【王位戦エントリー編】本来の姿を認識できないのだね
「アダム、朝だよー! オンライン授業が始まるよー!」
ドンドンドンッ!
何度もドアを叩く音が響く。
「ん……眠い……」
俺は毛布にくるまっていた。
授業が始まるまで、あと五分。
(五分――いや、300秒もあれば十分だ)
まだ余裕だと思っていたが、アンズが痺れを切らした。
「もう! 入るよー!」と言って、俺のベッドのそばまでスタスタとやってきた。
「おはよ! 一緒に授業受けようよ! そのタブレットで見よー!」
「……はよ。いいよ、タブレットありがと」
「えへへ〜」
今日からは、日中はアンズとタブレット越しに授業を受け、昼はアンズのお母さんの手料理をいただき、夕方からはバロさんの修行を受ける生活になった。
要するに、アンズの家に居候している。
この生活も充実していて悪くない。
だが、放課後に実験室ではなく、バロさん指定の修行部屋へ行かなければならなくなった。
(本当は研究に没頭したいところだけど、我慢だ! 王位戦、いや将来の研究所設立のため……!)
それにしても、やはりアンズの家は広すぎる。
修行部屋までの距離が、やけに遠い。
「はぁ……」
ため息をひとつ吐いたところで、後ろからポンと、誰かの温かい手が頭に触れた。
「案内するよ」
「あっ、バロさん……」
バロさんはもう片方の手で、ストローを挿した水入りのカップを持っていた。
「曲がった先にあるんだ。わかりにくいだろうけど、そのうち慣れるよ――研究者さん」
バロさんが「研究者」と言ったのには訳がある。
今の俺は白衣を羽織り、右ポケットにはオオバコさんからプレゼントでいただいた防護メガネ、手には相棒のタブレット型コンピューターを抱えているからだ。
バロさんに案内されるがまま、広間のように壮大な修行部屋へ足を踏み入れた。
「さて、早速だけど、対戦しようか」
出会ってまだ三分しか経っていないが、ゲームの世界みたいに、突然、決闘を申し込まれた。
「えっと、王位戦を想定して動けばいいと……」
「その通り」
「思いっきりやってもいいですか?」
「よろしく頼むよ」
親指を立てて、俺の出方を待つバロさん。
「わかりました。それでは――女神様!」
防護メガネを装着し、タブレットを構えて魔法を唱える。
(まずは第9王子をシメた時に使った、あの魔法で一気に!)
「瓶と、水と共に踊る、例の金属『No.11』をッ!」
発動しようと思ったその矢先、タブレットから警告のアナウンスが鳴った。
『警告。当該魔法はザダ校において、過去にあなたが第9王子メタノ・ジェラルから退学処分相当として受理された案件に該当します。再度の行使はリスキーです。現在、機能を制限しております』
「えっ……」
おっかない。
俺が第9王子と揉めた履歴まで、すでに同期されているのか。
ポカンと口を開けていたら、バロさんはフッと笑い始めた。
「残念。それに、第9王子がその魔法を知っているのなら、向こうは十分に対策してくるはずだよ」
「まぁ、試しにやってみたかっただけです。でも便利ですね。そこまで教えてくれるなんて……」
俺が操作に集中している隙を突いて、バロさんが攻撃を仕掛けてきた。
ストローをくわえたまま、俺に向けて「ふーっ」と何かを吹き出した。
避けきれなかったが、運良く防護メガネがその飛沫を弾いた。
(き、きたなっ……! いや、待てよ。今の液体、ただの水じゃないのか? 一応、検体として確認しておくか)
「女神様、リトマス試験紙を!」
唱えた直後、タブレットの上にポンッと試験紙が現れた。
それをメガネに付着した液滴に当てると――。
「あれ……?」
予想に反し、試験紙が青色に変わった。
「弱塩基性……。このpH、猫の唾液に近いな――」
「にゃぁ!」
「……にゃ?」
いきなり、バロさんが本物の猫そっくりの鳴き声を発した。
(えっ、なんだ?! バロさんって猫だったのか?)
理解が追いつかない。
慌てて手元のタブレットで検索をかけようとしたところで――パンッ! と手を叩く音が部屋中に響いた。
「まずはそこまで」
部屋の入り口に、もう一人のバロさんが立っていた。
(ん? どういうことだ?)
自分でも何を見ているのか分からない。
なぜなら、今、俺の目の前には二人のバロさんがいる。
一人は、ストローをくわえ直して「にゃぁ」と鳴く、おどけた様子のバロさん。
もう一人は、入り口で腕を組み、余裕そうに俺を眺めているバロさん。
(何だこれ? 互いに重ならない鏡像……鏡像異性体か!?)
「女神様、『旋光性』の測定を――!」
反射的にタブレットを構え直すと、「分析モード」が起動し、画面に解析結果が表示されていく。
【偏光スキャン:完了】
【右側の個体:バロ本人。左側の個体:バロ(猫の従魔)として識別】
【根拠:右側は左手に、左側は右手に時計を装着。完全な『鏡写し』の配置を確認】
「従魔? それに、鏡写し……。やっぱり、鏡像異性体のような分身魔法ってことか?」
俺は混乱した。
重ね合わせても決して一致しない、左右の手のような関係。
俺の目は、目の前の二人を『同一人物』だと認知している。
なのに、タブレットには、左側が『猫の従魔』だと表示されている。
「面白い顔をしているね、アダムくん。タブレットは正しいよ。だが、君の脳は、目の前の現実を拒絶しているようだ」
入り口にいるバロさんが、パチンと指を鳴らす。
その合図と同時に、左側の『バロさん』の姿が、ふっと視界から消えてしまった。
「あれ? どこに……」
「そうか……。やはり『人間』である君には、本来の姿を認識できないのだね……」
認識の齟齬が生じる。
この修行部屋に入ってから、俺が前世から積み上げてきた科学的な知覚そのものが、根底から揺さぶられていた。
1. 猫の唾液とリトマス試験紙
人間の唾液はほぼ中性(pH6.8前後)ですが、猫の唾液は弱塩基性(pH7.0〜8.0程度)と言われております。
そのため、アダムが咄嗟に取り出した赤色のリトマス試験紙は、アルカリに反応して青色に変化しました。
「汚っ!」と毒づきながらも、その飛沫さえ検体にして、「猫だ」と正体を見破るあたり、アダムの研究魂が隠しきれていませんね笑
2. 鏡像異性体と旋光性
「右手と左手」のように、形はそっくりなのに鏡に映したように反転していて、どう回転させても決して重ならない分子のことを「鏡像異性体」と呼びます。
普通の光では区別がつきませんが、「特定の方向に振幅する光(偏光)」を当てると、その回転方向(旋光性)が逆になるという面白い性質を持っています。
作中ではこの性質を魔法に応用し、アダムが「鏡写しの配置」という違和感から分身の正体に辿り着くロジックにしました。
3.ご挨拶
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