【三族山編】臥薪嘗胆〜谷で再会?〜
「逃がさないよっ!」
誰よりも早く動いたのは、第5王女のシンイさんだった。
黒い車の前に、バリアを張ろうと防御魔法を展開しかけたが――教祖たちの方が一枚上手だった。
車は雑踏をすり抜け、あっという間に、森林の中へ姿を消してしまった。
(くそ……まだ近くにいるはずだ。捕まえる!)
走り出そうとした、そのとき――。
「アダム! 乗って!」と叫び声が、後ろから聞こえてきた。思わず振り返る。
「オオバコさん!」
ヘルメットを被ったオオバコさんが、俺の分のヘルメットを投げ渡し、『後ろに乗って』と手で合図してくれた。
(迷っている暇はない! でも、これだけは言っておかないと)
「ルパタ! エバスが蛇に咬まれたところを、心臓より低い位置に下げて、安静にさせて! 俺は教祖を追う!」
「わかった! 教えてくれてありがとう! 気をつけて!」
ルパタはすぐに、エバスの手当てに取り掛かる。
アンズも、手当てに必要な物を用意しながら、不安げな表情で、俺を見つめていた。
「アダム、ちゃんと帰ってきてね?」
安心させたくて、俺はアンズの頭をそっと撫でる。
「もちろん。行ってくる、アンズ……」
すると、アンズは、覚悟を決めたように笑って、「待ってるからね? ファイト!」と背中を押してくれた。
その言葉を胸に刻んで、俺は迷わず、バイクに飛び乗る。
(ちなみに、言うまでもないけど、俺は未成年だ。だから、運転はできない。今回、オオバコさんの後ろに乗るしかない)
「アダム、ちゃんと乗った? イレギュラーな事態だから、スピード出すよ! しっかりつかまってー!」
「大丈夫ですよ、オオバコさん。よろしくお願いします」
ブォオオン!
バイクのエンジンが、轟音を立てて動き出した。
月明かりに照らされた夜の林道を、俺たちはバイクで駆け抜ける――教祖に、追いつくために。
「アダム! 絶対に追いついてみせるよ! あんな嘘まみれのエセ研究者に、負けたくないもんね!」
「はい。教祖には、しっかり罪を償ってもらいます。それと……さっきの蛇も回収しましょう」
「えっ! 蛇も回収?!」
「あの蛇、毒を持っている可能性があります。もし毒蛇なら、薬に応用できるので」
その一言に、オオバコさんは大爆笑する。
「アハハハ! ウケる! そんなことを考えてるなんて……君、本当に面白い! よーし、なおさら追いついてみせるよ――!」
引き続き、ギリギリの最高速度を保ったまま、林道を疾走する。
オオバコさんのハンドルさばきは見事だ。
その腕前を発揮してくれたおかげで、俺たちは、黒い車の目前に迫っていた。
「アダム、あの車……中が暗くて、よく見えない!」
「オオバコさん! この感じ、運転席側じゃなくて、助手席の方が良いですよ!」
「了解! 左から回るよ……!」
俺のアドバイスを聞くが早いか、オオバコさんはバイクを巧みに操り、助手席側に並びかけた。
だが――間髪入れずに、助手席の窓の隙間から槍の穂先がスッと現れ、オオバコさんの顔面めがけて突き出される。
ガコンッ!
槍先が、オオバコさんのヘルメットに直撃した。
「ったく! 悪趣味な槍で攻撃するなんて、ダサ過ぎるよ! しかも、顔を狙うなんて、本当に最低っ! ヘルメットしといて良かったわ〜」
オオバコさんは悪態を吐き散らかしながら、ヘルメットを乱暴に外す。
一方の俺は、その隙を狙って、助手席を覗き込み、運転手の姿を探る。
(はぁ……?!)
なんということだ――フードを深く被った運転手は、驚いたことに、ガスマスクまで装着していた。
(ガスマスク……やはり、化学兵器を撒くつもりだったのか。コイツ、まさか……)
俺は、教祖を捕まえること以上に、この運転手の正体に気を取られていた。
そんな俺の思考を読んでいたのだろうか。
運転手の動きが、突如変わった――。
「アダム! 危ないッ! 槍が君のところに――!」
「っ……!」
オオバコさんの叫びと同時に、俺も咄嗟にヘルメットを外し、助手席に向かって投げつけようとした。
だけど、遅かった。
槍先を完全に避けることができず、わずかに俺の左頬を擦ったようだ。ひりつくような痛みが走る。
さらに、緊張で筋肉が強張っていたせいか、バランスを崩してしまう。
(しまった……!)
