<番外編>鯖の生き腐れ〜エバスと白い悪魔の夜〜
【※注意】
番外編です。
第109話『【三族山編】志操堅固〜夢と想い〜』以降の出来事を書いております。
フォレスト家で“打ち上げ”が行われ、豪華な食卓を囲んで盛り上がっていた俺とアンズ、フォレスト家の三兄弟。
だが、その宴の後、どこかの部屋で、腹の底から絞り出すような声が響き渡った。
「オェエエエ! いてぇええええええ!」
「どうしたの?! エバス……まさか、またヘビに咬まれた!?」
スッタッタッタ……。
長女のシンイさんが、末っ子のエバスのもとへ、慌てて駆けていく足音が聞こえた。
その時、俺は寝室で科学雑誌を読んでいたが、“ヘビ”という単語に思わず反応する。
(おっと……今日の蛇が毒蛇なら、研究テーマに使えるぞ……!)
すぐに寝室を出て、廊下を歩く。アンズと長男のルパタは、どうやら爆睡中らしく、寝室から出てくる気配もない。
一方、好奇心と冒険心で満たされた俺は、エバスとシンイさんのいる場所へ向かうことにした。
(明かりがついてる……台所か?)
「失礼しまーす」
厨房室に入ると、エバスが台所で吐いてしまったらしく、シンイさんがマスク姿で後片付けを終えたところだった。
「アダムくん、ごめんね! 大丈夫よ。エバスがつまみ食いして、胃がキリキリ痛むって騒いでて……」
俺に気付いたシンイさんが声をかけてくれた。
「シンイさん、お疲れ様です。今の様子はどうですか?」
「喋れるみたいだから、食べ過ぎかなー?」
「そうですか」
ふと、エバスの方を見ると、吐いてスッキリしたのか、俺に愚痴り始めた。
「アダムー! 胃腸が痛ぇ〜! 誰かに噛まれてるみてぇなんだ……」
「エバスったら……。さっきの打ち上げで、たらふく食べてたでしょ。まだ足りなかったの? ……って、何これ?」
シンイさんが、台所のクーラーボックスに目を遣る。
そのフタには、マジックででかでかと『エバス様専用!』の文字が書かれていた。
「姉ちゃん! オレの面倒を見てくれたのは、感謝してる! でも、これはオレの大切な食料なんだ!」
クーラーボックスを隠そうとするエバス。
(いや、その動き……余計に怪しいだろ……)
シンイさんも俺と同じく、険しい表情になっている。
「怪しい……まさか、例の“白い粉”じゃないでしょうね!?」
「それだけは絶対に違うっ!」
「見せなさいっ!」
シンイさんが素早く隙を突き、ガバッとクーラーボックスのフタを開ける。
すると、中には、三枚におろされた魚の切り身が、氷の上できれいに並べられていた。
(あれ……計算が合わないな。二切れしかない。もしかして、一切れ分はもう胃の中に?)
「えっ、魚――?!」
シンイさんが絶句している間にも、エバスはお腹を抱えて転げ回っていた。
「姉ちゃん、本当に痛い……。オレ、マジで死ぬかも……」
「もうっ! ワタシ、救急医に電話してくるから! アダムくん、申し訳ないけど、エバスを見といて?」
「わかりました。任せてください」
シンイさんが電話をかけに厨房室を出た後、俺は周囲を確認する。
包丁、まな板、酢とわさび、箸、そして、魚の骨と内臓。
(なるほどね。ここまで証拠が揃っているとは。原因は、食中毒だろう。さて……)
「エバス。さっき、つまみ食いしてたのは、この魚か?」
単刀直入に問いかけると、エバスはすぐに答えた。
「そうだよ! 刺身にして……」
「なるほど。生で食べたってことか。いつ釣ったのかと、何の魚か分かる?」
「今日の昼! この前リュウコさんに褒められたからさ、また持って帰ったんだよ。ちなみに、魚はサバ! うまいぞ!」
「今はもう夜……しかも、サバ、かぁ……」
サバには、【鯖の生き腐れ】ということわざがある。『新鮮そうに見えても、腐り始めている』という意味だ。
本当に新鮮なら、問題ないのだが、エバスの症状を見るに、何かしらの食中毒が疑われる。
(サバで起こる食中毒といえば、化学物質によるものと、寄生虫がある。今のエバスは、蕁麻疹が出てないし、顔色も問題なし。むしろ、胃腸の痛みなら、寄生虫の方が濃厚だろうな……)
考え込んでいる俺を見て、エバスが不安そうに聞いてくる。
「なぁ! 何かおかしいのかよ?」
「いや、ちょっと試したいことがあってな」
俺は、オオバコさんに入学祝いでもらった防護メガネを取り出す。
(視力が戻って、いつものメガネが不要になってしまったからなぁ。これで試してみるかぁ……)
防護メガネに手を当てて、魔法を唱える。
「女神様、ブラックライトを……」
唱えた瞬間、ブラックライトがクーラーボックスの隣に現れた。
俺はそのライトを手に取り、サバの切り身に光を当てていく。
「アダム! 何やってんだよー!」
エバスが腹を押さえながら、必死に手を伸ばしてきた。どうやら刺身を独り占めしたかったようだが、今はそれどころじゃない。
エバスに構わず、照射を続けたところ、白くて細長い糸状の“何か”が姿を現した。しかも、2本。
「見つけた。エバス、痛みの原因がわかったかもしれない」
