、舞踏会やお茶会で顔を合わせてきた関係だと、すぐにわかった。
「こちらは、姪のエルリーナです」
叔母様にそう紹介され、私は一歩前に出て、軽く一礼した。
「初めまして。エルリーナと申します」
「まあ……あなたが」
ベアトリス様は私に視線を向け、穏やかに微笑んだ。
「息子のラファエルからお名前は伺っております。先日の試験でご一緒したとか。大変だったそうですね」
(息子のラファエル……ってことは、グランデル公爵夫人!)
「ご心配をおかけしましたが、もう問題はございません」
「それは何よりです」
それ以上踏み込むことなく、けれど失礼にもならない。
ほどよい距離を保った、大人同士の会話だった。
叔父様は、他の貴族方と仕事の話をしていたらしく、少し遅れて席に戻ってきた。
「待たせたな」
そう言って腰を下ろした、その直後だった。
試験開始を告げる合図が響く。
観客席の空気が、一気に引き締まった。
競技場に現れた仮想魔物に、上級生たちは迷いなく動く。
ルーカス兄様たちも、その中にいた。
連携は鮮やかで、無駄がない。
攻撃は的確で、防御も崩れない。
――気づけば、仮想魔物はあっという間に倒されていた。
「……すごい」
思わず、そんな声が零れる。
一年生の試験とは、まるで別世界だった。
(来年、私はあんなふうに戦えるかな……)
「ルーカスは、セドリックに似ているな……」
叔父様が、ぽつりと呟く。
「そうでしょうか? 私は、叔父様に似て、とても綿密な魔力の使い方をしていると思います。父様は少しムラがあって、いつも母様に怒られていました。だから――」
そこまで一息に話して、はっとした。
叔父様と叔母様が、そろって目を丸くして私を見ている。
「あ……す、すみません。つい……」
一瞬の沈黙のあと、ふたりがふっと笑った。
「ごめんなさい。少し驚いただけよ」
叔母様はそう前置きしてから、やさしく微笑む。
「でも……エルリーナが、そうやって一気に話すところ。オーレリアにそっくりだわ」
叔父様も、ゆっくりと頷く。
「確かに……考え出すと止まらないところもな」
責めるでもなく、懐かしむような声だった。
そうやって、三人で笑い合った。
父様と母様の話をすることで、ほんの少し、心の距離が近づいた気がした。




