第五話 アメジストの瞳
「いやあ。一時はどうなることかと思ったが、無事に辿り着いてよかったよ」
サワラッカに到着していた。商人一家の護衛はこれで終了である。
「ロゼッタ。またお願いするからね」
「ありがとう、ニーナ。君のような可憐な女性からの依頼は大歓迎だ。冷えてきたから、この先も体に気を付けるんだよ」
跪き、恭しくその手の甲にキスを送る。まあ、と頬を染めたニーナを連れて、商人一家は立ち去って行った。
「さて。我々はこの街で一泊してから、明日ソーサミアに戻る予定なんだが。ユキも一緒にどうだい?」
沈黙。フード越しではわからないが、逡巡しているようだった。
「まだ君にお礼ができていないからね。私のためと思って付き合ってほしいな」
ロゼッタが一押しすれば、やがて少女はこくりと小さく頷いた。
夕暮れが近い時間だったが、目についた宿に入れば部屋はすんなり確保できた。まずは旅の泥を落としたい。宿の主人に頼めば、快く湯を用意してくれた。
ナリスは先に馬の世話をすると言って、外に出ている。
案内された湯殿にユキ一人を置いていくのも気にかかり、ロゼッタは部屋に向かわずに、すぐ近くに置いてあった椅子に腰かけた。彼女に先に入るように勧めたときは、抵抗するように束の間静止していたが、もしかして湯を使うのが嫌いなのだろうか。
謎が多い少女だ。細い手首といい、外套越しにわかる、全体的に薄いシルエットも気にかかる。一人旅だと言うが、きちんと食べているのだろうか。
ロゼッタが思案したところで、ガタンガタンと大きな音がした。
「ユキ…………?」
声をかけるが、応答がない。もしや倒れているのでは。そう思って仕切り戸を叩き、再度声をかけるがやはり応えがない。
「ユキ、入るよ」
「まっ………」
ロゼッタが周囲に人がいないことを確認して扉を開けるのと、ユキが小さく声をあげるのは同時だった。
少女は泡まみれで座り込んでいた。ロゼッタを見上げて、咄嗟に体ではなく頭を隠す。
小さな手からこぼれる短い髪の色は、白銀。驚いて見開いた瞳は、アメジストの輝き。
年の頃は十四、五あたりだろうか。少年のような風貌に関わらず、神秘的な眼差しは、まるで透き通る硝子細工のよう。
初めて目にした彼女の素顔に瞬きしながら、ロゼッタは後ろ手に扉を閉めた。少女と視線を合わせるために、その場に膝をつく。
「驚かせてすまない。倒れているのかと思って。怪我はしていないかい?」
「……してない」
「よかった。ゆっくり温まるんだよ」
少女が頷くのを確認して、ロゼッタは外に出た。そのまま壁に寄りかかる。
「あれが理由か……」
ユキが頑なにフードを取らなかった理由。白銀の髪に、紫の瞳。魔獣の纏うものと同じ色。
だが、この国の人間なら誰でも知っている人物もまた、同じ色彩を宿していたと言われている。
始祖、オリビア。
彼女の絵姿はウィザレット騎士団にも飾られていたから、ロゼッタとしてはある意味見慣れた色でもある。しかし、始祖が死んで以降、その色彩をもつ者はついぞ現れなかったという。だからこそ、始祖が特別な存在として崇められているのだが。
また謎が増えたな……。
自らのことを語らない不思議な少女。ナリスのように猜疑心を抱いているわけではないが、彼女のことをもっと知りたいと思っている自分がいる。
ソーサミアに赴くというのなら、用事が済んだらソーサム団に寄るように言おう。彼女の帰るべき場所まで、送り届けてやりたい。
そんなことをつらつらと考えていれば、身支度を整えたユキが出てきた。もう諦めたのか、濡れた白銀の髪を晒している。
「先に部屋に戻っておいで」
そう言い聞かせて、ユキと入れ違いに湯殿を使う。汚れた衣服を脱ぎ去って、なみなみと用意された熱い湯を頭から被れば、ようやくひと心地ついた気がした。
ロゼッタの肢体を、蒸気が包む。女性らしさには欠けるが、戦うために鍛え上げられた筋肉。いくつかの傷跡は、身を挺して他人を守ってきた者の証。
その胸元には、ネックレスのように白い石が輝いている。
魔石といって、長い年月をかけて魔力が込められたものだ。ある種の魔法の媒介として使われるため、ソーサム団の傭兵は皆これを身につけている。念話や居場所の探知など、団員が連携するのに不可欠なものだった。
顔にかかった髪をかき上げ、全身の水気を拭う。清潔な衣服に身を包んで、与えられた部屋へと足を向けた。
ロゼッタは、先程のユキの身なりも気になっていた。旅の途中だというから、質素であることは当然といえる。だが、それにしても年季が入りすぎていて、長い間少女に着せていていい代物ではなかった。彼女が着ていた外套も、裾が引きずられてほつれていたのを思い出す。
そうだ、助けてくれた礼に、服のひとつやふたつ、見繕ってもいい。