バイクが、左へ大きく傾く。
すぐさま、オオバコさんがその状況を察知し、スピードを落として、急ブレーキをかける。
その間に、黒い車が暗闇の中に消えていく。
最悪なことに……姿も、気配も、完全に見失ってしまった。
「クソッ……間に合わなかった……!」
ハンドルを握りしめたまま、オオバコさんが舌打ちする。
その隣で、俺は自身の無力さに絶望し、打ちひしがれていた。
(もう少し……あと少しだったのに。届かなかった……)
「アダム、追いつけなかった……でも、終わっていない。アイツらを絶対に許さないし、罪を償わせる! 天使族を代表して、レンゲ様の仇、今こそ討たせてもらう!」
珍しい。オオバコさんが、怒りを露わにしている。
(それに、レンゲ様って……!)
「アダム、私は“見抜いた”。アイツらが、どこへ向かおうとしているのか。でも、行かせない。アダム、後ろを向いて。そして……しっかり、目を閉じて」
この静けさの中で、オオバコさんの声だけが、力強く、響いた。
そして、バイクの後ろから、彼女は迷いなく、閃光手榴弾を取り出す。
「それって、もしかして……?」
「大丈夫。この『No.12』はね……炎色反応を示さないし、致死性もないから。だが、ある細工を入れているッ! 天使族由来の魔法をね! この光を浴びると――!」
最後まで聞き取ることはできなかった。
(オオバコさんが、いきなり投げた……!)
夜の林道を切り裂くような強烈な閃光――いや、まるで天国の扉が開いたかのような、純白の光だ。
「――ッ!」
反射的に目を閉じたが、それでも白い光がまぶたの裏を突き刺すように差し込んでくる。
しばし沈黙した後――ドォオオオオオンッ!
前方で、車が木に激突したような、破壊音が響いた。
思わず目を開けるが、幸い、視界に異常はない。
「あれ……。この音、意外と近くにいるんじゃ……?」
「うん、向かおう」
オオバコさんと共に、再びバイクにまたがり、音がした方角へ急いで向かう。
「アダム、あった……見つけた!」
車は、林道の木の幹に斜めから突っ込んでいた。ボンネットからは白煙が噴き出し、助手席のドアは半開き。足元には、ガスマスクが転がっていた。
「この閃光は、天使族にしか使えない――唯一無二の“負傷魔法”だよ」
オオバコさんは淡々と説明する。
「視神経に衝撃を与えたから、一時的に失明しているはず……って、えっ! 嘘でしょ! 車の中に、誰もいな――」
ボトッ。
オオバコさんの言葉を遮るように、車の屋根から、一匹の蛇が落ちてきた。
「あっ。さっき、エバスに咬みついた蛇か」
俺はそっと手を伸ばす。けれど、その蛇は、すでに息絶えていた。
……だが、奇妙なことに、尻尾にメモ用紙が括りつけられていた。
慌てて、それをほどき、広げる。
ミミズの這ったような字で書かれていたが、かろうじて読めた。
「なんだよ、これ……」
俺の本音を聞いて、オオバコさんがいつの間にか隣に来て、メモを覗き込む。
「えっと……『私の勝ちだ。三族山で“川”を越えた。次は、“谷”で会おう』。はぁ?! どういうこと? 意味不明!」
オオバコさんは、教祖と運転手を逃したこともあり、キレている。
オオバコさんが怒るのも当然だ。あれほど近くまで迫っていたのに、すべてが水の泡になったのだから。
(いや、ここで諦めるわけにはいかないな。この文章、ただの挑発文ではない。何かを、伝えようとしているはず)
真相は、謎のままだ。
それでも、俺は、珍しく、心の声をそのまま口にしていた。
「今度こそ、逃がさない……逃げ切れるなんて、思うなよ。必ず、この手で捕まえてやる……」
憤懣やる方ない思いでいたが、まさか、あんな“地獄のような”形で、教祖と再会することになるとは――この時の俺は知る由もなかった。