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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第13話 繋がる記憶と証

――オーレリア


その名が落ちた瞬間、部屋の空気がぴたりと止まった。


「……あ、いや。失礼」

リュミエール先生は軽く咳払いをして、わずかに目を伏せた。

けれど、灰青の瞳の奥に残る揺らぎは、完全には消えなかった。

「昔の知り合いに、少し似ていたものでね。驚かせてしまったかな」


柔らかな笑みを浮かべながらも、その声音はどこか遠い。

フェルン先生とヴァレンティス先生は顔を見合わせ、誰も次の言葉を選べないまま、短い沈黙が落ちる。


「……魔術の件は了解した。念のため後日、魔術を見せてもらおう」

リュミエール先生が書類を整えながら言うと、ヴァレンティス先生が小さく頷いた。

「承知しました。では、今日はこれで」

フェルン先生が私の肩を軽く叩く。

「エルリーナさん、行きましょう」


私は慌てて頭を下げる。

「は、はい。失礼いたします……」


部屋を出る直前、そっと振り返ると、リュミエール先生がまだ机に手を置いたまま、静かに目を伏せていた。

その横顔には、懐かしさとも、痛みともつかない影が落ちていた――。


ヴェリテ寮に戻ると、ちょうどアメリアさんが買い物から帰ってきたところだった。


「あ、エルリーナさん。魔術科の授業どうでしたか? ……少し顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」


「えっ……あ、はい。大丈夫です。ちょっと、疲れたみたですね」

慌てて笑ってみせたけれど、喉の奥がひどく乾いていた。

彼女は心配そうに眉を寄せる。


「無理はしないでくださいね。少し休んだほうがいいですよ」

「ありがとう」


そのまま軽く会釈して、私は自室へと戻った。

扉を閉めた瞬間、張りつめていたものがふっと緩む。

胸の奥がまだざわついていて、思考がうまくまとらない。


部屋に入ると、セラがソファーに座っていた。

「……ただいま」

『どうした? ルキウスに会ったんだろ?』

「え?知ってるの?」

『まぁな』


私もソファーに座り、しばらく窓の景色を眺めた。


「私を見て、オーレリアって言ったの……」


『……』


「リュミエールって名乗っているから、何か知っているか聞きたかった……で、でも……こ、言葉が出てこなくて――」


『リナ、落ち着け』


セラが私の膝に、そっと前足をのせた。

その小さな重みが、不思議と胸のざわめきを少しだけ静めてくれる。


「……母様のこと、知ってたら聞きたい」


『そうだな』


「でも、話してくれるかな……」


『話してくれるさ』


「目がね、母様に似てたの」


『そうか』


「魔術も教えてもらいたい……よくばりかな?」


『聞いてみればいいさ』


「……母様に、会いたい」


声に出した瞬間、胸がきゅっと苦しくなった。

私の頬を、一筋の涙がつっと伝い落ちる。


思わずセラを抱きしめた。

セラは一瞬だけ瞬きをして――そして、静かにその抱擁を許してくれた。


「……ありがとう、セラ」


その後、少しずつ今日の出来事を話した。

魔術科の授業のこと、

特化属性は水だけを見せたこと、

そのことで周りの生徒から嫌味を言われたこと、

公爵家令息に話しかけられて驚いたこと――

セラはじっと黙って、私の話を聞いてくれた。


一通り話し終え、落ち着きが戻った頃――

コンコン、と扉が軽く叩かれた。


「エルリーナさん? 食堂にご一緒しませんか?」


アメリアさんの声だった。

どうやら、夕飯の時間になっていたようだ。


私は小さく息を吸い、涙の跡をそっと袖で押さえた。

『行ってこい』

セラが静かに尻尾を揺らす。

その何気ない仕草が、胸の奥をもう一度あたためてくれた。


扉を開けると、アメリアさんはやっぱり少し心配そうに私を見た。


「顔色、さっきよりは良さそうですね。……無理してませんか?」

「はい、大丈夫です。少し休んだので、落ち着きました」

彼女はほっと息をつき、柔らかく微笑んだ。


「それならよかったです。食堂、行きましょう」

「はい、行きましょう」


並んで歩き出すと、廊下の明かりが静かに揺れ、

ほんの少しだけ――日常に戻っていくような感覚がした。


♦︎♦︎♦︎


魔術科初めての授業から二日後、その日の私は午後の授業がなく、学園の図書館に来ていた。

薬草コーナーで本を探しながら、昨日の薬師科の授業を思い返していた。


先生の説明は丁寧でわかりやすくて、乾いた薬草の香りが教室に満ちていた。

隣のアメリアさんも楽しそうに聞いていて――ふたりして何度も頷きながら、気がつけばすっかり夢中になっていた。


(お祖父様の本は、まだ私には難しいから……うん、これがいいかな)


