第14話 初夏のざわめき
午前の授業を終えて寮へ戻る道すがら、咲き始めた花々がふわりと香りを運んでくる。
学園には古代語のほかに、魔道具、魔物学、考古学……いろんな研究室がある。
中には馬術や音楽、刺繍など、日本でいう部活のようなものもあり、生徒たちは自由に興味を追いかけていた。
リュミエール先生の研究室も、そのひとつだ。授業にはない深い知識が詰まっていて、他の数人の生徒も訪れている。
私もその中のひとりとして、古代語を教わりながら、時折母様の話を聞かせてもらうことができる。
休憩時間には、ティーカップを手にしながら、母の話を聞いた。
「本当に?母様が?」
「そうなんだよ。あれはオーレリアが7歳だったかな?町の男の子と喧嘩して」
「勝っちゃった?」
「そうそう。で、次の日その男の子に”師匠”って呼ばれてたんだ」
「師匠……ふふふ」
そんなほのぼのとした話をしながら、午後の光に包まれた時間がゆっくり過ぎていった。
私の魔術についても、リュミエール先生に見てもらい、ヴァレンティス先生やフェルン先生と相談して、今のところ大きな問題はなさそうだと確認が済んでいる。
午後の光が柔らかく傾きはじめるころ、私は研究室を後にした。
寮に戻ると、夜のひとときはいつものようにセラと過ごす時間だ。
ソファに並んで腰を下ろし、その日にあったことを報告し合う。
「古代語の本がたくさんあって、ワクワクしちゃった」
『いいな……』
「今度、本借りてきてあげるよ」
『猫の姿じゃなければ、その研究室に行きたいよ』
「ふふふ、そうだね」
セラによると、今のところ怪しい波動はどこにもないみたいだ。
油断は禁物だけど、このまま平穏な日々が続けばいいのに……と、心の底から思う。
♦︎♦︎♦︎
初夏の穏やかな日々がゆっくりと過ぎ、朝の空気は少し暑さを帯びるようになった。
庭の緑も日に日に濃さを増し、学園は夏の気配に包まれている。
ある日、各研究室や教室で先生たちが生徒たちを前に、試験についての説明を始めた。
共通学科の座学は筆記試験、選択学科も座学は筆記、そして剣術・騎士科や魔術科は実技で評価されること――。
魔術科では、ヴァレンティス先生やフェルン先生が、試験の注意点を説明し、生徒たちは真剣な表情で耳を傾けていた。
「実技試験では、攻撃・防御・補助と役割を決めて、三人一組となること」
ヴァレンティス先生の低い声が教室に響く。
今日、魔術科の授業は五限で終わり。
教室の中で、生徒たちは楽しそうに「誰と組む?」と話し合っている。
みんなの声があちこちから聞こえ、笑い声も混ざる。
共通学科や薬師科ではアメリアがいて相談できたけれど――
(三人……一組……どうしよう)
どう考えればいいのか途方に暮れてしまった。
そのとき、すっと気配がして顔を上げると、深緑の髪と氷のように澄んだ瞳を持つ、風と水の二属性の“暴風の公爵家”の嫡男、ラファエル・グランデルが立っていた。
「エルリーナさん、私と組まないか?」
学年トップの彼の声は穏やかで、でもどこか凛とした空気を帯びていた。
教室内の空気が一瞬で沈黙となる。そしてすぐさま、ざわざわとささやき声が広がり、数人の生徒がちらりとこちらを見る。
「え……ラファエル様が……?」
「嘘でしょ?……」
小声があちこちで漏れる。誰もが驚きと興味を隠せずにいるのがわかった。
驚きと不安が入り混じる。
声が出ないまま、私は目の前の公爵家令息を見つめていた。
「私は攻撃魔術が得意だ。エルリーナさんは補助魔術はできるか?」
「は、は、はい。できると思います」
「じゃあ、ルイス、君が防御魔術をすればいいよ」
ラファエルの後ろから、濃い茶色のくせ毛と茶色の瞳を持つ青年がゆっくり現れた。
聞き覚えのある名前……たしかランディエル伯爵家の――
彼は軽く頭を下げ、柔らかく声をかける。
「ルイス・ランディエルです。よろしく、エルリーナさん」
存在は知っていたけれど、直接話すのは初めてだから、緊張する。
「防御魔術は得意だ。壁や障壁を作れる」
ルイスが自信ありげに言う。
「これで、攻撃、補助、防御……揃ったな」
これで三人の役割ははっきりした!と言わんばかりに、ラファエルとルイスは微笑む。
(ど、どうしよう……本当にふたりと組むの?)
