第10話 始まりの鐘と出会い
私は今、学園にあるヴェリテ寮の自室で、クラス分け試験の結果を見ている。
年が明け、制服や教科書の準備、入寮手続き……気がつけば、あっという間に試験の日になっていた。
試験は、里奈としての記憶と、ルーカス様から頂いた資料のおかげで、ほとんどの問題が迷いなく解けた。
――けれど、Sクラスに入るのは避けたかった。
少しだけ答えをぼかして、Aクラスくらいの点数に抑えた。
入寮の日には、オルガやミリア、そしてまさかのエリオットまで、荷物運びや片付けを手伝ってくれた。
(まさか、エリオットが来てくれるとは思わなかったな)
『リナ、そろそろ出る時間だろ?』
「あっ、うん。わかってるよ、セラ」
白猫の姿をしたセラは、今日も私のそばにいる。
(寮に猫がいても誰も不思議に思わない……天使のスキル。すごいな)
「よし、準備完了。――じゃあ、入学式、いってくるね」
『気をつけろよ』
その声に、私は思わず背筋を伸ばし、こくりとうなずいた。
(……うん。ここには、たくさんの人がいるから)
セラは窓辺へと歩いていく。
陽の光を浴びて、その毛並みが淡く輝いた。
『式の間は外から見てる。おまえは、おまえの役目を果たせ』
「……ありがとう、セラ」
ドアを開け、持っている鞄をぐっと握った。
(よし、行こう)
ヴェリテ寮を出ると、新入生たちが建物の前に、続々と集まっているのが見えた。
貴族の令息や令嬢たちは、家族や侍女や従者に見送られ、入学式が行われる大講堂へと歩いていく。
私も人の波に紛れて、中に入る。
大講堂の天井には、朝の光が差し込み、ステンドグラスを透かして床に淡い色を落としていた。
ざわめく生徒たちの声が、広い空間の中で小さく反響する。
私はその中、緊張を隠すように、静かに息を整えた。
(……すごい人。これが、アウレリア王立レリウス学園の入学式……)
壇上には学長と教師たちが並び、静かな空気が満ちていく。
やがて、式の始まりを告げる鐘がひとつ、澄んだ音を響かせた。
――入学式が始まる。
学院長の挨拶の後、壇上の中央に青年が、一歩進み出た。
背筋の伸びた立ち姿。淡い金の髪が光を受けてきらめき、どこか現実離れした存在感を放つ。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」
その柔らかな声が大講堂に響いた。
王族の証である深紅の徽章――アレクシス・ディア=アウレリア殿下。
第二王子で、現在3年生の生徒会長だ。
笑顔を浮かべながら語るその姿は完璧そのもの。
「この学園で過ごす三年間が、皆の未来を照らす光となりますように」
周りにいた女子生徒の多くが、ため息を漏らすようにうっとりと見つめている。
中には「素敵……」「まるで光の精霊みたい……」と小声で囁き合う者までいた。
(確かに綺麗……でも、ああいう笑顔は王族や貴族なら当たり前。あの表情は日常なんだろうな)
続いて、新入生代表の挨拶が告げられる。
(試験で1位だった人か)
壇上に上がったのは、深緑の髪を持つ少年――ラファエル・グランデル公爵令息。
氷のように澄んだ瞳が、壇上からまっすぐ前を見据えている。
冷たい静けさが、アレクシス殿下の眩しさとは違う“美しさ”を際立たせていた。
(……なんだろう。かっこいいっていうより、ちょっと怖そう)
「この学園は、努力する者に等しく道を開く場所です。
どうか、誇りを胸に歩んでください」
堂々とした声。
その瞳はまっすぐで、迷いがなかった。
こちらも、周りの女子生徒がざわついている。
(生徒会長とは違うタイプで、こちらも人気がありそう……だけど)
周りの女子生徒たちが抱くような感情は、私にはなかった。
第二王子も、公爵令息も――確かに整った顔立ちで、誰もが見惚れるような存在だ。
でも、胸が高鳴ることも、憧れることもない。
(かっこいいとか、綺麗とか……そういう人を、私はもう知っている)
今は、白い毛並みの猫になってしまったけれど。
拍手が終わると、教師たちの紹介が始まった。
「剣術・騎士科主任、アーヴィン・クロード」
「言語学科、エステル・ブランシュ」
「自然学科、メイラ・ローデン」
……
……
名が続くうちに、私は半ば聞き流していた。
あとで掲示を見ればいい――そう思っていた、けれど。
「――魔術科主任、ルキウス・リュミエール。古代語の研究者でもあります」
その名を聞いた瞬間、周りの音が遠のいた。
(……い、今……なんて?)
頭の奥が白く霞む。
母の名が、記憶の底から浮かび上がる。
――オーレリア・リュミエール。
もう存在しない家門、リュミエール男爵家。
私が生まれた年に爵位を返上していると、貴族名鑑で見た。
理由は、どこにも記されていなかった。
けれど、その名は私にとって――決して消えない記憶だった。
壇上に立つ年配の男性。肩下まで伸びた白髪はひとつに結ばれ、左肩へと流れている。光を受けて淡く青白く輝き、静かな灰青の瞳は深く澄んで、まるで長い時の流れをそのまま湛えているかのようだった
(……似てる)
胸の奥が、ふっと痛んだ。色はもう褪せているのに――あの淡い青銀色の髪、透き通るような瞳。母様の面影が、そこに重なって見えた。
(ルキウス・リュミエール……母様と同じ姓……)
思考が止まり、呼吸が浅くなる。
記憶の底から浮かび上がる名前と、いま目の前の姿が、ゆっくりと重なっていく。
偶然だと信じたくて、けれど心臓は早鐘を打った。
(……どうして、その名を名乗っているの?)
