【バイトSOS編】隣家の飯はうまい
久しぶりに、あのニボルおじさんが登場します!
オオバコさんは『ピンポーン』とチャイムを鳴らしたかと思うと、間を置かずにズカズカとニボルさん家のリビングへ突進した。
(えぇ……勢いすごいな?!)
「ニボルさんー! 私だよ! お腹空いたから、私とアダムのご飯作って!」
「えっ、オオバコちゃん?! それにアダムくんまで?!」
ニボルさんは手にしていた漫画を落とし、目を丸くして立ち上がった。そのリアクションがあまりにも面白くて、俺は思わず小さく笑ってしまう。
(そりゃそうだよな。こんな時間に押しかけられたら誰だって驚く)
それでも、ニボルさんは呆れることなく、ゆっくりとキッチンへ歩いていった。そして冷蔵庫を開けながら、振り返って一言。
「親子丼なら、すぐ作れるよー?」
「いいねー! でも、鶏肉はちゃんと中まで火を通してね? 半生なんて許さないから!」
オオバコさんは冗談めかして、指をピンと立てる。食中毒案件で鶏肉の話が出たばかりだから、つい過剰に反応してしまうのだろう。
「もちろんさ。こう見えても僕、調理師免許持ちだからね。衛生管理の知識なら任せてよ!」
ニボルさんは胸を張り、冷蔵庫から材料を取り出し始める。その自信たっぷりな様子に、オオバコさんは感動していた。
「さすがだね、ニボルさん。ねー! そう思うよね? アダム」
オオバコさんが俺の方を振り返ったため、同意の意味も込めて、うなずく。
「はい。ニボルさんの料理はいつもおいしいので、今日も楽しみにしています」
すると、キッチンからは早速包丁のトントンという音が聞こえてきた。この居心地のいい時間が、少しだけ続いてほしいと思いながら、俺たちはリビングのソファに座って、待つことにした。
(あっ、今日は日曜日だな……。確か昨日、サラはニボルさん家にいるって言ってたけど、この感じ……居なさそう)
そう思いながら、俺はニボルさんに話しかけた。
「そういえば……ニボルさん。サラは帰ったんですか?」
「あぁー。サラちゃんは今日、剣術部の稽古があるって言ってたんだ。お昼過ぎに学校の近くへ、車で送ったよ」
ニボルさんはそう答えると、手元の鶏肉を手際よく切り分けながら、ふっと笑った。
「サラちゃん、頑張ってるみたいだね。強い先輩がいるから、どうしても勝ちたいって言ってたよ〜」
少し寂しそうな顔をしていたが、その手つきは止まらない。
「すごいねー、サラちゃん。私、体育系苦手だったから、うらやましいかも!」
オオバコさんはそう言いながら、冷蔵庫の前へと向かう。そして、勝手に扉を開け、中をのぞき込むと、おもむろに缶ビールを取り出した。
「あの……オオバコさん。勝手に飲むのはさすがに……。しかも、飲んだら、今日帰れなくなりますよ?」
俺が慌てて声を掛けると、オオバコさんはニヤリと笑い、プルタブに指をかけた。
「いいじゃん、ニボルさんの家だし、そんなに堅いこと言わないでよ!」
この自由奔放な態度には、いつもながら圧倒される。
ニボルさんは苦笑しながら、調理を続けていた。その姿を見て、俺はもう何も言えなくなってしまった。
「アダム、安心して。今日は泊まることにする――君の使っていないお部屋を借りるよ」
そう言うなり、オオバコさんはゴクゴクと飲み始めた。
「愉悦〜! 仕事終わりのアルコール、たまんなーい!」
彼女はソファに深く腰を下ろし、心底リラックスしている様子だ。
(まぁ、みんなが休んでいる土日の間に頑張ったし、そりゃ飲みたくなるよな……俺は飲まないけど)
俺は心の中でそう思いつつ、目の前の缶ビールにほんの少しだけ興味を持ちそうになる自分を振り払った。
そんなことを考えているうちに、15分が経過した。
「できたよ〜! 二人ともお待たせ」
ニボルさんがキッチンから親子丼を運んできてくれた。丼の上には鮮やかな三つ葉が散らされ、トロトロの卵とプリプリの鶏肉が美味しそうに輝いている。湯気から香ばしいだしの香りが漂い、思わず腹が鳴った。
「 「いただきまーす!」 」
オオバコさんと俺は声を揃え、同時に箸を手に取った。
一口頬張ると、口の中に広がる優しい味わい――鶏肉の旨味と卵の甘み、そしてだしの香りが完璧なバランスを保っている。
「これ、めっちゃ美味しい!」とオオバコさんが嬉しそうに笑う。
「さすが、ニボルさんですね」と俺も思わず感嘆する。
二人で夢中になって丼を平らげていると、キッチンで片付けをしているニボルさんの穏やかな笑みが目に入った。なんだか、こんな日常も悪くないな――そんなことをふと思った。
「本当に美味しいねー!」
「はい。ニボルさんの料理は世界一ィイイイ!」
「ハッハッハ! アダムくん、それは名言だな!」
ニボルさんは俺の元ネタを察したのか、腹を抱えて大笑いしている。その笑顔につられ、オオバコさんも嬉しそうに声を上げた。
笑い声が響く中、俺もゆっくりと一口ずつ味わいながら親子丼を堪能する。気づけば、おかわりを重ねて、2人で鶏肉600gをぺろりと平らげていた。
「うはー! お腹いっぱい!」
オオバコさんがソファに背を預け、満足げにお腹をさする。俺もニボルさんの方へ向き直り、心からの「ごちそうさまでした」を伝えた。
「どういたしまして!……で、いまさらなんだけど、二人はどういう関係なんだい?」
突然の質問に、俺は少し戸惑ったが、すぐにオオバコさんが肩を組んで答える。
「相棒! それから、同じ研究者だよねー!」
(相棒?)