手に取った一冊をぱらりとめくり、内容がちょうどよさそうだと判断して、貸し出し手続きを済ませる。


図書館を出ると、柔らかな陽射しがふわりと頬を照らした。

すぐ隣の憩いの広場では、木漏れ日がベンチに落ちて、ゆっくり揺れている。


「……ここで読もう」


空いているベンチに腰を下ろし、本を開く。

風がページを軽くめくり、ほのかに薬草と紙の匂いが混じった。


穏やかな午後――

まるで授業の続きを、自分のペースで辿っていくように、私は静かに読み始めた。


空気が心地よくて、ページをめくる手が軽い。

風に揺れる葉の音だけが周囲に広がって、とても穏やかだった。


――そのとき。


「ずいぶん熱心に読んでいるな」


柔らかい声が、斜め後ろから降ってきた。

指先がぴたりと止まる。

聞き慣れないのに、どこか落ち着いた響きを持つその声――ゆっくり振り返ると、白い髪をゆるく結んだ年配の男性が立っていた。


灰青の瞳が、静かにこちらをのぞき込んでいる。


「リュミエール先生……?」

気づけば、声が少し高くなっていた。


「驚かせたか?」

先生はわずかに口元をゆるめ、視線を私の膝の上の本へと移す。

「何を読んでいるのかと思ってな」


「あ……えっと、薬草の基礎編です。薬師科の授業が、面白くて……その……」

しどろもどろになってしまう。

先生はそんな様子を見ても、特に気にした様子もなく、ただ穏やかに問いかけた。


「隣、いいか?」

胸の奥がきゅっと強く跳ねた。

落ち着けないまま、私は小さく頷いた。


「……ど、どうぞ」

自分でも驚くほど声が細かった。

リュミエール先生は「失礼」とだけ言って、私の横に静かに腰を下ろした。

年配の男性らしい落ち着いた所作で、けれどどこか――距離の取り方が上手い。

近すぎず、遠すぎず、安心させる絶妙な位置だった。


「薬草学か。もうひとつの選択学科は、薬師科か」

「は、はい。そうです。」


しばらく風の音だけがふたりの間を流れた。

ページを押さえる私の指先が、かすかに震えているのを、自分で気づく。


「……イグナリエル嬢」

「っ……はい」


「少し失礼なことを尋ねる。……先に謝っておくよ。少し調べさせてもらったのだが、君は……イグナリエル家の“養女”という認識で間違っていないか?」


やっぱり――と胸の奥が冷たくなる。

逃げずに向き合わなきゃいけない、そう思ってゆっくり頷いた。


「その通りです。私は……イグナリエル伯爵家の養女です」

言葉を選びながら、続ける。

「実の父は……現在のイグナリエル伯爵の兄、セドリック・イグナリエル。そして、母の名は――」


喉がひとりでに震えた。

「……オーレリア・リュミエール、です」


風がぴたりと止まったように感じた。


リュミエール先生の目が、ゆっくりと細められた。

驚きというより――深く納得したような色が浮かぶ。


「……そうか」

低くつぶやいた声は、どこか遠い記憶をひも解くようだった。


「オーレリアの子が、生きていたとは思わなかった」


胸がふっと震える。

やっぱり――先生は母を知っていた。


リュミエール先生は、遠い記憶をたぐるように目を細めた。

「……オーレリアは、私の姪なんだ。それに、数年ほど一緒に暮らしていたことがあってね」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がそっと揺れた。

(――そうだったんだ)


「昔……旅から戻ったとき、オーレリアたちが魔物との戦いで命を落としたと聞かされた」

静かで、けれど胸の奥に重さを落とす声だった。

「そのとき、彼女が亡くなってからすでに、三年も経っていた。もっと早く帰れていればと……悔やんだよ」


言葉を失う私に、先生は続けた。


「そして――オーレリアの子らしき少女が、教会に保護されていた、と耳にした。すぐに足を運んだ」

淡々と語っているのに、奥に押し込めた痛みが伝わってくる。

「だが三年の間に、関係者が大きく入れ替わっていてね。少女を知る者は誰一人いなかった」


「……」


胸が締めつけられるようだった。

その少女が――間違いなく、自分なのだと思うと。


リュミエール先生はゆっくり息をつき、私の顔をもう一度しっかりと見た。


「まさか会えるとは思わなかった。生きていてくれてありがとう」


その声音には、懐かしさと、確かな優しさが滲んでいた。


ふっと風が動いたとき、リュミエール先生は膝の上に手を置いて立ち上がる気配を見せた。


「……そろそろ戻らねばならない。午後に来客があってね」


「あ……」

名残惜しさが胸にひっそりと広がる。

そんな私に気づいたように、リュミエール先生は軽く目を細めた。


「また会おう、イグナリエル嬢」


そう告げたあと、一歩だけ歩みかけて――ふと足を止めた。

横顔越しに、静かな声がこちらへ向けられる。


「……そうだ。ひとつ、確認しておきたいことがある」


胸がきゅっと縮まる。

先生はわずかに振り返り、穏やかな目を向けた。


「君のことを、私も“エルリーナ”と呼んでいいか?」


その声音はやわらかく、どこか遠慮がちで――けれど、とてもあたたかかった。


「っ! はい、もちろん」

その反応に、先生の表情がほんのわずか緩む。


「……ありがとう。では、あらためて――また会おう、エルリーナ」


名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がそっと揺れた。

気づけば、言葉が雪崩のように口からこぼれていた。


「あ、あのっ……! えっと、先生は古代語の研究をしていると……その……」

息が少し上ずる。

「わ、私、その、古代語も……教えていただけたら……っ。それと、魔術も、えっと、母様のことも……!」


言ってから、顔が熱くなる。

あまりに焦っていて、順番も言い方もめちゃくちゃだった。


「……ははは、慌てるな、エルリーナ」

リュミエール先生は、少しだけ微笑んだ。驚くでも呆れるでもなく――

「なんでも聞くといい。知っていることは全部教えよう。選択学科にはないが、古代語の研究室がある。授業がない日でも構わない。いつでも訪ねてくるといい」


「……ほ、本当に?」


「ああ。歓迎するよ」


胸の奥がふわりと軽くなり、ほっと息が漏れた。


リュミエール先生は「ではまた」と軽く会釈し、白い髪を風に揺らしながら去っていく。

その背を見つめながら、私はゆっくり胸に手を当てた。


(……また会えるんだ)


温かい期待が、ひっそりと芽を伸ばしていった。

来週も投稿できるように頑張ります

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