疑問だけが胸に残り、言葉にならないまま、式は進んでいく。
再び拍手が広がる中、私は呼吸を忘れたように立ち尽くしていた。
「大丈夫ですか? 式は終わりましたので、教室に移動となるようですが、具合が悪くなりましたか?」
隣の女子生徒に肩を叩かれて、はっとする。
「あ、大丈夫です。雰囲気に圧倒されてしまっただけです。お気遣いありがとうございます」
そう言って微笑むと、相手の少女はわずかに首を傾げた。
肩までの淡い栗色の髪が、光を受けてやわらかく揺れる。
「よかった……。突然お声をかけてしまって、ごめんなさい」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
一瞬の静けさのあと、少女は小さく息を整えてから口を開いた。
「私は、クローデル子爵家のアメリアと申します。よろしくお願いいたします」
丁寧なお辞儀に、慌てて姿勢を正す。
「イグナリエル伯爵家の……エルリーナです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
アメリアさんが静かな微笑みを浮かべる。
「お会いできて光栄です。たしか、同じAクラスでしたよね? 一緒に行きませんか?」
特別な抑揚もないのに、不思議と温かさを感じる声だった。
「は、はい。行きましょう」
私たちは、そのまま教室へ移動した。
♦︎♦︎♦︎
アメリアさんと並んで歩きながら、見慣れない校舎の廊下を進む。白い石壁に春の光が反射して、ほんのりと眩しい。
新入生たちは、案内された教室にそれぞれ分かれていった。
一年Aクラスと記された扉の前で、アメリアさんがこちらを振り向く。
「ここですね」
「ええ……」
小さくうなずき、胸の前で手を重ねて深呼吸した。
教室の中は、すでに半分ほどの生徒が席についていた。
明るい声が飛び交い、友人同士が再会を喜び合っている。
その喧騒の中に一歩足を踏み入れ、窓際の一番後ろの席にそっと腰を下ろした。
視線を感じて顔を上げると、何人かの生徒がこちらを見ている。
ひそひそと交わされる声が、耳の端に届いた。
「あの人、イグナリエル伯爵家の令嬢らしいわよ」
「魔術の名門じゃない? でも、あの子……」
「顔色が悪いわね……病弱らしいわよ」
――聞こえている。
けれど、気づかないふりをする。
「大丈夫ですか?」と、隣のアメリアさんが小声でたずねる。
「ええ。少し疲れただけです。……一緒に居づらかったら、離れても構いませんから」
そう言うと、アメリアさんは驚いたように目を瞬かせた。
「私はこの席がいいです。それにもし、本当に体調が悪いなら言ってくださいね」
静かな声に、胸の奥が温かくなる。小さく息をつき、微笑んだ。
「……ありがとう、アメリアさん」
ちょうどそのとき、教室の扉が開く音が響いた。
軽やかな声が、それまでのざわめきをさらっていく。
「――皆さん、席についてください」
入ってきたのは、柔らかな笑みを浮かべた若い男性教師だった。
栗色の髪が光を受けて淡く揺れ、どこか気さくな空気を纏っている。
「今日から一年Aクラスを担当する、アレクト・フォードです。よろしくお願いします」
その声には、不思議と安心できる明るさがあった。
エルリーナは胸の奥で小さく息を吐き、少しだけ肩の力を抜いた。
「では、せっかくですし――自己紹介をしていきましょうか」
アレクト先生の声に、教室の空気が少しざわめく。
「順番は前の席から、座ったままで構いません。話すのが苦手な人は、名前だけでも大丈夫ですよ」
廊下側の一番前の席の生徒から、自己紹介が始まった。
名門の令息令嬢の名が並ぶ中、落ち着いて話す者もいれば、緊張して声が上ずる者もいる。
アメリアさんまで順番が来た。
「北にあるノールから参りました。アメリア・クローデルです。よろしくお願いします」
アメリアさんが穏やかに頭を下げると、教室のあちこちから小さな声が上がった。
「ノール……あの魔鉱山の町?」
「へえ、じゃあ魔鉱石に詳しいのかも」
「北って寒いって聞くけど、どんなところなんだろうね」
そんな囁きが交わされる中、アメリアさんは少し照れたように笑った。
そして、窓際の一番後ろ――私の番になった。
小さく息を吸い込み、背筋を伸ばす。
できるだけ穏やかな声で口を開いた。
「イグナリエル伯爵家の……エルリーナと申します。よろしくお願いいたします」
軽く頭を下げると、教室の空気が一瞬静まり返る。
「イグナリエル……」「炎の伯爵家……」と、再び囁きが広がった。
隣でアメリアさんがそっと視線を寄せ、小さく微笑んだ。
(……少しだけ、心強いかも)
アレクト先生は、全員の自己紹介が終わると軽く手を叩いた。
「よし、ありがとう。今日のところは学園生活の流れと、明日からの時間割を配ります」
そう言って、教壇の上に置かれた束を取り上げる。
「授業は明日から本格的に始まります。寮生活に慣れるまでは無理をせず、分からないことはいつでも聞いてくださいね。選択学科については来月から始まります。今週中に、選択する学科をふたつ決めて、提出して下さい」
穏やかな声に、緊張していた空気が少しだけ和らぐ。
教室の窓から差し込む春の光が、机の上で静かに揺れていた。
(――ここから、私の学園生活が始まる)




