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FAKERS  作者: 宇津木
彼らは存在を知られてはならない
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~Kの場合~


 壇上の演台の前で弔辞を読み上げる常磐基樹を、朝倉健太郎は遺族席から眺めていた。半月前に起きた事件はその二日後に起きた大規模な災害に飲み込まれるようにマスコミから忘れ去られ、入る予定だったTV局のカメラも、今は災害の様子を追っているのだろう、来ているのはローカルTV局のカメラと最低限のスタッフだけだ。

 たった二日でマスコミに追い掛けられることに疲れ果てた彼は、壇上で笑う彼の母の遺影にぼんやりと目を移した。写真に撮られることが苦手だった母の写真を探すのは大変で、結局基樹が、研究室の部署紹介に写っていた母を探し出してくれた。亡くなる直前、母は何か思い詰めていて、遺影の頃の面影は薄れていた。

 写真の視線は凛々しくこちらを見返し、数年後に訪れる死など思ってもいない。

『…で、弔辞とさせていただきます』

 堂々と挨拶を終えた年上の幼馴染がそう締めくくって、一礼した。彼が合同葬を手配してくれたおかげで、自分は喪主を務めなくて済んだことに感謝する。だが、涙を拭うような仕草が疲れていたように見えて、この半月、恐ろしいほどの業務に忙殺されたのだろうと察しがついた。

 演台から離れ退場する基樹の手が、涙を払うように腰のあたりで一瞬振れる。

 遺族代表挨拶は、研究室長の父という人だ。突然亡くなった息子の思い出話を語り、ゆっくり休め、というような内容を遺影に向かって投げ掛けた。

 続いて献花が始まって少し会場がざわめき立つ。これが終わったら家に帰って親戚に挨拶をしなければならないな、と線香臭くなった制服を見下ろした。

 高校を卒業して、もう袖を通すことなどないと思っていたのに。母の死の原因になった幼馴染の顔を思い出して、胸が痛くなる。

 ねぇ、兄ちゃん、と四つ下の弟が無声音で呼び掛けてきたのは、自分たちの順番が終わってからだ。この春高校に進学する弟に、人気のない場所に引っ張られる。

「さっきさ、基樹くん、アレ使わなかった?ハンドシグナル。山遊びで使ったやつ」

「ん?」

「オレ、昔過ぎてあんまりよく覚えてないんだけど、こういうの」

 そう言ってやって見せたのは、指で物を叩く動作だ。そんな動作があっただろうか?

 あれを知っているのは…と会場を見渡すと、幼馴染たちが五、六人、額を突き合わせていた。そのうちの一人と目が合った。来い、指で呼ばれて、記憶が昔に戻る。

 広い山の中で使われたのは基本ホイッスルだったが、局所的にそんなものも使ったな、と、懐かしくなる。あの頃にはもう戻れないのだ。

「ケンは気付いた?」

「や、俺は全然。正也が」

「なんだっけ、っていうかあんなのあったっけ?」

 図体のでかくなった高校生と成人男性が十人近く集まっている光景は通常なら目を引くはずだが、元が異常なこの会場で気にする人はいない。親同士遺族同士で昔話に花を咲かせているようで、彼らもその類だと思われているのだろう。

 「“集合”じゃなかったっけ?」と声を上げたのは高校の制服を着た幼馴染だ。指の向きは行先、指の本数は距離ではなかったか。手を振ったのは気付かせるためで、この極小コミュニティだけに知らせたかったので下ろした手で行ったのでは?と。

「集合…残れってことかな?」

「たぶん…」

 顔を見合わせる。親に連れて行ってもらったキャンプや川遊びなどで遊んだり遊んでもらったりしたが、進学や就職で顔を会わせることはめっきり少なくなった幼馴染たちは、家が近かったり親の職場で繋がれるせいか、お互いの個人の連絡先は知らない。

