【贈り物編】燃焼反応から始まる減塩作戦:発毛剤の成分を暴け
【※注意】以下の試薬が登場します。
・塩化コバルト紙:水に反応すると、青色から赤色に変化する紙。
・石灰水:水酸化カルシウムの飽和水溶液。二酸化炭素と反応すると白く濁る。
※本話では、魔法的演出を加えて描写しています。
「アダムくん、お待たせー!」
ニボルさんが車で迎えに来てくれた。俺はすぐに助手席へ乗り込む。
「すみません、ちょっと相談があって」
「えっ? その発毛剤……まさかアダムくんが使うつもりじゃないよね? まだ早いよ!髪、こんなに多いのに〜!」
ニボルさんは顎髭を触りながら、目を丸くしている。
「違います。これ、父さんのです。実は……」
俺は病室での会話や、父さんの無茶な注文――「減塩でも美味しい料理を」と言われたことまで、掻い摘んで説明した。
「父さんが『うまい料理人を呼んでこい!』なんて言い出して……。ニボルさん、お願いできませんか。あなたにしか頼めないんです!」
発毛剤を握りしめたまま、深く頭を下げる。
「大丈夫だよ。顔を上げて」
いつもの優しい声に顔を上げると、ニボルさんはどうしたものかと悩みながら、自分の髪をかきあげていた。俺と同じく、ふさふさな髪が揺れる。
「わかった! 作るよ。アダムくんの家族が仲良くなるなら、それが一番嬉しいことだからね」
「ありがとうございます……!」
(なんて心強いお隣さんなんだ)
実際に、両親と過ごした時間よりも、ニボルさんたちと過ごした時間の方がずっと長い。今回も前向きな答えをくれたが、ニボルさん自身はどこかソワソワしている。まるで、思い内にあれば色外に現るというように。
「ニボルさん、何か気になることが?」
「実はね……連載を抱えていて」
「連載? ライターの仕事ですか?」
「あの、引かないでくれる?」
珍しく、苦笑いを浮かべるニボルさん。
「大丈夫ですよ」
「僕は、漫画家なんだ」
「えっ。料理人だけじゃなくて、漫画家も?!」
「うん。もっと多くの人に楽しんでもらいたいから〜」
意外すぎる答えに、今度は俺が目を丸くする。でも、ニボルさんは器用だから、不思議と納得できてしまう。
「ジャンルは……麻雀漫画とか、青年誌系ですか?」
「そ、それがね――」
急に声が小さくなる。何か言いづらいのだろう。それでも、ニボルさんはゆっくりと教えてくれた。
「少女漫画なんだ」
「は……?」
つい、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「いや、その反応になるのは、よーくわかるよ。いい歳したおっさんが少女漫画なんて」
「いえ、少女漫画といっても、ジャンルは色々ありますし……。もし差し支えなければ、ペンネームは?」
「ぷろていんダニーだよ」
「あはは……ニボルさんらしくていいですね」
プロテイン――タンパク質。やけにリアルなペンネームだ。
少女漫画家にして料理人。やっぱり、この人は多才すぎる。
「そうだ! 明日が締め切りなんだけど、それが終われば、ご飯を作りに行けるよ」
「締め切り……大変ですね」
「うん。だけど、君のお父さんは無事だったとはいえ、命運がかかってるんだろう。明日の仕事が終わったら、アダムくんに声をかけるよ! じゃあ、着いたよ」
「送迎ありがとうございました。明日以降も、よろしくお願いします」
「りょーかい!」
結局、ニボルさんに家と病院を送り迎えしてもらっただけでなく、料理まで作ってもらうことになった。
(本当に良い人だ。出会えてよかった……)
車を降りた俺は、そのまま自宅の実験室に戻り、手に持っていた発毛剤のキャップを外した。
「さて、この瓶に入れてみるかー」
容器を逆さにして、数滴ほど瓶に垂らす。マッチで火をつけて瓶の中に落とすと、青白い炎が立ち上がり、数秒で消えた。
さっきとは違って、瓶の内側がうっすら曇っている。
(あぁ、この反応は……)
「女神様、試薬を!」
防護メガネの縁を押さえながら唱えると、目の前に2種類の試薬が現れた。
まずは、塩化コバルト紙を瓶につけると、青色だった紙は、たちまち赤色へと変わった。
さらに、瓶の中に石灰水を注いで振ると――白く濁った。
「やっぱり、エタノールが混ざっていたんだな」
(家に酒がないからって、とうとう発毛剤のアルコールにまで手を出したとは……)
もう見て見ぬふりはできない。必ず断酒させる――そう決意した時。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
(この場所に来る人物は……限られている)
白衣に防護メガネ姿のまま、玄関へ駆け足で向かった。
「うっす」
「アダムさん、おかえりなさい!」
「アダムくん、実験中にお邪魔したわね」
そこにいたのは、サラとオウレン先生だった。
「おっと、二人で一緒に? これは珍しいな〜」
「そうかな? ぼくからはこれ!」
サラは笑顔で、おにぎりと漫画を差し出す。
「しそわかめのおにぎり! 夜食にどうぞ。それと……おじさんの少女漫画! よかったら読んでね?」
「ありがとな」
俺もつられて微笑む。
やがて、俺たちの様子を見守っていたオウレン先生が口を開いた。
「アダムくん、兄さんから色々聞いたわ。私、これでも消化器内科を専攻してたの。だから、一緒にサポートするわ」
「オウレン先生……」
「早速だけど、『減塩+消化に優しい+美味しい』作戦はどうかしら?」
「キハダ理事長みたいなこと、言いますね……あっ」
しまった、口を滑らせてしまった。
(そうだ。ふたりはもう恋人同士だ……)
オウレン先生は頬を染めて、口を噤む。
(あぁ、気まずい……)
どうしようか悩んでいたが、場を和ませてくれたのは、サラだった。
「じゃあ、ぼくもレシピ考えてみるね。行こう、オーちゃん! おやすみなさい、アダムさん!」
「え、えぇ。サラちゃんも一緒に考えましょう。それでは、おやすみ。アダムくん」
「二人とも、おやすみなさい」
(今日はいろんなことがあったけど、無事に乗り越えられた。助けてくれて……ありがとう、サラ)
<余談:ニボルさんのペンネーム由来>
ニボルさんの名前は、ある抗PD-1抗体薬が由来です。
その薬を元に「Protein Danny【ぷろていんダニー】」とアレンジしました。
ペンネームに“Protein”を入れたのは、調理師として働いてきたニボルさんの信念から。
次回もお楽しみに!