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FAKERS  作者: 宇津木
彼らは目的を明かしてはならない
7/35

~Rの場合~

 

 いつもの時間、いつもの場所。終業後、瑠璃は理事長室に控えていた。すでに日は暮れ、窓にはカーテンが引かれた。

 四代目は自身でパソコンを繰り、防犯カメラの録画映像を食い入るように見ている。見ている先は今日の午前中の児童養護施設の応接室だ。

「便利な時代だよね、離れた場所の様子もこうやって映像で確認できるんだから」

 いつの時代の人間だよと内心で悪態をついて、男の背後に周り、その画像を見る。優樹と藤枝が対面して座り、長く何かを話し合っていた。

「これで藤枝くんも全部知ったかな?」

「だろうな」

 瑠璃が背後に回っても最近ようやく警戒しなくなった四代目は、愉快そうに笑って「他には何を話していると思う?」と瑠璃を見上げた。

「知らねぇよ。あいつはオレを追ってんだろ。ならオレの悪行でも聞いてるんじゃねぇの?」

 その視線を見返すのは、胆力がいる。ジャージのポケットに拳を突っ込んだまま、男を見下ろした。

「やっぱり盗聴器はつけられないの?」

「カメラは防犯の大義名分があるが盗聴器は見つかった時のリスクを考えるとあんまりうまみがねぇんだよ」

「でもキミもドジだよね。現場に指紋を残すなんて」

「目的があっただろうが。で、どうすんだ?これ」

「どうするって?」

「完璧に知られたんだ。始末付けんのか?」

「キミは本当に思い切りがいいよね」

 先に男が視線を外したので、瑠璃もその場を離れた。

 いつものソファのひじ掛けに腰を預け、パソコンの画面に目を落とす男の顔を観察する。

 基樹の顔は、それなりの年を重ねた。目尻と口元の笑い皺は昔の基樹のまま、ただその痕跡を深くしている。

「藤枝くんはとっても大事な人だし、優樹もボクが見染めた女性なんだよ」

「気色悪いこと言うんじゃねぇよ」

 黙り込んで、四代目はパソコンを見続けた。長い時間、動きのない画面を。

「瑠璃」

「あぁ」

「…優樹と会う」

「指定は?」

「なるべく早く二人きりで。場所と呼び出しはこれ」

 メモ用紙に何かを書きつけて、瑠璃に渡してよこす。それを受け取って一瞥した瑠璃は「了解」と踵を返した。廊下に出て、「スケジュール寄越せ」と秘書に指示する。ドアが閉まればその声は聞き取れなくなって、何事か話をしているのが微かに分かるだけだ。

 そしてそれも聞こえなくなった。パソコンの電源を落として、男も立ち上がる。気配を察した秘書の笹原がドアを開け、帰宅を見送るのはいつものことだ。

 帰路を歩きながら、基樹と名付けられた男の手のひらを見る。

 若い手だ。三十の大台に乗ったとはいえ、働き盛りの期間はまだまだある。唇の端に笑みを浮かべて、暗くなった夜道を歩いた。

 春の夜風がひやりと頬を撫でていった。


 ※


 “ボクたちの子どもの部屋で待ってるよ”

 そんなメモが、施設内のデスクに貼ってあった。藤枝と話をした、数日後だ。

 書類の下のほうに、隠すように、彼女にだけ分かるように。

 何の変哲もないメモ用紙に書かれたその文字は、帰り支度をしていた優樹に果てのない郷愁を抱かせて、涙を溢れさせた。

 家族の書く文字を、彼女はみんな覚えている。

 基樹の几帳面な字。蒼一は鋭く跳ねる癖があって、梢は女の子らしい小さな丸っこい字で。

 この悪筆は、十年以上見なくなったあの人の字だ。

 新たに紡がれることなどなくなったはずの、あの人の。流れる涙はそのままに、漏れそうになる嗚咽を必死に堪える。罠だと分かっていても抗えないのを、あの人は分かっているのだろう。

