第1話 魂の行方
――ここは天界。
果てしなく広がる光の海――
無数の光の粒が漂い、寄り添い、結びつき、やがて「魂」となってそれぞれの世界へと旅立っていく。
秩序正しいその流れを見守るのは、天使たちの務めだった。
一瞬、強い風が横切る。
「……ん?…なんだろう?……っ⁈」
違和感を覚えたその時――
下界へ向かう列から魂のひとつが、ぽろりとこぼれ落ちた。
「待て!行くなっ!!」
慌てて掴もうとした瞬間、魂は激しく弾け、あっけなく二つに割れた。
「…わ…割れた!?」
伸ばした手が止まる。
ふたつの欠片はどこへ――
みんな呆然と立ち尽くしていた。
天界は初めての出来事に混乱していた。
欠片となった魂は長く生きられない――
天使たちは下界を映す鏡に映る魂を必死に探す――
♦︎♦︎♦︎
ひとつの欠片は「藤野里奈」として日本に生まれた。
25歳、身寄りもなく施設で育ち、天涯孤独。
仕事はブラック企業。いつも時間に追われ、生活は落ち着かない。
(…やっと帰れる…担当以外の仕事、多すぎだよな――)
もうすぐ地下鉄の駅。里奈は階段を下り始める。
(もう日付変わる…変わったら誕生日じゃん!家に食べ物あったかな――)
一歩踏み出したその時――
がくんっ
「…あれ?」
そのまま階段を滑り落ちる。
激しい衝撃が里奈を襲う――
(い…痛い…頭打った?…視界が…)
血の気が引き、意識がだんだん遠のく。
――血がっ!大丈夫ですか!?
――大変っ!きゅ…救急車呼びますっ!
騒がしい声も次第に遠ざかっていく。
(あー…これ…やばいかも…)
そう思った瞬間――白い光に包まれた。
♢♢♢
もうひとつの欠片は「エルリーナ・イグナリエル」として、剣と魔法のある世界――アウレリア王国に生まれた。
11歳。4歳で両親を亡くし、5歳で伯爵家の養女に。
魔力はあるのに魔術が使えず、病弱でベッドの住人。
養父母から疎まれ、離れに追いやられていた。
その日はいつもより長引く高熱でぐったりしていた。
「エルリーナお嬢様。水差しを置いていきますね。ご用の時はベルでお知らせください。」
ドアが閉まった後、廊下から侍女たちの声が聞こえる。
――まだ熱が下がらない…今日は誕生日なのに…
――神官様もお医者様も呼んでもらえなかったわ…
――私は廊下のお掃除をしながら様子を見ています!
――私は本邸にもう一度聞いてくるわ。すぐ戻るから。
侍女たちの声が遠ざかる。
窓の外には整えられた庭。
暖かな日差しの中、オレンジ色の花が風に揺れている。
「…あの花、なんて名前かな…近くで見たいなぁ…」
小さな掠れた声で呟く。
(体がだるい…もう眠ろう…)
熱に浮かされ目を閉じた瞬間――彼女も白い光に包まれた。
♦︎♦︎♦︎
ふたりが導かれた場所――
遮るもののない広い空間だった。
「ここは…どこ?」
「…あれ?体が軽い!?」
声のする方を見るふたり。
(誰だろう?)
戸惑い息を呑んだ瞬間、白い光が飛んできて形を成す。
翼を持つ天使だった。
「やっと見つけた。」
安堵と同時に、どこか気まずさも滲む声。
白いローブを纏い、長い銀髪と金色の瞳の男性は、ふたりに向かって深く頭を下げた。
「すまない…私たちの不注意で魂が割れてしまった。本来なら君たちはひとつの存在として生まれるはずだった。」
ふたりは驚き、天使を見る。
「君たちは魂の片割れ同士なんだ。」
「…割れた?」
「え?私と…こちらの方が?」
里奈は少女を見てハッとする。
「私たち、年齢が違いすぎます…」
「それぞれの世界は時間軸が違う。だから年齢差がある。」
天使は続ける。
「魂がこぼれ落ちることは稀にある…でも今回は軌道に戻す前に割れてしまった。本来行くべき世界ではない所に飛んで行き、そこで別々に生まれたのだ。」
里奈とエルリーナは顔を見合わせ首を傾げる。
「随分生きづらかっただろう…何せ魂が欠けていたからね…本当にすまなかった。」
ふたりは思う。
――だから…どれだけ頑張っても空っぽで…誰かを羨んで、諦めて…
――だから私は身体が弱くて魔力があっても使えず…役立たず…
「さて、これから話をしよう。」
天使が手を叩く。
ふたりは出現したソファーに並んで座り、向かい側には天使が座る。
「魂は欠けていると長く生きられない。このまま天界に戻り光の粒子になるか…ふたりの魂を融合させてどちらかの世界で生きるか…だが…」
険しい顔の天使が告げる。
「…残念ながら、里奈の体にはもう戻れない。」
里奈は意識が消えかけた瞬間を思い出し、
「まぁ…あの状況じゃ私の体は無理だろうね。」
と視線を落とす。
沈黙が落ちる。
エルリーナが口を開く。
「それなら私の身体を差し上げます。消えても構いません。」
天使は首を横に振る。
「違う。消えては困る。欠けた魂同士が融合しなければ、エルリーナの身体はもたないだろう。」
里奈が訊く。
「融合したらどうなるの?」
「魂は完全体となり、健康な身体になるだろう。」
里奈はエルリーナを見て言う。
「じゃあ選択肢はひとつだね。天界に戻って順番待ちするより、エルリーナとして生きよう!」
「私は心も弱いですが…大丈夫でしょうか?」
里奈は手を握る。
「大丈夫!私がついてるから。ひとりになるけど、ひとりじゃない。」
ふたりは頷き微笑む。
「よし、決まりだな。」
天使の言葉と共に、ふたりは光に包まれる。
次の瞬間――
明るいブルーグレーの髪が光を受けて淡く水色に揺れる、長いストレートの少女エルリーナがひとり静かに立つ。
深い蒼に銀の煌めきが差す瞳。白磁のような肌は儚く、触れれば壊れそうだ。
――里奈の魂が融合したせいで、どこか雰囲気が変わった。
「アウレリア王国のイグナリエル伯爵家にある体に魂を戻す。見た目はひとりだが、まだ完全体ではない。徐々に違和感は消えるだろう。君は本来その世界に生まれるはずではなかった。神は私に命じた。見守れ、と。」
白い光が揺らめき、天使は白猫に変わる。
金色の瞳がエルリーナを真っ直ぐ見つめる。
「私の名はセラフォルディウス=ルミナリエル。この姿で監視役を務める。」
やや沈黙の後、
「…えっと、長い名前だな…せらふぉるでぃ…?…セラでいい?」
「は?」
「だって長いんだもん」
「これは神より授かった尊き名で――」
「セラ、よろしくね」
にっこり微笑むエルリーナに、白猫は尻尾をぱたんと打ちつける。
「…勝手にしろ」
ひとりと一匹は光に包まれ、下界へ還った。
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