【贈り物編】減塩と想いが導いた涙の晩餐
駐車場に車を停め、母さんとの待ち合わせ場所である病室前へ向かった。
「母さん! ごめん、待たせた。父さんの晩ご飯、持ってきたよ」
俺は食品袋からタッパーを取り出して見せる。
中には、ニボルさんとサラ、オウレン先生と一緒に考えて作ったおにぎりとメイン料理が、彩り良く詰められていた。
「嬉しいわ! あの……」
母さんは、俺の隣にいるニボルさんとサラを、穴のあくほど見つめている。
「初めまして。アダムくんのお母様。僕は隣人のニボルです。少しでも力になれればと思い、料理を作りました」
ニボルさんの和やかな雰囲気に、母さんも莞爾として挨拶する。
「初めまして、ニボルさん。えっと……あなたは、サラさん?」
「はいっ! アダムさんにはいつもお世話になってます!」
サラはにっこり笑って答えた。
「こちらこそ。いつもお世話になっています……」
母さんの顔がこわばる。
今のサラは、俺と同じ男子学生の制服姿。母さんが想像していたであろう「サラお嬢さん」とは違う姿に、意表を突かれたようだ。
(しまった、ちゃんと伝えていなかった。アンズのような“お嬢さん”が来ると思っていたんだろう)
母さんは腑に落ちないまま、探るように問いかける。
「サラさん、その格好は……学校で何か理由があって?」
「えへへ……ちょっと事情があって。今は“男”として生きてるんです」
サラの正直な物言いに、母さんは小さく頷く。直感的に事情を察したようだが、その表情に翳りが見られる。
「病室へ入る前に……。あなたが女性だとしたら、主人に会わせるのは危険よ。気が立っていたら、何をするかわからないから」
「アダムさんのお母様。それでも、ぼくは会いに行きます。おじさんとぼくが顔を見せることで、少しでも希望を持ってもらえたら!」
サラの振り絞った言葉に、母さんの瞳が揺れる。
やがて、母さんは深々と頭を下げた。
「何から何まで……本当にありがとう。そのお気遣いは嬉しいわ。でもね、ここに来てくれただけで十分なの」
「待ってください! ぼくは心の底から会いたいんです! あの……」
謙遜する母さんと動揺するサラ――その二人の間に、ニボルさんが割って入った。
「アダムくんのお母様、大丈夫ですよ。誰であろうと、僕が前に立って、サラちゃんを守ります」
その心強い言葉に、母さんも「ありがとうございます、ニボルさん。あなたが一緒なら安心できます」と胸を撫で下ろす。
一同が落ち着いたところで、仕込んでおいた料理を温め、母さんと俺は先に病室へ入った。
父さんはベッドに腰を下ろし、虚ろな目で窓の外を眺めていた。
(頬がこけている……入院して酒を断っているからな。美味しいご飯を見せれば、反応してくれるはずだ)
淡い期待を抱きながら、テーブルにおにぎりと鶏むね肉のレモンハーブ蒸しを並べる。
隣で母さんが「美味しそうね……」と呟いたが、父さんは手をつけず、吐き捨てるように言った。
「これ、本当に職人が作ったものなのか? 見た目からして、減塩とは思えないが」
「はぁ……?!」
堪えきれずに、思わず荒らげる。
「食べもしないで文句ばかり言うな!」
「アダム、落ち着いて……!」
母さんが制したところで――病室の扉が開いた。
「ご安心ください。その料理は食塩相当量2g以下に抑えてあります。あなたの場合、一日の上限は6gですから問題ありません。それに……僕とこの子で協力して作りました」
ニボルさんが胸を張って病室へ入ってきた。その隣には、サラの姿もある。
「アンタたち……」
怪訝そうに眉をひそめる父さん。だが、サラは臆せず、天真爛漫に振る舞う。
「おじさんと一緒に作りました。折角だから、食べてみて?」
「そういうなら……」
父さんは渋々おにぎりを一口かじった。
次の瞬間、目を見開き、もう一口、さらに一口と食が進む。
「アダムさんのお父様、美味しいですか?」
「あぁ……うまい……」
その一言を皮切りに、父さんは無言で食べ進め、気がつけば……おにぎりも鶏むね肉のレモンハーブ蒸しも、綺麗に平らげていた。
「ごちそうさま……疑って悪かった。こんなに美味いものを食べたのは、本当に久しぶりだ。アンタ、本物のプロだな」
父さんの頬にはこれまでになかった温かな血色が戻り、険しかった目元もわずかに和らいでいた。
「一応、調理師免許は持っていますが……この料理はみんなの愛情と工夫から生まれた唯一無二のもの。塩分は研究者であるアダムくんが、しっかり考えてくれたんですよ」
ニボルさんは免許証を見せ、俺に視線を送る。
「はい。父さん、おにぎりのふりかけも減塩だし、メインの鶏むね肉もレモンとスパイスだけだ。それでも美味しさは保てる」
「そうです! それに……僕でよければ、アダムくんと一緒に、あなたの食生活を支えます!」
父さんの目が潤んだ。窓辺のレンゲショウマを見つめながら、ぽつりと呟く。
「これなら……酒をやめられるかもしれない」
こうして、俺たちの『減塩+消化に優しい+美味しい』作戦は成功を収めた。
病室を出ると、母さんは涙ぐみながら「お礼にご飯を奢らせて」と言い、ニボルさんとサラを連れて定食屋へ向かった。俺は少し遅れて行くことにし、病室を振り返る。
そこには、一人きりで涙を流す父さんの姿があった。
(良かった。心から美味しいと感じてくれたんだ……)
その涙は、みんなの想いが父さんの胸に届いた証だった。