 涙を拭って、いつ置かれたか分からないそれを丁寧に折る。アルバムの棚に差し込まれた薄いそれを広げて、空いたスペースにそれを差し込んだ。

 隣に差し込まれているのは結婚式の時の写真だ。基樹によく似た男性と緊張した面持ちの自分。

 久幸が亡くなった直後で、慌ただしく設けられたお見合いだった。常磐家から是非にと望まれては否を言えるはずもなく、見合いの次の月には結納をして、年内には式を挙げた。跡取りを望む声も大きく、結婚から一年を待たずして当時まだ珍しかった体外受精の方法まで取ることになった。

 彼は優樹に優しかった。だから優樹も、温かい家庭を築こうと、常磐会を盛り立てようと必死になった。

 彼は、優樹には優しかったのだ。なのに、何故。

 アルバムを閉じて棚に戻す。金庫に鍵が掛かっているか確認して通勤用のバックを持った。守衛と宿直担当の職員に声を掛けて、いつも通りを心掛ける。日の落ちた家路をたどりながら、施設の子どもたちにはもう会えないのだろう、とそれだけを心残りにした。


 自宅だというのに緊張しながら玄関を入り、鞄を下ろすことも着替えることもせず、優樹はその部屋のドアを開けた。久しぶりに点いたライトに、娘が進学してから変えていない部屋が照らされる。写真の頃の彼よりも年を重ねた基樹が奥のソファに座り、「おかえり」と笑んで迎えた。

 窓際には、黒縁の眼鏡を掛けたスーツ姿の瑠璃が立っている。その澄ましたような無表情に、焼けつくような感情が生まれた。

「ちょっと待ってね」

 そう言って立ちあがった男はまっすぐ瑠璃に近付いて、その頬を平手で打った。驚く優樹をよそに瑠璃は避けることもせず、揺らぐこともせず、張られたのとは逆のほうに首を傾げさせた。眼鏡だけがその衝撃で外れて床に転がる。

