【王位戦エントリー編】……アダム。ちょっと来い
あの後、保健室でサラが派手に割った窓ガラスは、キハダ理事長が魔法で手際良く元通りにしてくれた。
そして理事長は「オウレンを一人にさせるわけにはいかない! 私が隣で支えるから」と頼もしい宣言をして、オウレン先生を聞き取り調査の会場まで連れて行った。
そんなわけで、俺たちは保健室を後にし、実験部の部室に集まっていた。
今いるのは、アンズ、ケイ、それから王位戦の参加者となったサラだ。
全員、担任とのやり取りで神経をすり減らしたせいか、室内では重苦しい沈黙が続いていた。
その沈黙を最初に破ったのは、ケイだった。
「アダム、さっきはごめんなさい! アタシ、言いすぎたわ!」
唐突な、けれど彼女らしいまっすぐな謝罪だ。
「大丈夫。俺の方こそ、らしくない動揺をしてしまった……」
本当は、「まさか双子が重篤な状態とは」と言いそうになった。
けれど、惨状を目の当たりにしたサラの前で、双子の話を出すのは控えた方がいいと判断し、俺は言葉を飲み込んだ。
「ん? どうしたのかしら、アダム。続きは?」
言い淀んだ俺を、ケイが不安そうに覗き込む。
「いや、なんでもない……自分の弱さが嫌になっただけだ」
苦笑いで誤魔化したものの、内心穏やかではなく、自己嫌悪に陥っていた。
実を言うと、前世で一度、過換気症候群――いわゆる過呼吸を起こしたことがある。
研究とは無関係な、苦手な雑務に追われていた頃の話だ。
不慣れな業務で袋小路に追い込まれていたところ、追い打ちをかけるように上司に叱責された。
気持ちの整理がつかないまま、指先の感覚が遠のき、視界が狭まり、肺が空気を拒絶しているかのような錯覚。
あの時の、どうしようもない絶望と屈辱。
嫌な記憶が、一気にフラッシュバックする。
(あぁ、考えるだけでも、胸が苦しい――)
「大丈夫! アダム、何も恥ずかしくないよ!」
「そうだよ! アダムさんが怪我をせず、無事でいてくれたから、ぼくは本当に安心したんだ!」
アンズとサラが、弾かれたように口を開いた。
ケイも「そうね。無事で本当に良かったわ。だから、この話はおしまいね!」と明るく告げて、不穏な空気を断ち切ってくれた。
次に、アンズが話題を切り替えるように話し始めた。
「サラ、身上書はどうやって用意したの?」
「あっ……その件なんだけど、おじさんがサインしてくれたんだ。一応、コピーしたものも持っているよ」
カバンをゴソゴソと探っていたサラが、「あっ、あった!」と一枚の用紙を取り出した。
確かに、そこにはニボルさん直筆のサインがしっかり記されていた。
「サラ、ニボルさんには伝えたのか? 王位戦に出ることを」
「うん。昨日、おじさんに『参加する!』って、ちゃんと伝えたよ!」
「その……反対されなかったのか?」
「そうだね。最初はびっくりしてたよ。でも、おじさんが趣味の競馬で面白い例えをしてくれて。『馬群の中でたった一頭の牝馬が最後の直線で並み居る強豪の牡馬を退けて、重賞を制したんだよ。大丈夫。最強のサラちゃんなら、この王位戦だって勝てるよ』って、笑顔で送り出してくれたんだ」
まさかの競馬ネタで背中を押されていたとは、思いもしなかった。
ニボルさんの摩訶不思議な、けれど温かくて柔軟な発想に、俺は堪えきれず、肩を震わせて笑ってしまった。
笑っていたのは、俺だけではなかった。
ケイとアンズも吹き出していた。
沈んでいた部室の雰囲気が、蕾から花が咲いたように温かさを取り戻していく。
俺たちが笑っているのを見て、サラは照れ隠しに頭を掻いた。
それから、凛とした顔つきをして、本題を切り出した。
「そういうわけで、ぼくと作戦を立てよう? 筋トレを頑張ることも素晴らしいけれど、アダムさんは肉弾戦より、頭脳戦に特化したほうがいいと思って……」
「アタシも賛成。アダムは頭脳で戦うべきよ!」
ケイが隣で力強く相槌を打つ。
まあ、二人の考えは腑に落ちる。
現に、今の俺はすでに体力の限界で、気力も低下気味だった。
(こういう時は、あの薬に頼るのが一番だな〜)
棚から調合済みの漢方薬を取り出し、コップに入れようとしたところで、サラに声を掛けられた。
「アダムさん。それって、お薬?」
「あぁ」
「あのさ、疲れに効果があったりする?」
「よく効くぞ。飲むか?」
「うん、ぼくも飲もうかな。なんだか、どっと疲れちゃって……」
「了解だ。今、用意するよ」
どうやら俺だけでなく、サラも相当疲れているらしい。
二人分の薬を用意し、お湯に溶かしてからサラの分を手渡した。
生薬特有のほのかな香りが、湯気とともに部室に広がる。
「ありがとう! 甘くておいしいね」
「だろう? 甘草が入っているから、飲みやすいんだ。ふぅ……」
「はぁ……」
じんわりとした温かさが、五臓六腑に染み渡る。
俺とサラが黙ってコップを見つめ、一息ついていると――。
「私が飲んだお薬と、香りが全然違う!」
自分のはあんなに苦かったのに……と言わんばかりに、コップの底まで覗き込もうとしているアンズの姿が目に入った。
「あぁ、アンズのとは別のやつだ」
「そうなの?! でも、二人とも王位戦が始まる前からそんなに疲れちゃって……本当に大丈夫?」
眉尻を下げているアンズを見て、ケイが「あら!」と思い出したように声を上げた。
「アンズの言う通りだわ。それに王位戦って、一般科チームでも王族が最低二人は必要なんでしょ? 残ってる選択肢、アタシかニコしかいないじゃない?!」
耳が痛い指摘だ。
エントリー可能なメンバーは、この時点で絶望的に限られていた。
だからこそ、俺は一縷の望みにすがって、第4王女のケイを誘うことにした。
「おっしゃる通りだ。ニコには、一度断られている。……ケイは、戦うのは得意か?」
「無理! だってアタシ、魔法の才能が悲しいくらいにないのよ! 使えても、一日三回が限度っ!」
「だよな……」
拒絶されるのは想定内だった。
(こうなると、第6王子のニコに、もう一度頭を下げるしか……)
その思惑が頭に浮かんだ、その時。
ガラッ――!
乱暴に扉を開く音が、部室に響いた。
「……アダム。ちょっと来い」
この声――俺が今、まさに相談したいと思っていた人物だ!
俺は期待を膨らませて振り返った。
だが、そこで立っていたのは――一匹狼の異名に相応しく、絵に描いたような不機嫌顔をしたニコだった。




