第15話 試練の中の光
試験が近づくにつれて、学園は静かに緊張を帯びはじめていた。
廊下には紙をめくる音や小さな声で問題を確認し合う気配が満ち、談話室のテーブルには参考書が積み上がっていく。
魔術練習場から漏れる微かな魔力のざわめきでさえ、いつもより鋭く感じられた。
魔術科の授業は、試験に向けての練習が開始された。
各班がそれぞれの役割を確認し、何度も魔術を合わせては修正していく。
その中で、私たち三人も小声で相談を重ねながら動きを整えていった。
「次は、私が水を合わせるタイミングを少し早くしてみますね」
「了解。僕は壁の強度を上げてみるよ」
「じゃあ、風の軌道を微調整する」
息を合わせて魔術を放てば、さっきまでぎこちなかった流れが嘘みたいに滑らかに繋がっていく。
ラファエル様の風と水が重なり、鋭い軌道のまま威力と精度を底上げする。
ルイスの土壁は私の水を含んで衝撃を吸収し、仮想魔物の攻撃をしっかりと受け止めた。
ひときわ強い光が弾け、試験用の魔物が霧散する。
直後、周囲から小さなざわめきが広がった。
「……あの三人、意外とやるわね」
「補助、思ったより上手いじゃない?」
まだ冷たい視線や、刺すようなひそひそ声も混ざっている。
それでも――確かに三人の連携は前進していた。
「エルリーナさんの判断が早くて助かるよ」
ルイスが柔らかく笑い、ラファエル様も頷く。
「そうだな。動きやすかった」
「えっ……あ、ありがとうございます」
胸の奥があたたかくなりながらも、ふと浮かぶのはあの裏庭での特訓。
(……バルドとの訓練を思い出すなぁ。弓、使いたいけど、魔術科だから無理。でも、水を矢みたいに細くして飛ばせたら――)
そんなことを考えていた瞬間、ぱんっと乾いた音が響き、思わず肩が跳ねた。周りの人もびっくりして振り返っている。
顔を上げると、ヴァレンティス先生が片手を打ち鳴らしたところだった。
「今日はここまで! 何か聞きたいことがあれば来なさい。演習場は十八時まで開放する」
その声に、生徒たちがほっと息をつきながら魔力を収めはじめる。
私も胸の高鳴りを静めるように深呼吸した。
「エルリーナさん、お疲れ様。このあとの予定は?」
ラファエル様が歩み寄り、汗ひとつ見せない落ち着いた声で尋ねてくる。
「お、お疲れ様です、ラファエル様。この後は、友人と図書館で……試験勉強の約束があって」
「そっか。約束があるなら、仕方ないね。少し話したかったけれど」
軽く笑ったその言葉のあと、ルイス様がラファエル様の肩にぽんと手を置いた。
「ほら、ラファエル。引き止めちゃ悪いよ。エルリーナさん、今日はだいぶ集中してたし、疲れてるだろ?」
「……そうだな。無理に時間を奪うのは良くないか。じゃあ、またね」
「はい、お疲れ様でした」
ラファエル様とルイス様が去っていくと同時に、周囲の女子生徒たちの視線が一気にこちらへ集まる。
妙なざわつきが肌に触れるように伝わってくる。
「……今の、見た?」
「また馴れ馴れしく話して……」
「いいなぁ、とかじゃなくて、あれはもう特別扱いじゃない?」
囁く声が、風よりもはっきり耳に入る。
わざと聞こえるようにため息をつく子もいて、冷たい視線が頬を刺した。
胸の奥が少しだけ重くなって、私はそっと目線を落とす。
――でも、立ち止まっていられない。
図書館へ向かう約束があるし、試験だって迫っている。
「……行こう」
小さな声で自分にそう言い聞かせ、一度深呼吸してから歩き出した。
演習場を離れ、外の空気を吸い込むと、夕方の風が火照った気持ちをやわらげてくれる。
さっきのざわつきが胸に尾を引いていたけれど、アメリアと勉強する約束を思い出すと、少しだけ心が落ち着いた。
そのまま図書館へ足を向ける。
