【バイトSOS編】昔は昔今は今貴方は異世界転生者
「うわー、久しぶりの旧自宅!」
オオバコさんは勢いよく家のドアを開けると、懐かしさに満ちた声を上げながら、リビングなど、家の中を隅々まで観察していた。
「私がいた時と、全然変わってないね……アダム、もしかしてインテリアとかに興味ゼロ?」
「そうですね、興味ないです」
「即答だし!」
クスクスと笑う彼女は、あちこちを見回している。やがて、ピタリと振り返ると、目を輝かせながら尋ねてきた。
「あっ、実験室って今もあるの?!」
「ちゃんとありますよ?」
興奮気味な彼女のリクエストに応え、俺は実験室へ案内することにした。
「おぉ……変わってない。私、かつてここで活動してたんだよね。懐かしいなぁ……」
そう呟くオオバコさんは、実験室の古びた椅子に腰掛けると、目を閉じて深呼吸をしていた。まるで、記憶の中に浸っているようだ。
(確かに、オオバコさんにとって、この家や実験室はただの場所じゃなく、彼女自身の物語の一部なんだろうな……)
その姿を見ながら、俺は黙ることにし、彼女の時間が流れるのを待った。
やがて、オオバコさんがぽつりと口を開く。
「そうだ、さっき私の話をしていたね?」
「まぁ、軽くですが……」
彼女は椅子に腰掛けたまま、俺をまっすぐ見つめる。その視線に、少しだけ気圧されそうになる――そんな俺をよそに、彼女は突然ニヤリと笑った。
「もしかして……私のこと、好き?」
(なんだ――俺は試されているのか?)
心の中で軽く動揺しつつも、冷静を装って答える。
「え、なんでそんなことを……? まぁ、オオバコさんとお話しするのはすごく楽しいですよ」
当たり障りのない返答で、慎重に言葉を選んだつもりだったが、オオバコさんはニヤニヤした表情のまま、少し前のめりになる。
「冗談だよ! 私は一生独身を貫くって決めてるから、怖がらないで?」
「そうですか……」
肩透かしを食らったような気持ちになりつつも、彼女の言葉に妙に納得してしまう自分がいる。俺も前世では独身だったし、彼女の「一生独身」の宣言が、かつての自分と重なる気がしたのだ。
(俺は35歳で亡くなったけど……。オオバコさんって今、何歳なんだ?)
そんなことを考えていたら、オオバコさんがニヤリと口元を緩めた。
「もしかして、アダム。私の年齢知りたがってる?」
「えっ、いえ。深くは聞きませんけど……」
慌てて否定したものの、彼女は悪戯っぽく笑いながら答える。
「教えてあげる、35歳だよ〜」
あっさりした口調だったけど、その言葉に俺は少し驚いてしまった。
(おぉ……35には見えないな……中身も少年みたいな人だし)
年齢を知ったところで特にどうこう思うわけではないが、このまま黙っているのも無愛想だと思い、適当に返事をする。
「人生これからですね……」
「何、そのフォロー?! 微妙すぎて笑えるんだけど!」
オオバコさんはケラケラと笑い声を上げる。その明るい笑顔を見ていると、俺までなんだかおかしくなってきた。
だが――。
大笑いして椅子を揺らしすぎたせいか、彼女の背後にある本棚がガタッと音を立てた。次の瞬間、上の段から何かが落ちてくる。
「わっ――!」
「危ない!」
俺は咄嗟にオオバコさんの肩を引っ張り、飛び散った書類や器具が床に散乱するのを目で追った。ガラスが割れる音や、金属が床を跳ねる鈍い音が耳に残る。
だけど、二人とも怪我せず、無事だったから良しとした。
早速、散らかった物を回収しようと手を伸ばし、最初に拾い上げたのは――少し埃をかぶった古いノートだった。表紙には、どこか見覚えのある紋章が描かれている――その紋章を見た途端、彼女は思わず眉をひそめた。
「この紋章……あぁ、これ、昔の私が研究していた頃の資料だ!」
(なぜそんなものがここに……?)