「何すんだよ」

「キミが相変わらずボクを虚仮にするからでしょ」

 落ちた眼鏡を拾いながら、「何の話だよ」と低い声が問う。

「優樹はまっすぐ梢の部屋に来た。優樹が知ってるならキミも知ってるよね。メモを読んでも顔色一つ変えなかったし。ねぇ、優樹」

 突然振り返った男に呼び掛けられて心臓が跳ねた。きれいな顔に、自分の面影は一つもない。

「キミは、自分が産んだ子どもと血のつながりがないことを、いつ知った?」

「…基樹は私の子よ」

 そう返した優樹に、男は呆れたように首を横に振った。

「そういう話じゃないの、分かってるでしょ」

「瑠璃」と、呼び掛けだけでその意思をくみ取って、瑠璃が動いた。入り口に立ち尽くしていた優樹の腕を取って男の向かいのソファに座らせる。

「朝倉くんはそれだけ優秀だったんだね。まさかキミたちに知られてると思わなかったよ。亡くしたのはもったいなかったかな」

 ソファに深く座り、視線を優樹に据えたまま、瑠璃に「外して」と手を振って指示する。数秒男を見下ろした瑠璃は、「自分で手ぇ出すなよ」と釘を刺して部屋を出ていった。

 二人きりになって十分ほどだろうか。リビングの二人掛けソファに横になっていた瑠璃のもとに憔悴し切った様子の男が戻ってきた。瑠璃の向かいに座って、深くため息を吐く。

 その珍しい様子にしかし瑠璃は何も言わず、起き上がって男の言葉を待った。

 頭を抱えるように背を丸めた男は、ずいぶんと長いことそうしてから、小さく話し始めた。

「ボクのやることには、賛同できないって」

 まぁそうだろうな。優樹が優樹の言葉で男にそう告げる様子が目に浮かぶようだ。目を真っ赤に泣きはらした、梢によく似た顔で。

「どうして?この研究が進めば、医学は大きく進歩するのに」

 お悩み相談室じゃねぇんだけどな、と内心でため息をつきながら、それでもこの顔で問い掛けられると沈黙が保てない。ソファに、身を投げだすように座り直し、答える。

「テメェのやり方だと、どうしても基樹が出るだろうが」

「基樹?」と問い返す男は、どうしてか幼児のように見えて。頭痛を覚えながら、瑠璃は必死にそれを堪えた。

「基樹はボクだよ」

「そういう話じゃねぇだろうが」

 分からない、というように頭を振る男に、瑠璃は慎重に言葉を掛けた。

「テメェが折れる、ってことはできねぇのかよ」

 そこからまた、長く沈黙が落ちた。時計の秒針や家電の駆動音が妙に大きく聞こえて、夜の静寂を伝える。その静寂の中でも、ようやく聞こえる声で、男が譫言の様に呟いた。

「ようやく、母体を必要としないところまで来たんだよ」

「第一、第二段階が完了して、第三段階も目前なんだ。ようやくこれから、これからなんだ」

 熱に浮かされたように自身の手のひらに視線を向けて、けれどここではないどこかを見ながら、男はそう言い募った。その様子を瑠璃は黙って見つめて、やがて諦めたように目を閉じて天を仰ぎ、立ち上がった。使い慣れたグローブを嵌め、スーツのポケットから錠剤を一つテーブルの上に投げて出した。パッケージに印字されたのは調剤で出される一番薬効の弱い眠剤の名前だ。

「テメェも飲んどけ」

 冷蔵庫から五百㎖入りのミネラルウォーターのペットボトルを出して、コップに注ぐ。それを男の前に置いて、置いた姿勢のまま最後の確認をした。

「スノーホワイトの心臓は必要か?」

 自身の手に顔を埋めたまま、男は否定に頭を振った。

 強く、強く。

「ボクに、優樹の死の痕跡を見せないで」

「了解、女王陛下」

 そう告げた瑠璃は、ペットボトルの残りとコップを一つ持って部屋を後にした。階段を上り、半開きのままの扉から梢の部屋へ入る。優樹は、リビングにいる男と同じ格好で泣いていた。

 梢の泣き虫は優樹譲りだな。

 そんなことを考えながら、梢の机から適当なメモ用紙とペンを取る。優樹の隣に座り、前のテーブルに持っていたものすべてを並べて、怪訝な顔をしてこちらを見る優樹に「一筆書いて」と告げた。

「ごめん、とか、さよなら、とかでいいから」

 それを聞いた優樹が、また、顔を歪ませる。自身のこれからを理解すれば気持ちは分からなくもないが。

 閉じた目元から、幾筋もの涙が流れる。

「書いたらそれ飲んで。寝てる間に済ませてやるから安心しなよ」

 そして瑠璃は、ソファに深く座って待つ体制に入った。静かに涙を流す優樹はその瑠璃の様子を見て、一つだけしゃくりあげて、ペンに手を伸ばした。

「なんで…」

 言われたことを言われたままに済ませた優樹は、顔をふせたまま瑠璃にそう問うた。

「…ウチはとことん、常磐と相性が悪かったんだろうな」

 ソファから立ち上がった瑠璃は、優樹の二の腕を掴んで立ち上がらせた。ふらつく優樹の身体を助けながら一階へと降りる。広いのに他の人間の気配がない家は寒々しく、昔を思い出して優樹はまた(いつから、何故)と埒もないことを考えた。

 隣を歩く瑠璃がリビングを覗いて、小さく口笛を吹いた。

「最後に息子の寝顔でも見てくか?」

 顎で示した先には、子どものように丸くなって眠る男の姿があった。

 ソファで横になっている男に、夢遊病者のように優樹が近付く。床に座り込んで、涙を流したらしい男のその頬を、その手を撫でた。

 それを見下ろしながら、瑠璃は一件電話を掛けた。

「車回せ。北に抜ける峠の、黄色い看板の橋げたのとこ」

 その短い会話の間に、優樹もソファに頭を預けて意識を手放したようだ。優樹を抱き上げて彼女の車まで運び、男は男の寝室まで担ぎ上げて運ぶ。

 シルバーの乗用車の運転席に収まった瑠璃は、優樹の寝顔を少しだけ眺めてから、車を出した。

 そして、その車は次の日、そこからだいぶ離れた、隣県につながる峠道の崖下で、大破した状態で発見された。

 車内に人の姿はなく、娘の部屋に残されたメモから自殺が疑われて捜索が行われたが、常磐優樹の姿を発見するには至らなかった。やがて年月が過ぎ、警察の捜索は終了することとなる。

 


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