重い扉を押し開けると、ほの暗い灯りの下でページをめくる音だけが響き、緊張で固くなっていた肩が自然とほぐれていく。
先に席に着いていたアメリアが、そっと顔を上げた。
「エルリーナさん、お疲れではありませんか? 少し、急がれていたように見えました」
「大丈夫ですよ。さあ、始めましょう?」
アメリアは用意していたノートを開き、迷っている箇所を静かに指さした。
「この部分なのですが……どうしても理解できなくて」
私は隣に腰を下ろし、同じページを開いた。
アメリアのペースに合わせて、図を示しながらゆっくり説明していく。
彼女は何度も小さく頷きながら聞いてくれて、やがて表情がふわりと緩んだ。
「あ……分かりました。ありがとうございます、エルリーナさん」
その穏やかな笑顔に触れた瞬間、胸に張り付いていた重さがすっと消えていく。
♦︎♦︎♦︎
共通学科の試験は三日間、午前中に行われた。
結果は、夏休みに入る前に発表される。
二日間休みが入り、正式な国賓たちが到着したという知らせが届く。
学園内は、普段よりもざわめき、警備も厳重になっている。
夜、自室に戻ると、セラが窓から外を睨むように見ていた。
「ただいま……どうしたの?怖い顔して」
『国賓の中に、怪しい波動を感じる』
「……国賓の中に?」
『微弱すぎて、私でもやっと感知できるくらいだ。誰かは特定できないな……十分に警戒しろ』
「うん。わかった」
胸の奥がひんやりと引き締まる。
微かでも危険な気配。油断はできない。
セラは窓の外を見つめながら、声を落として独り言のように呟いた。
『……もしかすると、体の持ち主の魔力が強くて、出てこれない……いや、だが……天界で感じた波動は……あれは……』
セラも、まだ見極められないみたいだった。
だから、少しでも気になることがあれば、報告し合うことを改めて確認した。
実技試験当日まで、国賓たちと接触することはほとんどない。
だけど念のため、なるべく距離を取るようにとの助言は頭に刻む。
次の日から、私は実技試験に向けて、演習場に通い、ラファエル様たちと連携の確認をしていた。
「エルリーナさんの家族は見に来るの?」
ラファエル様が水を飲みながら聞いてきた。
「え……あ、ルーカス兄様が出るので、伯爵家の人たちは来ると思います」
ラファエル様が不思議そうな顔をしている。
「……という言い方は、まるで自分は対象じゃないみたいだね」
「実際そうだと思うので……はは」
「まあ、あれだ……家族と言えど色々あるから、詮索は無しだな」
ルイス様が、その話は終わりという雰囲気を作ってくれて、すぐに魔術の連携の相談に変わっていった。
実技試験の練習を終え、道具を片づけていると、胸の奥がふと落ち着かなくなった。
――今なら、伺ってもご迷惑にはならないはず。
そう思い立ち、演習場を後にして古代語の研究室へ向かった。
扉の前で一度深呼吸し、軽くノックする。
「失礼します。エルリーナ・イグナリエルです」
「おお、入っておいで!」
快活な声に促され扉を開けると、リュミエール先生が笑顔で手招きしている。
「エルリーナ! いやー、やっと渡せる」
「リュミエール先生? どうしたんですか?」
先生は、小さく角の擦り切れた冊子をそっと差し出した。
「オーレリアの日記だよ。忙しくて、渡せなかった。すまんな」
「……っ! 母様の、ですか?」
胸がぎゅっと熱くなる。
これまで何度も聞いてきたけれど、触れたことのない“母の記録”。
思わず息を呑むと、先生は柔らかく頷いた。
「エルリーナに持っていてほしい」
「いいんですか? ……大事にします!」
先生はにこりと微笑む。
「……そうだ、最近は少し疲れているように見えるな。学園生活は忙しいし、実技試験の練習も大変だろう?」
「……はい、少しだけ、ですけれど」
先生は小さくうなずき、視線を柔らかく私に向ける。
