【三族山編】不撓不屈〜歌姫と会話〜
母さんと和解してから、数日が経過した。
その間、母さんは約束通り、ニカさんのところで、きちんと薬物検査を受けてくれた。
そして今日、その検査結果について、ニカさんから連絡が入った。
「アダムくん。君のお母さんの検査結果――すべて【陰性】だったよ。本当に、薬物には関わっていなかったようだね」
「ニカさん、本当にありがとうございました。母のこと、いろいろ調べていただいて……。ちなみに、母は今もニカさんの家に?」
「うん。うちのリュウコちゃんと話が盛り上がってるみたいだね。お互い、境遇が似ているから……だと思うよ」
「わかりました」
「ところで、アダムくん……」
そのとき、電話越しで“何かを噛む音”が聞こえた。
(あっ……ニカさん、またペロペロキャンディ噛んだ?!)
「ごめん。つい、キャンディ噛んじゃった。でも、話を続けるね! パフォーマンス、楽しんでね?」
俺は、呆気にとられてしまった。
「頑張ってね」ではなく、「楽しんでね」と言われるとは……思ってもみなかったから。
「だってさ、信者の人たちも、嬉しいことや楽しいことがあれば、それが一番だと思うから〜」
「ありがとうございます、ニカさん」
「どういたしまして〜。あ、明日ね、もしかしたら僕以外の研究取扱者が観に来るかも? そんときはよろしく〜」
そう言い残して、ニカさんは電話を切った。
(物好きな研究者がいるものだな……。まぁ、誰であろうと、俺は俺で、着実に準備するだけだ)
「さて……とうとう明日が、パフォーマンスの日か……」
白衣を着ていた俺は、ちょうど、ある実験を終えたところだった。
パタンッ!
ドアが勢いよく開く音とともに、誰かが俺の部屋にやって来た。
「アダム! 曲が、できたぁあああ!」
声を聞いて、すぐにわかった――アンズだ。
「アンズ。お疲れ様」
「アダム! ありがと! ……って、なぁにそれぇ?」
彼女の視線が、俺の手の中にある“棒”に、釘付けになる。
「ああ、これか?」
そう言って、俺はその棒を両手で軽く折り曲げる。
パキン、と折れた音とともに、棒が明るく光りはじめた。
「わぁ! 黄色に光ったわ!」
「あぁ。これは、化学反応による発光だ。この棒の中に、2種類の溶液が入っている」
「へぇー! でも、どうしてこれを?」
アンズは不思議そうに首をかしげながら、俺の持っている棒――ケミカルライトをじっと見つめた。
「観客たちに、オタ芸をしてもらう」
「オタ芸?」
俺がニヤリと笑うと、アンズは目を丸くしつつも、その“オタ芸”とやらに興味津々といった様子だった。
「そうだな。じゃあ……今ここでやってみようか」
「えっ?」
「アンズ、さっそくだけど、“黄色”が出てくる箇所を歌ってくれないか?」
「えぇー!?」
突然の無茶振りに、アンズは驚きつつも――。
「やるわ! じゃあ、その該当箇所を歌うから、ちゃんと見せてよ? アダムのオタ芸!」
「もちろん」
「いくよー!」
アンズは「あー」と発声してから、歌い始めた。
その歌声に合わせて、俺は合いの手を入れる。
『私の瞳は黄色』
「イエローッ!」
『勇気をくれるあなたは』
「ナトリウムッ!」
アンズの歌声を邪魔しないよう、タイミングを見計らって掛け声を入れ、ケミカルライトを思いっきり振り回す俺――。
『私たちの出会いはき……ブッ!』
アンズが、吹き出した。
理由はただひとつ。
勢い余って、ケミカルライトが手からすっぽ抜けて、部屋のどこかへビュンと飛んでしまった。
(俺の運動神経の悪さ、ここに極まれり)
「大丈夫ー?! アダム!」
「ごめん。せっかくいい歌だったのに……あぁ……」
俺はため息を漏らしながら、肩を落とす。
一方、アンズはニコニコと笑っていた。
「いいのいいの! 明日のお楽しみってことで、ね! それより、光る棒を探そう?」
(お楽しみ、かぁ〜。いい響きだ)
その笑顔に癒された俺はアンズと二手に分かれて、飛んでいったケミカルライトを探すことにした。
数分後――。
「アダムー! 見つけたよ! あれ、なんか、ちょっと漏れてるっぽい! どうしよう?!」
「触らないで! 俺が処理する!」
一目散にアンズのもとへ駆け寄り、保護マスクと手袋を装着して、こぼれた液体を慎重に回収する。
「え、それって……危ないものだったの?」
「そうだな。中の液体は刺激性があるから、目に入ったり、誤って口にしたりすると、激しい痛みや炎症を引き起こす可能性がある」
「えっ! 明日のパフォーマンスに使って、大丈夫なの?」
「うん、俺みたいにテンションを上げすぎなければな。つまり、ちゃんと安全に振れば問題ない。“凡事徹底”ってやつさ」
「えっ? ぼーぼぼ?」
思わず口にした四字熟語だったが、アンズはすぐに反応した。
しかも、“意味をちゃんと知りたい”とやる気に満ちた表情をしていたので、俺から説明することにした。
「“ぼんじてってい”。当たり前のことを、徹底してやるって意味だ」
説明を聞いたアンズは、「なるほど〜」と呟きながら、ポケットから本を取り出し、パラパラとページをめくり始めた。
「えーっと、ぼん〜! ぼん……」
「うーん。もうちょい、後ろのページじゃないか?」
俺も一緒に探そうと身を乗り出したその時――不意に、アンズの手に触れてしまった。
「きゃっ!」
「ご、ごめん!」
慌てて、自分の手を引っ込める。
けれど、その瞬間、どうしても気になってしまったことが……。
(あれ……。アンズの手、俺よりもずっと小さい。あの誘拐事件の時は、確か同じくらいの大きさだったのに……)
ふとよみがえる記憶。
あれから10年。成長の差が、こんなに出るとは……。
じっとアンズの手を見つめていると、どうやら、アンズは俺が四字熟語に興味を示していると思ったようだ。
「この本、気になる? 四字熟語の本なんだよー、あっ!」
“凡事徹底”の説明が載っているページを見つけたらしく、アンズは顔を輝かせる。
「ほら! これ!」
「おぉー」
「すごいでしょ! お父さん、昔、四字熟語にハマってたんだって!」
「おぉー……」
(さすが、アンズのお父様……。俺は四字熟語にハマったことはなかったけど、日本のお受験でめっちゃ覚えさせられたわ……。懐かしい……)
そんな前世の記憶に、ふっと思い出し笑いしていたら、アンズも嬉しそうにしていた。
「えへへ、よかったね! あの日、お母さんと仲直りできて……。それに、薬物に手を出していないって、分かって……」
「アンズ……。本当にありがとう。だからこそ、明日と明後日は、必ず成功させよう。俺たちで、ケチョンケチョンにしような」
「うん! 明日、よろしくね! アダム!」
「あぁ」
そうだ。
化学兵器なんて、そんなおぞましいものに、手出しさせるものか。
(待ってろよ――エセ教祖どもめ!)