よい思いつきだと自分で頷きながら部屋の扉を開けると、未だ旅装を解いていないナリスが、部屋の奥に佇むユキと無言のまま対峙していた。
「……ロゼッタ。君はこのことを知っていたのか」
ナリスの険しい声音から、その髪と瞳の色のことだと察する。
「先程偶然知った。別に責めるものでもないだろう」
「しかし」
「隠したくなるのも当然だ。確かに特別な色だからね。でも綺麗な色じゃないか。とても魅力的だ」
「そんなことを言っている場合では」
「ナリス、君も湯を使ったらどうだ。私とユキは買い物に出てくる」
「おい、ロゼッタ」
「行こう、ユキ」
小さな手を引いて、その場を連れ出す。短い髪は、やや湿っているものの風邪をひくほどのものでもない。彼女がきちんと掴んできた外套を羽織らせて、そのフードを下ろしてやった。
「周りを驚かせてしまうからだったんだな。隠してしまうのも勿体ないけれど」
「よくわからない」
「君は綺麗だよ、ユキ」
少女は訝し気に首を傾げる。ロゼッタは微笑みかけると、再びその白い手を取って外に出た。
夕暮れ前、食事に向かう人々がちらほらと歩いている。
「君の外套、サイズが合っていないだろう。助けてくれたお礼に、プレゼントしようと思って」
「わたしは、別に」
「邪魔になったら捨ててくれて構わない。それに、大切な手紙を届けるなら、身綺麗にしておいた方が何かといいと思うよ」
ユキは納得していない様子だったが、目に留まった店に入る。
「すまない。この子に合うサイズの服を探しているんだが」
「あらあら、小さなお客さん。それならこの辺りかしらねえ」
ロゼッタが、店員に示されたものを手早く確認していく。ユキは店の入り口で立ちすくんだまま、近づいてこない。この手の店に慣れていないのだろうか。
「外套はあるかい?」
「うーん、そうねえ。子供用は切らしているのよ。あ、でも、これなら丈は合うかしら。袖を捲れば着れると思うわ」
「ならそれにしよう。ユキ」
振り向けば、少女は入り口近くに飾られている棚を熱心に見つめていた。
「どうしたんだい?」
少女の視線の先に会ったのは、小さな瓶に入った金平糖だった。カラフルなそれは、見た目がとても可愛らしい。
「気に入ったのかい?」
小さな頭を覆うフードが、かすかに動く。首を傾げたらしい。ロゼッタはそれをひとつ手に取ると、見繕った外套とともに会計をした。
「またどうぞ~」
店を出て早速、金平糖を取り出す。手渡せば、目線の高さに持ち上げてまじまじと見つめてから、シャカシャカとその瓶を振った。
「それでは砕けてしまうよ。金平糖は初めてかい?」
視線をあわせたロゼッタは、頷くユキの手からその瓶を受け取って蓋を開ける。中から白い一粒を取り出して、小さな口の前に差し出した。
「食べてごらん」
少女はしばらく逡巡していたが、そっと唇を寄せる。
小さな口が、もごもごと動く。白い無表情が、ぱっと上気した。
「もうひとつ食べるかい?」
差し出した今度は桃色の金平糖を、ロゼッタの指ごとぱくりと啄む。それに笑って、小瓶をその小さな手に持たせてやった。
「さあ、好きなだけお食べ。でも、晩御飯は入るようにしないといけないよ」
こくこくと頷いた彼女が、何か言いたげに見つめてくる。首を傾げて促せば、小さな唇が控えめに開いた。
「あり、がとう」
その言葉を聞いて、ロゼッタはとても幸福な気持ちになった。
「どういたしまして。さあ、宿に戻ってナリスと合流しよう。……彼は真面目なんだ。さっきの態度も悪く思わないでやってほしい」
「別に。気にしていない」
「ならよかった」
素っ気ない言葉だが、感情が読み取れるようになってきた。少しでも、心を開いてくれたと思っていいのだろうか。
「なあ、ユキ。手紙を届けたら、ソーサム団に顔を見せてくれ。街に知らない人はいない。そこで私は待っているから」
ユキが、はじかれるようにロゼッタを見上げた。その意味がわからず見つめ返す。じっとアメジストの瞳に見つめられて、ああ、本当に綺麗な色だと感心した時。
少女が、何かに反応したように、遠くに視線を向けた。ついで、走り出す。
「ユキ……!?」
「あの子たちが、呼んでいる」
ロゼッタを置き去りにして、ユキは飛ぶように駆ける。すれ違う人が驚いたように道を開ける。ロゼッタも走るが、追い付かない。この速度、魔法を使っている。
一体何が……。
宿屋の前に差し掛かれば、ナリスが外に出て来ていた。
「何事だ」
走り去るユキを見ていたのだろう。訝し気に尋ねる彼に、頭を振る。
「わからない。だが、様子がおかしい」
そのままナリスを連れてユキを追いかける。向かいから、なぜか怯えた表情の人が走ってくるが、事情を聴く暇もない。
彼女の行く先は、街はずれの広場。先程、ロゼッタたちも通ってきた場所だった。