【王位戦エントリー編】結婚って、何が!
「こんなに早く回復しちゃうとはねぇ……。“不老不死の果実”の効果ってすごいわー」
どこかで聞いた女性の声がする。
(ん? これは夢? それとも現実? もしかして異世界?)
「それよりさぁ、漢方薬飲みたいなぁー!」
わざわざ大声で言わなくても……って、そうだった!
「しまった! 本に夢中で、薬の調合をすっかり忘れていた!」
ガバッと跳ね起きた。寝起きの第一声がこれだった。
どうやら、夢の中で、誰かが大切なことを思い出させてくれたらしい。
そんなわけで、始業時間前に、俺は実験部で漢方薬の調合を済ませたところだ。
ダンさんたちのおかげで、生薬が全て揃ったから、本当に助かった。
気分転換にカーテンを開けて、空を仰ぐ。
強い日差しが差し込む。今日は文句なしの晴天だ。
だが、天気予報によれば、明日の夕方からは雨が降るらしい。
「いやぁ、まだ時間があるな……。そうだ、サラたちと約束してたんだ。金木犀の入浴剤を渡すって」
そこで、イブから貰って余っていた金木犀を使って、今のうちに仕込んでおくことにした。
作り方はいたって簡単。清潔な容器に金木犀を詰め、実験用に管理されているアルコールを注ぐ。
すると、琥珀色の花が液体の中でゆらゆらと揺れ、部室に特有の甘い香りがふわりと広がった。
「ふぅ……できたな」
しばらく漬けて香りを抽出する必要があるため、棚下の冷暗所で保管することにした。
その作業を終えたところで、明るくて透き通った声が、部室に響いた。
「アダム、見つけた! おはよー!」
アンズだ。
「アンズ、おはよ」
「今大丈夫?」
「大丈夫」
「わかった! これさ、この前のお礼! バイト先で売ってる美味しいクッキーだよ!」
俺の大好物のクッキーを、四袋も渡してくれた。
「こんなにたくさん……。じゃあ、アンズも一緒に食べよう」
「えっ、全部アダムが食べていいよ?」
「いや。まだ朝礼まで時間あるから、俺だけ食べるのは申し訳ないよ」
「じゃあ、一緒に食べる!」
太陽に負けないぐらい、ニッコリと笑うアンズ。
俺たちは、二人で仲良くクッキーを食べることにした。
袋を開け、一枚パクリと口に入れる。
サクサクとした食感と共に、じわりと甘みが広がっていった。
「うーん。美味しいな」
「でしょ! 人気なんだよ?」
「あぁ。チョコチップとクッキーの配分が絶妙だ。あっ、牛乳があるけど飲む?」
「うん!」
一枚目のクッキーを食べ終え、部室の冷蔵庫から牛乳を取り出してマグカップに注いでいると、背後からアンズが声を掛けてきた。
「あれ……。アダム、背が伸びたんじゃない?」
「そうか?」
「あと、肩幅も広くなった気がする!」
アンズが思ったことをポンポンと口にする。
言われてみれば、最近、少し制服が窮屈になった気もするが、自分ではあまり実感がなかった。
だが、全く心当たりがないわけでもなかった。
唯一、当てはまるとすれば……。
「もしかして、剣術部で筋トレしてるから、その影響かな?」
「あぁー、そっか! って、そうだ! サラから聞いたよー! メンバーが無事に決まって良かったね!」
「あぁ。なんとか……」
元の席に戻り、アンズに牛乳の入ったマグカップを差し出すと、彼女は満面の笑みで受け取ってくれた。
「ありがとう。私、朝から嬉しいニュースを聞けて幸せかも」
上機嫌でゴクゴクと牛乳を飲んでいる彼女を見て、俺も一緒に飲もうと思ったが、「嬉しいニュース」という言葉をきっかけに、我が家のある出来事が脳裏をかすめた。
(あっ、アンズにはまだ伝えていなかったな)
「アンズ。実は、他にも嬉しいニュースがあったんだ」
「気になる! 教えて〜!」
アンズは黄色の瞳を輝かせて、俺の顔を覗き込む。
「三族山での一件の後、父さんと母さんが仲直りしたんだ」
「えっ……」
彼女の瞳が、打ち上げ花火のように一層、鮮やかに輝いた。
そして、その綺麗な瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
(しまった。朝から話す内容じゃなかった?)
「ごめん、驚かせたかもしれない」
「ち、違うの。本当によかったね。これはね、嬉し涙なの……」
アンズは手の甲で必死に涙をぬぐっていた。
俺の話をこれほど素直に、自分のことのように喜んでくれるなんて。
涙を流すほど、俺の家族のことも大切に思ってくれていたんだ。
「アンズ、ありがとう。その……泣かないで。笑顔でいてほしいから」
アンズを前にすると、どうも冷静ではいられないらしい。柄にもない本音が、そのまま口をついて出てしまった。
「わ、わかったぁあああ! でも、うれしいよぉおお!」
ダメだ。なだめるつもりが、なおさら泣かせてしまった。
(マズいな。このままだと、『あんたがアンズを泣かせたの?』って、ケイに責められるよなー)
とりあえず、策を講じることにした。
急いでタオルを二枚用意し、水で濡らす。片方を温めている間に、まずは冷えたほうをアンズの目元にそっと当てた。
「わぁっ!」
「ごめん! 腫れる前に冷やす!」
「アダムったら、面白いフォローだねっ!」
アンズはくすぐったそうに笑いながら、自分の両手でタオルを目に当ててくれた。
表情は隠れているが、楽しそうな口元を見る限り、どうやら泣き止んでくれたみたいだ。
数分して、「そろそろタオルを外していいよ」と伝えると、アンズは少し不満そうに「えー! 気持ちいいのに」と口を尖らせた。
「こっちもリラックスできるから」
「わかった……」
冷えたタオルを受け取り、入れ替わりで準備できたホットタオルを手渡す。アンズは素直に従って、大切そうに目元にタオルを押し当てた。
「どう?」
「あー、幸せかもー!」
「よかった……」
その後、この作戦は功を奏したようだ。
アンズは手持ちの鏡を覗き込み、驚いたように声を弾ませた。
「すごい、アダム! 泣いたって全然わからないかも!」
「まぁ……俺が驚かせちゃったし、もちろんサポートするよ」
「えへへ。そしたら、教室に行こう?」
「あぁ」
アンズが廊下の方へ歩き出す。
俺も後を追おうとしたが、その前に机の上の本を素早く手に取った。
「ちょっと待たせた、行こうか」
「うん! あれ……アダム、どうしたの……。何、その本?」
「えっと、まぁ、研究の本!」
(うわぁ、デジャブだ。昨日もオウレン先生に凝視されたばっかりだしな)
昨日の失敗を教訓に、タイトルを見られる前に背中へ隠そうとした。
だが、アンズの動きは俺の予想を遥かに上回っていた。
背後に気配を感じた時には、彼女はすでに俺の真後ろに回り込んでおり、そのタイトルを元気よく読み上げていた。
「『不老不死と結婚観について』?! 何これぇ?! 結婚って、何が!」
時すでに遅し。
いや、アンズが俊敏すぎて、時間の概念すら、もはや無意味だった。