不意に現れたオオバコさん自身の過去の欠片。
俺は再度、表紙に目を凝らした。文字が書かれている――読める範囲で確認してみる。
『王宮での実験日記 永遠研究継承者:O』
(コレはいけない……まさかの黒歴史ノートか?!)
そう思わざるを得ない。いや、言い換えよう――厨二病全開のノートだ。
興味が湧いて、中身をめくろうとしたその時――。
「見ないでぇぇぇっ!」
オオバコさんが突然叫び、俺の手からノートをひったくる。
(珍しい……オオバコさんが手で顔を覆っている!?)
目を逸らす彼女の仕草が妙に新鮮だった。俺は思わず微笑んでしまう。
「これ、オオバコさんのなんですね?」
「そ、そうだよ! でも、読まなくていいの!」
動揺しているのが丸わかりだ。彼女の手に抱えられたノートは、やたらと大事そうに見える――が、どうやら彼女にとっては触れられたくない秘密らしい。
(これは確定だ……このノート、オオバコさんの黒歴史が詰まってるやつだ!)
「別に笑ったりしませんよ。大事なものでしょうし」
そう言うと、オオバコさんは少し安心したような表情を浮かべた。
「うん……まぁ、でも本当に見ないでね? これ、私の若気の至りが詰まってるから!」
頬を赤らめながら苦笑する彼女。その表情を見ていると、どんな内容か余計に気になるが、これ以上追及するのも悪い気がした。
(それにしても……王宮での研究に『エターナル』とか、当時のオオバコさん、全力で厨二病だったんだな……)
「あのね、色々あるんだよ……人生って」
オオバコさんは、ノートをぎゅっと抱きしめながら、少し照れくさそうに呟いた。
「王宮ってことは、やはり、だいぶ前のものですか?」
俺が恐る恐る尋ねると、彼女はふっと微笑んだ。
「そうだね。15歳ぐらいの時にいたから……君と同じくらいの頃だね」
「そうですか……」
俺が返事をすると、オオバコさんは少し間を置いてから、ぽつりと告白した。
「当時の私はね、厨二病だった……」
(……ん? 今、なんて?)
妙だ。この世界にも『厨二病』なんて概念があるのか?
いや、考えてみれば――誰にでも、振り返りたくない過去や、触れられたくない前世ってあるものだよな。
少し気まずい空気が流れる中、俺はこの場をすぐに和ませるべきだと判断した。
「えっと、それよりニボルさんが作ってくれた水餃子、温めて食べませんか?」
話題を切り替えようと提案すると、オオバコさんは一瞬きょとんとしたあと、にっこりと笑った。
「食べる! お腹空いたし、ニボルさんの料理だもん。絶対おいしいでしょ!」
その言葉にほっとしながら、俺たちはリビングへ移動し、さっそく水餃子を温め始めた。
「アダム、さっき王宮って言ってたね。ニボルさんから聞いたの?」
「はい。一応、少しだけですが……」
「そっか……懐かしいなぁ」
オオバコさんは、遠くを見るような目をしながら話し始めた。
「私ね、15歳で当時最年少の研究取扱者になったの。それで王宮で働くことになったんだよ。出産直後で体調を崩していた王妃様を励ましたくて、いろいろ実験して楽しませようと思ったの!」
彼女はその時のことを思い出すように笑顔を浮かべたが、続く言葉には少し影が差した。
「でもさ、調子に乗って何回か失敗しちゃったの……爆発とか爆発をしてね。それで他の従事者から『危険すぎる』って大反対されて、結局クビになっちゃった」
「それは……大変でしたね」
(まさかそんな爆発を重ね過ぎた理由でクビになるとは……。でも、それがオオバコさんらしいというか、彼女の波乱万丈さがよくわかるエピソードだな)
「でもね、クビになったその日、たまたま王宮に出張で来ていたオウレンに会ったの!」
