第六話 去り行く背中
一度見失ったユキを再び見つけたとき、彼女は白銀の毛皮の傍にしゃがみこんでいた。疾走したせいか、フードが外れて白銀の髪が露わになっている。
「魔獣……!」
ここらは魔獣の森から遠い。街外れといえ、こんなところに現れるなんて聞いたことがなかった。
「やっと見つけたわよ、始祖の再来ちゃん」
長くうねる黒髪をひとつにまとめた男が、ユキにそう呼びかけた。傍らに大男を二人従えている。
「この子たちを、巻き込むな」
「あなたが逃げるからでしょう」
蹲る銀狼は、昼間ロゼッタたちを襲った二体か。しかしその首には、先程はなかった黒光りする首輪が嵌められていた。
「しつこい」
「あらあら。アタシだって、好きであの男を殺したわけじゃないわよ。あなたが抵抗しなけれは、まだ生きていたんじゃない?」
ユキの細い肩が、大袈裟なほどに揺れる。男は頬にかかる髪を指にくるくると巻きつけながら、それを嗤って見ている。
「一体どうなっている……」
ナリスの呟きにロゼッタも同意した。男は白いローブを纏っている。徽章は付いていないが、あれには見覚えがある。ウィザレット騎士団のローブだ。
ウィザレット騎士団所属の何者かが、魔獣と対峙している。ここまでは普通だ。ウィザレット騎士団は、魔獣から国を守るのが務めだから。
しかし、ユキは魔獣を庇おうとしているように見える。人間と魔獣は敵対する宿命だ。ユキは、魔獣側に立つ者だというのか。だが、ロゼッタにはあの無垢な少女が、人間を害するとは思えなかった。
「大人しくこっちに来なさい。そいつらも殺されたくなければ」
銀狼が弱弱しく吠える。それをひと撫でして、ユキは決心したように立ち上がった。
「ふふ。いい子」
「待て」
気が付けば飛び出していた。ユキを男から隠すように立ちはだかる。
「おい、ロゼッタ……!」
ナリスが咎める声を上げるが、動いてしまったものは仕方がない。
「この子に何の用だ」
「あなたには関係ないわ。そっちのイイ男にも」
視線を向けられて、ナリスが剣に手をかける。
「目的は知らないが、穏やかじゃないことはわかる。この子はソーサミアに向かう途中だ。人さらいはやめてもらおう」
ロゼッタが剣を抜き放つ。それを見て、男は口角を上げた。
「人さらいねえ。本当に、人と呼んでいいのかしら」
「アーロン」
控えていた屈強な男二人が、棍棒を振り回して進み出る。
「ええ。痛めつけてあげて。”強化”」
魔法の援助を受けた彼らが、ロゼッタに肉薄する。
「”強化”」
ロゼッタも魔法を身にまとい、男二人を迎え撃った。剣と棍棒が激しくぶつかり合い、火花が散る。挟まれないように絶妙に間合いを取りながら、二合、三合と斬り結んでいく。
こいつら、戦い慣れている。
ローブこそ纏っていないが、魔法を使用した戦闘を熟知している。
「はい、大人しくしてねぇ。”水牢”」
「くっ……!」
攻撃を察したナリスがそれを防ぐため剣を振ったが、あらゆるものを押し流す波のように、アーロンと呼ばれた男の放った魔法が彼の足元を絡めとる。瞬く間に巨大な水の球が出来上がり、彼の全身を包んだ。
「ナリス!」
迂闊だった。彼に支援魔法をかけていない。自分で魔法を使用できない彼は、一般人と同じだった。諦めず剣を振るっているが、水の牢獄からは逃れられない。
「くそッ……!」
大男二人の攻撃が止まらない。一撃の重みでこちらの手を痺れさせるスキンヘッドに、間の読み方が上手い眼帯の男。スキンヘッドの男の振り下ろした棍棒を受け流し、死角になる位置から突きこまれた眼帯の男の一撃を、体を捻って回避する。
こいつらは、本当にウィザレット騎士団なのか。今更ながら、古巣に剣を向けることへの躊躇いが、ロゼッタを防戦一方にさせる。視界の隅で、ナリスが水の中で苦し気に藻掻いた。
「綺麗な男の苦しんでいる顔ってそそるわよねえ。ああ、始祖の再来ちゃんも動いちゃだめよ」
背後のユキの気配が揺れる。
ごぼっと、ナリスが空気を吐いて剣を取り落とした。水に囚われた華奢な体が弛緩する。
「この……ッ」
「残念、”水牢”」
無理に突破しようとロゼッタの意識が傾いたところで、アーロンがすかさず魔法を使用した。反射的に切り捨てようとするが、眼帯の男の一撃によって阻まれる。瞬く間にロゼッタを閉じ込める魔法が完成した。
だが、ロゼッタの支援魔法も途切れてはいない。力技で抜け出そうとするが、水の檻ごしにスキンヘッドの棍棒が打ち込まれる。
「がは……ッ」
追撃。二人掛かりで、休む間もなく打撃が加えられる。不自由な水の中で、攻撃を防ぎきれない。体に届いた衝撃に、肺の空気が強制的に押し出されていく。
「さあ、始祖の再来ちゃん。このままだと二人とも死んでしまうわよ。どうするのかしら?」
男の声がくぐもって聞こえる。
駄目だ。行ってはいけない。
そう伝えたいが、口からは押し出された気泡が零れるのみ。
「…………わかった。行くから、二人を解放して」
背後から、ユキのか細い声が聞こえた。
「よろしい」
アーロンが魔法を解いた。地面に投げ出されたロゼッタは、ごほごほと咳き込む。大男二人が、蹲るロゼッタの脇を通り過ぎていく。
「ロゼッタ」
霞む視界に、ユキの小さな影が映る。
「ごめんね」
何かをロゼッタの懐に押し付けて、その姿が遠ざかっていく。
待ってくれ。
私は君を、護りたかったのに…………。
白い少女の後ろ姿と、かつて護りきれなかった少女の姿が重なる。
絶望の中で、ロゼッタの意識は落ちていった。