「えっ! なんだよ、突然、ライトを当て始めたり……なんだか怖ぇよ。でも、教えてくれよな!」
さっきは抵抗していたくせに、今度は助けを求めて、俺の腕を思いっきり掴んできた。
「エバス、力が……」
「ごめん! だけど、今のオレは、アダムにしか頼れねぇんだ!」
「いや、俺、救世主じゃないんだけどな……」
それにしても、今のエバスは、痛みで取り乱している。藁にもすがる思いでいるのだろう。
(まぁ、死にはしないし、実際に“木クレオソート”っていう薬を使えば、痛みは抑えられる。ただ、一番確実なのは、原因そのものを取り除くこと――寄生虫の除去だ。本人も真剣に知りたがってるし、ここははっきり教えるべきだな)
「エバス、情報を教えるから、落ち着いて聞けよ。これは寄生虫――アニサキスだ」
「はぁ?」
俺の言葉に、エバスは開いた口が塞がらないようだ。
「うーんとさ、アダム! その姉サキスなら、知ってるぜ! ちゃんと酢とわさびを使ったし、大丈夫だって。しかも美味かったし、最高だったぜ!」
「アネじゃなくて、アニな……」
「オッケー!」
やれやれ、能天気な回答が返ってきた。
(知識はあるのに……迷信を信じてる? まあ、せっかくだ。ちゃんと教えておくか)
「エバス。リュウコさんの影響で釣りにハマってるなら、今後のために覚えておいてくれ。クーラーボックスで冷やして持ち帰ったのは正解。だけど、家に着いたらすぐに内臓を処理しないとマズい。酢やわさびじゃアニサキスは死なないんだよ。時間が経つと、鮮度が落ちて、内臓から筋肉に移動してくる」
「えっ! マジで?!」
「ほら」
俺はライトを刺身にかざした。すると、細長い“白い悪魔”が……いた。
(アニサキス……俺は勝手に、“アニちゃん”って呼んでる)
「うわぁ! な、なんか動いてないか!? なんだよコレ……」
「アニサキスの幼虫だ。おそらく、エバスの胃の中にもいるかもしれない」
「こ、こえーよ! オレの胃の中に?! マジかよぉ……」
「怖いんだろ? だから、次からの対処法を伝えとく。方法は2つ。冷凍するか、加熱するか。どちらにしても、中心までしっかりな。そうすれば、アニサキスは死ぬ」
俺が説明を終えたタイミングで、シンイさんが戻ってきた。
「アダムくん! ありがとね! ……エバス! あんた、一酸化炭素中毒の次は、刺身で寄生虫?! ほんと信じられない! これから、胃カメラよ! 来なさいっ!」
「うわぁあああ! わかったよ……」
エバスはションボリしながら、シンイさんに連れられて病院へ向かい、無事にアニサキスを取り出してもらったらしい。
(白い悪魔とはいえ、適切に予防すれば問題ない。あぁ、サバの味噌煮が食べたくなってきた……。 今度、料理上手なニボルさんに作ってもらおうかな)
【後書き:白い悪魔 vs. 俺と女神様】
女神様「ふぅ……お友達が、無事でよかったですね~。でも、相変わらず大騒ぎでした」
アダム「しかし、アニサキスを“アネサキス”って……。なぜ兄ではなく姉と勘違いしたのか……謎だ」
女神様「アダムくん、そこですか? もっとこう……痛みとか、心配してあげなさい?」
アダム「女神様、痛いのは当たり前ですよ。もちろん、心配はしましたが、原因がわかってしまえば、対処するだけ」
女神様「ま、まぁ……冷静ですね、アダムくんは」
アダム「それより女神様。さっき“酢とわさび”を信じてたエバスの話、覚えてますか?」
女神様「うんうん。あれ、私も子どもの頃は、そう思ってました! 酢で〆れば寄生虫は消えるって!」
アダム「だけど、それは迷信だ。アニサキスの幼虫は、酢やわさびじゃ死なない。-20℃以下で24時間以上冷凍、または70℃以上で加熱が基本だ」
女神様「おっしゃる通り。私も前にお友達から教わりました。それでも、サバって美味しいじゃない? ゴマサバとか……」
アダム「だからこそ、リスク管理が重要です。ちなみに、今回の件、ヒスタミン中毒の可能性も考えてました」
女神様「ヒスタミンって、アレルギーで有名な?」
アダム「その通り。魚が腐敗すると、ヒスチジンというアミノ酸からヒスタミンが作られる。これは加熱しても壊れない。だから、ヒスタミン中毒の場合は、火を通しても防げない」
女神様「わっ、それはこわいわ……! どんな症状が出るのですか?」
アダム「蕁麻疹、顔の紅潮、頭痛、動悸、下痢……だが、今回のエバスには見られなかった。だから、アニサキス寄りだと判断した」
女神様「さすが、アダムくん。観察力がすごい! でも、食べる側も、作る側も気をつけなきゃいけないですね」
アダム「食中毒は、防げるリスクだ。たとえ“白い悪魔”がいても、科学と知識があれば怖くない」
女神様「うん、うん! 教えてくれてありがとう! じゃあ、私は“白い悪魔”で有名な馬さんの動画にハマっているから、またね〜!」
ニッコリと笑った後、颯爽と消えていった女神様。
(女神様って、天使族の王妃様だったんだよな。やっぱり、誰かに似てる気がする……)
“白い悪魔”の痛みは、予防できる。けれど、“白い天使”の真相は、予測不能だった。