彼女の表情が一気に明るくなる。
「彼女が『田舎暮らしも悪くないわよ?』って教えてくれたの。それでここに来て住むことになったの。運命って感じだよね!」
「へぇ……すごい巡り合わせですね」
オオバコさんの話は、どれもインパクトが強い。驚きつつも、その運命的な出会いが彼女の人生をどう形作ったのかを考えさせられた。
つい、彼女とずっと話し合うことに夢中で――気がつけば、水餃子をすっかり全部平らげてしまっていた。
俺は水餃子を食べ終わった後、ずっとやりたいと思っていた作業に取りかかった。それは、土日の調査で気になった食中毒案件の書物を読むことだ。その本は前世で俺が何度も調べ倒した愛読書だった。
倉庫に本が保管されていると知っていた俺は、事前にニボルさんから鍵を預かっていた。オオバコさんがトイレに行っている間に見てこようと決め、彼女に一言だけ「倉庫に行ってきます」と伝えて家を出た。
夜の静けさの中、倉庫の扉を開けて中に入る。
まず目に飛び込んできたのは、前世でも愛用していたバイクの「ニンニン」だ。相変わらず存在感抜群である。俺はニンニンに軽く目礼してから、片隅に設けられた書物コーナーへ向かった。
(どうしてこうやって、前世で使っていたものがこの倉庫に集まるんだろうな……。誰の仕業なのか全くわからないけど、感謝しかない)
探していた本はすぐに見つかった。その場で手に取り、パラパラとページをめくる。
(やっぱり……症状からしてカンピロバクターの可能性が高いよな。鶏肉の中心部にちゃんと火が通ってたのか――?)
次々と疑問が湧き出し、俺は時間を忘れて読みふけっていた。1時間ほど時間が経過し、ようやく目的の情報を整理し終えたため、本を元の場所に戻す。
倉庫を出る前に、ついバイクのニンニンの前で立ち止まってしまう。
「……操縦はできないけど、ちょっと乗ってみるか」
懐かしい感触が手に伝わる。前世で何度も走ったあの道が、頭の中で鮮明に蘇る。
「ニンニン、もうちょっと待ってな……いつかまた、一緒に走れる日が来るから」
思わず呟いたその瞬間――背後から声がした。
「なにしてるの?」
振り返ると、オオバコさんが立っていた。
(……遅くて心配で来てくれたのだろうか?)
「すみません、心配させました」
「いいよー。それより倉庫にこもって、どうしたの?」
「今回の調査に関することを、ちょっと色々調べてました」
「そっか。マメだね」
「いえいえ、そんな……」
オオバコさんはそれ以上、何も言わず静かに倉庫を見渡していた。いつもと違う様子に、なんとなく胸騒ぎを覚える。
(なんだ……? 何か気になってるのか?)
すると、彼女の視線がゆっくりとバイクの「ニンニン」に向けられた。
「そのバイク、ニンニンっていうんだね。懐かしいなぁ。実はね――この子のおかげで、私はバイクを作れたんだよ。そして乗りこなすこともできた」
「え……そうだったんですか?」
「うん。ニンニンには本当に感謝してる。いや、正確には……ニンニンだけじゃない。このバイクの主である君にも感謝しなくちゃね……」
オオバコさんは優しくニンニンのタンク部分を撫でた。その仕草がどこか儀式めいていて、俺は息を呑んだ。
そして――彼女は顔を上げ、真っ直ぐ、俺を見据えた。
「さて、本題に入ろうかな……。君、【異世界転生者】ってやつだろう。アダム・クローナル――いや、田中実さん」
俺の思考が、一瞬で止まった。
この世界では、誰にも知られていないはずの名前。その名前が今、目の前にいる彼女の口から発せられた。
(あぁ……この世界で初めて呼ばれた……)
俺の転生前の名前、いや、女性研究者だった私のかつての名前を――。