「無理に何かをしろとは言わない。ただ、もし心が落ち着かないときには、昔のことを振り返るのも悪くないと思う。オーレリアのこと、たまに思い出してみるのも、少し助けになるかもしれない」
「……わかりました。ありがとうございます」
少しの会話のあと、私は日記を胸に抱え、深呼吸をひとつして立ち上がる。
「お邪魔しました。また来ますね!」
「あぁ、またおいで。気をつけて帰るんだぞ」
♢♢♢
その夜、母様の日記をじっと見つめ、なかなか開けずに表紙を眺めていた。
『何を見ている?』
「あ、セラ。母様の日記だよ」
『読まないのか?』
「……い、今から読むよ」
『ふっ……ゆっくり読め』
そう言って、窓辺に戻って行った。
ドキドキしながら、母様の日記を開いた。
そこには幼い頃に見た、懐かしい母様の文字が並んでいた。
「母様の字だ……」
買い物で苦労したこと。
他のハンターに認めてもらえた時嬉しかったこと。
父様をすごく愛していること。
そして、生まれてきた我が子が愛おしくてしょうがないこと。
私の頬は、いつのまにか涙で濡れていた。
「母様……」
日記の前のほうに、気になるところがあった。
――――
今日はラフィの結婚式がある。
リックとふたりで、変装して見に行くことにした。
私たちは平民になったから、遠くから見ることしかできない……しょうがないよね。
――――
ラフィ、すごく綺麗だったなぁ。
ずっと両思いだったふたり……本当によかった。
直接「おめでとう」って言えないから……水魔術で、虹を出してみたけど、気付いたかな?
彼、緊張すると難しい顔になるの、変わってなかったなぁ。
まるで、プロポーズしてきたときのリックみたいだった。リックに言ったら苦笑いしてたな。
――――
ラフィとは、喧嘩別れしちゃったけど、今でも親友だと思っている。ラフィは違うかもしれないけど……
私はいつまでも、あなたの幸せを願っているよ。
――――
「リックは、父様のことだね。あと、ラフィっていう親友がいたんだ……」
喧嘩別れしてしまった親友……もし会えたなら、母様が日記に書いた気持ちを伝えたいと思った。
文字の向こうには、遠くからそっと結婚式を見守った日の母様の気持ちや、相手の緊張した表情、ふたりが両思いで結ばれた喜びが生き生きと書かれている。
まだ誰なのかは分からないけれど、その人の幸せを願う心がまっすぐに伝わってきて、胸の奥があたたかくなった。
私はそっと日記を閉じ、毛布にくるまりながらベッドに身を沈める。
――母様の気持ち、きっと伝わっている。
そう心の中でつぶやくと、静かな夜の闇に包まれ、少しずつ呼吸が落ち着いていった。
♦︎♦︎♦︎
日記を受け取った日から、数日間。
演習場ではラファエル様やルイス様と連携の練習を重ね、セラとは寮で淡々と話しながら過ごした。
母様の日記も、合間にそっと読み返す。
――そして、ついに――
「今年も、アウレリア王立レリウス学園の実技試験にお越しいただき、ありがとうございます!」
演習場のスピーカーから、明るくも張りつめた声が響く。観客席には国賓や招待客、教職員、保護者たちの顔が並び、空気が一層緊張する。
「学生は日頃の練習の成果を、存分に発揮して下さい!」
歓声と拍手が巻き起こる中、私は深く息を吸い、ラファエル様とルイス様の顔を見渡す。三人の視線が自然に合い、今日の作戦を確認した。
胸の奥でひんやりとした緊張が走る。国賓の中に、微かにだが怪しい波動を放つ存在がいるというセラの言葉が頭をよぎる。
(油断できない……でも、私たちはやるしかない)
仮想魔物がゆっくりと現れ、試合開始の合図を待つ。
観客席のざわめきの中、演習場は静かに、しかし確実に戦いの場へと変わっていった。
読んでいただきありがとうございます
また来週まで頑張ります




