【贈り物編】親の緊急入院に対する研究者の意思決定プロセス
「もしもし……」
「アダム、大変なことが起きたの!」
母さんの声が、震えていた。
(嫌な予感がする……)
「母さん、何かあった?」
「私じゃなくて……お父さんが倒れたの」
「やっぱり……」
思い当たる節しかなかった。
俺の父親はアルコール依存症だ。
食中毒調査の際に確認した父の一週間分の食事記録は、酒とつまみだけだった。他にも……。
「母さん。実は三族山へ行く前に、父さんと会ったんだ。その時、明らかに呂律が回らない様子だった」
「そうでしょう? 今ね、病院に着いたところなの」
「そっか」
母さんは、父から暴力を受けていた。だから、父のことを嫌っているはずだ。
なのに、倒れたと聞いて、すぐ病院に駆けつけた。
健気だ。あの頃と変わらないし、俺はちゃんと知っている。
元々、母さんは優しい人だ。一時、母さんが宗教にのめり込み、関係はこじれた。でも今は、こうして俺に連絡をくれる。母さんは、変わろうとしている。
だが、父親はどうだ。
母さんが宗教に入っても咎めもせず、仕事と酒だけの日々。家族のことには目もくれなかった。
今は入院中とはいえ、母さんにまた手を上げる可能性だって――。
(杞憂かもしれないが……)
「母さん。もし、病院にいるのが辛くなったら帰っていい。俺の家に来てもいいから」
「ありがとう……」
母さんは、黙り込んでしまった。
(どうしたんだろう。悩んでるのか?)
「かあさ……」
「アダム。今回、あなたに伝えたいことがあるの。病院の待合室まで来てくれる?」
「……っ?!」
不意を突かれて、俺は言葉を失った。
「あっ、ごめんなさい。無理しなくていいの。また連絡するわね」
母さんはそのまま電話を切ろうとした――が、そばにいたサラが俺たちの会話に割り込んだ。
「あの……! 初めまして、アダムさんのお母様。ぼくは、アダムさんの親友のサラです。今、どちらの病院にいらっしゃるんですか?」
「あら、初めまして。いつもアダムがお世話になっています。ラブズ病院よ。エンリーフ市の」
「えっ、そこって……30分ぐらいで行ける距離です。ぼくが、おじさんに頼んで、車を出せるか聞いてみます!」
「まぁ……ありがとう、サラお嬢さん。またね」
ピッ。
母さんの方から電話が切れた。どうやら、声を聞いただけで、サラが女の子だと気づいたようだ。
「お嬢さん」と呼ばれて、サラはほんのりと頬を染めていた。
「あっ……アダムさん、ごめん。勝手に割り込んじゃって……」
(いかん、ぼーっとしてた。サラが話を進めてくれて助かった)
「サンキュー、サラ。機転が効くな。オオバコさんみたいだ」
「えへへ、そんなことないよ〜。オオバコお姉ちゃんはすごい研究者だよ! アダムさんと同じくらい博識だし!」
「うん……褒めてくれて嬉しいな」
「どういたしまして。あの……お父さんのところに行くかどうかは、アダムさん自身が決めていいからね。でも、ひとつだけ言わせて」
サラの顔に憂愁の影が差す。
「会える時に会っておかないと、一生後悔する。そんな気がするんだ……」
あぁ……。ニボルさんが言ってた。
サラは、生まれてすぐに母親を事故で亡くしている。だからこそ、今この言葉を俺にくれたんだ。
(親友が、ここまで言ってくれたんだ……行かない理由なんてない)
「わかった。じゃあ……今から、俺も一緒に、ニボルさんのところへ向かうよ」
「一緒に来てくれるの?」
「あぁ。そのほうが、話が早いだろう?」
「わぁ! ありがとうっ!」
俺はニボルさんと母さんへのナツメの差し入れを準備してから、サラとニボルさんの家へ向かった。
「お邪魔します……」
「あっ! アダムくんー! 久しぶり!」
「お久しぶりです、ニボルさん」
「メガネじゃないね?! コンタクトデビューかい? もしかして、恋人が――」
ニボルさんが白い歯を見せようとしたところで、サラが慌てて遮った。
「おじさん、ごめん! 至急の話があるんだ――」
サラが状況とお願いを説明すると、ニボルさんは急いで車の鍵を取ってきてくれた。
「アダムくん、病院まで車を出すよ。行こう」
「いいんですか?」
「もちろん。君は僕にとって恩人だからね。その代わり、車の中で、メガネを外した理由を聞かせてもらうよ!」
ニボルさんは、俺がメガネを外した訳が相当気になるらしい。
俺は車の中で、サラにも話した内容と同じく、毒で死にかけ、オオバコさんの魔法で視力まで回復してしまったことを説明した。
「そっかー。オオバコちゃんのサポートもあって、アダムくん無事だったんだね。本当に良かった」
「どうも」
「オオバコちゃん。生き返ったアダムくんを見て、ほっとしただろうね。回復魔法っていいよねぇ。僕は無能力者だけど、その回復魔法が使えたらって思ったことがあるよ……」
ニボルさんは少しだけトーンを落として、どこか遠くを見つめるように呟いた。
その言い方だと、救いたい命があったけど、救えなかったような表現だ。
(ニボルさん、もしかして、大切な人を失った過去があるのだろうか――)
その答えに、俺の父親が深く関わっていたとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。