胸の鼓動が早くなり、指先まで熱くなる。
周囲のざわめきがまだ消えないまま、私はふたりを前に戸惑って立ち尽くしていた。
ふたりは、私が返事に迷っているのも気づかないようで、当然のように提出用紙を取り出した。
ふたりの名が迷いなく書き込まれていく。
「さあ、エルリーナさんも書いて」
差し出された紙とペン。断る間もなく、期待に満ちたまっすぐな視線が向けられる。
(えっ……もう……?)
戸惑いながらペンを受け取り、ふたりの圧に負けて、私は震える手で自分の名前を書き込んだ。
「ありがとう。じゃあ、出してくるね」
ルイスが素早く紙を受け取り、軽く笑う。
「行こう、ルイス」
ラファエルも続き、ふたりはあっという間に教室の出口へ向かっていった。
ぽつんと取り残された私は、手の中のペンを見つめたまま固まる。
(……き、決まっちゃった……)
胸の奥で、期待と不安が入り混じり揺れていた。
ラファエルとルイスが提出に向かうと、教室に静かなざわめきが広がった。
「え、本当に組んだの?」
「なんであの子が?」
「イグナリエル伯爵家なのに水しか使えないんでしょ?」
刺のような声が、机に座る私の耳にひっかかる。
中には、ため息まじりの声もあった。
「……羨ましい……ラファエル様となんて」
「私だって狙ってたのに!しかもルイス様まで……」
妬みと困惑が入り混じった視線がいくつも向けられた。
近くの女子が、ついっと笑いながら声をかけてきた。
「ねえ、あなた。今からでも断ったほうがいいんじゃない?公爵家の足を引っぱったら大変だよ?」
心配するふりのその言葉に、返事が喉に張りつく。
(……私、本当にふたりと組んでよかったの……?)
ざわつく教室の中で、私だけがぽつりと取り残されていた。
実技試験で組む相手が決まってしまい、どっと疲れが押し寄せたころ。
教室を出た私は、気持ちを切り替えようと深く息を吸って、そのまま図書館へ向かった。
座学の試験もそろそろ本格的に準備しなくてはいけない。今日はアメリアと勉強する約束をしていたのだ。
静かな図書館には紙の匂いが満ちていて、窓際の席にはすでにアメリアが参考書を並べて待っていた。
「こちらですよ、エルリーナさん」
「ありがとう、アメリアさん」
席に座ると、彼女が小声で身を寄せてくる。
「そういえば、聞きましたか? 剣術と魔術の実技試験は、家族や招待客が見学できるみたいですよ」
「……え?」
思わず声が裏返る。
「毎年、学園の恒例行事みたいです」
初耳すぎて、一瞬思考が止まった。
実技試験を、家族が――?
しかも、注目度が高いってどういうこと……。
「それに、隣国から留学生が数名、試験の観覧を兼ねていらっしゃるそうですよ。来年度入学予定で、国賓としてご家族ごと招かれるとか」
「こ、国賓……?」
「それで警備も増えるみたいですね」
悪気などまったくない口調なのに、胸の奥がきゅっと縮まる。
(そんな大事になるなんて聞いてない……!ラファエル様やルイス様と組むだけでも緊張しているのに……ど、どうしよう……)
自分の補助魔術、大丈夫だろうか。
失敗したら――。
考えれば考えるほど不安が積み重なっていく。
「大丈夫。エルリーナさんなら、ちゃんとできますよ。
まずは座学から頑張りましょう?」
「……はい。ありがとうございます、アメリアさん」
色んなことが一度に押し寄せてくるみたいで、心が追いつかない。
(帰ったら……セラと話さないと)
部屋に戻ると、セラが窓辺に座っていた。
『……おかえり』
淡い光に照らされた背中は、いつもより少し緊張を孕んでいるように見えた。
「今日、実技試験のこと聞いて……家族や招待客が来るんだって」
『……ああ。知ってる』
「それに、隣国から留学生も来るらしい……国賓扱いって」
『外から人が来る……ということだな』
言葉少なに、セラは外を見つめる。
(……わかってる)
普段から「警戒を怠るな、油断するな」と言われている私にとって、外部から人が来るというのは単なる見学以上の意味がある。危険が増すということだ。
『試験で誰と組むかなんてどうでもいい。問題は外の奴らだ』
「……うん」
背筋が自然に伸び、手をぎゅっと握る。
(座学も、魔術の実技も、今まで以上に頑張らなきゃ……)
毎晩行っている魔力の抑制も、これからはさらに念入りに。
セラの視線を背に、私は決意を新たにした。