「……まぁ、研究者としてタッグを組んで、2日間調査していたんです」
俺がそう補足すると、ニボルさんは穏やかに頷いた。
「そうだったんだ。大変だったね。よし、アダムくんの好きなクッキーも作ってあげようか?」
「本当ですか?! 嬉しいです!」
「もちろん。バイトも頑張ったみたいだし、記念にね」
そう言って、ニボルさんはキッチンに戻る。その背中を見送りながら、俺はふと微笑んだ。
(ニボルさんのクッキーまで食べられるなんて、今日はなんて贅沢な日だ)
「アダム、なんか嬉しそうだね」
「はい。クッキーが大好きなんで、すごく楽しみです」
「だと思ったー……ふわぁ〜」
オオバコさんは疲れたのか、ソファに倒れ込むように横になり、そのまま寝てしまった。俺はその様子を横目に、ニボルさんがクッキーの準備を進めるのを見守る。
「オオバコさん、寝ちゃいましたね……」
「本当だね。疲れたんだろう。プランケットを掛けておこうか。風邪を引いたら大変だし」
「あ、それなら俺が掛けますよ」
俺はすぐに棚からブランケットを取り出し、そっとオオバコさんに掛けた。寝顔は、いつもの勢いとは正反対で、どこか無防備で安らかだった。
「ありがとうね、アダムくん。クッキーは今から1時間ほど寝かせるから、その間に少し休んでもいいんだよ?」
「いえ、大丈夫です。まだ眠たくないので……」
俺はそう答えながら、ふと気になったことを尋ねた。
「それより、ニボルさんとオオバコさんって、やっぱり長い付き合いなんですか?」
「そうだね。彼女とは近所付き合いもあって、昔からの知り合いだよ。でも、オオバコちゃんの人生は波乱万丈だからね……。たとえば、王宮をクビになって一時期ここに住んでたこともあったんだ。それがある日突然、『島に行く』なんて言い出してさ、アダムくんが今住んでいる家を売って出て行ったんだよ」
(やっぱり……オオバコさんは、常識や既成概念にとらわれない人だ。行動力や発想力も桁違いで、俺の想像の範囲を軽く超えていく)
俺はその話に納得しつつも、別の疑問がいくつか頭をよぎった。
「王宮……? オオバコさんって、一般家庭の出身だったはずですけど」
「その通り。でもね、彼女は王族からその頭脳を見込まれて、研究者として雇われたんだよ」
「すごいですね……それなのに、なぜクビになったんです?」
「実験でやり過ぎて、爆発を何度も起こしたらしいよ」
ギクッ。
(まさか……俺とオオバコさんって似た者同士だったりする?!)
でも、同じ研究者として、『挑戦したくなる気持ち』は痛いほど分かる。俺は焦りを隠しながら、次の疑問をぶつけた。
「はっは、そうだったんですね。オオバコさん、やっぱり面白い方ですね。それで、彼女が言ってた島って、ニボルさんは行ったことありますか?」
「いや、行ったことはないね。天使族以外……原則入れないらしいからね」
「天使族……?」
「そう。昔、この国で【魔女狩り】が盛んだった頃、彼女らはこき使われていたんだ。それがトラウマになって、悪魔族とは距離を置いているみたいだよ。実際、天使族は知性が高いから、自分たちだけで生きていけるんだ。ちょっと羨ましいよね」
(なるほど……そんな背景があれば、オオバコさんがシアンさんに冷たい態度を取る理由も分かる気がする)
考え込んでいる俺を見て、ニボルさんは心配そうに眉を下げた。でも、その目にはどこか優しさも感じられた。
そんな中――。
「ん……何々? 私が寝てる間に、私の話してた? それなら私が直接話してあげるよ!」
ソファから身を起こしたオオバコさんが、目を擦りながらこちらに顔を向けていた。
「オオバコちゃん、起こしちゃった? ごめんね」
「いいってばー! それより、甘いもの食べたい気分かも! クッキー、ある?」
目が覚めるや否や、甘いものをリクエストするオオバコさん。
「了解! 今からオーブンを温めるよ。それと……今日の夕方過ぎには僕、両親のところに行く予定なんだ。だから晩御飯は、この水餃子を食べてね」
「 「遠慮なく!」 」
声の揃ったタイミングが同じで、俺はオオバコさんと顔を見合わせて、ニヤニヤしてしまった。
その後、ニボルさんが作ってくれたガレットクッキーを一口頬張ると、サクッとした食感の後に、バターの香りとほんのり甘い味が口いっぱいに広がった。
「これは……幸せになれる味だね!」と目を輝かせながら、オオバコさんは次々と手を伸ばしていた。
「ニボルさん、天才! 私、一生この味が忘れられないかも!」
「ハッハッハ、ありがとう! 作り甲斐があるよ」とニボルさんも満足そうだ。
その後、水餃子は鍋ごと俺の家に持って帰ることにした。鍋からほんのり立ち上る湯気と香ばしい香りが、夜の空気に溶け込むようだった。
ニボルさんの優しさに触れたことで、忙しい日々の中に少しだけ余裕が生まれた――。
そんな心地良い気持ちになったけど、今日の夜は長くなりそうな予感がした。