「とりあえず連絡先交換すんべ」

 んで、何人か残って連絡し合えばいいだろ、と、弟が怪我をして入院中らしい最年長が結論付ける。何もなかった時のために車を出す、ともつけ足して。

「健太郎残る?」

「あー」

 どうするか、弟の正也と顔を見合わす。

「兄ちゃんが残ったほうがいいんじゃね?俺、基樹くんと残されても会話できねぇもん」

 常磐の妹と同い年の正也は、心底イヤだ、というように首を横に振った。十歳も違えばそうかもしれない。かといって、俺だって小学校も被らないほど離れているのだが。

 そう言えばリュウくんはこんな時も戻ってこないんだな、と、三、四年前から行方知れずとなっている幼馴染に思い至って、もし来たら基樹くんにも聞いてみよう、と心に留めた。


 結論から言えば、大人たちがいなくなったその会場で、四人だけ残った幼馴染たちの前に基樹は姿を現した。ブラックフォーマルはさすがに質のいい生地のようで、柔らかく彼の身体にフィットしている。

「意外とみんな覚えてるんだね」

 昔と変わらない声で、思い思いの場所に座った幼馴染たちの輪に加わる。黒のネクタイを緩めながら布張りの椅子に寄りかかって、彼は目を細めた。

「ホントは瑠璃も連れてきたかったんだけどまだ動かせなくてさ」

「リュウ君の居場所、知ってるの?」

「あそこは一家で巻き込まれたんだよ」

 基樹が、参った、というように頭を下げて首を振る。ため息が重いのは仕方のないことだろう。それでもすぐに切り替えて、顔を上げて一人一人の顔を見回した。

「あのサインに気付いたのはこれだけ?」

「いや、みんな気付いてたよ。全員で集まったらさすがに変だろ」

「それもそうか。ホントは全員に顔を合わせて話がしたかったんだけど」

 基樹の目の奥が仄暗く揺らいだ気がした。椅子から立ち上がって、一歩一歩踏みしめながら壇上に上がる。歩みを進めながら諳んじるのは古い漢詩の一説らしい。

 父母は私を生み育てた。撫で可愛がり育てはぐくみ、私を懐に抱いて守ってくださった。天よりも高いこの恩に、お返しする術もない。

「そんな意味の一説なんだけど」

 涼やかな声が、熱を帯びた。十七名の遺影がライトアップされ、それを背負った基樹がこちらを見下ろす。

「キミたちは違う」

 マイクはとうに片付けられたのによく通る声が、内容とは裏腹に、涼やかに耳朶を打った。

「みんなで敵討ちをしないかい?」

 敵討ち?と隣で呟く声が聞こえた。怪訝な顔は、自分もしているだろう。蒼一の写真はここにないが、亡くなったと聞いている。それをくみ取ったのか、基樹はゆっくりと壇上を歩いてそれぞれの遺影の前でそれぞれの子を見つめた。床を叩く靴の音が、線香の匂いとともに意識に落ちる。

「死んだことにしたけど、蒼一は生きてる」

 一人目。

「ボクはね、あの男を司法に渡したくなかったんだ」

 二人目。

「蒼一は、ボクの大事なものを壊し、盗んだ」

 そして、俺。この場に、弟がいなくてよかったと思った。蛇ににらまれた蛙のように、俺の中の何かが飲み込まれる。

「ボクはそれが許せない」

 視線が外されて、四人目。それは隣にいた最年長だ。成人して久しい彼は、基樹の視線にも動じずに頭を振った。ダメだ、そんなこと。

 それを見た基樹が目を細めて、まっすぐその幼馴染に近付いていく。黒い靴が柔らかい絨毯を踏みしめながら音もなく近寄り、基樹よりわずかに背の高い彼の肩に手を掛けて何かを耳打ちして、彼の目を覗き込んだ。彼は頬を紅潮させて、何かを言いたそうに口を開いて、できなくて噤んだ。悔しそうに、細い指が拳を作る。

「ね?笹原。手伝ってくれるだろ?」

 涼やかに笑顔を返した基樹は、また先ほどの漢詩の一説を諳んじた。


 父や 我を生み 母や 我を養う

 これが徳に我は報い 昊天 蒼々を送る。


出典:中国名詩選(上)蓼莪 第四節

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