【贈り物編】王妃は女神となり、転生者を導く
ルミナショウマの1着が確定した後、俺は馬券の払い戻しを済ませたニボルさんと共に、車で帰路についていた。
「いやぁ、本当に勝っちゃったね。ルミナショウマ!」
札束が5倍になって戻ってきたのだから、運転席のニボルさんはご満悦だ。
だが、俺には、どうしても聞かなければならないことがある。ニボルさんの口から、真実を。
「おめでとうございます。ニボルさん、本当にあの白馬が大好きなんですね。ところで……」
「そうだった、話しておかないとね。まずは――」
ニボルさんはハンドルを握りながら、缶コーヒーに口をつける。その横顔は、先ほどまでの笑顔とは異なり、どこか影を落としている。
「なぜ、ルミナショウマをあんなに推していたのか……気になったよね。実は、僕の婚約者になるはずだったお嬢さんのお父様が、馬牧場を営んでいるんだ」
「婚約者……?」
思わず声が漏れる。そんな話、今まで一度も聞いたことがない。
「残念ながら、彼女は若くして命を落としてしまった。だけど、牧場主であるお父様は、突然変異で生まれた白毛の仔馬を目にした瞬間、娘の面影を重ねて涙が止まらなかったんだ」
「突然変異?」
研究者としての血が騒ぐ。白毛は遺伝学的に極めて珍しい。自然発生する確率はほぼゼロに近く、記録に残る例もほんの一握り――。
「その仔馬が、今日走ったルミナショウマなんだ。だから、特別な思い入れがあった」
普通なら、婚約者の話をもっと詳しく聞くのが筋だろう。でも、俺は研究者。真っ先に聞いたのは、ルミナショウマに関することだった。
「ちょっと待ってください。ルミナショウマの両親の毛色は?」
「父親は鹿毛、母親は青鹿毛だよ。うーん、さすがアダムくん。研究者らしい着眼点だね。実際に、両親の仔で白毛はルミナショウマだけだ」
「なるほど。突然変異で白毛が現れた上に、弟妹に同じ毛色がいないと。だけど、白毛って有性遺伝だから……」
「うん。この白毛の牝馬は特別だ。いずれ競走を辞めても、繁殖に回されるだろう。子孫を残すために……」
ニボルさんはそこで言葉を詰まらせた。
もし婚約者が生きていれば、家庭を築き、子どもにも恵まれていたのかもしれない。だが、その夢はもう叶わない。ならば、誰なのか――聞いてもいいだろう。
「すみません、ニボルさん。その婚約者の方って、俺の知っている人物ですか?」
単刀直入な問いに、ニボルさんは目を見開いた。けれど、すぐに答えてくれた。
「アダムくん。彼女は本当に素敵な女性だった。忘れられない。異世界転生して、2度目の人生で初めて恋に落ちて、婚約して……結婚式場を探そうとした矢先に奪われた。奪ったのは――今の国王だ」
その彼女は、今の国王の妻であった亡き王妃。俺にとっては女神様のことだ。
胸が締め付けられる。父さんがニボルさんと意気投合していた理由が、今ならよくわかる。父さんは必死に王妃を救おうとした。そして、ニボルさんは女神様のことを心の底から愛していたんだ。
(だけど、ニボルさんは一般家庭で育ったはず。女神様と、何の接点で……?)
研究者として冷静に問いかけたいのに、愛という真実を前に狼狽する。
そんな俺の心情を察したのか、ニボルさんは自ら語り続けた。
「僕は牧場のスタッフさんに食事を振る舞っていて、そこで出会ったんだ。異性は彼女しかいなくてね、次第に惹かれていった。でも……彼女は川で悪魔族の王子に一目惚れされてしまった。当時、悪魔族は前王様の魔女狩りで失墜していたから、天使族と結婚すれば立場を取り戻せると考えた王子が、彼女を連れ攫ったんだ」
「なんて私利私欲な……。自由を愛した王妃様にとって、辛い環境だったのでは?」
「うん。王族の暮らしが合わなかったらしく、ストレスで淡紫色の髪が銀色になったって……」
「へぇ……」
女神様も、なかなか波瀾万丈な人生を歩んでいる。
「もう彼女はこの世にはいない。けれど、彼女が生きていた証は、共に過ごした僕たちが証明できる。僕は魔法もろくに使えない人間だし、君のような才能もない。だからこそ、僕は彼女の想いを作品に託している。主人公としてね」
「ん?」
「車の後部座席に、第2巻があるよ」
そう言われて、俺は助手席から身をくねらせて、漫画を手に取る。
主人公が天使の羽根を持ち、ハート型の瞳をした女の子であることは知っていたが、原稿でしか見たことがなかった。こうしてカラーの表紙で見るのは初めてだ。その髪色は淡い紫――アンズのお父さんから借りた本に挟まれていた写真の人物に、瓜二つだった。
「アダムくんは……主人公の名前を知ってたっけ?」
「この子は知りません」
「そっか、シコンちゃんって言うんだよ。あれ、この子“は”って言ったね? 王妃様の名前、知ってるの?」
「知ってますよ、レンゲ様。そして、今回のルミナショウマも、レンゲショウマから名付けたのでしょう。俺自身、ルミナの由来は天使族の負傷魔法である“発光”から来ているのではないかと」
「大正解。やはり、君は天才だね。この世界に来るべき人材だったんだ。君を推薦したのは、どんな女神様だったんだい?」
なんて恐ろしい。
ニボルさんたちとの出会いは偶然なんかじゃない――必然だったんだ。
レンゲ様に導かれてこの世界に来た俺。
そのレンゲ様は、この世界では王妃として、父さんやニボルさんと深く関わっていた。
同じ異世界転生者のニボルさんが俺に「真実」を明かした。ならば、次は俺が「真理」を語る番だ。
心に秘めた覚悟を吐き出すように、深く息を吸った。
「ニボルさん。俺が契約した女神様は……あなたが恋していたレンゲ様です」
車内が一瞬で、凍りついたような空気になる。
「えっ……何を言って……?」
「偶然にしては出来すぎています。考えてみてください。白毛のルミナショウマ――突然変異で現れた稀少な遺伝形質。発現率は限りなく低いのに“存在する”。それは遺伝子という設計図に、可能性が最初から組み込まれていたからです。同じことが、この世界の因果にも当てはまるのではないでしょうか」
唇が渇き、声が震える。それでも続ける。
「レンゲ様は王妃として生き、死後、女神として“生存”している。俺は研究者ですから、証拠なき断定はしません。ですが、重なる要素が多すぎるんです。レンゲショウマとルミナショウマ。女神様の言葉と王妃様の遺した言葉。そして何より……俺自身が女神様に救われたという事実」
「アダムくん……」
「だから、俺は結論づけます。ニボルさんの婚約者だったレンゲ様は、この世界では王妃として、転生後には女神として、俺を導いた。だから、ニボルさんたちの積み重ねた想いが導く先は――この“真理”しかないんです」
前世で願った「平等な社会で研究がしたい」という夢はまだ果たせていない。
だが、レンゲ様やニボルさんたちとの出会い、ルミナショウマの存在が教えてくれた。
可能性があれば、必ず存在する。
突然変異が新しい形質を生み出すように――俺もまた、この世界で答えを見つけてみせる。
作中に登場した「シコン」ちゃんという名前は、生薬の紫根に由来しています。
紫根は、古くから薬用(皮膚の治療や解毒)や染料として用いられてきました。
王妃レンゲ様の「淡紫色の髪」は紫根の“紫”から来ています。